今、君を想う「マスター、いつもの。」
「かしこまりました。」
バーカウンターの端へ座り、いつの頃からか名前を言わなくとも伝わるようになってしまった注文をしてから、ホッと一息吐く。
閉店間際とはいかないまでも、大分夜も遅い時間帯。元々カウンターと、数箇所の丸テーブルが置かれている駅からも離れたこじんまりとした店だ。店内にはダンデ以外人影もない。それを分かっているので、変装として被っていた帽子を取り、後ろで一纏めにしていた髪を解く。そのタイミングを待っていたかのように、シェイカーの音が止む。
「ブルーラグーン、お待たせ致しました。」
「ありがとう。」
トンっと、鏡のように丹念に磨き込まれたカウンターテーブルに置かれた空とも海とも言えないような色のカクテルを前に、ダンデは片肘をついて思考を巡らす。
「(今日も言えなかった…。)」
ダンデは最近、この言葉ばかり心の中で吐き出している。彼は今、絶賛片想い中だ。相手は長年ライバルとして切磋琢磨し続けている人物で。これが恋だと気付いた時には、彼とはライバル兼良き友として確固たる関係が出来上がってしまっていた。
「(好きだという、たった一言なのに、何であんなに口が重くなるんだ。)」
今日はまさに片思い中であるキバナとの久しぶりにプライベートでのフルバトル。互いに鎬を削り合うようなバトルの後、気持ちが昂っている今なら言えると意気込んで、帰り支度をしている彼に声を掛けた迄は良かったのだが。
「(どうにも、あの瞳を見てしまうと言葉が出なくなってしまう。)」
バトルコートで見る此方を焼き尽くさんばかりのギラついた瞳とは打って変わって、凪いだ湖面のような瞳を見てしまうと、自分の一言でその湖面が揺れて、彼との関係が壊れてしまったら。そんな事をぐるぐると考えてしまい、結局バトルのお礼を言って軽くランチを食べて解散するという、お決まりのコースになってしまった。
項垂れながらまだ一口も飲んでいないグラスの縁を、指先で弄ぶ。グラスの側面に水滴がつき始め、戯れに指で拭き取るとまるで涙のように水滴が一筋グラスに沿って流れ落ちる。
そろそろこの燻る気持ちごと、このカクテルを飲み込んでしまおうか。なんてちょっとだけマイナスな思考になっていると、ヒョイっと軽い動きで目の前のグラスが持ち上げられる。
「これ、飲まないなら頂戴。」
「えっ…きっ!キバナ!?」
「めっちゃ驚くじゃん。」
シュートで解散したから、とっくにナックルシティへと帰っていると思った人物と、こんなピンポイントな場所で出くわした事に驚き、ダンデは思わず大きな声を上げる。そんな様子を気にせず、良いとも悪いとも言っていないのにキバナはグラスを持ったままダンデの横の席に座り、メニュー表を指で軽やかに叩きながら「これ、お願いします」なんてマスターへと注文をしている。
「君、帰ったんじゃなかったのか。」
「ん、ちょっと最近機会を伺ってて。」
会話が成立しているようで、成立していない。何だか変な気持ちでキバナを見つめたダンデだったが、バーの間接照明によってキラキラと光る彼の瞳と目が合うと、やはりどうしても心臓がバクバクして上手く言葉が紡げない。
「はい、ダンデにはこれあげる。」
暫くして、出されたグラスをキバナに渡されてきょとりとすれば、キバナは目尻をこれでもかと下げながら嬉しそうに笑う。
「オレさまの気持ち。今度会う時覚悟しといて。」
グビリと一口で青が飲み込まれ、勢いに圧倒されている内にキバナはグラスをカウンターへと置き、マスターへとチェックをお願いしてさっさと帰ってしまった。チリンっと控えめなドアベルの音の余韻だけが店内に残る。
「…マスター、このカクテル名前は何というんだろうか。」
寡黙なマスターはグラスを磨く手を止め、暫く考えるそぶりをした後に、カウンター下からB5サイズ程の紙切れを一枚取り出してダンデの前に置いた。
「…カクテル…言葉?」
店のメニュー表と同じくカクテルの名前が羅列されたそれは、カクテルの名前の下に、見慣れないカクテル言葉という単語が並んでいる。
「レディ達には好評なんです。因みにそのカクテルは、『ライラ』です。」
「へぇ、そうなのか。」
はて、しかし何故それが今出てくるのだろうか。そんな顔をマスターに向かってしてみるが、彼は素知らぬ顔でグラス磨きを再開してしまった。仕方なく、ダンデは手元に置かれたメニュー表へと目を落とす。ズラッと並び立てられる言葉達を繁々と眺め、あるカクテルの場所でその目線はピタリと止まる。
「…えっ?」
暫く無言でメニューを眺めた後。ダンデはメニューと薄黄色した言葉の詰まったグラスを見比べ、そろりと口を付ける。
アルコールの熱が、バトルコートで見る彼の視線と同じように喉に焼き付いてきて、何故だかとてもむず痒い気持ちになったのだった。