春嵐『雑渡さま。まだまだ寒さ厳しいですが如何お過ごしでしょうか。もう間もなく、桜の開花が待ち遠しくなる季節がやってまいります』
一文字、一文字丁寧に書かれた文を見て雑渡の顔が綻ぶ。文字というのは性格が現れるものだ。この短い便りの主は、恐らく背筋をしゃんと伸ばして、硯で墨をじっくり磨り、紙に余計な滲みを出さぬよう丁寧に墨を筆に含ませて、ゆっくりと心を込めて書いたのだろう。ひょっとしたら、気合を入れるあまり呼吸の仕方を忘れてしまっていたかもしれない。そっと文字を指でなぞり、愛しいあの子を想う。
「桜か…風流だねぇ」
「桜なんてまだまだ先です。山の上のほうは雪が積もっていますから」
ぽろりと口をついた言葉に尊奈門が、小さな手で雑渡の身体に巻き終えた包帯の先をきゅ、と結びながら答える。雑渡が尊奈門の父を庇い、火傷を負ったあの日から数えて三度目の桜の季節がやってくる。もう、そんなに経ってしまったのかと時の流れを感じていると「はい、終わりましたよ」と雑渡の看病をつきっきりで行い、気づけば十三歳になっていた少年が、取り替えた包帯をくるくると巻きながら、満面の笑みを浮かべた。
絶望的とも思われた大火傷から奇跡的に回復したのは、尊奈門の献身的な看病の甲斐あってだ。傷に細菌が繁殖しないようにと、医師と尊奈門以外の人間の出入りを禁止された時期も長かったが、今では随分と体力も戻り、任務の遂行状況なども逐一報告を受けている。もう半月もすれば隊に復帰も果たせるだろう。この子には本当に感謝してもしきれないほど世話になったと、雑渡は尊奈門の頭を撫でながら口角を上げた。
「尊奈門、お茶の時間にしようか。お前の好きな煎餅も持っておいで」
「わぁい、ありがとうございます!」
無邪気に手を叩き、ぱたぱたと足音を立て部屋を後にする尊奈門の後ろ姿に和みながら、そういえば、今の尊奈門と同じ歳の頃に陣左はうちに来たのだったなと文の差出人へ想いを馳せる。
いつでも会いに来てくれて構わないというのに、高坂は山本ら数人と共に面会に来て以来、一度も姿を現したことがない。それどころか、面会の時でさえまともな会話もしなかった。回復も順調で、山本や押都らが「いやぁ本当に良かった」と和やかに笑うなか、高坂だけが後方で瞳に涙をいっぱいに溜めながらも溢さぬように口を真一文字にぎゅっと結び、奥歯を噛み締め、正座した膝の上で強く握りしめた拳を震わせていたのだ。恐らく口を開けば人目も憚らず慟哭し、崩れ落ちてしまうからなのだろう。健気な振る舞いに目頭が熱くなるのを感じたが、そこで雑渡が抱き寄せてしまうと高坂の想いを無下にしてしまう。山本らに微笑みを向けながら、雑渡もまた、拳をぎゅうと握りしめたのを鮮明に覚えている。
会いに来ない代わりに、高坂はひと月に一遍だけ雑渡宛の文を尊奈門に託す。そして、返事すら不要だと頭からきっぱり断ってくるのだ。本来ならば文を綴るのも頻繁に、それこそ返事だって欲しいだろうに、療養中の雑渡に余計な負担をかけたくない…なんて、いらぬ気遣いをしているのが手に取るようにわかる。文の内容は『初めての任務に選抜されました』『初雪が降りました。風邪にお気をつけください』など、日々の任務や雑渡の身体を気遣うものが大半で、数年会えていないにも関わらず決して『会えなくて寂しい』『お会いしたい』『お慕いしています』といった内なる感情を吐露することもない。むしろ、少しでも寂しさを滲ませてしまうと悲しみの波に飲まれてしまうのを恐れ、敢えて線引きをしているようにも受け取れる。高坂の慎ましい覚悟を尊重し、雑渡は敢えて何もせず高坂のしたいようにさせていたが、こちらとて寂しい想いは変わらない。また、そろそろ復帰に向けた準備で忙しなくなるし、復帰したら復帰したでやることは山積みだ。ふむ、と雑渡は片頬に手を当てながら考えを巡らす。
「小頭ご覧ください、茶柱ですよ」
ほんのり湯気の立つ湯呑みと山盛りの煎餅を盆に乗せた尊奈門が、茶柱を倒さぬようそろりと戻ってきた。茶柱とは縁起がいい。雑渡はにこりと微笑むと、湯呑みを受け取りながら高坂への言伝を頼んだ。