aokbワンドロライ アオキがパシオでも出来る書類を纏めているとチリとポピーが仲良く近づいて来る。
どうやらふたりは今からパシオでの視察へと向かうようで出掛ける様相をしていた。
アオキは時計をチラリと流し見て、誘われても断る選択肢を何個か脳内に準備をする。
「なあなあ、アオキさん! ホウエンやジョウト周辺地方ではバレンタインは女性側がイニシアチブをとるんやで」
「はい?」
予想と外れたことを口にするチリにアオキが少しだけ表情を崩して驚きを漏らしてしまう。
そんなアオキのレアな様子にチリが満足そうに、細い人差し指をピンと立てて更に説明を続ける。
「いやあ、まあ近年では逆チョコとかもあるけど……愛する人になんかしたいってとこは万国共通ってことでカブさんになんか貰えるとええな~!」
何故、そこでカブの名が出るのか。
アオキはカブと付き合っていることなど同僚に教えたことは無い。
思わずいつもの仏頂面から更に表情を失っているとチリがそんなアオキを見て腰に手を当てふんぞり返る。
「女の勘ってやつや!」
ふふん、と笑うとチリの足元で小さなレディもふふん、と笑う。
「女の勘はストーンエッジの岩より尖ってトゲトゲですのよ!」
「せやな!」
わっはっは!と笑いながらチリとポピーが仲良くパシオ視察へと繰り出していく。
バレンタインの存在は覚えていたが当たり前にアオキが何かすると思っていた。
カブの故郷では、女性側がイニシアチブ……しかしアオキとカブの性別はどちらも男。
「役割的に言えばカブさんが女性側……ですが」
しかしアオキはカブのことを女性として見たことは無いし、カブはカブであるからして。
……どちらがどっちなど関係ない、好きなら好きでそれでいい。
アオキがカブへの恋心を何か見える形として渡したいだけなので。
「まあ、まだまだ先の話です」
気が早い……とは思うが社会人の2週間など星の如くあっという間に流れていく。
方向性だけは考えておくとして……しかし、カブからのバレンタインの可能性を耳にして少しだけ浮き足立ってしまう。
ワンチャン、カブから何かあるのでは、と。
そこまで考えて、時計を見ると既に定時が目前に迫っている。
今日はカブの部屋で会う約束をしているのでアオキはいそいそとデスク周りを綺麗に整理し始めるのだった。
「アオキくんいらっしゃい!」
「お邪魔します」
カブの部屋へと直帰して直ぐ、リビングに向かうとそこには先程アオキが期待したものに近しいものが沢山ある。
タイムリー過ぎて思わずドキリと胸を高鳴らせるが、よくよく見るとおかしいラインナップと量で。
やたらピンクが主張しているラッピングやハートモチーフの愛らしいお菓子、そして……鬼の仮面?
「カブさん?」
「ああ! 散らかっててごめんね! 来月のファンミーティングの準備をしていたんだ!」
「ファンミーティング……」
ああ、ガラルの方ではジムはスタジアムになっている。
ジムリーダーにはファンも付いていて、定期的にイベントをしていると聞いたことがあった。
「では、2月はエンジンジムでもイベントを開催するんですね」
「そうなんだよ。いつも2月はバレンタインのイベントなんだけど……子供たちともっと楽しみたいと思ってね……ぼくの故郷では2月2日は節分って言って鬼に豆を投げて福を家に招くってイベントがあるから……」
「なるほど」
実にカブらしいイベントだと納得をして、更に大人も参加したらカブのイベント配布のレアリーグカードを貰えるだろうかと少しだけ有給調整を脳裏に過らせていると目の前のカブの瞳がキラキラと光っているので意識を戻す。
戻した途端、
「ぼくが鬼になってみんなに豆を投げてもらおうと思って」
と、衝撃的なことを告げられアオキは一瞬だけ呼吸を忘れる。
「鬼……」
こんなにも世界で1番可愛い鬼が存在してもいいのだろうか?
退治するなんて勿体ない……出来たら囲って家で閉じ込めたい。
「カブさんが、鬼……」
「節分の方は子供が主流のイベントだけど、大人も一緒に参加してもらえるようにしようと思ってて……」
「大人も……?」
子供たちが鬼に怯えたり、逃げたりした時のために大人も一緒に居ると言うことだろうか……それとも、
「大人も単独で参加が可能と言うことですか?」
「うん! だから逃げ回るから体力つけないとね! 明日から朝のランニング時間を少し増やすよ!」
「つまり……今日から早めの就寝になる、と……」
そして、大人の単独参加が許されるならばきっとライバルは多いと考えるべきだ。
子供向けのイベントでもカブのレアアイテム欲しさに大人げなく参加する大人の存在もあるだろう、警戒しなくてはとアオキが心に決める。
「そうだね、早寝早起きを心がけるつもりだよ!」
バレンタインに向けて愛を確かめ合い大人の運動コースは絶たれたことも理解出来た。
カブはバレンタインに子供たちと一部大人とエンジンジムで全力鬼ごっこ、アオキはパシオでお留守番。
「……つかぬことをことをお聞きしますが、イベントの報酬はありますか?」
「ああ、節分イベント中にぼくとノブヒロを捕まえた子にはぼくのサイン入りのポストカードと……節分が終わったらバレンタインのお菓子と今年のイベント発行の特別なリーグカードをぼくから手渡しする予定なんだけど……欲しい人居るのかなあ?」
照れるよね、とカブが笑っていたがアオキの目に珍しく活力が宿っていたことにカブは気づかなかった。
「きみまで頑張らなくていいのに……」
「いえ、せっかくなので。こうやって一緒に体力作りをするのも思い出作りの一環なので」
出勤前の運動など疲れるだけだが、カブと一緒ならば無駄は感じないし、いっそ清々しい。
それにアオキにも体力が必要なので、というもうひとつの理由はカブには告げずに。
そうして瞬くように時は流れてバレンタイン当日はあっという間にやってきた。
「2月のエンジンジムのイベントにご参加いただきありがとうございます」
エンジンジムの広いエントランスにカブのファンが列を成して集結している。
今回の司会のエルが開催の挨拶をするとその場にいる子供たちや往年のファン……だけではなく新規のファンも沸き立っていた。
「今日はエンジンジムに悪戯をしに来た鬼をみんなで退治してもらいます! ルールは簡単です。豆を鬼は外と言いながら投げつけてください」
「ですが、鬼も痛いのは可哀想なのでお手柔らかにしていただけると幸いです」
エルとルイが進行をしていく中、子供たちは夢中で今日の主役であるカブさんがいつ現れるのかとキョロキョロと辺りを見渡している。
「また鬼の体にタッチ出来たらカブさんのサイン入りポストカードが手に入るので頑張ってチャレンジしてみてくださいね!」
カブさんのサイン入りポストカード、と聞いて子供たちはもちろん大きなお友達たちもざわつき出す。
「まあ! サイン入りのポストカードなんてとってもレアなんでしょう!? ポピーがアオキのおじちゃんのために一肌脱ぎますのよ!」
「ははは、ポピーは良い子やなー。しっかりアオキさんから報酬もらわなな!」
にぎやかな子供たちの中でも一際元気な声が聞こえる。
しかし特に珍しくない、小さな子供にお父さんとお母さんと言った構成にも見える三人組に誰も不思議は感じない。
「勿論、参加者のみなさん全員にプレゼントはありますのでお楽しみに……では、事前にお渡ししている豆の準備は良いですか?」
はあい!と子供たちから元気な声が聞こえたと同時にばたーん!と大き目な音がその場を引き裂く。
見ると赤と青の鬼がスタジアム方面からやたら規則的な小走りで並んで入場する。
「やあ! ぼくは悪い鬼だよ!」
「カブさんだー!!」
「いや、今日のぼくは赤鬼だからね!!」
カブがいつも通りに後ろで手を組みながら声を張り上げたところで子供たちは嬉しそうに手を振っている。
隣に居る青鬼であるノブヒロも生真面目がそのまま出てしまっている様子だ。
「……カブさん、やっぱり無理があるんじゃ……」
「おかしいな……どうしてバレちゃったのかな……?」
カブが改めて辺りを見渡すと……最近までずっと一緒に居た良く良く見慣れた長身、黒を主調とした衣装、そして特徴的なハネ散らかしているアホ毛。
更にちゃっかりと隣には美しい同僚の女性、足元に控えさせているのはパルデア四天王の小さな淑女……子供向けのイベントに上手く馴染めるようにと小賢しい対策を打っている。
「……アオキくん?」
「あ! カブのおじちゃんがポピーたちに気づきましたわよ!」
ポピーが嬉しそうに下で手をフリフリと振ると傍に居たチリがポピーを抱き上げてやる。
「まいど! カブさん!! チリちゃんとポピーちゃんが応援来たで!」
フリフリと手を振るチリとポピー、そしてじい、と鬼のコスプレをした自分の恋人を一心に見つめるアオキにカブが内心でたじろぐが……ポピーがチリの腕から降りて楽しそうにカブへと走り寄っていく。
「鬼は外ですの!」
ぽい、と軽くポピーが鬼に豆を巻けば他の子供たちも続いて豆を投げていく。
チリとアオキはボリボリと豆を食べて子供たちの様子を眺めている。
最初の内は子供たちが存分にイベントを楽しむべきだとサイン入りのポストカードが欲しい大人たちも静観しているのでアオキとチリも大人しくしているようだ。
「これ、歳の数だけ食べるってエグいよなあ」
「そうですか? 自分はいけます」
「まあ、自分はそうやろな……」
無限大食であるアオキを横目にチリが呆れていると、ポピーがチリの足元へと戻って来る。
「あーん! 鬼さん足が速くて追い付きませんの!」
ポピーが悔し気に戻って来るのでチリがよっしゃと腕をまくる。
「よおしポピー! ここはチリちゃんに任せ……」
「いえ。ここは自分が」
「……へ?」
一番この手のイベントに不向きな男がやる気に満ちた様子でポピーを抱き上げるのでチリが拍子抜けして言葉を失うが、アオキはポピーを抱いたまま猛然と赤鬼めがけて駆けていく。
「きゃー! アオキのおじちゃん速いですの!」
「……準備はしてきましたからね」
子供たちを相手に手を抜いて小走りしていたカブだったが突然猛スピードで追いかけてきたアオキとポピーを見てギョッとする。
静観していた大人たちがアオキたちの様子を見て慌てて動き出すがもう遅い。
「ええぇ……!?」
突然のアオキの強行突破に困惑するカブであったが、しかしその相手は自分の恋人で無駄にカッコ良く感じてしまう。
珍しく躍動するその姿、本気でカブを追いかけて来るアオキに胸の高鳴りを感じて動きが鈍くなってしまった。
「すみません、カブさん……ポストカードはいただきます」
「カブのおじちゃんごめんあそばせ~!」
アオキとポピー、ふたりがあっという間にカブに追いつきアオキの腕の中に居たポピーがカブの背中にタッチする。
子供たちがイベントを楽しんでいる中、遠慮をする大人たちが大半であるこの状況でこの所業は大人げない。
「ポストカードゲットですの!」
「はい、流石ポピーさんです」
あくまでも、この勝利はポピーの物。
アオキは助力をしただけ。別にルールは破っていない。
しれっと言うアオキにカブがジト目をしたが、アオキは素知らぬふりでその目をかわす。
「……仕方ないね。悔しいけど、ぼくの負けだ」
まさか、この日まで共に走っていたのはこのためだったのでは。
カブが再度ジト、とアオキを見上げると目元が少し弧を描いていたので疑惑が確信に変わる。
……こんなに必死にならなくても、ホウエン出身のカブが恋人であるアオキに何も用意していないわけがないのにと呆れてしまうような、少し気恥ずかしいような、でもやっぱり素直にはなれないホウエン男児、カブ。
「……次は負けないからね」
「次も負けません」
ポピーとチリを共に連れてまでガラル入りして子供向けのイベントに参加するとは思っておらず、そして体力には自信があったのにアオキに軽々負けてしまったことも悔しく。
カブは明日からまたトレーニングを見直そうと心に決めるのだった。
そしてイベントはその後も恙無く進行して、カブはイベント終了後にアオキに説教をしようとしたが……アオキがカブのために愛を込めたスイーツを用意していたことによりそれはうやむやに流されてしまうことになる。
その後、恋人たちが過ごす極一般的な甘いバレンタインデーの夜を諦めないアオキによる戦いはまだ始まったばかりだった。