ラッキーアイテム 「今日の9月生まれのあなたは大吉!ラッキーアイテムは”丸いもの”です!今日も一日楽しんで!」
サクサクと焼けた食パンにかじりつきながらそんなテレビを見つめている。天気予報だけを見てすぐチャンネルを変えるつもりだったのにいきなり月占いが始まったものだから、ほんの少しの興味だけで見続けてしまった。
自分の誕生月のお知らせから10分程度過ぎて、最後の月が発表される。
「そして…今日の最下位は6月生まれのあなた!ラッキーアイテムは”指輪”です!今日も一日頑張りましょう!」
大吉の自分は楽しめるのに最下位のやつは頑張らなきゃいけないのか。大変だな。
テレビを消してスマホを確認する。穂刈が家に迎えに来るまであと5分程度しかない。慌てて空の皿をシンクへと置き去りにする。
靴下を履く途中で、ふと今日のデートの相手は最下位なんだなと思った。
口元を軽くゆすいでから、学生の頃に購入したお揃いの指輪を右手の薬指に嵌める。ゴールドのそれはペアで合わせて1万もしない安物だったが当時の俺たちには値段なんて関係なかっただろう。
一昨年の誕生日にもらった白を基調とした刺し色の紫が光るスニーカーを履く。これをもらった時からそんなに足の大きさが変わってないのは救いだった。数か月に一度靴屋にメンテナンスを頼むほどのお気に入りだから、可能な限り履き続けるつもりでいる。
スマホを覗き込んで時間を確認すれば午後1時。丁度一人暮らしの家のチャイムが鳴った。
何度目のデートかは覚えていない。今回は穂刈からの誘いだった。
三門市を少し離れたところにある、こじんまりとした遊園地だ。某夢の国とは違って世界観というより古き良き景観を前面に押し出している気がする。
どこでこの場所を調べたのかは知らないが、つい先週の防衛任務終わりに唐突に穂刈が言ったのだ。
『ここに行きたいんだ、次のデートは』
そう言って見せられたスマホ上の景色と、今見ている景色はほとんど同じものだった。恐らくホームページに乗っている写真もこうやって入園口から見上げて撮ったんだろう。
「結構人いるな」
丁度横をすり抜けて駆けて行った男の子の背中を見ながら呟けば、隣の穂刈も頷いたのが見えた。それからその姿は迷いのない足で前に進み始める。
その足取りの半歩後ろを歩く。行先を言わない穂刈の横を歩くのは危険だと知っている。自分が歩く側に急にまがってきたりして肩がぶつかったりもする。だから、少し後ろを歩いて何も言わずについてくのが吉だ。
悲鳴の少ないコーヒーカップの正面を抜けて、突然音が大きくなったりするメリーゴーランドの横を通る。馬にまたがる女の子がこちらに向かって手を振っているのが見えたから振り返せば、聞こえるはずのない笑い声が聞こえた気がした。
少し前を歩いている穂刈も、同じ方向に手を振っていた。その姿を見つめていれば、ふっと穂刈の横顔がほどける。そして口を開いた。
「今のは俺に対してだな」
「笑い声がか?」
「ああ」
「俺に向かってに決まってんだろ」
穂刈はこちらを振り返ってから、少し間を開けて「そうかもな」とだけ言った。珍しい。こういう些細な言葉遊びをしたら何かしらは返ってくるのに。
今日のコイツは変だと、長年隣にいるおかげか妙な第六感が囁いている。
それからふと思い出す。
コイツは今日最下位なんだと。もしかしたら朝のテレビを見てショックを受けているのかもしれない。案外意味の分からないところで気分を浮き沈みさせる男だ。
仕方ねぇな。そんな言葉を口からは出さないまま、穂刈の右手を握る。
薬指に嵌められている指輪の感覚が伝わってくる。
「何だよ、つけてんのか」
「な、んだ急に?」
「ラッキーアイテムだろ」
穂刈の指輪をなぞりながらそう言えば、片方の眉を顰めた表情で見下ろされる。
朝の占いを見ていなければ何一つ分からない言葉だろう。まさしく「何を言っているんだ」というような目線が突き刺さっている。別にそれは痛くもかゆくもない。
不思議と居心地が悪くない空間を遮るように、指をぎゅっと握りしめられる。
「乗りたいんだ、あれに」
左手で穂刈が指さしたのは大きな観覧車だ。
昼間だから輝く電球の光も何もないが、青空によく映える白色をしている。
色々と言いたいことはあったが、とりあえず先に一言だけ。
「…別に構わねぇが」
初手から観覧車って、大分珍しいな。
思うだけで口には出さなかった。もしかしたら穂刈はそういうルートが好きなのかもしれない。
付き合って数年経過しているが、なんだかんだ遊園地は一度も来たことはない。提案をしたのは穂刈だし、ここはこの男が考えてくれたデートプランというものがあるんだろう。
「じゃあ乗るか」
それだけ言われて手を引かれる。周りには誰もいないのをいいことにずっと手は繋がれたままだった。
係員さんの指示を受けて観覧車の1つへと乗り込む。薄い革に中には綿が詰まっているだろうか、色んな人がここに乗って楽しんだんであろう年季の入った感覚を尻に敷いた。真正面に腰掛けた穂刈は青い外を見ている。
「何で遊園地だったんだ?」
そう問いかければ穂刈はこちらを振り向く。その顔はいつにもまして凛々しく見えた。遮るものの少ない陽の光のせいだろうか。
薄い唇が開く。
「荒船」
名前を呼ばれたからそのまま口を挟まずに見つめ続ければ、穂刈がポケットに手を突っ込む。そこから出てきたのは小さくて黒い箱だった。
四角い箱だ。今日のラッキーアイテムの形とはほど遠い。何故かそんな感想が浮かんだ。
ばくばくと、ありえない速度で血流が心臓に集まっていく気配がした。その箱が開くのがどうにも怖くて、怖いのに体が動かない。この密室に近い空中の小さな箱の中に、また一つ箱がある。
穂刈の長くてごつごつした指が箱の表面を撫でて、焦らすこともなくカパリと抜けた音を立てた。
中に入っているのは、丸い形の指輪だった。
今日のラッキーアイテムは何の形だったか。
さっきまで比較対象にまで持ち出せたはずなのに、すっかり思い出せない。
視線の先にある銀色の環には、白とカラフルな色彩が反射した宝石が嵌められているのが見える。疑うまでもなくダイヤモンドの類だろう。
男2人、観覧車の中、差し出されるダイヤの指輪。
どういう理論を立ててもたどり着く答えは一つだろう。
自分の口元に手が置かれていると気付いたのは少し間が空いてからだ。自分でも気付かないほど自然に、もしくは反射的に口元を抑えていた。
手の中でカチカチと歯が震えている。
それでも視線を穂刈から外せなかった。穂刈も外さないまま、じっとこちらを見つめている。こちらに箱を差し出しているせいで少し丸まっている背中のお陰で、いつもより目線を上げないのが楽なことに今更気付く。
「結婚してくれ、俺と。いま」
なんてことを、なんてばしょで、なんてタイミングで。
穂刈の口から飛び出してきたセリフも意味も何もかもを理解できているのに、追いついていないのは自分という存在だ。
様々なことが頭の中を巡りまわる。今日の朝に食べた食パン、見ていた占いの画面、今日のラッキーアイテム、目の前の男と過ごしてきた日々、この遊園地に誘われた日のこと、夜にキスをしたこと。
それらが一瞬で走馬灯のように頭を駆け巡ってから、ようやくかみ合わせの悪い歯が揃った。
「…断ったらどうするつもりなんだよ」
意地が悪い。
自分も、恐らく目の前の穂刈も同じことを思っているだろう。
それでも穂刈はこちらを見つめる視線を逸らさなかった。黒い目は揺らぎもしない。
「もう一度同じことをするぞ。一周追加して」
「意味、分かんねぇ」
引くつもりなんか微塵も感じさせない態度がその言葉の真実味をより強くしている。このまま真正面からぶつかるのが少し恐ろしく感じて、いつの間にか前のめりになっていた自分の姿勢を正す。
「帰さないつもりだったんだ、受け入れてもらえるまで」
穂刈の握る黒い箱が少しだけ軋んだ気がした。きっと力を込めているんだろう。
随分と子供じみたことを言うんだな、と思った。
「それに」
穂刈は、俺と同じように少し姿勢を正す。背中が伸びたおかげか、視線を上に向けざるを得ない。
頂上を過ぎて降りていく観覧車の角度で穂刈の顔に当たる光が薄れていく。少し影を映した表情が得意げに口角を持ち上げている。
「今日のラッキーアイテムだろう、”丸いもの”は」
そんな言葉を聞いて、堪らず吹き出してしまった。
馬鹿らしい。まさか同じチャンネルを見ていたのも、俺の月のラッキーアイテムをちゃんと知っているのも。何より、占いなんか微塵も信じていない自分と数年間一緒にいたというのに、まだ信じ続けているのが何よりも面白いと思った。これだから、自分の隣にいてありのままを貫ける男なんだと改めて思えた。
「はぁ…ほんと、かなわねぇな」
黒い箱に手を伸ばす。環の部分を右手の人差し指と親指で摘まめば、大して力を込めなくてもその指輪は台座から抜けた。
何一つ迷いなく、それを左手の薬指にはめる。
目の前の穂刈は小さく口を開いていた。いや、開きっぱなしと言った方が真実に近い。
間抜けな顔を軽く覗き込んでから、ふと横眼で観覧車の外を見る。
青空は緑に包まれ始めている。そろそろ俺たちを乗せた密室が地上にたどり着く。
「今日のラッキーアイテムがこれでよかったな」
そう言って、穂刈の空きっぱなしの唇にキスをした。