モルの歌声が響く頃には(仁碧/ノベコン中退避)今日はクリスマス・イヴ。
旧世界では神の誕生を祝福し、わいわいする日だったらしい。といっても、資料は侵食されて残っていないため、仁武も碧壱も聞き齧った知識でしかなかった。それも今では独自の文化に変態し、一部の裕福かつ通な富豪たちがパーティをする記念日となっていた。
その裕福な層にはデッドマターを退けてしばらくの金銭を保証された志献官たちも含まれている。本人たちは「裕福」は望んでいなかったが、しばらくは身体を癒し各自の生活を整えようと、約一人を除き慎ましい生活を送っていた。そして、復興に燃える燈京都民が少しでも楽しく生活できるよう、色々な文化を嗜んでは復興現場で一緒にやろうと声をかけている。実際、一緒に住んでいる朔は栄都と三宙に誘われて街の人とクリスマスパーティーをしていた。対して仁武と碧壱は「恋人たちのクリスマス」とやらを実践していた。
「「メリークリスマス」」
澄んだ濁りのあるとっておきのお茶を淹れ、急須を壊さないように突き合わせた。コンという丸く鈍い土器の音を聞きながら、「これが聖なる鐘ってやつか」と仁武が笑えば、「ちょっと早い除夜の鐘かもよ」と碧壱が肩をすくめる。
今夜の逸品は二人で数日かけて煮詰めたり漬け置いたりした、とにかく手間暇かけた品々だ。かぼちゃはほくほく、餅はあつあつ、どれも美味しかった。美味い以外の言葉が出ないまま一気に平らげてしまい、食後の一杯を飲み始めてクリスマスの話題になった。
「碧壱はサンタクロースに何を頼んだんだ?」
「何も頼んでないよ。私は良い子じゃなかったから。」
碧壱の今年はミラーズとして侵食しに来た年だった。自分を置いて時が進む防衛本部を受け入れられず、仁武や朔たちと元素力を交わす。その過程で元素力を消耗しすぎた碧壱は朔の元素力を受け入れ、志献官として再生した。
防衛本部に帰ってこれた碧壱は牢屋で志献官たちとじっくり語り合う時間が持てた。仁武と言えなかった言葉を伝え合い、朔のブレなかった純粋さを受け止め、一那に謝り、玖苑とちくちくつつき合う。6年前に言えなかった言葉たちが成仏し、碧壱は現在にしがみつかなくて良くなった。そしてあっさりと百冬実を説得で退け、媒人の協力を得てシリウスの門を閉じてしまった。
人知れず割を食ったのは朔であった。師としての憧れが、兄のように包みこんでくれる温かさにより淡い恋心へと姿を変えていく。それを甘えだなと自制していたが、兄貴分が義兄になると同時に感情の名前に気づいてしまったのだ。兄も好き。義兄も好き。二人に幸せになってほしい気持ちと、二人に大事にされたい気持ちがぶつかり、朔もまたいつかの碧壱のように言えない感情を抱えてしまった。朔を元気付けるために連れ出している栄都曰く、「仁武さんも碧壱さんも同時に遠くへ行った気分なんだって」らしい。碧壱も仁武も朔を除け者にしたいとは思っていない。むしろ家族として受け入れようとしていたし、そのために無理矢理家督を継いで親を隠居療養させた。針の筵のような家を朔が安心できる場所にしたかったため、今こうして二人きりでご飯を食べていることも碧壱は後ろめたかった。
「私は良い子じゃないし、むしろ多少の天罰が必要だよ。」
「またそういうことを言う。サンタクロースに頼むのはタダだ。」
「でも世界の侵食は叶わなかったし、結倭ノ国の平和は逆に叶った。お前とまた一緒にご飯を食べれるようになった。あとは朔が健康で良い人生を歩んでくれたらそれでいい。」
碧壱は生き返ることで朔の存在意義を奪うように分け与えられた。どんなに朔が納得していても、落ち込んでもいるのは事実だ。そのため、碧壱は朔を幸せにできる自信がなかった。
では他人に朔の人生を委ねようと思っても、良い相手ができた時に自分の屍を超えろと言わない自信はない。一度死んだ身なので、もし言ったら逆に朔を怒らせてしまうだろう。
「健康で良い人生を歩んで欲しいのは、碧壱もだな。」
仁武もまた、碧壱が「一度死んだ身」であることを気にしていた。
「私も?」
「多少の罰とかじゃない。お前だって頑張って結倭ノ国を救った英雄の一人で、これからは一人のヒトだ。ちゃんと長生きして幸せになってほしい。」
他人事だな、と思う。
仁武は誰が見てもわかりやすいほど、まるで終活のように防衛本部を畳む準備をしつつ復興のための手続きをしていた。
碧壱が「一度死んだ身」なら、仁武は「もう死んでても良いはずの身」だ。貴重な生を自覚が無さすぎると思った。
「もちろん鐵司令代理も長生きして幸せになるんだろうな。」
「長生きはわからないが、俺は充分幸せだ。」
「長生きがわからないとは、聞き捨てならないな。」
仁武の身体は錆に侵されているし、気力だけで保っている。裏を返せば、気合いで生きられるのだ。長生きする気がないというのはこの世への執着も成し遂げたいことも無いと言っているようなものだった。
「せめて何年生きるか目標くらいないのか?」
「生きるのに目標も何もあるのか。碧壱だってさっきから自分を蔑ろにしてるのに。」
「私こそいいよ。お前が長生きする気が無いなら、一緒に死んだって良い。」
「死ぬ!?」
碧壱の瞳は侵食しに来た時のように冷めていた。生前も時々見せる意味深な瞳。完全に怒らせたな……と仁武は進め方を考える。この顔をした時は大抵のらりくらりとかわして何を考えてるか教えてくれなくなるため、仁武にとっては厄介だった。
「……いい加減にしないとその口塞ぐぞ。」
「できるのか意気地なし。」
「言ったな?」
仁武は碧壱の肩を軽く持ち、噛み付くように口付ける。言い合いをしていた碧壱も逃げない。結局お互いを思って言い合ってるだけなのだ。旧世界では喧嘩しても口付けで仲直りできるという芸事があると、十六夜から聞いたことがある。志献官の中でも己を律する方な二人だったが、甘い空気にはきちんと流されることもできた。
二人は言い合いを続けながら食器を片付け、寝支度まで仕掛かる。寝室で口論の続きをするまで、ずっと体のどこかが触れる距離を保っていた。
「ただいま帰りました。」
乾いた引き戸の音と共に、朔の少し弾んだ声が聞こえた。栄都と三宙のおかげで多少気が紛れたのだろう。
「おかえり、朔。」
仁武も居間まで赴き、朔を出迎える。笑顔で振り返った朔だったが、仁武の隣に碧壱が居ないことから何があったのか察したのだろう。一瞬で呆れた目を向けられてしまった。
「兄さんは寝ているんですか。」
「そ、そうだな。」
一つため息をついたあと、仁武に小さな巾着を差し出してきた。
「俺も風呂をいただいて寝ます。仁武さんもおやすみなさい。あと、こちらは俺からのプレゼントです。」
開いてみると、モルのキーホルダーがついた鍵だった。
「これはどこの鍵だ?」
「ウチのです。兄さんから、朔が良いと思った時に渡してくれって預かってたので。キーホルダーは俺からのクリスマスプレゼントです。兄さんがそこまで仁武さんに気を許せてるなら、もう良いかなって思えました。」
そう言って朔は少し寂し気に笑う。
「来週は忙しいですよ。親戚を集めて食事会。父さんたちも帰ってくるだろうから全部掃除しないといけないし、俺も年明けの編入試験の勉強をしないといけないので。兄さんの手伝いは仁武さんがしてくださいね。」
「え? あぁ。」
何が起きてるかわからず生返事になる仁武に、真顔の朔が軽く抱きつく。驚く仁武の胸元に耳を当て、鼓動の規則正しさに安心した。
「昨日、宣告されてた余命を過ぎたんですよね。」
「ああ。半年持てばいいと言われてたんだが、身体はまだ全然動いている。」
「それなら、安心して兄さんを任せられますね。」
朔が仁武の手中からスルッと抜ける。
仁武が言葉を発する暇もなく、朔はおやすみなさいと微笑んで居間を出た。
兄譲りの凛々しい表情で。
仁武は閑かに雪の降る縁側を眺めていた。
寝室に戻った仁武は碧壱がしっかり寝ていることを確認し、引き出しから出したプレゼントと手紙を碧壱の枕元に置いた。茶色に赤みがかった差し毛のある兎のぬいぐるみだ。いつか碧壱がくれた兎のぬいぐるみはボロボロになってしまったが、碧壱が最初にくれた安心感を返すにはこれしかないと思ったからだ。碧壱を見つめる兎を見て、仁武は満足気に布団に潜る。同時に、横の双眸が涼しく光った。
翌朝、仁武は何故か閉まりきってない障子からの朝陽で目が覚めた。利き手をつきながらまだ起きていない瞼を擦り、肌に違和感を感じる。指を見ると、薬指に丸くて白い彩りがあった。
「……指輪?」
「指輪だよ。その石はオパール。」
もう起きていたのか。横を見ると碧壱も眠そうに這う。枕元を見ると、茶色い兎の隣に灰色の兎が大小揃えられていた。碧壱は3匹の兎に語りかける。
「仁武は私の人生に付き合う気があまりなさそうだったからね。理由が無いと長生きできないなんて仕方のない男だと思わないか?」
その言葉を聞き、仁武はまた左手を見返した。指輪についた石は碧壱のトレードマークであるオパールだ。つまり碧壱は自身を己に託したということになる。この考えに間違いがないだろうかとショートするほどの速度で考えたが、何回考えても自惚れて良いという結論にたどり着いた。
「で、仁武はまず何年生きてくれる?」
「まだ諦めてなかったのか。そうだな……6年は頑張ろう。お前と過ごしたかった時間だ。」
ふぅん、と頷きながら、碧壱は兎たちを指差した。
「じゃあ、子うさぎもあと6体だね。」
「子うさぎなのか。」
「ああ。一年に一体、かわいい兎を探してきて仁武にあげよう。仁武が長生きすればするほど兎たちは大家族になれるよ。兎は多産な生き物だから、きっと賑やかな方が兎らしくてかわいいだろうね。そして全部で9体になった時には、もっと生きたいって言わせてやるからな。」
これは碧壱なりの宣戦布告だった。生前から自分の命こそ水素より軽かったが、別に軽率に仁武に一生を捧げたいわけではなかったし、仁武の命を従量課兎制で買えるとも思っていなかった。ここまで生と目標に執着した仁武であれば、ちょっと過ごした時間を見えるようにしてやるだけでもう一年、また一年と貪欲になるとふんだのだ。
目標となる兎と、二人の命を繋ぐ指輪。
徹底的に退路を断つ贈り物に、流石に苦笑いが隠せなかった。
「参ったな。」
降参の色を出す仁武の顔が意味もなく碧壱に迫り、碧壱もまた目を閉じる。二人の唇が触れ合いそうになる寸前に、二人の甘い空気に割って入る朔の叫びが遠くの部屋から聞こえた。
「……何を置いたんだ?」
「私と揃いのブローチを買ったんだ。朔の誕生石に合わせてガーネットで。秋試験は無かったようだけど、朔は次の昇位試験で純壱位になれただろうなと思って。」
碧壱と朔の両親は朔の誕生日も昇位も祝ったりしない。そもそも志献官が不要になった今、昇位試験ももう行われない。ミラーズである碧壱を救い、一緒にシリウスを閉じた朔に対し、碧壱は自身を超えていると伝えた。だからこそ、自分たちだけがわかる勲章をプレゼントに選んだ。朔も子どもじゃない。ブローチを置いたのがサンタクロースさんではなく碧壱であることはわかっているだろう。しかし、それにしては感動よりも驚きを感じられる叫び声だった。
「ブローチであんな声出すか?」
「あとは腰を据えて生活できるようになったから、私と仁武の分も一緒に生活用品を買ったんだ。室内履きとかお箸とか、天体観測で着れる毛布とか。」
「……3人分置いたのか。」
仁武は納得しながらも慌てて服と部屋を整える。
逆に碧壱は不安気だった。
「もっと違う贈り物が良かっただろうか。」
「そんなことないだろ。」
防衛本部なら怒るほどの走る音が聞こえているのだから。