朔誕【モル朔】
1月8日 早朝。
ラジオ体操を終えた朔の元に、てちてちと20ほどの小さい影が集まった。
「朔〜! お誕生日おめでとうモル〜!」
「モル公!」
「みんな、準備通りいくモル! せーの!」
ハッピバースデーさーくー!
ハッピバースデーさーくー!
食堂にモルたちのモル声三部合唱が響き渡る。
一匹一匹のモルが口を縦に開き、げっ歯類特有の長い前歯が見え隠れする。普段朔が突きたくて仕方ない頬も内側から見え、表情筋の伸びが可愛らしい。朔の視線もシャトルランしていた。
歌い終わった頃には朔のつり目がたれにたれており、頬を染めながら可愛さに全身を震わせていた。
横に居た栄都と七瀬も自然と笑顔になり、歌い終わった合唱団に拍手を送る。
「そっか! 朔今日誕生日なんだ! おめでとう!」
「源さん。ぼくからもお誕生日おめでとうございます。」
「あ、ああ……ありがとう。」
今日は朔の誕生日だ。寝る前に声をかけてくれた者は居たが、起きてからはモルと2人が一番乗りだった。
「まさかモルにお祝いしてもらえると思わなかった。本当にありがとう。」
「朔へのプレゼントはとても悩んだでち。」
「そこで、みんなで相談してモルたちがプレゼントってことにしたモル〜!」
モル公とモルチの後ろでモルたちが頷く。
「! モルたちが!?」
感激する朔を横に、栄都と七瀬は「どういう状態だろ」と首を傾げた。
たしかに、モルがプレゼントとはどういう状況なのか。朔も初めて言われた表現なので、ドキドキしながら姿勢を正す。それを見たモルたちが、朔の正面に横一列に隊列を組んだ。
「さあ朔、今日はおやつ無しで握手をしていいモルよ!」
「「「プィイ〜!!」」」
「なんだって!?」
握手会。
朔は対談の時に話題に上がって以降、モルのために野菜スティックを準備しては頭を下げて握手をしてもらっていた。それだけじゃない。ブロマイドを一緒に撮影したこともある。
モルにお願いをするたびに野菜スティックは太くなっていき、モルにとって朔は立派な「太客」だった。
朔自身がおやつありきの関係だと自覚していたため、おやつなしでも触っていいと言われて驚いてしまう。しかし、事情を聞いた栄都や七瀬が遠慮しないよう勧め、モルからの純粋な厚意を受け取ったため、意を決してモルの前に並んだ。
そろ……と指を差し出すと、最初のモルチが両手でがっしりつかむ。4本の指が朔の小指を包み込む。以前あげたヒアルロン酸のハンドクリームを使ってくれているのだろうか。しかし日頃アスファルトの上を4つ足で歩く時の名残りか、もっちりとカサカサが両立した肌触りだった。朔がうめく間にもモルチは小指をにぎにぎする。
「あの……手のひらを触っても……。」
「いいでちよ。水かきも触っていいでち。」
「っ!? そ、そんなことが許されるのか!」
自分で言っておきながら顔を真っ赤にしてしまう。
もはや顔から火が出そうな勢いだ。先に控えるモルに視線で助けを求めるが、全員が手を向けながら触っていい旨を話す。
嬉しさで困っていた朔の肩に手が掛かる。
「朔、そんな緊張するなよ。ほらっ深呼吸!」
朔の背後に栄都が立ち、落ち着くように背中を撫でる。七瀬も何も言わないでくれていた。
朔は大きく深呼吸し、潤んだ瞳で栄都を見上げた。
「栄都……すまない、そのまま支えてくれないか……。」
「え? いいけど。朔は本当にモルが好きだなぁ。」
「……そうだな。本当に、好きなんだ。」
みんなには秘密にしてくれ、と付け足しながら朔がつぶやいた。その様子は、栄都と七瀬が三宙と恋バナした時に聞いた「恋する乙女」というものにそっくりだった。
朔は呻き声を抑えながら一匹ずつモルと握手していった。
そして「お時間でちゅ。」の掛け声とともに、最後の一匹から手を離し、その場に崩れ落ちた。
「は〜祝ったモル。」
「解散するでち。」
モルがぞろぞろと解散する。一部のモルはなぜかサングラスをかけて煙草を吸っていた。
モル公が飛んで朔の肩口に乗り、耳元でそっと囁く。
「朔、寝る前にお部屋に行くモル。とっておきのを準備したから鍵開けておくモルよ。」
「えっ……わ、わかった。」
数日後、ウツロ街の売店にはモルに塗れながら両手でピースしている志献官の闇ブロマイドが売られていたという。
【碧朔】
師も冬を走り切り、暦上は春を迎えた。シリウスを閉じて世界に彩を取り戻しても、冬の前ではくすんだ色合いが見える。
世界の落ち着きをよそに、舎密防衛本部で熱く抱擁を交わす兄弟がいた。
「朔、誕生日おめでとう。」
「ありがとうございます。碧壱兄さん。」
碧壱はシリウスを閉じた際にデッドマター以外の部分が吐き出された。碧壱以外の者も吐き出されたが、肉体を保持できる量の元素が無かった者は自然に還っていく。兄弟揃って過ごせることは奇跡だった。
生き返った直後に誕生日を迎えた碧壱は朔に盛大に祝われている。今日はそのお返しと6年分のお祝いを込めて、二人っきりの誕生日パーティーが開かれていた。
ケーキはあえて小さいものを複数買い、色んな味を味見できるようにする。しかし遠い昔に二人で食べた馴染みの味も欠かさず用意されていた。
プレゼントをあげ、窓から星を見上げ、数年ぶりに同じ布団で眠る。頭を撫でられながら寝かしつけられるのは流石に恥ずかしい。今日で成人になるはずなのに、いい大人なのにと思いながらも、明日からしっかりすればいいと諭され、戸惑いながら兄に甘えきっていた。
「18……ですね。」
「そうだね。」
「兄さんが亡くなった年に追いつく頃、自分はどうなるんだろうと思ってました。」
頭を抱き抱えているので、碧壱から朔の顔は見えない。朔も見せたくないのか、胸元に頭を押し付けながら小さく言葉を紡ぎ続けた。
「もしかしたら、追いつく前に命を落としてしまうかもと。……それも良いかもと思っていた頃もありました。」
「でも、朔は私が死んだ歳に追いついたし、これから追い越して行くんだよ。」
「まあ、こうして生き返った今、朔が追いつくことはないけど。」と得意気に言えば、朔も顔を向けて「兄さんらしくないです」とモルの頬袋のように頬を膨らませた。いつまでも愛らしい弟の姿を見て、碧壱は笑い声をあげる。
「たしかに、源碧壱はこんな意地悪を言わないだろうね。だから、ここに居るのはただの朔の兄だよ。」
デッドマターになって全てを曝け出してしまった以上、もう取り繕う必要はないからね。
振り翳された小さな見栄は、あの日の虚栄とは大きく違った。