太陽が頂点に昇る昼さがり、人っ子1人いない屋上、片手に携えた弁当が入っている袋。この3つが揃ってやっとヤスの数少ない平穏な日常が訪れる。
「…………」
屋上へ続くドアを開けて、いつも通り定位置である扉すぐ横の落描きまみれな壁の前で腰を下ろす。今日は少しだけ肌寒い風が吹いている。だがそれもまた心地よい。
普段は定位置に着くとすぐに弁当箱を開けるが、今日はフェンス越しに屋上から見える空を眺めてから弁当を食べ始める。その時の心境も少し違った。
(あいつ…来ねぇな…)
普段は弁当をよく味わいながら食べるがこの昼休みの平穏を乱す存在が訪れるかが気になって仕方がない。
少なくとも学業の最中2日に1回は俺の目の前に現れる奴だ。登校時に学校の正門の前で仁王立ちして待ち伏せした日にはウンザリするし、俺の教室やこの屋上に来て勝手に隣でパンを食べ始めた時は一人で過ごさせてほしいと常々思いながら同じ空間で過ごしている。午前中の休み時間やチャットで『今日はクラスのダチと昼食うから来ねぇ』と言われた日には本当に放課後まで顔を出さないこともあるが、午前中にそのような連絡が無かったからおそらく今日も来るのだろう。こうして無意識に待っている時点であいつがほぼ毎日押しかけることも日常のひとつになりかけている気がする。
そして数分後──
「よぉヤス!待たせたな!」
「…………」
聞き慣れた声と共にバンッと勢いよくドアが開かれ、金髪と紫の縞々頭の男がこちらに向かってくる。
「…待ってねーよ。」
そう言って俺は食べかけの白飯を再び口に運ぶ。
「冷てぇこと言うなよ~。オレがちょ〜っと遅れたくらいで拗ねちゃってさぁ。いつもより購買が混んでただけだっつーの!」
「だから待ってねぇし拗ねてねぇし訊いてねぇ。」
相変わらず一方的に喋るハッチンは当たり前のように隣の席に座り、持ってきた袋の中からはちみつパンを取り出して封を切ると甘い香りが広がる。飽きねぇのか?と思うほど毎日同じパンばかり買っている気がするが、こいつは余程蜂蜜が好きらしいのでそれで満足しているのだろう。
ハッチンの手元から香る蜂蜜の匂いで、ふと学ランのポケットの中身のことを思い出す。黄色と紫の2色のリボンで結んだ手のひらサイズの大きさの瓶。中に十数個、黄色と白の縦縞状の球体が入ったそれは、先週の休みにシブバレーへの配達の帰りついでに買ってきたものだ。お返しを用意すると啖呵を切ったもののそれまで何を贈るのが良いか見当もつかず悩んでいた。ところが偶然通りかかったお菓子専門店の手まり飴のコーナーに陳列されていた"蜂蜜檸檬玉"を見た瞬間これだと直感的に思ったのだ。
たまたま見つけた物とはいえこれならあいつも喜ぶだろうと即決したが、いざ渡すとなると正直どう切り出せばいいかわからず迷っていた。少なくとも第三者に目撃され冷やかされることを避けられる二人きりに差し出すことは決めていたのに肝心のタイミングが全く掴めない。わざわざ合流できそうな場所で待ち構えていたというのにいざチャンスになるとこのザマだ。
(ハッチンも1か月前はこんな気持ちだったんだろうな…)
先月チョコを当日中に渡せなかったハッチンの心境を考え黙々と弁当を口に運んでいたら、あっという間に最後の一口を食べきり中身が空になってしまう。空になった弁当箱を仕舞っていると既にパンを食べ終えてスマホをいじっていたハッチンが口を開く。
「そういやヤス、お前さぁ……なんか元気なくね?」
「っ、あ?なんでだよ」
唐突な質問に一瞬動揺した。まさか気付かれているとは思わなかったからだ。
「いやだってよォ、今日もオレが来た時ぼけーっと空見てただろ。何か悩みでもあんじゃねーかと思ってよぉ。」
ある。前まではお前に何渡すか悩んでて、今はお前にどうやって渡すかで悩んでいるんだよ。けど流石にそれを当の本人に打ち明けられるわけがない。
「…別に何もねぇよ。気にすんな。」
「そっかよ…まぁなんかあったらちゃんと教えろよな!」
「っ……おう。」
打ち明けてもらえないことへの不満を一瞬顔に出しながらもハッチンはすぐに体ごとこちらを向いて笑った。その笑顔を見て思わずドキッとして俯きながら小さく返事をした。
(……好きだな。)
改めて自覚する。いつの間にか俺はこいつのことを好きになっていて、ましてやその直後に手作りチョコを用意されるとは思わなかったから期待してしまっている。俺の中に小さな火種が灯ったような感覚に陥る。
(やっぱ…今しかねぇ…!)
こいつに同じ感情が無くても良い。ただ俺の中で燻っている想いを伝えたい衝動に駆られた。当日に渡し損ねたハッチンの二の舞になるのはごめんだ。
「なぁハッチン、甘いもん…食いたくねぇか?」
俺が体ごとこちらを向いているハッチンと向き合いそう言うとハッチンは目を輝かせて答える。
「ふぁっ!?持ってんの!?食う!!」
単純すぎるだろ…けど今は都合が良い。
「そいや、ヤスが甘ぇもん持ってるとか珍しーな。」
「うっせ。何持ってるか、当ててみろよ。」
俺の言葉を聞いてハッチンは腕を組んで考え込む。その隙にポケットから取り出し見えないようにこっそり自分の影に隠す。そしてハッチンはすぐに閃いたように手をポンッと叩く。
「わかったぜ!蜂蜜だ!」
「……はずれ。」
まず想定内の回答が応えられたが生憎俺が持ち合わせているのはどろっとした液体ではない。お望みのものじゃないとわかったからか、あからさまに落胆する。
「えー違げーのー?んじゃアレか?蜂蜜味の菓子とか。」
「その菓子のところを当てろっつってんだよ。」
「ふぁー?んー…」
再び頭を捻らせて考え始める。遠回しに『蜂蜜味は正解』と言ったのに伝わってないのはおろか当てずっぽうで思いついたお菓子答えていきゃたどり着きそうな答えなのに随分苦悩している。
「んんーわかんねー!降参!」
「早ぇよ。」
あまりにも早いギブアップ宣言に呆れたがこれでいい。むしろこの方が良い。
「んで結局何なんだよ。」
ハッチンは不服そうに口を尖らせる。
「口そのままにして、目ぇ瞑れ。」
「?ふぁー……」
俺からの指示にハッチンは首を傾げながら疑問符を浮かべていたが、言われた通りにゆっくりと瞼を閉じた。すぐさまハッチンの顔の前で開いた手を振りちゃんと視界が閉ざされているかを確認する。
「いいか、開けんじゃねえぞ。」
「おう。」
そう念押しした後自分の背後に隠していた瓶を表に出し蓋を開ける。中に入っている透明なフィルムに包まれた1粒を取り瓶をポケットにしまうと、両端のねじりを引っ張り解きフィルムから透明感のある黄色と濁った白の球体を摘む。それを食らうと、蜂蜜の甘味とレモンの酸味で口内が満たされた自身の口をハッチンの唇に押し付けた。
「んぅっ!?」
ハッチンは突然の柔らかい感触と予想外の出来事に驚き目を見開く。俺は構わずハッチンの口に舌を捩じ込みハッチン口内に入れようと飴玉を押し付ける。
「ふっ、んっんん…ふあ、はぁ…はぁ…んぅっ」
最初は戸惑っていたが次第にハッチンも受け入れ始め飴玉がハッチンの口内に転がった。
「ふぁ…あ、んっふ……ふぁ……っ」
うっかり飲み込まないよう頬肉の内側に押し込み歯と飴玉がぶつかる音が響く。飴を避難させた後すぐに舌を絡めると今度はハッチンの口から甘い吐息と艶っぽい喘ぎ声が漏れる。もっと聞きたい、そんな欲に駆られてしまい更に激しく攻め立てる。
(甘ぇ……)
口の中に広がる蜂蜜の風味と熱を帯びた柔らかな粘膜の感覚に頭がくらっとする。ハッチンも同じようで、最初びっくりして見開いていた空色の瞳はすっかり蕩けきっており涙が滲んでいた。
「はぁ…っ、あ、ふぁ…や、す…ふあ…っ、も、む、ひ……っ」
俺の胸元を弱々しく叩き限界を訴えるハッチンに名残惜しさを感じつつゆっくり離れると、お互いの唾液で濡れたハッチンの唇から銀の糸が伸び二人の服に垂れていった。
「ふぁ、あ…ヤス……お前、なに、これ…」
俺が袖で口元の唾液を拭ってる一方、長いキスからようやく解放されたハッチンは肩で呼吸をしながら惚けた目で俺を見つめる。
「蜂蜜檸檬玉、…飴だ。バレンタインデーにお前から貰ったからお返しに用意した。」
俺の返答を聞いて「たしかに飴っぽいけど、」と閉ざした口をもごもご動かし飴玉を転がす。
「そーじゃねー。…なんで、き………キス、なんかしてきたんだよ……初めてだったのに…」
だんだん小さくなる音量でそう訊ねる顔は耳まで真っ赤に紅潮していた。
元々気持ちはあったが、ましてや初体験を奪ったんだ。告げないつもりは一切無い。
「お前が好きだから。」
俺の告白を聞いた瞬間、ハッチンの目が点になる。
「俺、ハッチンが好きだ!」
俺はもう一度ハッチンの両肩を掴み真剣な眼差しで想いをぶつける。
「……ふぁ!?」
ハッチンはしばらく硬直していたが、徐々に状況を理解してきたのか先程よりも顔を赤く染め上げる。
「な、ななな…ふぁ、え、ま、まじで!?」
「本当だ。」
「ふぁ……え、そっそりゃ…お、オレだってヤスのこと好きだけどよぉ!!」
ハッチンは照れ隠しなのかやけくそで告白する。ハッチンの気持ちにはなんとなく気づいていた。わざわざ俺に合わせて甘さ控えめな仕様のチョコを作ってくれたくらいだったから。
「知ってる。なぁ、まだいるよな?」
「ふぁっ!?まだあんの!?」
再び飴玉の瓶をポケットから取り出すと顔を真っ赤にしてたじろぐハッチン。飴玉で膨らんだ頬がかわいい。
「お前はチョコ6個くれたからちゃんと18個用意してきた。全部口移しで渡してやるよ。」
「多っ、ふぁー!!もういい腹いっぱいだ!その飴だけ寄越しやがれ!」
「んなっ…うぜぇ!飴だけ渡したら自分で食ったりダチに配ったりすんだろ!させねぇよ!」
「んなこと、すっかよ!」
「あっ」
俺は力ずくでハッチンの手首を押さえつけ、瓶を持った手を背後に伸ばし守っていたものの、ハッチンに瓶を分捕られてしまう。
「ヤスから貰って嬉しかったプレゼント、簡単に誰かにあげたりしねぇよ!」
「っ!……ふっ、そうかよ。」
飴の瓶を大事そうに抱えたハッチンの言葉を聞いて嬉しさが込み上げて思わず口角が上がる。俺の反応を見て口を滑らせたことに気づいたのかハッチンの顔はさらに赤みを増した。
「ふぁ…ふぁあっ違っ今の忘れろ!」
「断る。」
「ふぁああ!?」
「とにかくいま口に入ってんの舐めきれ。話はそれからだ。」
「ふぁ………」
ハッチンの不自然に膨らんだ頬を指差すと、ハッチンは恥ずかしくなったのか目を泳がせ大人しくなる。ハッチンは口の中の飴玉を舌で転がしながら少しずつ溶かす。俺はその様子を眺めながら握る箇所をハッチンの手首から手に移動させる。
「…つか手、離せよ。」
「離したら逃げるだろ。」
「…にっ逃げ、ねぇし。」
「嘘つくんじゃねえ。」
「ふぁ……」
どもりながら退こうとしたので逃がすまいと俺が握る力を強めるとハッチンの身体が小さく跳ねる。
「…ハッチン、俺言ったよな?『ちゃんと返すから、覚悟してろよ。』って。」
「……」
あの時ハッチンからチョコレートを受け取ったとき、確かにそう告げた。無言で頷いたハッチンも俺の言葉をしっかりと覚えていたようだ。
「だから、腹決めろよ。要らねぇも、あげなきゃよかったも、ぜってぇ言わせねぇくらい満足させるから。」
「っ……」
俺が言い終わると同時にハッチンは黙ったまま俯いた。表情は見えないが俺の手を振り解こうとはしない。それどころかハッチンは俺の手を強く握り返してくる。拒む気配がないこの反応が答えといってもいいだろう。
「ハッチン……」
「………………ヤス。」
名前を呼んで顔を近付けると、ハッチンはゆっくり顔を上げ俺に呼びかける。一瞬揺れて潤むハッチンの瞳に吸い込まれそうになる。
「なに。」
返事をするとハッチンは小さく深呼吸をして言葉を紡いだ。
「舐めきった、から……もっと、よこせよ。」
「……っ、言われなくても。」
蜂蜜のように甘い誘いに、俺はすぐに応えた。差し出された瓶を受け取ると瓶の中身を1つ口に入れ、再び目を閉じて待つハッチンの唇に口づけをする。
昼休み終了を報せる予鈴のチャイムは二人の耳に入らなかった。