睦言を夢見て「――眠ってしまいましたか」
小さく問うても、想い人は胸の中で規則的な寝息を繰り返しているばかりだ。
自分に縋りついて眠る彼女の髪を撫でた荀攸は、苦々しく溜息を吐く。
(人の気も知らずに、呑気なものですね……)
頼られるのは嬉しい。彼女が他の男に助けを求めるなど、以ての外だ。
さりとて毎度共寝をしても、彼女は他愛のない話をするだけ。荀攸が色を滲ませ手を触れても無邪気に握り返され、あまつさえ足を絡めてくる始末だ。
彼女にしてみれば、ただのじゃれあいに過ぎないことは自明の理で。荀攸がどれだけ愛おしさを込めて見つめても、彼女の純粋な笑顔が咲くだけ。頬に触れてもくすぐったそうに擦り寄ってくる。
身体を押し付けるように抱きしめたとて、警戒心の欠片もなく眠ってしまうのだから、お手上げだ。
(いっそ、既成事実を作ってしまおうか。彼女なら俺の嘘を疑うことすらなく、容易く篭絡出来るだろう)
そう考えるのも、もう何度目かわからない。
ただ、眠れないという理由で彼女が初めて荀攸の部屋を訪ねてきた時。普段の飄々とした彼女とは別人のようにしょんぼりと肩を落とし、所在なさげに枕を抱いていた。
まるで迷子の子供――そう思うのと同時に、彼女の特異な経歴が頭を過った。
仙界で過ごしたために、他の人間とは違う。深酒をした際に、彼女がそう零していた。
荀攸としては彼女が何者であろうと構わないが、彼女はそうもいかないのだろう。輪の中心で楽し気に人と関わる割に、どうも人の営みの外に自分を置いているきらいがある。
誰かと恋仲になるという考えも、彼女のなかにはないのかもしれない。それともただ、恋い慕う感情を知らないだけなのか――。
どちらにせよ、手強いことに変わりはない。しかしここは、軍略家の腕の見せ所だ。
自意識過剰や惚れた欲目を差し引いても、彼女が荀攸に心を許し、慕っていることは疑いようがない。
次はどんな手で攻めようか――策を組み立てる荀攸の腕のなかで、「もう……おなかいっぱい……」と幸せそうな寝言が発せられる。
身を離し彼女の顔を覗き込んだ荀攸は、つられるように口元を綻ばせた。
全幅の信頼のもと気を許されている立場は悪くないが、やはり物足りない。もっと彼女の心の深い所に触れて、誰も見た事がない顔も見てみたい。
捉えどころのない彼女を捕え、屈託のない笑顔の裏を暴いて……何もかもを自分の下に曝け出させたら。
頭を擡げた欲を、荀攸は胸の奥に押し込める。今はまだ、その手を用いる時期ではない。
「必ず、俺のことを好きだと自覚してもらいます」
ぐっすり眠っている彼女の額に唇を寄せ、荀攸は目を閉じた。
また明日、愛しい人の傍で目が覚め、一番に言葉を交わせる幸せを思いながら見る夢も、きっと良いものに違いない。
*終わり*