ネックレスは失くなった依頼人との待ち合わせがあったのは、騒がしい街角のカフェであった。
相手が女性だということもあって、外から丸見えの席。もっと言えば、恋人だという男性が外からこの様子を逐一監視しているということだった。
許された面会時間は説明を聞くだけに費やされた30分のみで、儚げなその女性は最後にぎゅっとシュウの手を取った。
手袋越しに伝わる体温はなく、ただなんとなく、薄気味の悪さだけが際立つ。
「どうか、どうか。よろしくお願いします。彼の未練を、……どうか」
そうして、引き渡されたのが女性物の装身具だ。依頼人曰く、呪われてしまったネックレス。
結婚を約束した彼から贈られたものだったが、交通事故で亡くなってしまい、それから異常現象が多発しているらしい。
被害者は今の彼氏のみ、だとか。
本職の確かな手で始末してほしいらしく、ものすごく遠く細い縁を辿られた挙げ句捏ねを使われたが、まったくもって意味のないことだ。
すぐに店を出て、依頼人にまた出くわすのは面倒で。呪術師はブレンドコーヒーを口に含みながら、そっと紺の天鵞絨のケースを爪先で小突く。
戯れに蓋を開ければ、きちっと収まっているネックレスが見えた。
シルバーのチェーンに、アメジストの柔らかい紫の光。しかし呪術師の瞳からすれば、くすんでいるように感じられた。
「おまえ、負けたね」
アメジストと言えば、有名な魔除けの石だ。魔を惹き付けやすい彼女を、元彼と石が護っていたのだろうに。
これを自ら手放した彼女に、今後何が起こっても不思議ではない。でも、今回受けた依頼はネックレスを引き受けることなので、こちらに不備はないだろう。
爪にチェーンを引っ掛け、陽光に翳してみる。
すると、背後から伸ばされた掌が、無造作にネックレスを鷲掴みにした。
ふわ、と鼻先を掠めたのは知っている蠱惑的な香り。
「ハイ、シュウ。どこの御婦人に渡すものなのかな」
「ヴォックス、……びっくりしたぁ」
気配も感じさせなかったのは流石というべきか。
黒のジャケットをラフに羽織ったヴォックスが、そのまま無言でシュウを腕の中に閉じ込めるようにして体重をかけてくる。
どこか機嫌が悪そうだなと察して、抵抗せずにテーブルへ置かれた手を軽くタップする。
「まさか、そんなんじゃないよ。仕事で処分してほしいって頼まれただけ」
でもまぁ、処分してほしいって言われても困ってるんだよね。
つい零れてしまった言葉に、男の大きな手が緩んで紫暗の石が垣間見える。
悪いものがついてるわけでもない、素人目からすればただの普通のネックレスだ。
人手に渡ったとしても、浄化さえ済んでいれば魔除けとしてまた機能することも出来るのだから。
さて、どうしよう。
首を僅かに傾げると、低音の唸りが頭上から降ってきた。
「この石でなかったら、」
「うん?」
「握りつぶしてやろうかと思ったんだが」
「は、」
シュウが体を捻り更に顔を上げて、後ろの男の表情を確認しようとする。が、それに感づいたヴォックスは、艷やかな黒髪の天辺に優しいキスを落とした。
「君の、シュウの瞳と同じ石を、砕けるはずもない。……例え、どこぞの気に食わぬ女からの差し出しものだとしてもね」
感情を伴わない低い声は、腰をざわりと撫で付けるようだ。
落ち着かない心持ちになる呪術師を見越してか、人でない男はフ、と笑みをこぼす。
シュウとは違った筋張った手がネックレスを適当にケースへ詰め込んで、更にジャケットのポケットへ入れてしまう。ぽかんと見ているだけだった呪術師をそつのないエスコートで立たせると、カフェの出口へと導いていく。
細い腰には、もちろん不埒な手のひらを添えて。
「えっと、ヴォックス?」
「このネックレスはアメジストに免じて、私が処分しておこう」
「ええ…?」
「そして、シュウ。君は、仕事が入ったからと私からの誘いを断ったお詫びに、今日の残り時間を付き合うというのはどうかな」
多少強引に行かないと、この呪術師は誘惑に乗らないばかりかつれなく袖にしてくるばかり。
どうせならこのまま今日は誰も帰ってこないシェアハウスに戻り、自室へ連れ込んでしまうのもいい。
何食わぬ顔で画策している男の横顔を、シュウはじっと見上げてから、いっそ無垢なまでに微笑んだ。
「僕、このあと2本配信があるんだ。だから、それまでなら、ね」
そういえば、と。次の配信の時間までの猶予は儚くも残り2時間ばかり。