Let's hold hands!「あ、チャンピオンだ!」
「チャンピオン!」
「何かイベントでもあったっけ?」
困った。
俺は、大きな街の真ん中で冷や汗を掻きながら、どうしてこんなことになったのかをひたすらに考えていた。
今日は午前中にシュートでのチャリティイベントに参加した。午後はスポンサーの会社が行うガーデンパーティへの参加が予定されていたが、そちらが主催者側の事情でのキャンセルとなったので、突発的に午後は丸々オフとなった。予定されていた休みより、こういうイレギュラーな休みって得な感じがして俺は好きだ。せっかくだから前々から欲しいと思っていた物を買おうと意気込み、勢いのままユニフォームで飛び出した。自分なりに人目が少ない道を探しながら、地図アプリと睨めっこ。しかし、俺の努力も虚しくうっかり路地から大きな通りへと出てしまった。途端に集まるキラキラとした眼差しの人、人、人。応援してくれる人達の期待の眼差しを裏切ることはできず、突発的に始まってしまったファンサービス。握手に写真、サイン。もみくちゃにこそされないけれど、このままだと行きたい場所に行けないまま休みが終わってしまう。顔には出せないが内心焦りつつも笑顔は崩さず対応する。人混みは消えるどころが増えていく。どうしたものかと困っていると、人混みの奥から良く通る声が聞こえて来た。
「すみません!通して貰えます?!」
「キバナ!!」
人混みからひょこりと片腕を上げながら出て来たのはキバナだった。チャンピオンに加えて最近ジムリーダーとして注目され始めている彼が来たことで、周りからは歓声があがる。ついでに黄色い悲鳴も聞こえて来た。オフなのかいつものトレードマークであるバンダナは外され、髪を下ろした彼は服装もいつものナックルユニフォームでは無く、ブラックとアイボリー色の大きめのパーカーになんだかシュッとしたズボンを着ている。あまり見かけない格好のキバナを見て、そのかっこよさにドキリと胸が高鳴る。
「お前、ローズさんが次のスケジュール間に合わないって探してたぞ!案内するから行こうぜ!」
「えっ?!次?」
「ほら、こっち!すみません!次の予定あるのでチャンピオンのファンサービスはここで終わり!次は是非スタジアムに来てな!」
周りを解散させるよう、そう叫びながらキバナは俺の手を掴み大通りから路地へと足早に歩き始めた。流石に仕事の邪魔をしたくは無いからか、ファン達もわらわらと左右に分かれて俺達を通してくれた。そのことにホッとする間もなく、俺は大混乱に陥った。
「(手、握ってる!大きい!冷たい!)」
なんでこんなにパニックになっているのかだって?そんなのキバナが好きだからに決まってるじゃないか!
初めてバトルをして目と目が合った時に、頭の奥からバチバチと響き渡った雷みたいな衝撃は、自分の心の中「恋」というものを一気にキバナの形に焼き付けていった。そこからは、彼とライバルとして色々な場でバトルをしてきた。何とか好きな事を伝えたいと思いつつも、会う機会があるのは仕事の時だけだ。連絡先も知らないし、バトルの時は控え室も違う。取材や撮影などでも俺が多忙な身だ。中々時間を取って話すこともできず、距離を縮められずにもう二年。
二年!二年だぞ!
それなのに、なぜか今良く分からないけれど手を繋いで一緒に歩いている。次のスケジュールができた事は残念だが、ローズさんの所までキバナと手を繋げるだけでも全てがチャラだ。それくらい嬉しい。
ドキドキしたまま右へ左へ歩く。何か話しかけてみようとするが、キバナと仕事以外で話したことなど無かったので結局無言で歩くことになってしまう。キバナも同じなのか、何も話さない。気まずい沈黙が流れたまま辿り着いた先は、古びた小さな煉瓦造りの家だった。焦茶色の壁に覆われているその建物は、壁の半分が蔦に覆われており、まるで昔読んだ絵本の魔法使いの家みたいだ。入口の木の扉にある小さな「OPEN」のプレートを見て、初めてここが何かの店であることに気づいた。まだ、手は繋がれたままだ。
「キバナ?ローズ委員長は?次の予定って…」
「えっ?あれ嘘に決まってんじゃん」
「はぁ!う、嘘ぉ?!」
「だって、あぁでも言わなきゃお前ずっと囲まれてたじゃん」
「それはそうだけど…」
キバナは戸惑う俺なんてそっちのけで扉を開き、繋いだ手を引いて俺にも入ってくるよう促す。
「……わぁ!」
白を基調とした壁には色とりどりのドライフラワーで作られたリースや花束が所狭しと飾られ、置かれている丸テーブルも壁と同じ白。天板に壁の花と同じように色とりどりのタイルがはめ込まれていて、床には様々な柄の木が組み合わされて敷かれており、不思議な模様を描いている。とても綺麗で不思議な空間に思わずぱかりと口を開けたまま見渡していると、クスクスと笑い声が隣から聞こえてきた。ハッとして隣を見ると、キバナがそれはもうおかしそうに空いている方の手のひらで口元を隠しながら笑っていた。
笑われたことに気づいて途端に恥ずかしさが生まれ、顔が赤くなってしまったの隠そうと思わず繋がれていた手を離して両手で帽子のツバを思いっきり下げて顔を隠す。手を離してしまうのは惜しかったが、この真っ赤になった顔を見られる方が嫌だった。
「くっ…ごめんごめん、あんまりにも大口開けて突っ立ってるから…くくっ」
「わっ笑わないでくれよ!もう!」
ツンっと顔を逸らして不機嫌な事を表現すると「ごめんって」と全く反省していないような半笑いの謝罪と共に俺の顔を覗き込もうとしてくるので、ムキになって体ごと後ろに逸らす。それを見てキバナも動く。逸らす、動く、逸らす、動く…。
二周ほどそれをした辺りで、キバナがフェイントをかけてきてパチリと音がしそうなくらいガッツリと目があってしまい、何だかそれが面白くて二人同時に吹き出して笑い出してしまった。店に入るまでの気まずさは何だったのか。
暫く笑い合っていると、店の奥から「そろそろ座って貰えるかね?」と笑いを堪えた初老の店主が控えめに声を掛けてきて、今度は二人揃って顔をカジッチュみたいに真っ赤にした。
「ここ、オレさまのお気に入りの店なんだ」
街の奥まった場所にあって、店主の趣味の店なので不定期営業。席同士は適度に離れており、奥には観葉植物のプランターによって隔てられた半個室のような席もある。静かに過ごしたい時などは、店主に営業しているのかを確認してから来店していることを、この店オススメのクリームティーセットの紅茶をゆっくり飲みながら、楽しそうにキバナは話してくれた。俺もキバナの真似をしてなるべくゆっくりと飲んでみる。なるほど、ゆっくり飲むといつもより良い香りがする…ような気がする。ちょっとだけ。
「そんな大切な場所、俺に教えてよかったのか?」
「別にダンデなら良いよ。それに、どうせ教えたってお前一人だと絶対辿り着けないじゃん」
前半の言葉に胸を飛び跳ねさせたのが間違いだった。後半がきっと本当の理由だろう。唇を尖らせてキバナの分のスコーンも鷲掴みにして口に詰め込むと、抗議の声が上がったが知った事ではない。俺の恋心を弄んだ罰だ。可哀想に。傷心の恋心は心の隅で膝を抱えてさめざめと泣いている。それでも、昨日までは挨拶以外殆どしたこと無かったキバナと、何と色々飛び越えてカフェで一緒にお茶してるなんて…まるでデートみたいな状況に浮かれているのも事実だ。
「そういえば、ダンデは何であんなとこでウロウロしてたんだ?」
「実は、弟がもう少しで誕生日なんだ。そのプレゼントを買いたいなって思ってたんだけど…その」
「道に迷ってあの大通りに出ちゃったと」
「うん…せっかくオフになったのだからいつもの通販サイトからじゃなくて、お店でじっくり選びたかったんだが…」
忙しくて直接会える時間が少ない分、贈り物は目一杯気持ちを込めて渡したかったのでとても悔しい。この時ほど自分の方向音痴が情けないと思ったことは無い。
「あ、あのさ。じゃあさ、これから一緒に買いに行かない?」
「えっ?」
「お、オレさまも実は母さんの誕生日が近くてさ。ダンデさえ良ければだけどもしよかったら一緒にどう?」
キバナの言葉に俺の恋心は飛び上がってガッツポーズをとって踊り出した。我ながらチョロすぎるだろう。
「やっぱりダメ?」
「ダメじゃない!俺も行きたい!」
ちょっと声が裏返ってしまったが、キバナの気が変わらないように半分席から腰を浮かせながら食い気味に返すと、キバナは嬉しそうに笑った。
「やった!じゃ、これからオレさまとデートだな!」
「(でっ…デート!!!?)」
「デート」という三文字で俺の心臓はドキドキと跳ね回る。キバナはそんな深い意味もなく言ったのかもしれないが、俺にとっては夢にまで見た言葉だ。あまりの嬉しさにもう恋心は頭の中で大喜びで駆け回っている。俺もできるなら今すぐ叫びながら走り回りたい。
「じゃ、行こっか」
なんて、当たり前のように来た時と同じように俺の手を握って歩き出すキバナに、俺はただ顔を真っ赤にしながら黙って着いていく事しかできなかった。でも、嬉しい気持ちは伝えたくて、握ってくれた手をキュッと力を込めて握り返す。そうすると振り返りはしないものの、キバナもキュッと同じように手を握り返してくれた。それが嬉しくて俺は思わず満面の笑みになった。
行きと同じようにお互い何も喋らずに手を繋いで歩くが、俺はもうその沈黙を不思議と気まずく感じることは無かった。