序章オロルンの薄くなった隈をなでる。
相変わらず太陽が昇っても眠っているが、前とは違って夜も夢の中にいる。
それはオロルンの魂が少しづつ、夜神の国に帰っているためだった。
不安な魂を持つ彼はもともと先の長くない人生だったことは周知の事実で、本人もそれを悲観することなく生を謳歌していたが終わりは淡々と近づいてきていた。
旅人が天理との戦いに勝ち、交渉という形でカーンルイアの血にかけられた不死の呪縛を解いた。そのため、夜神と同一化していた役目も終わろうとしていた。
カピターノはそのまま夜神の国のルールに従って魂が輪廻する時を待つつもりだったが、死を迎えたわけではない魂はその流れに乗ることはできなかった。
それから夜神は一つの提案をした。英雄の褒賞として肉体の死が訪れるまで魂を変えそうと、五百年で負った傷は癒えることはないが人生を歩める時間は残っていると優しい声で送り出され、三度目のナタの地を踏むことになった。
目覚めた時、視線の先に息も絶え絶えなオロルンが双眼を見開いてカピターノのことを凝視していた。
「オロルン」
「?!っ!……た、隊長っ!……わっぁ!」
勢いよく駆けてきたオロルンは段差につまづいて、転けそうになる思わず歩み寄って支えると強い力で抱きしめてきた。
「……!ここに、ちゃんと隊長の魂があるんだ。」
鼻を啜る音がして、頭を撫でてやった。オロルンは心臓に耳を擦り付ける様に当てて魂を感じ取っている様だった。
オロルンは謎煙の者がよく見る予知夢をみて、カピターノの復活を知り真偽を確かめるためにオシカナタを駆け上がってきたらしい。
落ち着いた後に階段に腰掛けて話出したオロルンは記憶よりも饒舌で、緊張と興奮で指先が震えているのを必死に抑え込めている手が見えた。
一通り話し終えたオロルンは緊張が解けたようでカピターノの目を見て微笑むと胸元へ再度頭を預けて寝息を立て始めてしまった。
あれからまだ数年しか経ってないと聞いたが彼の少し幼いような行動が懐かしかった。完全に寝入ってしまったオロルンを小脇に抱えてオシカナタを下っていく。とりあえず彼を家に帰そうと謎煙の主の部族の方へ足を向けた。
ファトゥスでも無くなり、自由の身になったカピターノはこれからの変化を見守る為にナタに腰を下ろすことにした。
競技場の一室をマーヴィカから譲り受け、そこを拠点に生活を営んでいた。時折、尋ねてくる旅人やナタの人々から依頼を受け探索や討伐の依頼を受け、若人達に剣術を指南したり自分の身には余る英雄の老後だ。
その頃のオロルンは、変わらず植物と命に囲まれて独特な感性を持った青年だった。
時々訪ねてきては机を囲んで酒や食事を楽しんでシトラリへの苦労話を聞いたりして戦争中はあまり知ることのなかった彼の素の一面を良く感じた。
そんな彼自身は相変わらず迷子になった魂を導き、献身の名に相応しい能力を惜しみなくナタの地に注ぐ英雄でもあった。
ある日オロルンが、カピターノを訪ねてきた。自分だけでは探索に不安がある場所から魂の泣く声が聞こえると、そこへ赴くのに付き合ってほしいとのことだった。
目的地へ向かう道なりで、オロルンは最近シトラリに、魂を送り返すことをやんわりとやめる様に言われたと愚痴をこぼしていた、今更だが、あの頃から黒曜石の老婆はオロルンの魂の危うさが増していることに気づいていたのかもしれない。
いつも目線を合わせて話してくる彼が足元に視線を向けながら話しているのが、引け目を感じている様にも感じ取れた。
そしてオロルンの感覚を頼りに夜も更けた頃テコロアパン湾に近い島へ辿り着き、それから細波と明星が輝く穏やかな時間にイクトミ竜の魂が浅瀬で彷徨っているのを見つけた。
いつも通り魂を手順に沿って送り返している、朝日を浴びたオロルンは仮面の下で目を細めるほど輝いているように感じた。
そろそろ戻ろうかと呼びかけた時、海水の跳ねる盛大な音がオロルンが倒れ込んだことによってが鳴った。
咄嗟に彼を引き上げて、水を吐き出させると朧げに目を開けたかと思えばそのまま寝入ってしまった。
今回の探索はかなり神経を尖らせて魂を探していたから慣れない疲労が溜まり気を失うように眠ってしまったのかもしれない。最近、オロルンを運んでばかりいるなと思いながらまた目覚めた時と同じように彼の家まで送り届けた。
2日後、自室の扉を猛烈に叩く音でカピターノは目が覚めた。扉を開けるとそこには黒曜石の老婆がいて心底怒りを表した態度で「私の孫はどうしたのよ!!」と怒鳴られた。
話を聞くと昨日、いつものお守りをオロルン自身が貰いに行くと約束していたのに、こなかったらしい。隊長連れて魂を探しに行くとは聞いていたからまだ帰って来ないだけかと思っていたが、花翼の医者から昨日隊長を闘技場のマーケットで見たと聞いて、すっ飛んできたとのことだった。私の孫連れ込んでないでしょうね!と怒鳴り散らしていたので冷静に宥めて、
「オロルンは帰りに疲れて突然寝て、家に帰した。それからは会ってない。」と告げると目を大きく見開いて「……ウソでしょ」と小さく呟いて、慌てて部屋を出て走り去っていった。
彼女の様子を見て後を追いかけることにした。話を聞く彼女からは信じられないほどのスピードでオロルンの家の方まで向かって進んでいく。
2人でオロルンの家に着くと彼は寝かしつけた時と同じ体制で、肩まで掛けた謎煙の主独特の模様の織物が皺一つついていなかった。
シトラリは一呼吸置くとオロルンの眼の上に手を当てながら巫術を用いてゆっくりと夢から醒ました。
台所から水と何か食べるものを持ってくる様に言われて、トレーの上に乗せた水とケネパベリーをちまちまと摘む様子はまだ覚醒仕切ってはいない様だった。
食べる様子を見ながら彼女は、今のオロルンは寝てしまうと必ず誰かが夜神の国からこちら側に呼び戻す必要がある状況だと言う。眠りを深くさせない巫術を施すために必要な道具を取りに帰ると黒曜石の老婆は絶対にオロルンを眠らせない様にしてほしいと言って一旦自宅へと向かった。
2人だけになった部屋で、オロルンはポツポツと自分の魂が夜神の国にいることに違和感を感じなかったと話し始めた。「あの時彷徨っていたイクトミ竜は僕みたいだった」とも溢した。会話を続けていないといつでも眠りにつきそうな状態だったオロルンを寝かさまいといつもはあまり喋らない口で会話を続けた。
それから、カピターノは毎日オロルンを起こしにくる様になった。段々家にいつく時間が増え闘技場の自室に置いていた数少ない荷物までオロルンの家に持ってきて一緒に生活するようになった。
最初の頃は、早起きのカピターノに気を使って朝起きれる様に早めに寝ていたが、最近は日中のある程度の時間を過ごした後いつのまにか椅子の上で眠っていたり木陰で眠っていたり、眠りながら木にぶら下がっていたりするようになり、カピターノの生活リズムに合わせることをオロルンは申し訳なく思いながらも辞めざるえなかった。
日中よく寝た日は夜に起こして食事を摂らせたりして体力の回復としての睡眠と夜神の国へ渡りすぎないように調整しながらカピターノは世話を焼いた。
自分自身でも人生の中でこれほど人に手を焼いたことはなかったが、そばにいるオロルンの魂が少しづつ溶けていくことを放って置けるほど非情な心を持ち合わせてはいない。
正しく魂が帰るべき場所へと行くのを見届けなければいけなかった。
そんなオロルンにも月に数日全く眠らない日があり、彼曰く夜がこちらを向いている時間だからだそうだ。
その日はオロルンが力を入れて夜食を準備して酒を解禁し小さな晩餐会がはじまる。
半年ほどそんな生活が続いた。
◇◇◇
今日はとっておきの大根の収穫日で、隊長と一緒に取った野菜たちをイファやシトラリに配るように仕分けていた。
最近の隊長は家や畑だと仮面を取るようになった。長く艶がある髪を一つに束ねて汗を拭う姿を見るとこんなに人らしい一面があることに驚くし一向に慣れない。
隊長は今のオロルンが出来ないことは必ず手助けしてくれる、けど自分でやりたいこと出来ることは見守っててくれる。言葉はあいからわず少ないけれど態度で伝えてくれる、頬や頭を撫でてくれたりするのはこそばかった。
シトラリもオロルンにとって、大切な人だけど反面教師にするところも多くて、でもそこが彼女の素敵なところだったりもする。
けれど隊長は自分がどんな転び方をしても必ず受け止めてくれるという安心感を与えてくれる。もし自分に父親がいたらこうだったのかも知れないと贅沢なことを思ってしまったりしている。なによりも今は必ずオロルンのことを一番にみてくれる誰よりも。
仕分け終わった籠を木陰に並べていると、頬に冷たいものが当たる。冷えた水を準備していたらしく飲むように押し付けてくる。寝る時間が増えた体は疲れやすくなっていて隊長が気を使ってくれていることを感じた。
隣に並んだ彼の横顔をじっと見つめると、伺うように視線を返してくれた。
段々と何処まで近づいても許されるのか試したくなってくる。
隊長の甘さゆえに好意がだんだん歪な膨らみ方をしているのをオロルンは自覚していた。
寝たふりをして運んでもらったり、オロルンために集めてきてくれた実を食べさてほしいと強請ったり、寝ぼけたフリをして起こしくれた隊長の手を取って擦り寄せたり、
明らかに最初の頃と比べて彼のパーソナルスペースに自覚しながら近づいていった。
まるで子供が構ってほしくてついしてしまうようで下心に言い訳もつかなくなってきた。
そしていつもの晩餐会のあとスネージナの酒が入って、椅子の上でうたた寝をしている隊長の顔の傷跡を撫でて頬に口付けして、口元に手を伸ばして薄い唇の柔らかさを確かめたりした。
気づいて欲しい気持ちと、バレたくないと秘めた思いがせめぎ合って手を離した瞬間、手首を掴んで引き寄せられた。鼻先が触れ合い隊長の開かれた瞳に吸い付くように視線が絡んだ。動けない身体を空いていた手で包むように寄せて背筋を伝わせて、後頭部をがっしり掴んで緊張で緩んだ口元にあの薄い唇がピッタリと蓋をした。
貪る様に絡めた後、息も絶え絶えなオロルンを眼下に隊長はオロルンを問い詰めた。
最近寝たふりをしていることや前までできたことを、症状を言い訳にして甘えてくることは全てバレていてもう逃げ場はなかった。
「君のおかげで起きていられるけど、だんだんと意識が夜神の国へと合流していて、君がしてくれることを忘れたくなかったもっと覚えていたいんだ、だからこれはその通り君に甘えているんだ、君のことが好きなんだと思う。だからどこまで許してくれるのか……知りたくて」