これから一緒に寒い冬の日だった。吐く息は真っ白だが、それすらもすぐ景色に飲み込まれてしまうような時間。ダンデは1人、舗装もされていない道を歩いていた。耳に聞こえてくるのは自分の呼吸音と地面を踏み締める音。そして草むらや岩の隙間から聞こえてくる生きているものの音。
目的地があるのかと言われたら特に無い。暗い景色を見ながら、ダンデは歩いていく。
『酷い試合。』
『一方的で見ていて辛かった。』
『あんなものが放映までされたらもうトレーナーとして立ち直れないだろう。』
そんな言葉が耳に入ってきたのは、試合が終わり、インタビューを受けるために廊下を移動している時だった。廊下の先、スタッフか、取材に来ていたテレビ局のクルー達だろうか。どちらにしてもダンデのやることは変わらない。
態と足音を大きくして先に進むと、ダンデに気がついた声の主達はびくりと肩を揺らし、途端気まずそうに下を向いてダンデが通り過ぎるまで沈黙していた。
今日のようにチャンピオンとして他地方のトレーナーとのエキシビションマッチをすることは多い。ダンデはどんな相手にも全力で戦う。それはトレーナーとして相棒であるヒトカゲと出会った時から決めていることだった。それは相手への最大の敬意でもあり、自分にとっての誇りだ。あんな面と向かって意見を言えないような人達に言われた言葉で自分が揺らいでしまったら、それこそ戦った相手に失礼だ。
『ありがとうございました…鍛え直してきます。』
そう、試合後に握手した同じ年頃か、若しくは少し歳上のトレーナーは、汗と土埃にまみれた顔を悔しそうに歪ませつつも目の中の炎は消えていなかった。そうダンデは感じていた。
歩き続けていくと、景色が開けてワイルドエリアの様子がよく見えた。ポツリ、ポツリと見える灯りはキャンプのものだろうか。いつの間にかなだらかな丘の上まで来たらしいと気づいたダンデは、暫く景色を眺めた後、背負っていたリュックの中から折り畳みの小型椅子と、テーブル。その上に小さな簡易コンロを置いた。
「リザードン。」
名前を呼んだだけでも理由を心得ているのだろう。ボールから出た彼はダンデの近くにどかりと座るとそのまま丸まって待機し始めた。これで下手な野生ポケモンは近寄ってこないだろう。
リュックを漁って簡易コンロの上にメスティンを乗せる。おいしい水を中に入れてコンロに火をつける。
そこで漸く背もたれへと寄りかかり、ダンデは長く息を吐いた。ぼんやりと丘の下に広がる人やポケモン達の姿を目に映す。
沸々と湯気が出始めたメスティンを掴み、コーヒー粉を入れたチタンマグへと中身を注いでいく。
「ほら。」
熱いコーヒーを吐息で冷ましつつ、ダンデの横で座っている相棒へリュックに常備しているドライフルーツを手渡すと、嬉しそうに一声鳴いた。
その時だった。
ピクリと片羽を持ち上げながらリザードンが顔を上げる。その様子にダンデも同じ方向を見上げるが、何も見えなかった。
微かに澄んだ鈴のような音が聞こえ始め、やがてそれが羽音だと気づいた時、まさかという思いと少しの期待で胸が高鳴った。
「やっぱり!ダンデじゃん!」
「キバナ!」
ジム指定のベンチコートにマフラー、耳当てと在らん限りの防寒対策をした男は、ヒラリとダンデの側に降りてきて、我が物顔でダンデのリュックを漁りスペアのカップと椅子、ドライフルーツを取り出していそいそと簡易コンロの前に陣取る。
「いや、深夜の巡回の後でまじ寒かったから助かったわ!ラッキー。」
「君なぁ。」
慣れた手つきでドライフルーツをナイフで削ぎ、カランコロンとマグの中へ入れた後コンロの火を戻してお湯を沸かす。その小さな火で暖をとりながらキバナはニンマリと笑った。
「ん。」
「…。」
掌を差し出してくるキバナに空のカップを渡すと、そちらにも彼はドライフルーツを入れる。
「今日も朝日か。」
「まあ…じゃあ朝日で。」
じゃあってなんだよ!なんて言いながらも深くは突っ込んでこない男の心遣いに感謝しつつ、ダンデはもう一度背もたれに体を預けた。自分でもこの胸の中に居座るやるせない気持ちをどうしたら良いのか分からないのだ。分からないから毎回歩き回る。そして見晴らしの良い場所で座り、朝日を浴びる。そうすると気持ちがリセットされるような気持ちになれるから。
その不思議なルーティンに時々現れるようになったのがキバナだ。
朝日が登るまでの間。簡単なフルーツティーと少しばかりのお喋り。そして。
「ん。」
フルーツティーを渡される時に彼からされる額へのキス。最初の頃は驚きもしたが、「おまじない」と優しく笑われてされるそれは思いの外心地良く、結局今も続いている。ズリズリと椅子を動かしてキバナはダンデの横に移動し、そのまま特に何か言うわけでもなく静かに紅茶を飲み始めた。
やがて地平線の端が少しずつ、まるでレースのカーテンが広がるように明るくなってきた。
「ダンデ。」
「ん。」
「おまじないじゃ無いキスして良い?」
「…いい。」
横にいる男の瞳を覗くと、耳まで赤くした男が驚いたように、でも嬉しそうに瞳を大きくして破顔した。朝日が反射してまるで宝石のように輝いているその瞳の色をもっと近くで見たくて、ダンデは自分から初めてキスをした。おまじないではない、自分の思いを込めたキスをした。