デザートのように「雨、止んだみたいですよ」
その言葉にきらきらと目を輝かせる姿は年頃の男の子そのものであり、巳波もつられて口元が緩んでしまう。収録が終わって晴れたら、という約束をした数時間前とは違い悠はとてもご機嫌だった。
「本当……!?」
ええ、と頷けば彼はうきうきとした様子を隠さずに帰りの支度をして、祖母に電話をかけ、巳波も早く、と急かす。どうしようもなく愛らしいその行動に胸の中で小さく、
──本当に晴れてよかった。
そう思いながら彼に続いて秋の夜に踏み出した。
恋人と共にいるだけでもとても幸せなのに、駅から少し遠回りをしてたわいもない話をすればさらに心が弾むのは当然のことだ。
「雨上がりの香りって夏と秋で違うの不思議じゃない?」
「咲いている花や気温の関係でしょうか?」
「夏は向日葵が咲いてて秋は銀杏が落ちてるから違うみたいな?」
時々巳波がそうかもしれませんね、と適当な相槌を打てば悠はオレは真面目に話してるのに、のように子供っぽい拗ね方をして。何も知らない人が見たら不安になりそうな光景だが二人にはそういったことが言える距離感なのが心地良かった。
「亥清さんもたまに違う香りがしますよ」
何それ、知らないと悠は考え込む。石鹸や制汗剤の香りの話かなと唸っていれば足元の水たまりに視線を奪われた。綺麗に月が映っている小さな水たまりから目を離せずにいると少し妬いたような声が聞こえる。
「月、綺麗ですね」
顔を上げて彼の方を向けばにこやかではあったがやや寂しそうでありつつ独占欲もあるような、そんな様子だった。少し意地悪をしたくなってしまい、悠は悪戯っぽく笑う。
「それの答え、着いてからでもいい?」
疑問符を浮かべた後に少し照れたように巳波は顔を隠す。
「もしかして、着いてからじゃないと言えないようなことを言われるんですか……?」
さあ?と軽やかな足取りで悠は歩き出した。
浴室から出れば先にシャワーを浴びていた恋人はすやすやとソファーで眠っていた。結局先ほどの答えを聞けていないことにもやもやとしながら顔を覗き込む。まだ幼さの残る寝顔と男性らしさの出てきた身体の二つは、十九歳のまだ青い心を煽るには十分だった。頰に触れ、輪郭をなぞるようにそっと首筋の方へと手を這わせる。そのまま服に手をかけてしまおうか、それとも可愛らしい寝息を零す唇を塞いでしまおうか、そんなことを考えながら悠の耳元に囁きかけようとして、動きが止まる。今にも巳波の唇と悠の耳が触れそうな距離でそのまま数十秒経ち、それからゆっくりと彼の肩を揺さぶった。
「亥清さん、起きてください」
一度目は、寝ぼけたような声が返ってくる。もう一度ほら、起きて、と揺らせば今度ははっきりと言葉が聞こえた。
「お腹空いた……」
思わず困惑した声が漏れる。よく眠った後に食欲を申し出るあたり欲望に素直で可愛らしいと言えばそうなのだが、そういう問題ではない。
「私がいるのにそちらの方が優先なんですか?」
拗ねたように、本人は拗ねてなどいないと言うだろうが、悠に迫る。それでも彼は動じていないように自信ありげな笑みを浮かべた。
「デザートは最後に食べるものでしょ?」
一瞬、台詞の意味が分からずに固まってしまう。目が覚めて言っているのか寝ぼけて言っているのかすら判断できないほどに混乱していた。
珍しく余裕のない巳波に鼓動が速くなるのを感じながら抱き寄せれば素直に身を委ねてくる。それが堪らなく愛おしくて、自分のものにしてしまいたい。全て食べてしまいたくなるほどに焦がれている。
「巳波ならほろ苦くても、甘くても、とろけていても美味しいよ」
質問の答えを聞けなかった悔しさと眠っていると返事がなくて寂しいからという理由で起こしたことを若干後悔しつつ、しかし恋人に肯定されたことがとても嬉しくもあり、どうしようもないほどに感情が混ざり合っていた。受け取った言葉を噛み締めながら自分なりの返事を探すと、悠は嬉しそうに笑う。
「一口残らず、召し上がってくださいね」