思えばはちみつスポドリくらい自分の手で取ってくればよかった。思えば頼む相手をそいつに限定しなければよかった。思えば渡しそびれたそれをちゃんと昨日のうちに鞄から出しておけばよかった。けれど『とって』と自分が頼んだことによってオレの鞄を漁ったヤスを見た後に思い出しても遅かった。
「!ハッチン、これ…」
ヤスがオレの方に振り返る。その手には昨日渡せなかった浅い直方体の箱があった。
「ふぁっっ、ふぁーーーーーー!!!!」
ブンブンニードルをスタンドに置き慌ててヤスの元に駆け寄りその箱を取り上げる。
「あっ」
持ってたものを取られ反射的に声を上げたヤスにかまわずそれを隠すように胸の中に抱え込む。
「それ、ひょっとして俺にか?」
そう言いながらヤスはこっちの箱を抱えた胸元を指さす。
「べ、別に……ちげぇし……」
否定したけど多分バレてると思う。青い柄の包装紙で包んで、おまけに黄色いリボンで結んでいる。その配色から明らかにヤスに向けた贈り物と言ってるようなものだ。
「けど貼られてたカードにはっきりと『ヤスへ』って書いてあんだけど。この字お前のだよな?」
「ふぁあっ!?」
するとヤスは分捕られる前に取り外してたのであろう、カードを裏返してこちらに見せてきた。そこには確かに自分の文字で『ヤスへ』と書かれている。いつの間に剥がして証拠として提示してくるなんてタチが悪い。というかなんでこんな露骨なラッピングにしちゃったんだろう。
「ち、ちちげぇしっ!オレらのファンの女子が、ヤスに渡してくださいってゆーからしかたなぁーく預かってただけだし、その名前のは、ヤスに渡すのを忘れない為にメモとして貼ってただけで……別にっオレがヤスの為に作ってきたとか、そーゆーのじゃねえからな!!」
嘘だ。本当は全部自分で用意したものなのに口から出る言葉はデタラメだった。
「じゃあそれ捨てといてくれ。」
ヤスの目を見れないしさっきから熱いオレの顔も見られたくなくてずっと俯いたままでいたけど、ヤスの口から出された要望に思わず顔を上げる。真顔のヤスの視線は冷ややかでその言葉がどんな真意で発せられたものか理解できない。
「え……ぁ…捨て…?な何、言ってんだよヤス。いつも、食べ物を粗末にするなーってうるせーくせに。」
弁当に対する熱意を語りながら目の前の弁当を頬張る姿をほぼ毎日見てるオレからしたら先程の発言があまりにも信じられなくて動揺を隠せなかった。まさか弁当屋の息子であるヤスが貰った食べ物を口に入れるどころか見てすらいない状態で廃棄してほしいなんて。
「確かに前にそう言ったのは本心だし、そいつが俺に渡そうとしてくれた気持ちは嬉しい。けどいくらファンでも顔も知らねぇ誰がくれたかわかんねぇもんを軽率に食えるわけねぇだろ。もしそれが毒だったり変なもの入ってたらどうすんだ。」
「そ、それは……」
確かに言われてみればそうだ。ヤスもオレも人気アイドルほどじゃないけど、人前に立ってパフォーマンスするバンドマンだ。一応芸能人みたいなものだし、ファンからプレゼントや手紙が届くことも少なくないだろう。その中にはきっと熱烈なラブレター的なものもあれば過激なストーカーじみたものもあるはずだ。そんなものに類するかもしれないものを無警戒に食べようなんて思わないはず。流石のオレだって知らないおっさんから手作りのもの貰っても簡単に口に入れない。嘘をついたオレが悪いけれど捨ててほしいと言われて胸がズキズキ痛む。
こんなことを言われるくらいなら意地張ったりしないで正直にオレが作ったって言えばよかった。
「……そこまで気にするんだったら、お前が先に食ってくれんなら一応受け取るけど。」
「ふぁ…」
ヤスの言葉にまた驚く。どうやらヤスは、オレが人の贈り物を勝手に廃棄するのを躊躇ってると思っているらしい。これで受け取った後は、オレが食べて問題なさそうだったら残りは食べるだろうしダメそうだったら家で棄てるつもりなのだろう。
「……わかった。捨てんの勿体ねーしな。」
毒味役をさせられるのは不本意だけど、ヤスに信用されてる気がして少し救われた。一口目をあげれなかったのは残念だけど。
甘い匂いを放つリボンを解き折り目に沿って包装紙を丁寧に開封すると茶色い箱が現れる。蓋を開けると均等に隔てられたスペースの中にボール状のチョコがいくつか中に並んでいた。その中の一つを手に取り口元に運ぼうとした瞬間、ヤスに手首を掴まれ食べるのを制止される。
「ふぁっ!?」
ヤスはオレの手首を離さないまま自分の顔を寄せ、そのままオレの指先ごとチョコを口に含んだ。
「っ…」
指先がヤスの舌で舐められ、背筋にゾクッと何かが流れる。その熱く粘りのある感触に気を取られているうちにヤスは口を離し、今度は空いた方の片手で残りのチョコを箱ごと奪い取られる。
「ふぁっ…」
ヤスの口内に奪われたチョコレートがパキッと咀嚼開始の合図の音をあげる。その直後に眉をひそめるもすぐに眉間の皺はなくなった。
「…美味いなこれ。あんま甘くねぇけどはちみつか?」
「ファ?そうだぜ。ヤス甘ぇの苦手だからオレンジ食って甘さ控えめのもの作ってよぉ
「で、なんで食ってないハッチンが中身知ってんだよ。」
「……………あ。」
まずい。なんでこうなったのかすっかり忘れてた。うっかり口を滑らせてしまったのを聞き逃さなかったヤスに指摘され思わず顔が熱くなる。ヤスの顔も赤い。
「ハッチン、やっぱりお前が作ってんじゃねえか!つか中のはちみつもお前のかよ!」
「ふぁーー!ちっちげーし!それはっ……」
「違わねえだろ。ったく、最初からそう言えっての。」
「ぐっ……悪ぃ…」
言い訳しようとしても全く思い浮かばないし完全にオレが作ったと見抜かれてたからもう観念するしかなかった。
「別に謝ることじゃ……言っとくけど俺はお前が作ってくれてたものってのは手に取ってすぐわかったし、お前が作ったってこと俺が気づいてるのを知ってもらいたかっただけだ。」
「えっと…ヤスが、オレが作ったことを知ってるのをオレが……どうゆうことだ??」
やたら述語?が多い説明にちんぷんかんぷんになっていると顔に手を置いてため息をつく。
「お前、ほんとバカだよな。」
「なっ…!!」
「とにかく!知らないやつのは食えねぇのは本当だけどお前が作ったものはちゃんと食う!だから、その………嘘でも「捨てろ」とか、酷いこと言って…悪かった。」
突然言い放たれた悪口にキレかけたが、その後すぐ発せられた謝罪に怒りはどこかへ飛んでいった。
ヤスはいつもぶっきらぼうで不器用だけど、最終的に自分の非を認めたらちゃんと謝れる奴だ。普段はあまり言葉には出さないけどオレもそんなヤスが大事だと思ってるし、そんなヤスから嫌われたくない。
「オレも、ごめん。ヤスの気持ち考えずに意地張っちゃって。」
「だから最初から責めてるつもりじゃねぇっての…けど、何で昨日くれなかったんだよ。」
何でと訊かれても答えづらい質問だ。ヤスの為に作ったと言えば、オレの気持ちを勘繰られるかもしれない。でも本当のことを言わないとまたピリピリした空気になるかもしれない。少し悩んだ結果、オレは正直に話すことにした。
「昨日ヤスに渡したかったけど、もしオレから貰っても嬉しくない感じだったらとか、引かれたらどうしようと思ったら考えてるうちにタイミング逃しまくって、最後のチャンスだったバレンタインライブの後もメシの誘い断られたから渡せなくなって…」
話しているうちに段々恥ずかしくなってきて声が小さくなっていく。
ヤスの顔を見ることができず俯いていると頭上で何かを優しく擦られる感覚が走る。顔を上げるとそこには面倒くさそうに、だけどむず痒そうに頬を染めながらオレの頭を撫でているヤスがいた。普段のヤスからは想像できないくらい優しい手つきに胸の奥がきゅんとする。
「ったく……そんなことでいちいち悩んでんじゃねーよ。」
憎まれ口しか叩かないヤスにカチンときて、きゅんっとしたことを軽く後悔した。
「ふぁあ!?そんなことってなんだよ!オレにとってはすげぇ重要なことだったんだからな!」
「さっきから考えすぎなんだよ……お前は何も考えねーでヘラヘラ笑ってればいいし、それに…お前からのなら、寧ろ………」
「ふぁ…?」
ヤスは目線をオレから逸らしてさっき渡せなかった経緯を話したオレみたいに途中からだんだん声を小さくしながらそう言ったけれどちゃんと聞き取れた。寧ろ?それってオレはさっきヤスに渡しても喜んでもらえないって思ってたけど、ヤスはオレのチョコ貰えることに……
「っ!!」
ヤスの口から出ないまま消えた言葉の続きを察すると、ヤスの赤面に釣られてボンッと音を立てて爆発したように顔が熱くなる。きっと今のオレ、ヤスと同じくらい真っ赤になってる。ヤスも自分で言って照れてるしこの場に居続けるのはお互いに耐えられない状況だ。
「ヤス…それって…」
「っ!あーーうぜぇ!!とにかく貰っちまったもんはしゃあねぇし…ちゃんと返すから、来月覚悟してろよ。」
「ふぁ……」
まさかのお返し宣言されて心臓がバクバクする。遮られたものの「違う」とはっきり言われなかったから期待してしまう。もしかしたら、ヤスにとってもオレのことは特別なんじゃないかって。ホワイトデーに3倍どころか69倍以上のものを返されるかもしれないって。
「へへ…おう!」
嬉しさで顔がニヤけたまま返事をする。ヤスの言う通り、何も考えないで笑っている方が自分らしい気がしてきた。そんなオレにヤスは眉間にしわを寄せて舌打ちをしたけど顔はまだ赤い。やっぱり素直じゃないけど、そういうところがヤスらしくて好きだ。
「そういや手に持っただけでなんでオレのってわかったんだ?やっぱ字?」
「それもあるけど、リボンからはちみつっぽい匂いしてきたから…」
「ファっ!リボンにオレのオキニの香水付けたことに気づくなんて、流石ヤスだぜ!」
「うぜぇ、匂い甘ったりぃからコレだけ返してぇんだけど。」
「ふぁ"あー!?」
「アイツら、完っ全にオレらの存在忘れてるよな。」
「のうクソ不死鳥、練習にならん空気ならもう帰ってええか?付き合ってられんわい。」
「サボろうとすんじゃねぇよ…って言いてぇところだが、オレもこの雰囲気に耐えられねぇ。この後病院行く予定あるけどなるべく早く行くに越したことはねぇし、巻き込まれる前に帰るか。」
「じゃのう。ついでにスタジオ代押し付けてやるわい。」
「あんまり金銭的な負担はかけたくねぇけど……今回だけにしとけよゲス双循。」
同室のスタジオにて、日付的には過ぎ去ったはずなのにまだバレンタイン気分である後輩たちに蚊帳の外にされたジョウと双循は簡潔な相談の末、退散することを決定した。お互いの会話に夢中になっているうちに楽器をしまいスタジオ出入口の扉に向かう。ドアノブに手をかけながら振り返るも、やはりこちらの動向には気づいてないようだ。ジョウたちは声をかけようか迷ったものの満足そうに話を弾ませるまだ青い当事者たちを見てまあいいかと思い、そのまま静かにスタジオを後にした。