溶け込む愛の形 電気の消された薄暗い部屋の中、遮光性の高いカーテンが閉められたせいで、今が朝なのか夜なのかも分からない。そんな部屋に置かれたベッドの中、乾いた咳が響き渡る。
「ゲホッ…」
ライラック色の髪の毛をぐしゃぐしゃにしながらゴロリと寝返りを打ち、ダンデはなんとか眠りに沈もうとするが、咳と熱でそれも難しい。繰り返す咳と、ゼエゼエと聞こえる呼吸音だけが響く。
「ダンデ、寝てる…?」
「ッゲホ……キバナ」
「あ、起き上がらなくて良いって」
なんとか朦朧とする意識でも起きあがろうとしてくるダンデを慌てて止めながらキバナは慌てて部屋の中に入ってくる。
「…今、何時…ゴホゴホッ…」
「ほら、無理に喋るなって…。やっぱりもう溶けてたか。ちょっとだけ頭ごめんな」
「……」
ひんやりとした物が頭の後ろに差し込まれ、その冷たさにダンデはホッと息を吐く。
ついでに具合を確かめるように大きな手のひらが額に乗せられ、その冷たさが氷枕よりも心地よく、擦り寄る。
「まだ熱いなぁ。あんまり熱下がらないようなら後で解熱剤飲もうな」
「あれは苦いから…嫌だぜ」
「はいダメでーす。そうならない為にも、せめて何か腹に入れて風邪薬飲もうな」
「すまないが…今食欲は…。」
「大丈夫、そうだろうと思ってとっておき準備するから…ちょっとだけ待ってて」
額に乗せられた手のひらがスルリと無くなり、少しだけ寂しさを感じる。
パタリと扉が閉じる音が響き、そこからはまた静寂が耳に響く。
本当は、今日は付き合って初めてのバレンタインデーだった。忙しい仕事を何とかやりくりしてやっとの思いで休みを擦り合わせたのに。せっかくのイベントだからと、張り切りすぎて中々寝付けず、休みを取る為に仕事を詰め込んだツケもあり、今こうしてダンデはベッドの上に力無く転がることになっている。
本当だったら今日は一緒に前からキバナが行きたがっていたカフェのチョコレートケーキを一緒に食べに行く予定だった。色々疎いなりに準備も進めたのに。子どもみたいに浮かれた結果がこんなだなんて情けなさすぎる。そんな自分の為に、キバナは甲斐甲斐しく休みを潰してまで看病をしてくれている。
「(せっかくの「恋人らしい」イベントだったのに……)」
ダンデはあまりの悔しさと情けなさに、ちょっとだけ視界を滲ませながら掛け布団を頭まですっぽりとかけてキバナの帰りを待った。
トントン
暫くすると、部屋の扉がキバナの控えめなノックと共に開けられる。扉が開くと同時に甘くて良い香りが部屋を満たす。その香りがとても魅惑的で、ダンデはひょこりと布団から顔を出す。どうやらそれは、お盆に乗せられたマグカップから漂ってきているらしい。
キバナは、一旦それをベッドのサイドテーブルへ置いた後、ベッドの横へと膝立ちになり、上手く力の入らないダンデの体を抱き起こし、クッションで背中に支えを作る。体勢が変わった事でダンデが何度か咳き込むが、優しく背中を撫ぜられると苦しそうなそれも治ってきた。そのタイミングを見計らって甘い香りのカップを手渡す。
「ほら、熱いから気をつけてな。」
「ありがとう……ココアか?」
「いや、ホットチョコレートだよ」
「…チョコレート」
「そ。せっかくのバレンタインデーだしな。ダンデにちょっとでもイベント気分味わってもらおうかなって」
「…せっかく初めてのバレンタインが、こんなことになってすまない」
「ふふっ……」
眉をこれでもかと下げて、落ち込んだ声で話すダンデにキバナは何故か、ダンデの前髪を撫で付けながら楽しそうに笑う。何故イベントを潰されてしまったのに楽しそうにするのか、と不思議そうな顔をして首を傾げるダンデの頬に、軽くキスをしながらキバナは蕩けるように笑う。
「オレさま、そんなふうにダンデがバレンタインデーを楽しみにしてくれていた事が分かっただけで大満足」
「君は…俺を甘やかしすぎなんじゃないか?」
「そんな事ないって。ほら、せっかく温かいのが冷めちまう」
「うん……美味い。ちょっとだけ…後味がほろ苦いな」
「まあ、大人な味ってやつ…どう?飲めそう?」
「あったかい…。大丈夫そうだ」
「なら、それをしっかり飲んで寝ちまえ。オレさまの愛がたっぷり入ってるから効果抜群だぜ?」
パチンと茶化すように大袈裟なウィンクをしながらそう伝えられ、ダンデも漸く顔を綻ばせる。両手でカップを持ちながらゆっくりと飲み進める。その間も、キバナはゆったりとダンデの背中を撫ぜる。その手のひらの温度と、優しい手付きに少しずつ瞼が下がり始める。いつの間にか、ダンデの手のひらにあったはずのカップは消え、殊更優しくベッドへと寝かせられる。
「おやすみ、いい夢を」
その言葉に返答は無く、先程よりも穏やかな息遣いだけが聞こえてきた。
「リザードン、ダンデは眠ったよ」
「ばきゅ……」
「大丈夫、薬も飲めたから」
人よりも耳が良いポケモン達は、ずっと苦しそうにしていた主人を心配して、朝からウロウロしっぱなしであったので、キバナは自分の手持ち達と一緒に宥めながら一日を過ごしていた。
キバナは、そんな彼らを空いた片手で宥めながら中身の無くなったカップを見る。実は、ダンデが薬を飲むことを極端に嫌がることを知っているキバナは、ホットチョコレートに愛情という名の、とてつもなく苦い漢方薬を溶かし込んでいた。効果は折り紙つきだが、以前一度トライしたダンデは盛大にむせ返った挙句「もう二度と飲まないぜ!」と大騒ぎしたこともあった薬だった。子供騙しの方法ではあったが、上手く飲ませられたことにホッとする。ちょっとバレかけたから、次やる時はチョコアイスに混ぜよう。そんな事を思いながら暗い廊下をなるべく足音を立てないように歩く。
空いたカップを流し台へ置き、リビングへ。対面式のキッチンからは、リビングの様子がよく見える。
そこから見えるローテーブルの上には、たくさんの付箋がついたバレンタインの特集記事の雑誌。綺麗に包装された箱の入った紙袋。キバナが行きたいと言っていたカフェについて、ダンデが調べたであろうメモ書き。そんなキバナに対しての「愛」が溢れているテーブルの上を眺めて、キバナは自然と口角が上がる。
「ヘイロトム」
ロトムを胸ポケットから呼び、キバナはその愛の塊へとフォーカスを合わせる。風邪が治ったら思いっきり甘やかして、ホワイトデーには、ダンデが受け止めきれないくらいの愛を返そう。
そう、暖かな日差しが差し込むリビングで静かに笑うのだった。