長期不在 ピピピとスマホから電子音が流れ、目も開けず枕元を手のひらでなぞる。やっとの思いで掴んだ鉄塊を握りしめ、画面をタップすれば騒がしかった音は鳴り止む。無意識に隣に手を伸ばすもそこには寝起きの体温には冷たすぎるシーツの感触しかなかった。
まだ夜が明けて間もない空を見上げる。今日も朝から仕事があるのを忘れてはいない。もう一度瞼を閉じようとしたがどうにか気力でこじ開け床に足をつけ、洗面所へ向かう。
フラフラしながらも洗面所で顔を洗えばスイッチが入る。
今日も完璧にこなすのだ。
***
「んもう!燐音先輩うるさいね!ぼくが快眠してるところにアラームでHiMERUくんのセンター曲を大きな音で流さなくていいね!」
「『くんしゅ』さん~…?ひめる…?」
「ほら!奏汰くんも燐音先輩なのかHiMERUくんなのか分かってないね!」
確かにアラームでアリアドネを爆音で流したのは悪かったと思うが寝起きの日和のよく通る声もなかなかに堪えるんだがと反論すると何倍もの勢いで返されそうだ。
「悪かったって、朝から二人ともメルメルの声聞けて良い朝じゃん」
「燐音先輩の惚気話は聞いてないね!もう目が覚めちゃったから先に洗面所使わせてもらうよ」
「えぇ!ぼくもめがさめてしまいましたのでおみず~…!」
「いや俺っちが先に起きてたっしょ!」
バタバタと三人で洗面所目掛けて歩き出すとぎゅうぎゅうだった。手早く歯ブラシと歯磨き粉を一緒に掻っ攫ってくれば後は二人でやいのやいの騒いでるのを遠くで聞くだけだった。
歯ブラシに歯磨き粉を付け、ベッドの上でシャコシャコと磨きながら今日のスケジュール確認をしようとスマホをタップするも、通知は一件も入っておらずため息が出てしまいそうだった。
長期での仕事が入ってから早二ヶ月。ロケ地から星奏館までの方が恋人のマンションよりも圧倒的に近く時間もまちまちのため半同棲だった住まいも今じゃ別々の場所で暮らしている。HiMERUの方も早朝からのドラマ撮影が長期で入っておりなんの不運か星奏館よりも自宅のマンションの方が近いので滅多に顔を合わせなくなってしまった。
Crazy:Bでのレッスンもなかなか4人揃って行うこともできなく、本業がなんなのか忘れそうになって苦笑いしてしまう。個人を売るそんな良い機会だと思えばこれからのCrazy:Bに乞うご期待、ではあるのだが。
元々連絡も取り合うような仲でもなければ公私はきちんと分けるのは言わずもがなだったので、本当に二ヶ月とちょっと何も彼との連絡もできていなければ様子も知らなかった。お互い有難いことに多忙になっていることからお互いが気を遣っているのだろう。でもそれもそろそろ限界になってきたところだった。
「んもう!奏汰くん!!」
「『おひさま』さん~!」
「わーったから落ち着けよおめェら!」
取り合いをしているのかと思えば洗面所でキャッキャ朝から遊んでいるのだからまたこちらにも苦笑いで入るのだが。
***
「俺だって、会いたかったよ」
「本当にそう思ってんの?」
「は…?」
「あの時一緒にいたあの子は誰?」
「あれはただの仕事の」
「仕事って言えばいいと思ってんの?」
「違う!俺は!」
「もういい!もう、ダメなんだよ、」
「待てって!話し合おう」
「また、好きになっちゃうから」
こんなの辛くて、耐えられない、とか細い声で囁くと頬には涙が伝っていた。掴む腕も自然と震えてしまい、目を見開いて見てしまう。
「俺は、ずっと好きだよ」
絞り出すように声を出せば嫌と言わんばかりに頭を振り涙を散らす。
「絶対離したくないし仕事も今できること全てを終わらせて使える時間全部でお前の隣にいたいんだよ」
「寂しくさせて悪かった」
「その分絶対この腕は離さないしここからも出してやらない」
「もうちょっと、もうちょっとだけだから、待ってて欲しい、お願い、」
そっと腕の中に閉じ込めれば小さな声でばか、と泣いていたのだ。
カット!と現場に響き渡る。張り詰めていた空気感も解かれ肩の力が抜ける。女優の方も思わずふうと一息ついているのが見え、ペットボトルを渡す。
「お疲れ様です」
「HiMERUさんもお疲れ様です」
女優ははにかむと監督に呼ばれ、一礼をすると過ぎ去っていく。ペットボトルの水をそっと口にし台本を見返す。
……絶対に公私混同はしないのはお互いが口にせずとも御法度にしてたことだ。でもそれは、毎日顔を合わせておはようからおやすみまでを伝えていたからなのかもしれないと最近は感じるようになってきた。台本をなぞりながらどうしても自分のことのように嵌めてしまう。
会いたい、なんて口には絶対しない上に言ったところで多忙が事実だ。会いたいなんて言えば絶対にあいつは迎えに来るし家にも来る、でも連日の仕事に間違いなく疲弊しているのだからそんなことで余計疲れさせてしまえば本末転倒だ。
自分たちは仕事が優先で、私情なんて二の次だ。仕事がなければこの関係も続かないとまで思うくらいだった。
それでも、胸の蟠りは頭を苛むように侵食していたのだった。
***
早朝から動き出していればあっという間に一日が終わり、自宅に帰る頃には日が沈んでいた。
家に着けば体が鉛のように重く一人で家にいると何もできないと言わんばかりに一度座ったソファーから立ち上がることも叶わずただ天井を眺めてしまう。
きっと疲弊しきった体でも恋人がいたら風呂やら夕飯なら何かしらしようと、させようと促すだろうに。体がダメになってるように感じる。
重たい腕を持ち上げてスマホを取り出し、タップすると時刻は19:03と映されているのを確認し、就寝まで逆算すればもう動かなければ明日へ響くこともわかる。明日もまた撮影だ、動かなければ、と思えば思うほど紛れない気持ちが募る。
一瞬でいいから会いたい、とか言えば本当に来るんだろうな
ほんと、馬鹿だなと鼻で笑い、スマホの光を消そうとした瞬間、無機質な音が響きスマホが震える。そこに映されていたのは、
「……はい」
『よォ、元気してっかメルメル~♪』
「…元気です、要件は」
『ンな急かすなよ、ちょっと声聞きたくなったから電話したってワケ!』
「はぁ、あなたこそ元気にしてたんですか。めっきり顔を合わせなければ何してるのかも知らないので」
『お互い様っしょ、俺っちはピンピンだぜ』
「良かったです」
『てか聞いて、今朝かなっちと日和ちゃんがさアラームうるせぇって言ってさ』
突然の通話に驚きながらも、心が少しだけ軽くなったのも事実で。意気揚々と話す姿に少しの安心が生まれた。聞きながら家事を少しずつ進めていけば重かったはずの体もいとも簡単に動かすことができた。
「ほんと、あなたって人は」
『何?ダイスキって?』
「そんなこと言ってません」
『…俺っちは大好きだよ』
突然、いつもの何倍もの低音で囁かればドクンと心臓は音を立てる。
『なぁ、メルメル』
「なんですか」
『寂しかった?』
「…」
『俺、すっげぇ寂しかったよ』
「…そう、ですか」
『今もう、マンションの下いるんだけど、会えない?』
「は?」
『忙しいのはわかってる、けど、やっぱ会いたくなった』
だめ?とスマホ越しでも首を傾げて言ってるのを想像するのは容易かった。
「……鍵持ってますよね」
『うん』
「どうぞ」
『ん、今から行くわ』
「待ってます」
すぐに通話は切れて画面が暗くなる。はぁぁ、と次は大きなため息をつくのと同時に顔が紅潮しているのを感じて頭を振る。なるべく平静を装おうとすればするほど、鼓動が速くなるのは苦しかった。
程なくして玄関から鍵が回される音が響く、久しぶりに再開する恋人にどんな顔をすればいいのか分からず、その一連の音をただ聞くことしか出来なかった。
少し前の当たり前が今ではもう当たり前じゃなくて、どう、顔を突き合わせれば良いのだろう。開く扉を見つめながら廊下で立ち竦んでしまう。
「よ、久しぶり」
「………」
「え?無視…、て、おい!ちょ、待って」
さっさと靴を投げ捨てるように脱げば一直線にこちらにやってきて抱きしめられる。
「そんな泣くほどだった?」
「泣いてなんか、」
「じゃあそのカオはなに」
「……なんで来たんですか」
「んー?会いたかったからっしょ」
「……、」
抱きしめられた腕を握れば余計に目の奥が痛み、目の前の恋人の服を濡らしてしまう。
「…会えなくてごめん」
「あなたが謝るのは違うでしょう」
「メルメルが気ィ遣ってたの知ってたからそれに甘えてたんかもって思って」
「……」
「イッテ!」
「明日も仕事でしょう」
「明日オフになったから来たけどメルメル仕事っしょ」
「…まぁ」
「風呂沸かして飯作ってやっから待ってな」
離れる腕にちょ、ちょっと待ってと掴んでしまえばやってしまったと考えるまで時間は掛からなかった。
「いや、あの、えっと、ありがとう、ございます」
「…ん」
見透かされたように離れた腕がもう一度広がるとそこに誘導されるように飛び込むだけだった。
「頑張ってんな」
「当たり前です」
「お疲れ様」
「んー…」
腕に力を込めて抱き締めればその何倍もの力で抱きしめ返され首元に鼻が押し付けられる。
「んーーーーメルメルの匂い」
「ちょ、くる、苦しい」
頭を軽く叩いてもビクともせず笑ってしまう。抱え込むように髪を撫で回せばヒヒッと笑い声が聞こえる。
「会いたかった!」
「会ってますよ」
「メルメル補給しないとやってらんねー」
「今日明日でどうにかしないとですね」
「そろそろクランアップだからもうひと踏ん張りだな」
「こちらもです」
「またメルメルと一緒に寝る」
「そうですね」
ぎゅうっとまた力が込められたかと思えばぱっと離れあっという間に唇が当たる。
「メルメルだいすき」
「おや、大好きだけですか?」
「はァ~?愛してやまない病める時も健やかなる時もってヤツだわバカ」
「は?HiMERUはバカじゃないです」
「そこじゃねェ~」
キャハハとまたお決まりの笑い方をすれば機嫌よくまたチュッと音を鳴らしてキスされたらさっと背中を押される。
「風呂、入ってきな。燐音くん特製美味すぎチャーハン作ってやる」
「この時間にチャーハン…」
「え、食わないの?」
「嘘です、食べます」
ちゃんとサラダも作ってやらァと言いながら腕まくりをする姿は頼もしい最愛の恋人だった。
久しぶりに会った恋人は、何も変わらないどころか、いつに増してカッコイイなんて思えば自然と口角は上がってしまったのだ。