まずは一手 昼下がりのナックルシティ。ジムリーダーになって一年とちょっと。自分に割り振られた仕事をなんとか回せるようになってきたキバナは、最近になって漸く入ることを許された宝物庫内の書庫に昼休憩はもっぱら入り浸っていた。保存の観点から外に全く出される事のない書庫は、知的好奇心が強いキバナにとっては大分豪華なオモチャ箱のようなものだった。
「(今日は午後から休みだし、入室許可も取った。絶対閉まるギリギリまで入り浸ってやる!)」
少し浮き足だった歩みで書庫の扉を開け、少し埃っぽい空気を吸い込む。この、何とも言えない紙とインクの香りがキバナは大好きだった。
ナックルジムの書庫は少し不思議な形をしている。吹き抜け式の円柱型の室内には螺旋階段がぐるりとドラゴンの体のように巻き付いている。その螺旋に沿って壁に本棚が埋め込まれている。光を最低限取り込む為に作られた丸い天窓には、月と太陽をモチーフにしたステンドグラスが嵌められており、外の光を透かして淡い彩光を放っている。
不思議と背筋がすっと伸びる気持ちで、キバナは螺旋階段を歩く。
「(この前読んだナックルシティ風土記。面白かったな)」
全部で十数巻にもなる分厚い風土記は、古い言葉回しを読み解くのに時間が掛かる。だが、当時生きていた人達の生活を側で覗いているような気持ちになってワクワクする。
読みたい本のタイトルを頭に並べながら足を進めていくと、予想外な人物の後ろ姿を見つけて足を止める。ただキバナはそれが本当に彼女であるのか、いまいち自信が持てなかった。
「……ダンデ?」
キバナの声に、ふわりと柔らかなライラック色の髪が驚いたように跳ねる。慌てたように振り返った姿はやはりキバナの予想通りの人物だった。
「キバナ?」
彼女のトレードマークであるマントは無く、その代わりに纏っている白いシフォンワンピースは、裾に向かって幾重にも薄いレース生地が重ねられているようで、ダンデの動きに合わせて踊るように広がる。いつもは帽子に押し込められても元気に跳ね回っている髪も、ハーフアップにされて紺色のベルベットリボンで纏められ、サイドは緩く編み込みもされている。足元には白のスポーツシューズではなく、つま先部分に髪と同じようなリボンとクリーム色のパールを散らしたローヒールに包まれている。
「…どうした?」
「い、いや。珍しい格好してるなと」
素直な感想を声にすると、何故かダンデはムッとした表情になる。リップも塗っているのか、いつもよりつやりとした唇を突き出している彼女の仕草に、キバナは意味も分からず心臓がミミロップのそらをとぶよりも高く跳ねた気がした。ちゃんと自分の心臓が体の中に残っているのかを確認する為に胸の上に手を置く。心臓は変わらずそこにあった。
「…どうせ、柄じゃないって思ってるんだろ」
「それはない!かっ可愛いと思う!」
「えっ?」
くしゃっと表情を曇らせていくダンデに、慌ててキバナが勢いよく伝えると、俯きかけた顔が上へと上がる。
「ほんとか?可愛いか?」
さっきまでの不機嫌は何処へやら。いつものようにニッと歯を見せながら笑う姿すら何だかキラキラと輝いて見えて、キバナは自分が赤面が分かりにくくて良かったな。なんてよく分からないことを考える。
「この前読んだ本に出てくるお姫様みたいだったから、驚いた」
「そ、そんなにか?」
お姫様。思ってもなかった言葉だったのか少し恥ずかしそうに服の裾を指でつまみながらキバナの前でご機嫌そうにはにかむ。
かわいい。なんか、スゴクカワイイ。
目の前にいるのはいつもバトルフィールドで鎬を削り合うライバルだ。女の子ってことは頭の中で分かっていたつもりだったが、普段は特に気にした事もなかった。砂まみれに泥まみれになってゲラゲラ笑う姿だって、ランチのピザをホシガリスみたいにほっぺをパンパンにしながら食べ、未成年対象の勉強会では涎を垂らして居眠りしてる姿だって知ってる。
でも、今自分の目の前で目まぐるしく表情を変える姿を見て、今まで見てきた彼女の姿も不思議と全部、リバーシの石のように「可愛い」へとパチパチ裏返っていく。
「実は、この格好をキバナに見せたくてナックルジムに寄ったんだ…キミにそう言ってもらえて嬉しいぜ」
迷子になって半分諦めていたけど、なんとか会えて良かった。気恥ずかしそうに頭一つ分小さな位置から琥珀が見上げてくる。
素晴らしいトドメだった。急所に当たった。キバナは、最後に抵抗していた一枚の石が盤面で軽快に全部裏返った事実を、潔く受け入れる。
「…じゃあ、一緒にお茶でもどうでしょう?お姫様」
グローブをしていない、少しささくれた指先を掬い上げて騎士の真似事をするとピャッとこねこポケモンのように毛を逆立てる。それすらも可愛らしくてもうどうしようもない。
そうしてキバナは初恋を知るのだった。