護りだけでなくその生もと彼は言うそれはたまたまのことだった。
配信の合間に、久しぶりに占いの手馴しをしただけのこと。やっぱりこういうことは惰性であっても続けておかなければ、手順をスムーズにこなすことができない。
その結果、友人の1人に大怪我の卦が出た。
特徴と職業から見て、恐らくはマフィアのボス。依頼でもなく、術を行使するなんてあってはならないことだ。
わかっている、頭では理性ではわかっていたのだけれども。
時が差し迫っていたこともあって、呪術師はその時初めて、自分の欲のためだけに術を施した。
それから、流石に周囲に関する占いは見なくなった。
当たり障りない事象だけを手習いのように見て、やめるの繰り返し。
もうひとつ変わったことはといえば、何かと物騒なチームメイト達にほんの些細な護りを付けたということ。
勿論本人たちには伝えていない。
例えば、本能による危機察知がやや上がっていたり、悪意をもった相手に遭遇するタイミングがちょっとだけずれたりと、効果が説明しづらいというのもある。
そうして、マフィアのボス、探偵、文豪と付与し終わったシュウは、はたと動きを止めた。
残り1名と自分との相違性を鑑みていなかったことに、今頃気づいてしまったのだ。
かといって、1人にだけ何もしないのは気持ちの座りが悪くて、少し考えたあとにのろのろと動き出す。
今日は彼も配信がなかったはずだし、何より外出の話も聞いていない。もしリビングで酒盛りでも始まっていたら、飲み物でも貰って自室に帰ってくればいいのだ。
しかし、自室からでても、家の中は微かな生活音だけで。そのままシェアハウスの階段を降りて、彼の部屋がある2階に降りる。ぺた、と鳴った足音を頼りなく思いながら、ノックを3回。
「ああ、開いている。どうぞ」
まるで、誰かが来るのがわかっていたみたいだと、シュウは軽く目を見張った。もしかして約束があったのかなと、口籠ってしまうのに対し、今度は「シュウ」とはっきり名前を呼ばれるものだから。
まぁそういうこともあるかと、ゆっくりドアを開いて中へ踏み込んだ。
自室と同じ広さの部屋なのに、間接照明と暖灯色のライトに彩られた室内はどことなく広く、そして圧を感じる。
1人静かに酒を嗜んでいたらしいヴォックスは、重厚な皮のチェアにグラス片手にゆったりと寛いでいた。
「お邪魔します、ヴォックス。ちょっと聞きたいことがあって、時間はとらせないから」
白いナイトウェアの男に対し、シュウのパーカーとスキニーの場違いさが際立っている。早く終わらせたいのを言外に滲ませれば、鬼は喉を鳴らすように笑った。
「どうして。ゆっくりとしていきなさい」
金と淡い桃色の交わりが美しい瞳が、溶けるようにゆるゆると笑みに細くなる。普段は人間そのものなのに、シュウにだけ時折見せる魔性。
偽らなくていい相手なだけに、面白がられているのだなと毎回実感する。
こういうのには関わらないのが吉。
「ヴォックスに、僕の護りを付けていいか聞きたくて」
素早く本題を切り出すと、男はわかっていたとばかりに鷹揚に頷いた。
「ああ、近頃皆に付与していたものだな。1人で楽しそうなことをしているなと思っていたよ」
そう言ってから、すぐに「構わない」とあっさり首肯した。
「あ、ありが、と? でもその、ほら、呪術師と鬼だから、僕の呪のせいでそっちの力が使いにくくなったりしない?」
「それは特に問題ないだろう。問題があるとすれば、そうだな……」
一旦、形の良い唇が、琥珀色の酒で潤う。
「私に施された術から、君を辿られてそちらにとばっちりが行く可能性があるか。極たまに、まだ私を狙う不届き者もいるから、それだけが不安材料だな」
ふむと顎に指を添えて、鬼がそんな事情をこぼすから、シュウは思わず柳眉を顰めた。
鬼という強い存在を配下にと望む呪術師がいることを、知識として知ってはいた。過去、シュウが生まれた本来の時代であれば、もっと盛んだったと聞いている。だが、未だにそんな命知らずな輩が居て、尚且自分の友人が狙われているのだとすれば。
それは、酷く許しがたいことだ。
自然と、そんな自分のエゴに従って。闇ノの直系は、目の前の男に対して術を放っていた。
背負っている紫の炎がふわりと曲線を描き、男の首元へ走る。まとわりつくようにして首の外周を這ってから、彼がいつも付けているチョーカーに溶けて消えた。
「、シュウ」
「あ、ごめん、急に。なんだか、イラッとして」
呆気にとられた表情で凝視してくるヴォックスに謝れば、その顔は次第ににやにやと崩れていき。対してシュウのほうは、やってしまったと言わんばかりの苦虫を噛み潰したような渋い顔。
「いや、謝ることなどないさ。私だけ仲間外れにならなかったことを喜ぼう。だがしかし、先程も言ったように、私によって君が巻き込まれてしまうのは看過できない。わかるな?」
下手をすれば、この鬼の存在と力を掌握していると見做される。そう思い込まれたら最後、シュウ自体が命を狙われることになる。
呪術師らしくなく、感情で動いてしまったことに反省はしても後悔はせずに、呪術師は頷いた。
「それは、うん」
「もしそうなったら、すぐ私を呼びなさい。こちらからも、護りを付けておくから」
男が、静かにチェアから立ち上がった。ドアの前から室内へ踏み込まなかった呪術師へ、距離を詰める。
床板へ片膝を付き、自分の挙動を息を潜めて窺っているシュウの手を掬い上げた。
己の中の力を小さな塊にして、唇を介し吹き込む。
吹き、込もうとした。
「っ、!」
狙いは、左手の薬指であった。
鬼の口吻と共に、心臓に近いと言われる指へ、欠片と言えども鬼の力を流し込むのだ。それはもう、今世の契りと同じようなもの、相違ない。
勿論先程までのやり取りに嘘なんてないが、ついでに気に入った相手の一生を縛れたら僥倖。
しかしその企みは、成就すること能わず。
「く、…あ、ははははは!!」
「ヴォックス!!」
薬指に、微かな彼の吐息がかかった瞬間。これはさせては駄目だと、呪術師としての警報が頭の中で大音響を立てた。咄嗟に攣りそうになりながら人差し指をぎゅいっと差し出したのが、ことの真相。
「んっ、ふ、はは、やはり、きみといると愉しい、シュウ」
本当に指が攣ってしまったらしいシュウは、左手を抱えながらジト目でヴォックスを睨んでいる。その頬がやや赤らんでいるのは、気のせいではないだろう。
普段は理性的で、周りをとても良く見ている気遣い屋。それが、誰もが言う彼の姿だろう。だが、突然笑いの坩堝に鬼を蹴落としたりするのも、また彼で。その突飛さが、ヴォックスにはとても楽しくてならない。
それはもう、一生を独占したいほどには。
「ふふ、今夜は残念だったが、護りを交換できたことで満足するとしよう、ハニー」
耳に吹き込まれでもしたら腰が砕けそうな、どろりとした甘い声。
上機嫌で笑う鬼とは対象的に、彼の唇に触れた指を握っていた手を外した呪術師は、深いため息をつく。
「…………これって、リムーバーで取れる?」
途方に暮れたようなこの一言で、また笑いのツボを刺激されてしまった鬼は、さて置き。
左手の人差し指の、爪。本来ならば暗色のはずのそれは、鮮やかすぎるほどの深紅に彩られていた。