視線を感じる。よくないものに魅入られてる。背中に走る悪寒。頭から押さえつけられる重圧。かけられる軽やかな声。
「偶然だね。ナマエがこんなところにいるなんて思わなかったよ。」
こっちのセリフだ。お前がこんなところまで着いてくるとは思わなかったよ。暗く細い路地。人々が捨てた空き缶、食べ残した生ゴミが散乱している。建物についた換気扇が回って匂いを掻き乱している。こんな汚物だらけのところに来るとは思わなかった。
私は逃げてきたのだ。黒く佇む悪魔から命からがら逃げてきた。どこにも逃げ場はないとわかっていながらも逃げてきた。それでもここにいる悪魔は私の心を支配していく。近くにいるだけで心拍数が上がる。ドクドクと血が溢れ出すかのように心臓が大きく早く動く。
「一週間も音信不通になって何がしたかったの。」
悪魔は言葉を続ける。怯えた目が震える唇が見えているのに私を追い詰める。ジリジリと心臓を燃やしていく。逸る鼓動を止めてくれるのならいいのに。
「しかもオレだけになんて…ひどい話だよね。」
悪魔は一歩ずつ近づいてくる。
足音がやけに大きく聞こえる。この狭い空間で反響して耳に入ってくる。なんのことかわからない。私はただ逃げたかっただけなのだ。
黒い悪魔の瞳には私が映っている。その目に吸い込まれそうだ。あぁ、このままじゃまた捕まってしまう。あの時みたいに。もう逃げることもできない。
悪魔の手が頬に触れる。ひんやりとした手。触れられたところから凍っていくようだ。ゆっくりと撫でられる。優しい動きなのに恐怖しか感じない。私は目を瞑った。
悪魔はキスをした。
口の中に苦味が広がる。それは吐き気を呼ぶほど不快なものだった。だけど今はそんなことどうでもよかった。もっと深く堕ちていきたい。もっとあなたを知りたい。そう思った。
「……ひどい男ね。」
だから今度は私から唇を重ねた。触れるだけの軽いものじゃない。舌を絡ませ合う大人のキスだ。あなたの全てを貪り尽くしたい。私の全部をあげるから。あなたの全てを教えてほしい。私は夢中で彼の唇を求めた。
何度も角度を変えて深いキスをする。息継ぎする間さえもどかしくて仕方がなかった。