その流れ星さえも欲しい ハネムーン。その言葉を聞いて、ガラルに住んでいる人ならば大抵はアローラ、パルデア…少し遠いけれどジョウト辺りなどを候補に挙げてくる事が多い。キバナも例に漏れず、ダンデとの待ちに待ったハネムーン休暇をどこで過ごそうかと、こっそり雑誌やネットで情報を見ながら考えていたのだが。
『キミとワイルドエリアを一緒に冒険してみたい。』
なんて、ハネムーンの場所の打診をした時に、愛しいパートナーからキラキラとした顔で言われてしまえば、キバナはそれまで読んでいた雑誌なんて即座にリサイクルポスト用のボックスに放り込んだし、スマホのブックマークも消去し、首を縦に振っていた。休暇申請をジムに提出した際、リョウタは眼鏡がズレるくらい驚いていたし、ダンデの秘書からは「本当にこの申請場所で合ってます?」という確認の電話が来たが、「合ってるんだなこれが。」としか返せなかった。
動きやすいトレッキングシューズに道具を詰め込んだ大きめのリュック。腰にはしっかり相棒達のボールホルダーを装着して、子どもの頃以来となる自転車に乗って2人一緒にワイルドエリア駅の前へと並び立つ。
「…ワクワクするな。」
「めっちゃテンション上がってるじゃん。ロトム!」
「お任せするロー!」
パシャリと一枚、思い出を形に。ダンデが場所を決めた代わりに、キバナは「たくさん写真を残したい」という希望を伝えている。この日の為にメモリも増強済みだ。
「ずっと、ワイルドエリアをキミと一緒に冒険してみたいと思っていたんだ。凄い楽しみだぜ!」
「えっ?そうなの。バトルとかキャンプとかめっちゃ今までしてきたじゃん。」
「まあ、そうなんだが。そうじゃないんだ。」
なんだか答えになってるようななってないような返答に、キバナは何か特別な理由でもあるのかと、並び立つダンデの顔を見ようとしたが、キバナが首を動かすよりも、ダンデが自転車で走り出した方が速かった。
「しゃあ、見張り塔跡地まで競走だぜ!」
「そっちはミロカロ湖!」
もの凄い勢いで目的地と真反対へと走り出したダンデに、キバナは叫びながら自転車のペダルを思い切り踏み込んだのだった。
ハネムーン休暇は1週間。この休暇の為に2人で額を突き合わせ、地図をリビングの床一面に広げながら行程を考えた結果、「気の向くまま旅したい」というダンデの要望に答える形で、ワイルドエリア駅をスタート地点とし、途中エンジンシティで装備を整え直し、最後はナックルシティをゴール地点にするという、ざっくりとした旅となっている。
結局、でんこうせっかよろしく飛び出して行ったダンデは、しっかりバッチリと迷子になり、数十分後に何故か出発地点近くでもあるキバ湖の瞳の上で確保となった。
「おかしい。絶対あそこを通れば見張り塔跡地までの近道だったはずなのに…」
「まずは地図が読めるようになってから近道を考えろ。」
興味あるものに惹かれては道を外れるダンデの軌道修正しつつ、途中で木を揺らし、きのみを落としたり、巣穴に飛び込んでバトルをしたりしていればあっという間に夜の帳が下りてくる。
「さあ、ダーリンリクエストのキバナさま特製甘口ヴルストカレーだ!よく噛んで…待て待て!せめてもう少し噛み締めろ!乗せてるのいつものよりちょっと良いヴルストなんだからな!」
「ふまいぜ!」
全く聞く耳は持たずに、昼間に揺らした木の上から落ちてきたホシガリスのように頬をパンパンに膨らましながら、幸せそうにカレーを頬張るダンデを見て、キバナは「しょうがねぇな」と思わず笑ってしまった。あまりにも楽しそうに笑うものだから、文句を言われているダンデも何故だか楽しくなり、ニッカリと笑いながら飲み込むように皿を空にし、元気いっぱいおかわりを要求した。
食事が進んでくると、自然と会話も弾んでいくもので、ひと足先に食べ終えたポケモン達が、ポケボールを追いかけながらはしゃぐ声をBGMに、今日1日の事を2人で振り返る。
「橋の所にいたカビゴン、オレさま子どもの頃も見たような気がする。」
「キバナもそう思ったか?オレもジムチャレンジした時に見かけたぜ、あのカビゴン。多分あそこが縄張りの主なんじゃ無いかってその時ソニアが言ってたような気がする。」
「主か。あのでっけぇイワークみたいな?」
「そう!多分な。そういえばオレ、あのイワークにワイルドエリアに来て早々挑んでコテンパンにされたことあるぜ。」
「マジかよ!まあ…オレさまもだけど。初心者の通過儀礼だって駅の人に笑われながらげんきのかけら分けて貰ったな。」
「そうなのか!オレは、ソニアに怒られながらげんきのかけらを貰ったんだ。」
「へぇ。」
キバナは、そこまで会話のキャッチボールをしてきて、ダンデがジムチャレンジ時代の話をする時に、何故だかいつもよりはしゃいでるように声を出すので、不思議に思った。
「…なんか、オレさまが子どもの時の話するとやけに嬉しそうだなお前。」
「えっと。うん、そうだな、う、嬉しい。」
そう、なんとなしに言った言葉を聞いて、何故かダンデはさっきまでの勢いが途端に萎み、ぎこちない返答をして、そこから押し黙ってしまった。
「まあ、お前とジムチャレンジの頃の話なんてしたこと無かったもんな。」
雰囲気を変えるように、キバナは軽い口調で話しながらとっておきのヴルストを齧る。ぷつりと皮が弾ける音と共にじゅわりと旨味の詰まった脂が口の中いっぱいに広がり、思わず破顔する。
「自分で言うのもなんだけど、今日のカレーめっちゃ美味いわ。」
「ああ!もの凄い美味しかったぜ。」
「じっくり味わって無いやつに言われたかねぇよ。」
「さっ!三杯目からはよく噛んだじゃないか!セーフだぜセーフ!」
「アウトだよ!」
そんな軽いじゃれあいをしているうちに、ダンデは少しずつ調子を取り戻したようで、キバナはホッとしつつも、小骨が喉に引っかかったままのような違和感を抱えながらスプーンを動かした。
「ほら、熱いから冷ましての…本当に熱いからな!」
「っあつ!」
「お前ねぇ…ほら、水。あと、やけどなおしも使っとくか。」
「いや、そこまでではないから大丈夫だ。ありがとう。」
食後、すっかりと腹が満たされた2人は、簡易チェアを並べ、焚き火の側に座りながら温かい紅茶を飲んでいた。
「予想はしていたけど、予定より少し遅れてるから明日は早起きしなきゃだな。」
「すまない。」
「謝んなよ。言ったろ、予想してたって。こっちのルート行けば巻き返せるはずだから大丈夫だって。」
「…ああ。」
それきり、はぜる木の音を聞きながら2人並んで焚き火を眺める。
「…ずっと聞きたかったことがあって。」
「ん?」
ふいに沈黙を破るように、ダンデは星空をそのままギュッと詰め込んだような瞳をキバナの方へと向けた。
「なんで、今回のハネムーンにオッケー出してくれたんだ?」
「なんでって…お前が行きたがってたから。」
「あんなに他の場所下調べしてたのにか。」
「気付いてたのかよ。」
「忘れたのか?先月のゴミ出し当番はオレだぜ。」
「ああ、なるほどね。」
雑誌、他の物の間に挟んでリサイクルに出すんじゃなくてバラバラにしてゴミ袋の方に入れてれば良かった。なんて今更な後悔を胸に抱くキバナだったが、別に探してたのはキバナが自分で勝手にしていたことだ。
「別に、場所は良いんだ。オレさま、ダンデと一緒の場所だったら何処だって楽しむ自信があるし。」
思った事をそのままスルリと口から出せば、ダンデは驚いたように目を見開き、そのままボロボロと涙を溢し始めた。
「っ?!ちょっと!どうした!なんか嫌だったか!?」
突然の事に、キバナはギョッとしてダンデの涙を指で拭うが、次から次へと溢れてくるそれは、全く止まる気配は無い。
「ごめんな!ちょっと待ってろ、タオル持ってくるから!」
そう言って、立ちあがろうとしたキバナの腕をダンデは掴みその場に留める。
「違うっ!ちがうんだ…!き、…きみっ…。」
「…大丈夫、待つから。」
掴まれた腕をそのままに、チェアに座り直し背中を摩ると、堰き止めようとしていた物がまた溢れてくる。次々と溢れてくるそれを見て、キバナは「流れ星が落ちているみたいだ」なんて場違いな事をずっと思っていた。
「オレ、君と恋人になってから…凄い我儘になってしまったんだ…君のこと、何でも知りたくなってしまうし、子どもの頃に一緒に旅をしてみたかったって思い始めたら、何故だか凄く悔しくなって…。」
結局、涙は中々止まることは無く、どうしたどうしたとポケモン達も遊ぶのをやめて遠巻きに2人の様子を伺い始めた頃、ダンデが途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「君がっ…楽しそうな顔をして雑誌やネットをこっそり見てるのを知っていたのに、自分の欲を優先してしまった…。」
自分が提案したハネムーンの場所が世間の状況から大いにズレている事は分かっていた。それでも、自分の欲に打ち負けてしまったことにずっと負い目を感じていたのだろう。そこにきて、キバナはダンデが時々様子がおかしくなっていた理由を察した。
そして、同時にとても。
とてもその我儘が愛しくなった。
未だに泣き続けているダンデの顔を片手を伸ばして自分の方へと向けると、目元にキスの雨を降らせ始める。そして、ついでと言わんばかりに舌で涙の跡を舐めとる。
突然の行為に目を白黒させて驚いたのはダンデの方だ。突然の事に、あれだけ溢れ出ていた涙も途端に引っ込んだ。
「涙、止まっちゃったな。」
「と、止まっちゃったぜ…。」
仕上げと言わんばかりに、最後もう一度目元へとキスをして笑うキバナに、ダンデはそれ以上言葉が出なかった。
「お前、自分が我儘だっていうけどさ。可愛いもんだよ。」
「えっ?」
「オレさまはさ、もっと我儘で強欲だぞ。」
「そうなのか?」
「そうそう、多分お前がドン引きするくらい…えっ聞きたいの?」
「そりゃあ、ここまで言って内緒は狡いぜ。」
君のこと、もっと聞きたい。
そう小さな声で呟かれ、おずおずとキバナの方を見つめてくる。そのおねだり顔に弱い事を自覚しているキバナは、深いため息を一つ吐くと、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「まず、お前の全部が欲しい。さっき溢してた涙だって正直地面に溢すのが勿体無いって思ってた。後、お前が誰かに笑いかける時、凄い嫉妬する。それに、お前のこと沢山知ってる研究所のねーちゃんにも、お前の家族にも…オレさまが知らないお前を知ってるの、凄い悔しい。」
誰かに向ける感情全て、自分のものにしたいと言ってるような「強欲」そのものとも言えるような言葉の数々に、流石のダンデも引いたかなと考えた。が、キバナの予想に反してダンデはボッと音が聞こえそうなくらい赤面し、口をコイキングのようにパクパクとさせ始めた。
「お前、ここでその反応は違くない?」
「…違くない。」
「良いの?お前の親にだって嫉妬してるのに。」
「…だって君、嫉妬してる以上に、みんなを愛してくれているじゃないか。」
「…まあ、そりゃあみんなのことは大好きだし。」
「それに、普段誰にでも温厚な君を嫉妬させているのがオレだと思ったら…なんだかとても…嬉しくて。」
「…そうかよ。」
オレ達、きっと似た物同士なんだな。
そう、ダンデが泣き腫らした顔をくしゃりとさせながら晴々とした様子で笑うのを見て、何だか堪らなくなったキバナは、ポロリと一粒だけ涙を溢した。
「あっ!勿体無い!」
「ちょっ!やめろって!勢いが凄い!顔に噛みつこうとするな!」
「良いだろう別に!ちょっとくらい齧っても!減らないだろう!」
「減るわ!」
さっきまでの空気感がぶち壊され、騒ぎ始めた主人達を見て、見守っていたポケモン達は「やれやれ」というようにボールの中へと入っていく。夜の見張りとして残ったリザードンとジュラルドンは、2人の様子を並んで眺める。その表情は呆れつつも嬉しそうだった。
「そろそろ、到着するってメッセージは来ていたんだけど。」
エンジンシティの裏手側の入口前。ジムチャレンジよろしくワイルドエリアを旅するなんて聞いたカブは、途中彼らがエンジンシティに寄る際、ファンに囲まれずに休めるようにと、ジムでの補給と休息を提案していた。せっかくならジムチャレンジみたいにジムリーダー3人で迎えましょうよ、なんてヤローが提案して、面白そうだと2人もそれに乗った形でこうして今日ここに並んでいる。
「それにしてもワイルドエリアでハネムーンなんて、信じられないわ。」
一生に一度なのに!と憤慨した声で言いつつも、彼女の顔が笑顔なのを見てヤローも笑いながら言葉を返す。
「まあまあルリナさん。キバナさん達らしいって言えばらしいですけどねぇ。」
遠くの草原を、風が吹き抜ける。ザアザアと流れるその音を聞きながら景色を眺めていると、やがてリュックを揺らしながら自転車を漕いでくる人影が2つ。賑やかな声を発しながら近づいてくる。
「あら、噂をすれば…ふふっ。」
「どこだい?…あぁ。」
「良いですねぇ。仲良しさんだわ。」
泥や草まみれ、汗だくになりつつも、まるで少年のように屈託のない笑顔を浮かべて手を振ってくる2人を見て、ルリナ達も手を振り返しながら笑うのだった。