冬の日 眠りながら、雪が降ってきたな、と気付いた。
大雪の日の夜は、いつも静かなこの山王工業のバスケ部寮の周りが、もっと静かになる。
しんしんと降る、というのは間違っていない。
音を吸い込んで世界が静かになるのが好きだ。
目を開けると、深夜なのにぼんやりと窓の外が薄青くなっている。吐く息が白い。カーテンを開けて外を見て、景色に白が積もっているのを確認した。
今年も冬が来たのだと、深津は少し嬉しくなる。
昔から静かな冬の夜が大好きだった。
1人きりになったような、冷たい澄んだ空気の中で、暖かい布団で眠るのが気持ちいい。
明日の朝になれば、練習より何よりもまずは外の雪かきだ。1年の頃は、深津の実家がある県南地域よりも重い雪に苦労したものだ。
外周も大変になる。雪で歩きにくく、酷い時には路面が凍って滑りやすくなるから、冬の間の体力作りはもっぱら校内か体育館での走り込みになる。
それでも深津は、時々、天気の良い冬の日に外を散歩するのが好きだ。
ベッドに戻って、布団を首まで被って目を閉じた。雪の積もる音まで聞こえてきそうな静けさに、深津はゆっくりと眠りに落ちた。
「さみ〜〜〜」
でかい声でそう言って、沢北はぺらぺらのマフラーをぎゅっと絞る。ポケットに手を突っ込んで歩き出して、ぶるっと身震いした。
「だから別に着いて来なくていいって言ったベシ」
深津は完全防備のコート、マフラー、手袋、イヤーマフで応える。ポケットには、ホッカイロも仕込んでいる。
「いやだって、流石に先輩1人で買い物行かせるのはダメですし」
鼻水を垂らしながらそう言うが、全然格好がついてない。
今日の練習が終わって、夕食までの数時間。
深津の1人部屋に集まって沢北の期末試験の勉強を、いつものメンツで見ていたのだが、育ち盛りの男子高校生ともなればちょっとした時間でもお腹が空く。
平等にじゃんけんで買い出し係を決めたのだが、沢北は着いていくと言ってきかなかった。
「なんのためのじゃんけんベシ」
「あは、深津さん負けるの早かったですね。かわいー」
生意気な事を言うやつだ。誰のための勉強会だと思っているのか。
「でも良かった、深津さんと話したかったし」
「ん?なんか悩みでもあるベシ」
「いや、特に」
はぁ?と思って隣を見返せば、またイタズラっぽい顔をして沢北が笑う。
「ただ2人きりになりたかっただけです」
「………」
最近の沢北はいつもこうだ。
思わせぶりな言葉というか、深津に接触しようとする態度とか、特別な雰囲気を醸し出してくるところとか。
よくないなぁと思ってしまう。
昔から、よく後輩に憧れられる立場だったから分かる。コイツは俺に変な夢を見ている。
そして、それを少なからず嬉しいと思ってしまっている自分も認めざるを得ない。
でも、同姓同士で先輩後輩だ。1年生エースと次期キャプテン。変な空気になって部活に支障が出たら困る。周りへの影響や大人からの見られ方。
そんなものまで考えなくてはいけない。
「キモいベシ」
「えーひどっ」
そしてこうやって、突き放すような言葉で沢北から距離を取る。
ほんとうに、よくない。
「深津さん、好きなアイドルとかいます?」
沢北はめげずに深津に話しかけてくる。なんでそんな話なんだ、とちょっと思ったが、コンビニまで暇なので付き合ってやることにする。
「いねーベシ」
「じゃあ、好きな食べ物は?」
「アジの塩焼き」
「好きな色」
「黒」
「好きなお菓子は」
「ポテチの限定いぶりがっこ味」
「えーあれ美味いんすか?あったら買おう」
今から行くコンビニには無い。
そう思ったが、沢北が嬉しそうにしていたのでまぁ良いかと思って言うのをやめた。
「じゃあ、好きな季節」
「冬」
へぇ、と興味のなさそうな声。
「オレは夏の方が好き」
「だろうな」
「なんで冬?寒いじゃないっすか」
「冬というか雪が好きベシ」
これが?とでも良いそうな顔。そんな、道路の端に溜まった黒い泥のついた溶けない雪のことじゃない。
「似合いますね、深津さんと雪」
寒さで赤くなった顔でにっこり笑って言うから、深津は沢北をいじらしく感じてしまって胸のあたりがキュッとなった。
「お前と夏の太陽の方がよっぽど似合うベシ」
喜んだ顔が可愛くて、顔だけは良いんだったなとぼんやり思う。
ポツポツと沢北と一問一答を繰り返しながら歩く。雪と雨でぐしゃぐしゃになった道は歩きにくいが、目的のコンビニまであと数百メートルだ。
「好きなタイプは」
少し緊張したような声で聞いてきた。思わず笑ってしまった。本当はそれが1番聞きたかったんじゃ無いのか。
「うるさくないやつ」
「ええっ」
オーバーすぎるリアクションに笑う。もっと自分に近い返事が返ってくると思ったんだろう。
でも自分は、まだそんなつもりはない。まだ。
「勉強出来て、大人で、ブロッコリーも残さなくて、ちゃんと先輩に礼儀正しいやつが好きベシ」
うわーとかうーんとか、小さい声でなんか言ってるが、深津はそんなの気にせず言葉を続けた。
「バ、バスケは…?」
情けない顔で眉毛をハの字に曲げながら、それでも聞いてくるから深津は面白くてたまらなくなる。期待を持たせすぎてはいけない、と分かっていても、沢北を可愛く思ってしまうのはどうしようもなくて、つい本音が溢れた。
「日本一上手いやつがいいベシ」
一瞬でパァアと喜んだ顔になるから、お前はエサを出された犬かと突っ込みたくなる。
「それならオレいけるかもっすね!」
悲しんだり喜んだり、まるでジェットコースターみたいなやつだ。
そんなやつに振り回されてやるのも悪くはない。でもまだ、自分たちにはそれは早すぎる。青いまま、お遊びみたいな恋愛を沢北とするつもりはなかった。
「ちなみにオレは」
コンビニが見えてきたところで、沢北が立ち止まって深津を見つめた。
「雪が好きな人が好きです」
真正面から言われて、一瞬時が止まったみたいだった。何も返せない深津に、へへっと笑って沢北は突然走り出した。
「あとアジの塩焼きが好きな人ー!」
数メートルを全力疾走で走る沢北に、深津もつられて走り出した。バッシュじゃないから走りにくい。それでもなぜか、呼吸するたびに入ってくる冷たい空気が心地よくて、自然と笑ってしまう。
「そんなやつたくさんいるベシ」
沢北の背中を追いかけた。冬の日の夕方、2人で走ったあの道が恋しい。
****
ぱち、と目を開けた。まだ深夜の時間帯。外からは、時々車が走っていく音しかしない。
部屋の中が冷たくなっている気がして、手元のリモコンでエアコンをつけた。暖房モード全開にしても空気は暖まらない。
ベッドヘッドのすぐ近くの窓、カーテンの隙間から外を覗いた。街のネオンが煌めいている。
白い雪が舞っていて、少し嬉しくなった。
冬が来たのだ。今年、初めての雪だ。
大粒の雪は止まる事を知らない、あっという間に窓縁に溜まっていく。寒い朝になりそうだった。
しばらく眺めていると、横で眠っていた沢北がモゾモゾと動き出した。
「深津さん?起きたの?」
「寝てていいピョン」
寝てていいと言ったのに、沢北は起き上がって深津を後ろから抱きしめる。
「雪だぁ」
「うん。初雪だピョン」
2人して窓から外を見る。2人が住むこの部屋は高層階にあるから、下の様子は見えないけれど街のネオンと降りしきる雪が綺麗だ。
「…雪が好きな人が好き」
耳元で懐かしいセリフを言われて、深津は嬉しさと共にむず痒くなった。
「あとアジの開き?」
「残念、塩焼きだピョン」
あはは、と沢北が笑うたびに深津の体にも振動が伝ってきてくすぐったい。
「まだうるさくないやつが好きですか?」
よくそんな事覚えてるな、と感心した。まだ沢北がアメリカ行きを決める前の、冬の日の、2人でコンビニまで歩いた記憶。
「好みのタイプは変わったピョン」
「へぇ、聞かせてください」
腹にまわった沢北の腕が、一層強くなる。沢北に抱きしめられて逃げ場のない心地よさと、甘い空気と少しの眠気が深津の気分を良くしている。
「うるさくて、寝相が悪くて、ブロッコリーは相変わらず残すし、靴下は脱ぎっぱなしで、いつまでもオレに甘えてくるやつが好きだピョン」
ふふ、と、満足げな吐息。沢北もまだ眠いのか、体温が高い。
「バスケは?」
沢北の方に振り向いて、至近距離まで顔を近づける。
「世界一うまいやつ」
ちゅ、とキスを落とすと、沢北が嬉しそうに笑った。
「オレ、いい線いけそうっすね」
自信満々な顔が愛しくて、お返しのキスを受けながら深津は目を閉じる。
静かな、雪の降る冬の夜が好きだった。
沢北と2人きり、世界に取り残されたような静けさの中でする、愛のこもったキスが好きだった。