迂闊なDANCE、微睡みのVOICE「あっちい!汗かいちまう。熱帯夜じゃねえ? 今日」
「お疲れ様、ネロ!」
郊外の欧州をイメージしたアウトレットモールに、季節外れのクリスマスツリーが立っている。
その傍でマフラーに顔をうずめ、視線だけで夜空を見上げていたネロが、カット、という声でそのアンニュイな表情をくしゃりと歪ませた。
コートを脱いで半袖のワイシャツにネクタイ姿になっていたヒースクリフが、カメラやスタッフの背後からネロへと駆け寄りながら、そうだね、と苦笑する。
今はまだ半袖で充分な季節だが、ネロもヒースクリフを追ってクーラーの効いた控え用のショップから出てきたシノも、その後からドア越しに早くこっちにこい、と手招きをしてみせたファウストも真冬の格好だ。
「撮影一年前の冬とかになんねえものかね」
「はは……今夜は全然気温が落ちないね。エキストラの皆さんも本当にお疲れ様です」
ヒースクリフが、ネロが脱いだダウンジャケットをスタッフに渡す影から、通りを同じく真冬の服装で歩いていた老若男女に声をかける。
彼の気遣いに、比較的近くにいたエキストラの親子が笑顔になった。
アイドルユニットEAST。ファウスト、ネロ、ヒースクリフ、シノの四人で構成される大手芸能事務所MHツインズの比較的新しいグループだ。
クリスマスに向けて発表予定の新譜は、録音がほぼ終了し、PVの撮影真っ只中。
ダンスのシーンは冷房の効いた屋内で行われるのがまだ救いか。
「今日のロケは今のシーンで終わりだっけ?」
「違う。最後に四人で歌うシーン撮るって言ってただろ。そうじゃなけりゃ、こんな衣装なんてとっくに脱いでる」
シノがファウストを振り返り、あんたも出て来い、ファウスト。さっさと撮り終えて脱ぎたい、と訴える。
やれやれと言いたげな表情でファウストが重い腰を上げトレンチコートを手にとったところまで見守った後、彼はそういえば、とフード付きのスタジャンのポケットからスマートフォンを取り出した。
「そうだ、ネロ、今待っている間SNSを更新していたら流れてきたんだけど、これ」
「へ? ……げ」
エキストラがスタッフと監督の声で配置を変えていくのを背後に感じながらシノがずい、と差し出したスマートフォンを覗き込んだネロは苦い薬を飲まされた子供のように顔に不快感をわかりやすく表して呻いた。
古い動画だ。投稿者が、これほんと可愛い、とコメントを寄せている。
画面の中には、ネロ。……まだ若い。これは、BANDITとして、ブラッドリーと二人でアイドルをしていた頃の、ライブ映像だ。
BANDIT。それは、かつて人気絶頂に突然解散したアイドルユニット。ネロは、ブラッドリーと二人でそのユニットを組んでいた。
一度はアイドルを辞めようとまで思っていたのに、今こうして若手と新しいユニットを組んでいるのも、もう二度と笑顔を交わし合えないと思っていたブラッドリーとまた懐かしいナンバーを歌うようになったのも、なんだかいまだに現実味が薄い夢のような話だ。
動画は、まだBANDITとして活動を始めたばかりの頃のものらしい。
画面の左側にいるブラッドリーと距離を開けて向かい合い、掛け合いのように交互に重なって歌うシーンのようだ。ヒースクリフが、あ、俺この曲好きだよ、と小さく口ずさみ始める。
『あんたになら』
『お前になら』
『『重なる思いが』』
曲の高まりと共に引いていたカメラがネロに迫る。
サビに入るその瞬間、その背後にクルッとターンをして誰かが……ステージ上にいるのはバックダンサーを除くと一人しかいないが……その背後に入った。
そのさらに背後でダンスを踊っていた若いダンサー部隊の顔が思わず、といった調子で苦笑顔に転じる。
何も知らぬ顔でその場で歌い続けるネロの背後から、ひょい、とブラッドリーがわざとらしい渋面で顔を出した。
彼は客席からもわかるようにだろうか、オーバーな動きで背後からネロを指さしながら、サビを歌いあげていく。
だが、ネロは気付かない。
サビのラスト。
思案するような表情で歌っていたブラッドリーが不意に、にや、と笑ってネロを背後から抱き寄せた。
『背後から抱き締めた~⁉』
バランスを崩してよろめきながら、ネロが初めてハッと何かに気付いたように自分を抱き寄せた男を振り返る。
ブラッドリーはすぐに拘束を解いて、お前はあっち、と言うように、自分が元々いたあたりを親指を立てて示す。
カメラ越しでもわかるほどに頬を赤く染めたネロが、間奏のステップを踏みながら示されたあたりへと移動していく。
「勘弁してくれ……なんでこんな古いの流れてんの」
「これ、立ち位置チェンジするのを忘れたんだよな?」
「ああ、なんだ、これなら僕も見たことがある。このネロは可愛いよな」
「ええ……先生まで。マジでやめてくれ。まだステージ慣れしてなくて、必死だったんだよ。どこまで歌ったか、次はどう動くんだったか、一瞬でも頭飛んだら真っ白になってさ……どっちか間違えるんだ」
「どっちか、っていうと、歌かダンスか?」
「そ。俺、ダンスは苦手だったから尚更っつうか……これ、この後のMCでめちゃくちゃいじられたんだよ」
しょぼしょぼと肩を落としながらネロはため息を吐いた。黒歴史のひとつ、と言ってもいいだろう。まだ結成したばかりで、ブラッドリーはその時点ですでに単体でも人気を確固たるものにしていたし、かなりステージにも慣れていた。対して自分は全然素人もいいところで、日々必死だった。この時のミスは怒られるどころか、何故か社長達からは『別の意味でファンを増やした』と褒められたが、ネロは落ち込んでしばらくその部分ばかり練習を繰り返していた。そんなことまで思い出してそういえばそんなミスも少なくなっていったな、とふと考えたところで、シノとヒースが並んで口ずさみながら真似をし始める。
「あんたになら~」
「お前になら~」
「「かさなるおーもいーがー」」
「で、クルックルットン、トン、」
「ステップ、ステップこっちが腕を振り下ろし、」
「ネロが振り上げか。っで、そっから」
「はいご~からだ、き、しめたーっ、かな」
わあ、とスタッフから歓声が起こる。特典映像用の事務所カメラが回っていたので、ひょとすると採用されるかもしれない。
ファウストが小さく笑って、即興の割にはなかなかうまいんじゃないか、とコメントを寄せる。
「どう、ネロ。正解?」
「あーもう、そんなんやらなくていいって……! ブラッドが腕を振り上げで、俺が振り下ろしだよ!」
こう、とマイクを持つような手をつくり軽く踊って見せたネロに、周囲が笑顔と歓声に包まれた。
「ってことがあってさ。もー勘弁してほしい」
「ハ。あれか、覚えてるぜ。首筋の裏まで真っ赤になってよ」
「忘れろって……」
顔を出すなり悔しそうな顔で八つ当たりをし出した者だから何かと思えば。
ブラッドリーは台本から顔をあげて、隣でクッション……強請られて若い頃にゲームセンターで落としてやった大きなクジラのクッションだ……を抱えてむくれていた元相棒を覗き込んだ。
「今も赤いな」
「るせ。目の前で若いのに再現されてみろ、死ぬから」
「いいじゃねえか、見たかったな。カメラ回ってたんだろ? 晶あたりに声をかけときゃ手に入るか」
「やめろやめろ、馬鹿」
あーもー、とクッションを武器に攻撃を始めたネロに、わかった、わかった、と心にもない返事をしながら、ブラッドリーは台本を伏せた。
久しぶりの舞台。読み合わせは明後日からだ。舞台は、ドラマや映画とはまた違う緊張感と面白味があるから嫌いじゃない。真逆の役ですが大丈夫ですか、と晶が心配するほど真逆の性質を持ったキャラクターだが、大体憑依は出来た。あとは明日さらっと通して見直せば素地は概ね完成だろう。
クッションを奪い取り背後に隠しておきつつ、ネロを抱え込む。
「いてっ、あはは!」
「笑うな馬鹿」
「馬鹿の大盤振る舞いだな」
藻掻くネロに、猫を抱え込んでるみたいだなと笑いながら、衝撃を殺せずにブラッドリーは背後に倒れた。
頭はクジラが柔らかく受け止めてくれたものの、するんっと上方へ抜けていったがためにゴン、と軽い音をたててフローリングに落ちる。
自然、身体の上に乗り上げる形になったネロの頭……つい寸前に手ずからドライヤーをかけてやった為毛艶がいいそれ……をあの頃と同じようにぐりぐりと撫でながら、随分と重くなったよなあ、とブラッドリーは低く笑った。
「いいじゃねえか。あの後、よく練習して二度となかったろ、同じところでミス」
「……ん」
「俺がトチったこともあったじゃねえか」
「俺のパートまで歌ったやつとか?」
「そうそう。そういや単体のライブでさ、バイクに二人乗りでぐるっと会場回ったのなかったか?」
「あった!たっかいハーレーだろ。誰かの私物じゃなかったっけ。スノウとホワイト?」
「いや、確かオズかチレッタじゃなかったか」
「高級車過ぎて乗るの怖くてマジで乗るの? って聴いたな、俺」
「あれいいな、またやりてえな。今なら俺の私物使えるし。あれならお前も乗り慣れてるだろ。……ファミコンで出来ねえかじじい達に交渉してみるのもありだな」
おとなしくなったネロが、ええ、俺は別にいいよ、と首を振る。
「あれに乗るのは明日とかみてえなオフがいい。ライブで乗ったら、あふ……また追いかけられちゃうだろ……」
声が、欠伸混じりに緩くほどけ始めた。
ブラッドリーはお、と片眉を跳ね上げてから、じわりと苦笑する。
少しいつもよりも温かい体温に相変わらず落ちるの早えな、と感動すら覚えながら、そっと背中を叩いて囁く。その囁きは、ほんの少しの甘さが溶け込んでいた。
「ここで寝たら風邪ひくぞ。明日のオフ台無しにしたかねえだろ」
「う、それはだめだけど」
「ほら、寝室行こうぜ。片付けは明日でいいからよ」
「うーん……」
しがみつく男に、お前がこんなんだから週刊誌にまで出ちまうんだと思うけどな、と心の中でこっそり呟きながら、ブラッドリーはネロを抱えたまま腹筋の力だけで身体を起こした。