あたたかな呪い「おにーさんいい体してんね」
と言いながら左腕に絡まってきた女からは化粧と香水の匂いがした。町の中心から一本入ったホテル街で女と男が接触すれば、みなまで言わずともワンナイトか援交の誘いである。
「生憎お兄さんなんて年じゃなくてね」
「リップサービスだよぉ」
膝上二十㎝は固いジーンズからは白い脚がぬるりと伸びている。靴は自分の三分の二ほどしかない。
「花は花屋でしか買わない主義でね」
「えー残念」
じゃあバイバイ、と女はするりと腕をほどいて闇に消えていった。牛山は押し付けられた感触の残る腕をさすって反応しかけた息子を宥める。しかし頭に浮かんでくるのは先ほどまで触れていた女の生々しい感触ばかりで逆効果だった。
「……やわっこかったなあ」
そう口に出してしまえばもうだめだった。牛山はいつも世話になっている店の一軒に電話をし、三十分後の予約を取り付けた。できるだけ早く頼みたいと電話口で伝えた時、店長はため息をつきながらも客が犯罪者になるのはごめんだからと言いながら手配してくれた。
「犯罪者、ねえ」
もしかしたらそうなのかもしれない。牛山は心当たりしかない過去を振り返って思わず笑った。無理やり上げた口角が元に戻った時、胸の奥がきゅっと冷えた。俺はいつから犯罪まがいの男になったのだろう、なんて考えがふっと頭に浮かんだ。これまで夜を共にしてきた相手の顔が浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返した。ヤって後悔したことはない、が――。
「ま、知らなかったらこうはなってねえかもな」
ため息を吐きながら見上げた空に星はなかった。その時牛山はあの夜に似ている、と一瞬思ってしまった。思ってしまったゆえに思い出の蓋は開いて、胸の奥に少しの苦みをもたらす。いつもは開けられないように重しが置かれている思い出の蓋。その中に隠されているのは、牛山辰馬が後悔したくてもできない初めての夜の話である。