《 偏愛2 》「ジェイド先輩の好きなところ?えーっと頭が良くて格好良くって、それから、」
へーへー、お熱いこって。
呆れた声に返されたのは、すでに懐かしい学生時代のこと。
◇
「ならばここを出て行きますか?あなた、僕無しでどうやって生きていくおつもりで?」
ちょっとした言い合いの最中に投げつけられた言葉。歪に口角を吊り上げたジェイドの挑発的な瞳に見下げられたユウは、頭の中心が急速に冷えていくのを感じた。自身を取り囲む空気がどろり、と澱む。それはまるでスライムが肌を滑り落ちていくような、粘性をもった不快感。
何故
何故、
何故。
どうしてそんな、つまらないことを言うの。
彼女の心を満たしたのはありがちな悲しみなどでは無い。真っ赤な怒りだ。
まさか、まさか聡くて美しい目の前の人魚は、このくだらない宣告が私に対する脅し文句になり得ると思っているのだろうか。生殺与奪の権利を掌握したような口振りで、抑えつけて。そうすれば私がたちまち青醒めて、その腕に縋って、ごめんなさい捨てないでと涙を流して取り乱すと思われている?
───あぁ、気分が悪い。
どうやって生きていくか?あまり笑わせないで欲しい。当然、一人で生きていくのだ。私は今までも、これからも、自分の足で立って生きていく。
ある日唐突に家族と引き離されて一人ここに来た。十七年の人生で積み重ねたものはこの身体以外全て取り上げられ、喪失の苦しみに心はバラバラ。ある意味一度死んだようなものなのに、それに比べたら予告ありの別離など恐れる必要も無い。
翻訳用の魔法具が一般人にまで普及して久しく、引っ越しだって一瞬で済むこの世界では生きる場所を見つけるのはそう難しくなかった。選択肢はそれこそ無限大なのだ。どうせなら熱砂の国にでも行ってみようか。乾いた風にジリジリと肌を焼く太陽。学生時代の伝手を頼って仕事を見つけて…そんなことを考えながら発する、
「じゃあ、そうします」
その言葉は言った本人も驚くほど朗らかに響いた。同時に、そこにはほんの僅かな感情も乗っていなかった。どうやら自分は随分と腹を立てているらしい。そんな事実に眉を寄せながら踵を返せば、一瞬、絶望を湛えたオッドアイと視線がかち合った。
「何故──何故そんなに冷たい声を出すんです」
「待って、あなた無しではとても生きていけない」
「駄目です、行かないで」
寝室に向かう小さな背中に190cmの長身が縋り付く。恐ろしい力で手首を捉えられ、引き戻された先のその瞳。悲愴と懇願に濡れたその様に、たちまちユウの心は平穏を取り戻す。剥がれ落ちかけた感情が輝きを取り戻してキラキラと舞い上がった。
あぁ、乞われている。
──それならば、ここでいい。
根無草のような存在であるユウの心が何より求めているのは他者からの依存であるという事実。本人すら到達したことのない、その心の奥底に閉じ込めた怪物のような本音。
事実、彼女はジェイドの賢さにも強さにも、その見た目の美しさにも一切の興味はない。『誰よりも私に執着している』、ただその一点のみで彼を愛している。逆説。自身に執着しないウツボなぞ、彼女にとって何の価値も無い。
息が止まりそうな程の抱擁と、延々と耳元で紡がれる愛の言葉。
そうして満たされた彼女はただ満足げに、今日もジェイドの腕の中で穏やかな笑みを浮かべている。