道タケ返歌「アイツ、今日も来ないらしい」
妙にそわついたタケルがそう言うのを聞いて、道流はそうかと苦笑してうなずいた。なら、ほらと手を広げてみるとタケルは無言のまま腕の中に納まってくる。それが愛情表現だと信じている。だから、タケルはまだ上手く納得ができないようだった。漣のことが。
そうは言ったところで玄関先でいつまでもハグしていたって仕方ない。少し強めに抱き上げて「おかえり」と伝えて、手を離した。そのまま居間へ一緒に入る。
「事務所に寄ってきたんだ。ちょうど隼人さんたちとも話したかったし……アイツ、ほんとにプロデューサーのこと好きなのか、と、思って」
荷物を下ろしたタケルの前にお茶を出して、米を今セットしたばかりだから晩飯は待ってもらうように伝える。構わないと返事をもらってから、彼の目の前よりも少し隣になるように座った。じっと見下ろしてみると、やはり表情は硬く、ずいぶんと悩んだことがうかがえる。
道流にとってタケルは弟のようで、恋人のようで、ライバルだった。漣もほとんど同じだ。弟のようでライバル。勝利を求める思いがあって、勝利を手に入れるだけの力もある。タケルも漣もお互いを同じように思っているはずだった。
だから、漣はつまらなかったのかもしれない。タケルに人を(道流を、であるが)愛することができて漣にできないはずがないとは本人の言だが、まさにその通りなのだろう。感情、特に愛情の獲得を勝利と名付けるならば、ライバルであるタケルと道流に愛する人間がいて漣が自分もとならないはずがなかった。
けれどその愛情の向く先と向けられる元が、タケルか道流かであってはいけない。漣はそう思ったはずだ。ライバルの恋人がまたライバルであるならば、どっちに嫉妬したものかわからない。
「……まあ漣だから、そう難しいことは考えてないだろう」
「そうなら、いいんだが」
まだ納得できない様子のタケルに道流はもう一度苦笑して、体を彼に向けた。膝を叩く。意図を察したタケルが膝立ちで道流のそばに寄って、ぎゅっと体を抱き寄せて、髪に頬を預ける。
親が子供にするみたいに――兄が下のきょうだいにするみたいに、髪を撫でてハグを続ける。それが愛情表現だと信じているから、タケルには、漣のすることが理解できないでいる。
「何も変わらないよ、タケル」
「うん」
「漣、あれで面倒見のいいところがあるだろう。二人がかわいがっているあの猫だって、一度も飢えてるところを見たことがないし、なんなら太ってきた」
「それはアイツが勝手に餌をやるから……」
「そういうことだよ。漣は一度手に入れたものを案外甘やかすところがある」
ぐっとタケルが黙る。その背に回した手はタケルよりずっと大きくて、いつも包んでしまえそうだと道流は思っていた。けれどその必要はない。
「粗雑に扱うことも漣なりの愛情、ってことだ。タケルも漣のやり方は知っているだろう」
まだ黙っている。道流の髪とタケルの頬が擦れて、ざり、と砂糖を舌に乗せたような音がする。タケルはそのまま大きく息を吐きだして「サイバネティクスウォーズ」と呟いた。
「あの時から、アイツ、変わったと思ってたのに」
「変わらないものもあるさ。自分たちはずっと勝利を求める生き物だから」
「それは、そうだな」
試合前を思い出すような、覚悟を決めるような短い呼吸音。タケルが顔を上げ、道流を見つめる。唇を合わせると、何故か甘い。事務所で何かもらってきたのかと訊ねると「プロデューサーから飴をもらった。人からもらったけど食べきれないからどうぞ、ってさ」と返事があった。
道流には、デスクに向かって根を詰める師匠の目の前にぼとぼととキャンディが降ってくる様が見えるようで大声で笑った。