たむけの花 エピソード0.1【秋祭り】祭囃子が聞こえてくる。提灯の赤や黄色の光が、遠くでぼんやりと揺らいでいる。
両親は家におらず、一人でも行きたいとせがんだら、遅くならない事を条件に許された。そして何故か母さんが張り切ってまい、白い浴衣を着せられてしまった。きっと動きにくい格好にしてしまえば、無茶は出来ないという考えなんだろう。おかげで走り回ったりは出来なくなったが…
秋の夜の森は、虫の音に包まれている。落ち着く音色に耳を傾けながら、遠い記憶が頭を掠めた気がした。
……不意に甘い香りがした気がして、立ち止まった。覚えのある匂いだった。
「あれ?」
いつの間にか、右手に白い花を握っていた。見覚えのある花だった。
「これ……」
なんで、忘れていたのだろう。とても大事な贈り物だったのに、いつの間にか失くしてしまった。白い花は、先ほど摘んだかのようにみずみずしく右手で咲いている。
「お久しぶりですね。門倉さん」
驚いて顔を上げると、同い年くらいの着物の少年が立っていた。坊主頭に大きな目。白い肌に両頬の黒子。
「…う、宇佐美?」
「はい。そうです」
つやつやの唇がニッコリと笑った。
三年前、引っ越しで分かれた友だちだった。でも何故か、今の今まで忘れていた存在だった。
「約束しましたもんね。また会いましょうって」
「あ……う、うん」
約束……そういえばあの時、宇佐美と俺は…
顔がみるみる赤くなるのを感じた。どうしよう。また会えたのに、あの時の事を思い出して、すごく照れてしまう。
「ウフ、大きくなりましたね」
そっと、頬を撫でられて、思わず飛びのく。あの頃と違って、自分も相手も背が伸びたからだろうか。あの頃ぼんやりと感じていた心の疼きが、はっきりとした感情に変わってしまいそうだ。あわててそんな考えを追い出すように頭を振り、宇佐美の事を改めて見つめる。
「お、お前も背が伸びたよな」
「そうですか?」
なんだが他人事のように言うから、首を傾げてしまう。
相変わらず肌が真っ白で綺麗な顔をしてる……って、俺は何考えてんだか。宇佐美は以前と同じように紺の着物を着ており、黒い狐のお面を頭の左側に被っていた。
「浴衣、似合いますね」
「あ、ありがと…」
なんだか恥ずかしい。宇佐美は着物だが、何となくお揃いみたいだと思ったからだ。
「一緒にお祭りに行きましょうよ」
そう言って、俺の頭にお面を被らせた。
「これ…」
「僕からの贈り物です」
そう言って、ニコニコと笑う。その笑顔が本当に嬉しそうで、釣られて笑った。
「なんだ? …狐のお面か」
「ええ。お揃いですよ」
宇佐美と違って白い狐のお面。少し本格的でちょっと怖い。けれども宇佐美からのプレゼントだからと思い直して、顔に被った。
「どう?」
「いいですね。でも、あなたの顔を見ていたいので…」
そう言って宇佐美の手が俺の耳に触れる。思わず体が固まってしまった。宇佐美は俺のお面を調整しているだけなのに…
「きつくないですか?」
「…う、うん」
なんか変な感じだ。なんでこんなにドキドキしてしまうのだろう。
やがて宇佐美は俺の左手を握ると、ゆっくり歩き出した。あの時と変わらない手の温もり。森の中はひんやりとしているからなのか、汗一つかいていない手。逆に俺は手汗でびっしょりだったから、ちょっと申し訳なかった。
「…宇佐美は、この辺に住んでるのか?」
「どうでしょうね」
また、曖昧な言いようだった。以前よりも大きくなったから、その言い方に強い違和感を覚える。でも、それを指摘するのはなんだか億劫だった。余計な事をして、それが別れの原因になるのは嫌だった。
「ふーん、まあいいや。またいっぱい遊ぼうな!」
「ええ。遊びましょうね」
でもきっと、また親の影響で引っ越して離れ離れになるのだろう。だから、それまでは一緒にいたい。思わず宇佐美の手を強く握ると、握り返してくれた。右手に握っていた白い花が揺れるのが、視界の端に見えた。あの時に貰った白い花だった。名前は分からないけれど、とても綺麗だ。
「ずっと持っててくれたんですね」
「あ……いや…」
いつの間にか失くしてしまった花。そう、宇佐美の記憶と共に…
「ウフ…咲き誇るのは、まだまだ先ですね」
「何のこと?」
クスクスと笑う声が、なんだか俺を子ども扱いしているみたいに聞こえる。ちょっとムスッとしたら、宇佐美がさらにおかしそうに笑った。そして俺の右手から花を取り、
「そのままじゃ動きにくいでしょうから…」
と、言いながら右の手首に結ばれた。白と十字の葉をもつそれは、ブレスレットのようにしっかりと手首に固定されてる。
「あ、ありがと…」
「いえいえ」
男なのに花なんて、そんな言葉が頭を過ったが、すぐに首を振る。せっかく宇佐美がくれた花だ。今度こそ無くさないようにしないと…
いつの間にか、屋台が並ぶ参道に来ていた。焼き物の香ばしい匂いに、腹が鳴る。
「何か食べませんか?」
「うん。あ…お金…」
左手をポケットに突っ込むと、昨日もらった小遣いの硬貨が出てきた。
「何か食おうぜ!」
「奢ってくれるんですか?」
「おう!」
目に入ったソースせんべいの屋台に向かい、店主のおっさんに声をかけると、ルーレットを回すよう促された。
「よし、今日こそ二十枚以上が当たれ!」
「え?」
きょとんとした顔をしている。
「ん?食ったことないの?」
「はい…そもそも見たことないです」
もしかしてソースせんべいって、地域限定って事? そういや前に関西の方へ引っ越した時、ミルクせんべいとかいう甘いのを見た事があった。場所によっては、そもそもこういう物が無いのかもしれない。
「そっか、じゃあ宇佐美は関東出身じゃないんだな」
「……ええ、そうですね」
なんだか歯切れの悪い相槌だと思ったので、これ以上突っ込むのはやめた。
「ソースせんべいはな、ルーレットを回して出た枚数分もらえるんだ」
俺は十枚までしか当たった事ないんだけどさ。なんか俺、昔から運が無いんだよな。おかげで他の屋台のものが食えるからいいんだけど。
「せっかくだし、宇佐美が回してみろよ」
「あ…はい」
古い手作り感漂うルーレットを、そっと回す。勢いよく回ったルーレットの針が、やがてぴたりと百という所に止まった。
「えっ! うっそ、マジで…!」
首を傾げている宇佐美を他所に、屋台のおっさんがベルを鳴らしながら『おめでとう!』と祝ってくれた。
「…百枚当ててる人、初めて見た…」
いわゆる、無欲の勝利ってやつなのかもしれない。だが宇佐美は、そんなには食べられないと思ったようで困った顔をしている。結局、食べきれない分は包んでくれる事になり、後は二人で分ける事にした。
「味はソースでいい?」
「初めてで良くわからないので、それで」
三十枚ずつ二人で食べる事にして、一枚ずつソースを挟んでもらう。白くて平たいせんべいに、たっぷりソースが塗られ、それを覆うように次々挟まれていく。この作業をみるのが、結構楽しい。やがて出来上がった分厚いソースせんべいを、中のソースが出ないよう気を付けて手に持ち、ベンチ代わりの丸太に座った。
「食ってみろよ」
「はい…」
パリパリした所と、ソースが染みてしっとりした所が合わさって、ソースせんべいならではの歯ごたえがした。
「ソースの所が食べ応えあるんだよな~。どう? あんまり旨くなかったら…」
「いえ、美味しいです」
にこっと宇佐美が笑う。嘘のない笑顔だったので、嬉しくなって笑い返した。ふと、宇佐美の唇の端にソースがついているのが見えた。思わずその口元を親指で拭って、自分で舐めとると、宇佐美が小さくため息をついた。
「ん…? どうした?」
「いえ…」
なんだか顔が赤い? 白い肌だから、電灯の下でもよく見える。俺、何かしたっけ?
「門倉さんも付いてますよ」
そう言って、宇佐美が俺の口の端に人差し指を当てる。そのまま拭った指先を、宇佐美は己の舌で舐めとるのが見えた。赤くうねる舌先が指先を這い、ゆっくりと舐る。ちゅ…っという音と共に、唇が離されるまで、思わず見つめ続けていた。
「…! あっ……!」
そっか俺、いつも母さんにされているからって、宇佐美にもやってしまったが、これって何だか…こ、恋人同士みたいじゃないか。
「ウフ、良かった」
「な、何が?」
「こうして、一緒に過ごせるのが、嬉しいって意味ですよ」
それならいいか。
三十枚のソースせんべいは中々の食べ応えだったが、まだまだ食べれる。
「今度は甘いものでも食う?」
「あ、じゃあ、買ってきますよ」
そう言って、宇佐美が颯爽と人混みに紛れてしまう。なんとなくソースの付いていないせんべいを齧っていると、宇佐美が戻ってきた。
「はい、どうぞ」
宇佐美が俺の口に何かを押し付ける。甘くて冷たいフルーツ…でも少し表面がパリパリしたこれは…
「…水あめの…みかん?」
俺は、あんず飴よりフルーツ飴の方が好きだ。たまたまとはいえ、好みの味を宇佐美が選んでくれて、とても嬉しい。
「美味しいですか?」
「…ん…うん。おいしいよ」
モナカの皿を受け取れば、中に漂う水あめを見て気づく。
「あれ?みかんがまだ入ってる」
サクランボとみかんが、水あめの中を漂っていた。
「お店の方がオマケしてくれたんです」
にこっと笑ってそう言う宇佐美を見て、ちょっと胸の中がモヤっとした。きっと、宇佐美が綺麗な子だから、おまけしてくれたのだろう。モヤモヤする心をごまかす様に、口を開く。
「さっきのみかんは…」
「門倉さんに食べて欲しくて…」
「…じゃあ、これは宇佐美のだ」
俺が宇佐美にとって特別みたいで、少し気分が盛り返してきた。宇佐美に残りのみかんを、楊枝に刺して唇に押し付けると、くすくすと笑いながら食べてくれた。
「サクランボも…」
「いいです。食べてください」
そう言われてしまえば断るのも悪い気がして、サクランボを口に放り込み、そして残りの水あめを、くるくると練る。白く固くなった水あめ口に含めば、とろりとした甘さが舌を包んでいった。
「甘い物は好きですか?」
「うん。宇佐美は?」
「僕も好きです」
「じゃあ、今まで食べた中で一番甘いのは何だった?」
「一番ですか? …教えてもいいですけど…その前に、僕もそれ食べていいですか?」
そういえば、宇佐美は自分の分を買っていなかったようだった。
「あっ…じゃあ、残りも少ないし、おごる…」
と言いかけて、何も言えなくなった。ふわふわした唇が、俺の唇に重なる。少しだけ舌が入って、前歯を掠っていった。
「ん…ちょ…ちょっと…!」
慌てて宇佐美の肩を押した。さすがに人がたくさんいるところで、こんな事しちゃいけないと思ったからだ。でも周りの誰も、俺たちの事なんて気にしていないみたいだった。
「甘いですね」
「そ…そりゃ、水あめ…だし…」
ああ、どうしよう。顔が熱い。
「ウフ、門倉さん。かわいい」
「はぁ?」
変な声が出そうになって、慌てて口を押える。クスクスと宇佐美が笑っているのを見て、思わずムッとなってしまった。
「俺もお前も男だろ! こんな事…普通しないもんだろうが!」
「普通ってなんですか?」
「ふ、普通って言うのは…」
なんだろう、普通って。俺は宇佐美と手を繋いだり、遊んだりするのは好きだ。こうして口をくっつけるのだって…嫌じゃない…? えっ…今、何を考えた?
「嫌じゃないなら、それは門倉さんにとっては普通なんですよ」
「そう…なのかなぁ…」
「そうですよ。…ああ、でも…」
手を引っ張られたので立ち上がり、そのまま木の陰まで連れてこられる。宇佐美は、俺の手から水あめの棒を取ると、舌先で舐って見せた。なんだか…見てはいけないものを見ているようで、恥ずかしくなる。
「人前でするのが普通じゃない…そう思ったって事ですよね?」
「えっと…」
確かに宇佐美とキスするのは嫌じゃない。むしろ嬉しくて、幸せだ。だから俺が嫌だったのは、それを他の誰かに見られる事なのだろう。
「そう…なのかも…」
ぽつりと呟くと、宇佐美は嬉しそうに笑う。
「そうですよね? 良かった」
そう言って、水あめを唇に押し付けられる。柔くてドロドロした者が、唇を、歯を覆い、舌に絡んだ。やがてその舌に、熱くてぬるりとした物が押し付けられる。宇佐美の舌だ。さっきと同じく唇が重なるだけでなく、舌まで触れ合っている。
「ん…ふっ…」
とても甘い。ほんのりとみかんの味がする。そして、熱い。宇佐美の手のひらが、俺の両頬を支えている。じわじわと背中を駆け上っていく甘い感覚がもどかしくて、思わず宇佐美の手首を握った。するとゆっくりと唇が離され、思わず正面から相手の目を見つめてしまう。
「……なん…で」
頭の中が混乱している。とても幸せで心が満たされているのに、何故か無性に目頭が熱い。
「一番…甘いの、聞いただけなのに…」
「…だから答えただけですよ?」
ふわりと抱きしめられれば、ほとんど無くなってしまったモナカの皿が、手の中でくしゃりと潰れた。
「…僕が嫌?」
「…そ、そんな事…ない」
むしろ……嬉しくて、幸せで……
「良かった。またたくさん遊んで、もっと互いを『知りましょう』ね」
こうやって…という声がして、再び唇が重なり、胸が淡く疼く。ぬるま湯の中で溺れるみたいだ。
とてつもなく幸せな甘い口づけ。ああ、そうか。宇佐美にとって、一番甘い物が何なのか分かった気がする。少しだけ唇が離された時、宇佐美が小さく呟いた。
「…そう。一番甘いのは、貴方です」
クスリと笑って、また触れ合う唇。
鈴虫が遠くで鳴いているのを聞きながら、目の前のぬくもりにしがみ付けば、右手の白い花が小さく揺れるのだった。