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    cosonococo

    @cosonococo

    文字書き。海外映画ドラマ、よりみちとなぎれお。

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    cosonococo

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    凪くんの誕生日おめでとう話。凪くんの両親模造してます。お互いが大好きななぎれお。色々おかしいとこがあるのはそう…なので目を瞑っていただければ…。

    本番はロスタイムからです。 誕生日なんて、元々俺にとってもそんな特別なもんじゃなかった。
     周りの同年代は誕生日のごちそうやプレゼントに心を躍らせていたけど、俺は毎日質のいいものを食べていたし……というか、あれが食べたいと言えば、料理人がすぐに作ってくれたし、あれが欲しいと言えば誕生日でなくても与えられた。そもそも自分で自由に使える金が充分あったから、欲しいと思ったものは何でも買えた。
     だから、俺にとって誕生日なんてそれほど特別じゃなかったけど、世間一般的には誕生日は特別な日。
     特別な日には、人気者で特別な存在であるこの俺御影玲王に祝って欲しいと思う人間は、多かった。学校の廊下を歩いていたら、見知らぬ女子生徒に「玲王くん、あの、私今日誕生日なの」と声をかけられることもしばしば。「へえ!おめでと!」俺がそう言うだけで、彼女達は悲鳴のような歓声を上げる。凪にこのやりとりを目撃された時は「めんどー……よくやるね、玲王」と欠伸をされたっけ。
     そんで、人気者の誕生日はみんなにとっても特別だった。俺の誕生日には俺の下駄箱にはこれでもかってくらいプレゼントが詰め込まれてて上靴が取れないし、休み時間になれば俺にプレゼントを渡すため、廊下に長蛇の列が出来た。夏休みだってのに、ご苦労なことだ。ばあやがいつも受け取ってくれてたっけ。
     俺は全然誕生日を特別だと思ってないのに、他人が俺の誕生日を特別だと思うことが、不可解だった。まあ、俺人気者だし?イエスキリストも人気だから誕生日も全世界で祝われてるし、似たようなもんか。クリスマスもまぁまぁ意味分かんねー行事だけど、でも、個人の誕生日が金の匂いがするイベントにまで成長したのはすごい。俺の誕生日も、そういうイベントに出来ねーかな。
     改めて、退屈な人生だったと思う。そう、あいつと出会うまでは。
     
     
     それは、ホリデーシーズンにイングランドにある凪の家に泊まって、他人の誕生日と寒さを理由に思いっきりイチャイチャした朝のこと。
     いつもの時間に目が覚めた俺は隣で寝てる凪に軽くキスをして、ジョギングに出る。扉を開けた瞬間頬に触れた風のピリッとした冷たさは、昨夜凪に甘やかされた体を目覚めさせるのに丁度よかった。
     普段凪もこの道を歩いているんだなーとか、あのバールでチームメイトと飲んだりすんのかな、それとも一人で?一人で店で飲みなんてしないか、凪だし。
     なんて、色々想像しながらのジョギングは、自宅のランニングマシンで一人で走るよりずっと楽しかった。
     浮かれながら走ってたら、途中細かい雪が降ってきたので普段より短めに切り上げ、凪のアパートに戻る。外気でちょっと体が冷えたけど、凪にあっためて貰えば良いか〜なんて、俺はてっきりまだ凪はベッドの中だと思ってたから、あいつを起こさないよう精一杯静かにドアを開けて、閉めた。
    「つまり、糸師凛は特別だってことっしょ。あいつは本物のバケモンだから」
     その時、リビングの方から、凪の声がする。もう起きてたのか、という驚きは、凛という名前にかき消された。は?凛?なんで。てか、凪、誰かと喋ってる?誰と?
     首を傾げるよりも早く、俺の疑問はすぐに解消された。
    「凪の誕生日は、毎年玲王が派手に祝ってくれるんだよな、来年もだろ?」
     瞬間、俺のふわふわ浮かれていた心が叩き落とされる。その声は、アイツ……潔世一のものだった。
     反射的にベッドルームに入り、置いてたスーツケースを開け、ベッドの上に投げ出していたナイトウェアを引っ掴む。ちょっと前に凪と色違いお揃いで買ったシルク製のやつだったけど、構わずスーツケースに叩き入れた。
     潔世一、なんでテメェが朝っぱらから凪の家に来てんだよ!は?意味わかんねぇ、なに?どうにか仕事を片付けて必死こいて時間作って、やっとイギリスまで凪に会いに来て、ほぼ半年ぶりにイチャつけた朝に、テメェはマジでお呼びじゃねぇんだが⁉︎
     凪の「あー、多分ね」という寝起きのような声が聞こえてきて、来年は祝わねぇよ!と心の中でキレ散らかしつつ、乱雑に荷物をまとめた。
     なんで、このタイミングで潔と話したいとか思うかな。
     それとも、俺との久しぶりの再会とかセックスとか、そんなに退屈だったのかよ。浮かれまくってた俺がばかみてぇじゃん。惨めじゃん。
     怒りと絶望の荒波に押されるがままに航空券の予約をしようとスマホを手に取り、一番早い日本行きのチケットを探した。
     あった、見つけた、2時間後!エコノミーしかねぇの⁉︎けど、構ってられねぇ!
    『お前の誕生日パーティまじで美味いもん食えるから、けっこー楽しみなんだわ』
     しかし、購入ボタンを押そうとした正にその時聞こえてきた低い声に、指を一旦止め、顔を上げる。
     ……。
     ……ん?あれ?今のって、國神?
     熱くなっていた頭が一瞬で冷静になった。國神とは定期的に俺も遊ぶし、凪の誕生日パーティにも毎回声をかけてる1人だ。
     何で國神もいるんだ、あいつは今日本にいるはずで……それこそ昨日、後でイギリス土産送るわって、昨日メッセージを送ったし。つか、國神なら、凪より俺に連絡があってもいいはず。色々あったから、実際國神とは凪より俺のが仲がいい。
     荷造りを中断して、そっと裸足で廊下を進み、声のする方へ近づくと、今度は蜂楽のゆるゆるな声が聞こえた。
    『俺も俺も〜。ゲーノー人とかもゲストでくるじゃん?』
    『俺もクリスマス並みにお前の誕生日楽しみ。前にお土産に貰ったお菓子、まじで美味かったし。アレ結構有名なパティシエの店のだろ?それにあれは凄かったな、お前の生まれ年のワインを出席者みんなに配るやつ。後、合法的に玲王の手作りケーキも食えるしな』
     千切の声も聞こえ、そっと朝日が入るリビングを覗けば、俺が選んだソファには、ふわふわの白い後頭部が一つだけ。
    「お嬢はただの味見役でしょ」
     どうやら凪はいつものメンツと、テーブルに置いたタブレットで、ただオンラインで話しているだけだったようだ。
     凪がたまにブルロで仲良くなった奴らと、オンライン通話をやっていることは知っていた。俺もたまに千切や國神と話すし。
     つまり、浮気とかじゃなかったのか。
     何だ……。いや、浮気とか疑ってたわけじゃねーけど!
     ふっと身体から力が抜け、揺れた背を支えてくれた壁伝いにずるずるとその場にへたり込む。そして襲いくるは自己嫌悪。俺は回転が速すぎる頭を抱えた。
     いや、いや……そりゃそうだろ。いくら何でも、俺がジョギングに出てる数十分の間に浮気なんかしねぇ。そんな“めんどくさい“ことはしない。そもそも、ここはイギリス。ドイツにいる潔がそうそう来れる場所じゃない。よくよく考えれば、当たり前だった。
     どっと疲れが背にのし掛かり、項垂れるしかなかった。何やってんだ俺は……。
     凪に関しては余裕がなくなる自分が、心底情けない。17歳から全然成長出来てないな。
    「……なんでお前らが俺の誕生日を楽しみにしてんだよ、おかしいだろ」
     廊下の影で俺が緊張していた心臓を宥めていると、凪が呆れたような声を上げる。と、潔が苦笑した。
    『や、それはマジで玲王のセンスが良いって話だろ?押しかけ女房とかなんとか言ってるけどさぁ、実際良妻だよ、玲王はさ』
    「は?押しかけ女房って何?」
     潔がフォローに、凪が不快げな声を上げる。確かに、押しかけ女房ってなんだ?……俺、周りから凪に押しかけてるって思われてる?
    『あー来年の凪っちの誕生日会も楽しみだな〜。どんなパーティになるんだろ』
     蜂楽のその言葉を皮切りに、口々にまたあれが食べたいあの人に会いたいと言い始めたので、俺はその内容を頭の片隅にメモをする。ゲストの好みを把握するのはホストとして当然のことだ。この流れで凪の希望も聞けるかも!と期待をしたら、誰だかわからんけど丁度よく『凪は?』と聞いてくれたので、俺は身を乗り出した。「俺?」と凪がのんびり聞き返す。そうだよ、重要なのはお前だよ。
     今まで何回か誕生日パーティを開いてたけど、一体凪はどのパーティが一番好みだったんだろう。凪の本音が聞ける思わぬチャンスに、期待しながら凪の言葉を待ってたが
    「……俺としては、まー、もうちょい普通な感じで静かに過ごしたいんだけど」
     ……おっと。
     今までのパーティは、どれ一つとして凪のお気に召さなかったらしいと知り、俺は一気に冷静になる。頭に冷水を浴びせられる感覚とはまさにこれだ。
    『おっ前、それ絶対玲王に言うなよ⁉︎』
     潔の慌てたような声が聞こえたが、もう遅い、聞いてしまった。ずっと知りたかった、凪の本音を。
     でも、ショックというよりも、だろうな、と思ってしまった。だって相手はあの凪誠士郎。元々誕生日に興味ゼロだった男だ。ゼロに何を掛けてもゼロにしかなんねーことくらい、理解している。だから、多少なりともプラスになんねーかと、凪と仲のいい潔達をパーティに毎回招待してたんだけどな。
     本音は招待したくねぇ。俺だって凪と静かに二人っきりの誕生日パーティとかがいい。でも、俺と二人っきりとか、いつも通りすぎてつまんねぇんじゃないかなって……。
     付き合ってから気づいたことだけど、凪は意外なことに寂しがり屋だった。常に俺と一緒にいたがるし、一緒にいると大体俺を抱きしめてたり手を繋いでたり、風呂に入ろうとすると「離れるの寂しい」と一緒に入りたがる。うさぎか、可愛いぞ。
     だから、誕生日パーティには人を沢山呼んでたけど、思いの外効力なしだったってことか。それとも逆に人数足りなかった?静かなパーティが希望ってことは、今までのコンセプトを外しまくってたってことだろうか?次のパーティはバンドじゃなくてオーケストラにしてみるか?てか、普通のパーティってどんなんだ?
    『そーだそーだ!パーティなくなっちゃったら困る!』
     蜂楽が賑やかに言うけど、や、別に俺はお前らのために凪の誕生日パーティやってるわけじゃねぇんだよな。
    「俺は、別にお前らに祝って貰わなくてもいいし」
     そうなの!?
     凪も俺と同じことを思っていたのか。そんな些細なことが、ちょっと嬉しい。
     淡々とした調子で返す凪が、疲れたようにため息を吐く音がした。
    「てか、いい加減、本題に戻って欲しいんだけど』
    『そーだそーだ、本題、凪っちのお悩み相談!』
     凪の悩み?
     それは、俺の知らない話だった。
     思わず聞き耳を立ててしまう。が、でも俺が聞いていいのか?俺がいない時にわざわざ話をしているってことは、間違いなく凪は俺に知られたくない話をしようとしているんじゃ?
     急に不安になってしまう。
     まさか俺との別れ話とか?昨日あんなにもう無理って言っても俺を離さなかった癖に?
     ……俺はこの話を聞いて、傷つかないだろうか?
     これから衝撃を受けるだろう心臓に、俺は強く手を当てた。
    「……あ、雪」
     覚悟を決められずにいると、凪がふと窓を見て、急に立ち上がったから、俺は慌てた。やばい、ここにいたら俺がこっそり聴いていたことがバレる。
    『何どした?』
    「切るわ。つーか潔、言っとくけど……」
     凪が潔になんか言っている隙に、俺はすぐ横のキッチンに入って、勝手口から庭に出る。盗み聞きしていたことは凪にバレたくない。音を立てないよう慎重にドアを閉めると、パツパツと顔に細かい氷粒が当たった。
     そしてあたかも今帰ってきましたって顔で玄関へ回ると、凪が丁度よくドアを開けたのだった。
    「玲王」
    「お、凪。どうした?」
     軽く見開かれた凪の目に、素知らぬ顔で家の中に入る。俺は俳優になれるかもしれない。緊張で早鐘のように高鳴っている心臓を宥めていたら、ほんのり冷えた俺の頬を凪の手が撫でる。
    「雪降ってきたから、迎えに行くとこだった。おかえり。冷たくなってんじゃん」
     確かに凪の手には傘が一本握られていたけど、不要になったそれを凪は傘立てに突っ込んだ。
     俺の頬を拭く、少し不器用な手が俺の幸せだった。この温かい優しさがいつも小さな不安の氷を溶かしてくれるけど、今はちょっと、居心地が悪い。
     別に、凪を信じてないわけじゃない。ただ、凪が好きすぎて不安になることが時々あるだけで、そもそもそのきっかけを作ったのは凪自身。だから俺は、こいつを疑ったことに、罪悪感なんか抱いてやらないけど、いつまでも信じてやれない自分自身が……愛されることに自信を持てない自分が、ちょっと嫌になったりもする。
     俺の髪を撫でる濡れた手に、頬を擦り寄せると「濡れちゃうよ」と凪が言う。「もう濡れてる」と俺は甘く囁いて凪をベッドルームに誘った。罪悪感は抱かないけど、疑った分は甘やかしてやることにしている。
     俺の名を呼ぼうとするたびにその唇にイタズラっぽくキスをした俺に、凪が「れお」と困ったように眉を下げた。
    「そのままだと風邪ひくって」
     凪はベッドルームのドアを背にして、中へ入ろうとするのを阻みながらバスルームへ視線を向けるけど、俺はそれを甘く笑って凪の頬に擦り寄った。
    「お前があっためてくれたら、へーき」
     元々、そのつもりだったんだ。
     さっきまで家の中にいた俺は実際それほど冷えていない。それでも凪は、少し湿っている俺の前髪を指先で撫でた。
    「昨日あんだけしたのに、欲張りさんだなぁ」
    「……お前のことになると特に、な」
     俺は凪が欲しいから、こいつにとって誰が見ても最良で完璧な恋人でありたい。凪のために、凪を手に入れるために、俺は完璧な恋人じゃないといけない。この夜空を凝縮したような瞳が俺以外を見るなんて二度と、絶対に嫌だ。
     それに実のところ、「別に俺はお前らに祝ってもらわなくてもいい」と素っ気なく放たれた凪の本音は、意外でも何でもなかった。
    「……玲王?」
     キスの距離感であるのになかなかそれをしてこない俺に、凪が怪訝そうに俺の名前を呼ぶ。
    「凪お前、なんか悩んでることとかある?」
    「玲王と遠距離やだなぁ〜とか」
    「……はぐらかしやがって」
    「別に何もはぐらかしてないけど、玲王こそ何、突然。そっちこそなんか、悩んでんじゃないの?」
     凪の腕が腰に回り、目を覗き込まれる。ここで目を逸らしたら、肯定しているのと一緒だ。
    「……悩んでない」
     俺の心を無遠慮に探ってくる黒い瞳を叱るように見返せば、その目がつい、と細くなる。
    「何、玲王は俺との遠距離に悩んでないってこと?」
    「え?」
     凪の手が俺の湿った前髪を手の甲で撫で上げ、露わになった俺の耳に直接囁いた。
    「明日、お前が帰っちゃうの、寂し」
     その甘えた声が俺の心臓を簡単に高鳴らせたけど、なんだかすげぇ悔しくなる。このさびしんぼなうさぎは俺の言葉や言動に息を詰まらせることなんて、あるんだろうか。絶対ねーんだろうな。俺ばっか、むかつく。
    やられっぱなしは性に合わない。
     凪の余裕の顔に向かって口元を上げて見せ、素早くドアノブを下げると、2人分の体重に押されてドアが開く。突然のことに凪は目を丸くしてバランスを崩しふらついたが、流石の体幹ですぐに持ち直していた。無茶苦茶なトラップをやるバランス感覚は健在だ。流石は俺の宝物、鍛え方が違う。んー愛しい。凪の唇に軽く唇を押し当てる。
     ベッドルームに2人で傾れ込むように入ると、床で開きっぱなしになってたスーツケースが目の端に入った。俺の馬鹿な早とちりと惨めな嫉妬の証拠だ、やっべ。
     面倒ごとが嫌いな凪のため、俺は完璧な恋人でないといけない。凪に気づかれないようにキスを絶やさず、キスに夢中になっているフリをする。ベッドへ向ってステップを踏む足でこっそり蹴り閉じて、俺は証拠隠滅に成功した。
     ベッドに凪を突き飛ばし、俺は挑戦的に笑ってみせる。
     見てろよ、凪。次こそ絶対、お前が驚くくらい、完璧に普通な誕生日にしてやるんだからな。


     と、決意してから半年、俺は迷いに迷っていた。完全に迷走している。
    「玲王様は完璧な恋人ですね」
    凪の誕生日の5日前、社内でトラブルがあり、睡眠時間を削ってどうにか誕生日前日の早朝までに事態を収められ、安堵の身伸びをした俺に、明日の俺の予定を知る秘書の1人がそう言った。誕生日の約束を反故にしないよう必死なだけだった俺の姿が、彼の目にはそう映ったらしい。
    「そうかな」
    「そうですよ」
     力一杯言われたその時、ふと思う。完璧ってなんだろう。俺は一般的に見て完璧な男だし、誰が見ても完璧な誕生日パーティを今まで演出してきたはずだけど、凪は結局お気に召さなかった。てか、そもそもに凪は面倒くさがりだから、完璧とか一番かったるいんじゃねぇか?
     だから、その評価を俺は曖昧に笑うしかなく、早々に会社を後にする。
     まあいい、とにかく今は、明日のことを、凪のことだけを考えよう。
     さっきからずっと口元がだらしなく緩みっぱなしで、そんな顔を部下に見せるわけにはいかなかった。懇意にしてるエステへ向かっている間も、顔や身体にマッサージを受けている間も、その後ジムでランニングマシンに乗っている時も、ヤバ、ずーーーっとニヤけるのが止まらねぇ!
     明日、イギリスにいる凪が日本に帰国する。
     あれから半年ぶりに、凪に会える。気を抜いたら公道で踊り出しそうなのを必死にこらえているんだ、ニヤけるくらいは許されたい。俺はニヤけ顔もイケメンだけどな。
     「誕生日にそっちに行く」って言い出したのは、凪の方だ。
     遠恋も2年目に突入し、そもそも家の仕事で多忙な俺とプロサッカー選手の凪では、誕生日当日に会えないことだってあるだろうことは、俺も覚悟の上だ。
     スケジュール的にも、凪の誕生日はGW明け。連休明けは大体サービス業以外はどこも忙しく、凪に至ってはシーズン中。
     だから、去年は凪の誕生日を当日には祝えなかった。GWを利用して俺が向こうに行って、誕生日前にお祝いした。社長の息子といえど新人ピヨピヨな俺が、個人的理由で有給を取るなんて……いや、社長の息子であるからこそ、せめてこの初任である一年目は避けたかった。凪も俺のその理由には「うん、玲王の好きにしていいよ」と珍しくちょっと寂しそうに言うから、心臓がギュンッとなった。凪がこんなに可愛いのに、俺は完璧な恋人になれなくてごめん。来年は絶対当日に祝うからな!と凪をぎゅうぎゅう抱きしめた。
     凪の誕生日の当日は「誕生日おめでとう、お前にとって幸せな1日になるよう祈ってる」なんて、念を込めたメッセージを日付が変わった瞬間に送りながら、来年は凪の誕生日になった瞬間、盛大に花火を上げてやろうと心に決めた。
     で、去年そんなことがあったからこそ、俺は今年は絶対誕生日当日に祝ってやるって決めてたのに、今年も仕事の調整が上手くいかず、GW自体全部仕事になってしまった。俺が優秀すぎるせいで仕事が順調すぎたんだ……項垂れながら「実はGW休み取れなさそうなんだ」と週一の定例スカイプデートをしてる時に言ったら、凪が珍しく「あ〜じゃあ俺がそっちに行こっかな〜」と、サンドイッチを食いながらのんびり言ったのだ。
    「……は?凪、今なんて?」
    『だから、俺が日本帰るよ』
     青天の霹靂だった。
    あの!
     面倒くさがり屋が!
     イングランドに移籍が決まって、行く時にずっと、飛行機の予約めんど〜とかベッドにゴロゴロしつつ言ってたあの凪が!
     長時間移動ホントめんど〜〜〜とか言って、空港でずっとぶつぶつ言ってた凪が!しまいには俺がおんぶして搭乗口まで連れてってやったのに?
     そんな凪が、飛行機のチケット取りすら面倒くさがる凪が!てか、シーズン中にわざわざ
    「試合は、試合は大丈夫なのか?」
    『うん、4日に試合あるけど、終わった後に飛行機乗れば、よゆー』
     なんだそれ、俺のため
     ってタブレットを引っ掴んで言いそうになったのを俺は一旦、堪えた。
     いや、落ち着け御影玲王。凪のことだ、別に俺に会うためじゃなくて、潔とか馬狼とかと会う約束してんじゃねぇの?あー、想像だけでちょっとテンションが下がるわこれ。でもあり得る。
     逸る心を萎えさせて、念のため聞いた。
    「日本になんか用事あんの?」
    『え、玲王に会って誕生日祝ってもらう以外はないよ』
     いやもうこれ俺のためじゃん
     …………まじか、今年はあいつの誕生日当日に祝えるのか。正直、それはかなり嬉しい、嬉しいぞ!
     じわじわと広がるむず痒い嬉しさを、一人俺は噛み締める。
     ちょっと、かなり感動した。年甲斐もなくタブレット片手にベッドで飛び跳ねてしまった位には。
     凪は、いつだって俺の誕生日?何それ美味しいの?って顔をする。誕プレだって、貰っても「ありがとー」とは言うものの、毎年毎年コピペかって位同じ無表情だ。それに加えて、この間の「静かに誕生日を過ごしたい」って本音は、それなりにヘコんでた。
     いや、俺は凪がそういう奴だって、知ってたけど。
    凪の誕生日祝いとかほとんど俺の自己満だし、凪のためだなんて押し付けは良くない。だって俺が、勝手にやってることだから。……実はちょっと、いつか、嬉しそーに笑ってくれるんじゃないかなってちょっと期待してるけど……ちょっとだけだ、ちょっとだけ。
    だから、俺が行けないって言ったら凪は「しょうがないね」で終わらせて、俺も「しょうがねーな」で終わらせるもんだと思ってたのに……傷つく覚悟もしてたのに、あー毎年しつこく誕生日パーティ主催してて、よかった!
    『玲王?』
     枕を抱いて黙り込んだ俺に、小さな画面の中の凪が不思議そうに声をかけてくるので、俺は口角を上げてみせた。
    「お前、俺のこと実は結構好きな?」
    『知らなかったの?』
     照れくささを誤魔化す為に茶化してしまうのは俺の悪い癖だけど、俺はたまに凪にそう聞く。最初は少し驚いたような眼で俺を見てきた凪だったけど、今じゃすっかり慣れきってる凪は軽口で返す。呆れたような音に微かに混じった甘さが、俺の心臓を弾けさせた。
     俺が誕生日を祝ってもニコリともしないし、たまに俺があげた誕プレよりも、潔とか蜂楽があげた誕プレのが嬉しそうに受け取ってたりもするけど、まあとにかく、それでも凪誠士郎は俺にとって完璧な恋人だった。
     負けた……という敗北感と、好き……という率直な恋心が頭の中でぶつかり合い、ない混ぜになってカオスを形成する。いっぱいいっぱいになった俺は「俺の方が大好きだし!」とニヤけ顔で張り合ってしまったのだった。
     あの時のことを思い出すたびに心臓がむず痒くなる。すごいな、凪誠士郎。あいつは俺の心臓が自分の手の内にあるって、自覚あるんだろうか。まあ、あるだろうな。
     あんな完璧な恋人に、しかも誕生日に、こんな疲れた顔を見せられないだろだって、俺の方が凪の方好きだって証明してやんねーといけないんだから。
     金と見栄とプライドと、凪への愛で、秘書に褒められた俺の完璧な恋人の顔は作られていた。
    「……よし」
     エステとマッサージ、ジムでの運動を終え、自宅でちょい長めの風呂に入った後に鏡を覗けば、つい5時間前仕事でヨレヨレだった男ではなく、完璧な美しい恋人の顔になっていた。
     後は寝れば、このクマも少しはマシになるはず。
     あらゆる角度から顔を確認し、まあまあ及第点だなと思ったその時、スマホが鳴った。愛しい恋人の名前が表示されていたので、胸を踊らせながら俺は画面をタッチする。あいつもそろそろ飛行機に乗るだろう時間帯だった。そろそろ乗るなんてわざわざ報告か?しかもビデオ通話なんて、半日後には会えるのに、俺の顔が見たいなんて可愛いやつめ。
     何せ半年ぶりの再会だ。何を話そう、何をしよう。キスもハグもし放題で、セックスだって。
     邪な期待を膨らませながら、俺は思いっきり甘えた声で迎えた。
    「なぁぎ、飛行機何時に」
    『玲王ごめん、予定の飛行機乗れなくなっちゃった』
     今年って、もしかして厄年だった?

     凪の話によると、試合中に怪我をした選手の代わりに、予定されていた病院の慰問に行くことになったのだそうだ。
     病院の慰問ってのはあれだ、長期入院している子どもに会いにいくヒーローボランティアってやつ。俺も現役時代にやった事ある。つか、今でもたまにやってる。
     ……あれ、信じられないくらい純真な子どもの憧れに満ちた目に迎えられるんだよなぁ。あの穢れた大人代表愛空ですら、子どもの無垢パワーに浄化されてその後一ヶ月女遊びを控えたってのは俺ら界隈では有名な話だ。
     純真無垢な子ども達が憧れの世界一のストライカーを楽しみに待っているんじゃ、怒ることも出来ない。俺が凪に会いたい理由なんて、キスやらハグやらセックスやら、煩悩の塊でしかなかった。
     己の邪さを突きつけられたような気まずさに、しゅるしゅると身体中から気力が抜けていくのを感じる。穢れた大人でごめん……。
    「……そっか……それじゃ、しょうがねーな」
     崩れ落ちるようにベッドに座って、スマホ画面に映る凪にどうにか笑ってみせた。なるほど、ビデオ通話にしたのは、凪なりの誠意だったのか。
    『ごめん』
     でも、行けなくなったと謝る凪の顔が、俺が「誕生日おめでと」って言った時に「ありがとう」って返す顔とほぼ同じ表情だって気づいて、ほんの少し心が痛む。
    「……謝んなって。誰も何も悪くねーんだからさ」
    『でも、行けないわけじゃないよ。アメリカで8日にも親善試合あってさ、俺それに召集されてんだよね。日本に寄ってからアメリカに行くルートにすれば、少しは会う時間出来る』
     凪はそう言うけど、大事なゲーム前の選手に長時間のフライトを2回もさせられないだろ。俺のわがままなんかで。つか、なんか凪最近働きすぎじゃねぇ?どうしたよ、面倒くさがりが。
    「……だめ、だめだ」
     俺は頭を軽く振った。パサパサと髪が揺れる音がする。
     俺ももうガキじゃないし、スポーツ選手の恋人だ。それに俺はサッカーを辞めた時、試合中は凪のサポートが出来ない分、それ以外は全部サポートすると決めた。だから何よりも、凪の体調が第一優先だろ、そこは。
    「選手の大事な体に無理なんかさせらんねーよ。お前は試合に集中しとけ、なっ?シーズン終われば、会いやすくなるんだし」
     笑顔で完璧な恋人を装った俺の心を知ってか知らずか、凪がじっと俺を見つめた。
    『玲王、大丈夫?なんか疲れた顔してる』
     凪の言葉に少しどきりとした。凪はたまにすごく察しがいい。及第点まで仕上げてたはずなのに、咄嗟に自分の目元を指先で覆ってしまった。クマに気づかれたか?
    「んー、へーき。仕事ちょっと忙しかっただけ。あー、逆に丁度良かったかもな、明日はゆっくり休むわ」
    『玲王……その、ごめん、レストランとか予約してくれてたんでしょ?』
    「あ……や、そんなんいつでも行けるんだし、気にすんな」
     そう、誕生日祝いの一つとして「最高級のレストランを予約しておくかんな」って事前に凪に言っていたんだけど、実のところレストランを予約してるってのは嘘で、最高級のレストランつまり、俺の手料理でーす!なんてささやかなサプライズを計画していた。
     凪は普通の誕生日と言ったけど、俺にとって普通のパーティと言われて浮かぶのはゲストの招待人数200人規模くらいのパーティだ。……そういや50人以下規模のパーティとか出たことねぇかも。
     で、俺はSNS等で凪が思うだろう一般人の普通の誕生日パーティってやつを調べてみたのだ。で、びっくりした。普通の誕生日とは家族と数人の友人のみで大体10〜20人以下で自宅でパーティをやるらしい。少な!いやホームパーティは俺もやったことあるけど、料理を見てもこのレベルと規模って、パーティってより、ただのお茶会とかディナーでは……いや、まあそれはいい。
     とにかく、凪が静かな誕生日がいいって言うし、俺だって凪を独り占めしたいし、今回は潔たちも凪の知り合いの選手も誰も呼ばないで、たまには俺の家で2人っきりゆっくりすんのもありかな、でもラストは花火を空からヘリで見る!……というおうちパーティプランが俺が考えに考え抜いた今年の答えだった。
     だから下ごしらえ済みの大量の料理達が冷蔵庫の中で、綺麗に盛り付けられ日の目を見るのを今か今かと待ち侘びている状態だった……俺まじで浮かれすぎ、はっず!
    『キャンセル料、俺払うよ』
     凪の気遣いが良心にチクチク刺さる。ごめん……普通を期待されると思って、そんな高級料理は用意してなかったわ……。次まで凝った料理作れるようにしとこ。
     ここ数日の浮かれた心が現実という固い地面に叩きつけられて、頭の中が冷静になっていく。よくよく考えたら、数日かけて準備した手料理で2人きりでお祝いとか重すぎるわ……しかもヘリまで準備して……恥ずかし。凪的にもどうせ日本に来るなら、日本のプロの美味いメシのが食いたいだろうし、友達にも会いたいよな。俺ほんと浮かれすぎだった。浮かれすぎてガーランドも自分で作っちゃってた。一番普通な輪っかのやつ。
     これは世界の凪誠士郎を誕生日に独り占めしようとした、罰なのかもしれない。
    「気にしなくていいって。怪我した選手も不幸、俺も凪に会えなくて不幸、お前も……」
     凪にとって俺に会えないのは、不幸なんだろうか。
     「もう少し静かでいい」と誕生日に静寂を望む凪の言葉がふと蘇る。俺はそんな凪の望みを無視して、花火を打ち上げようとしてたわけで。
     不意に心を冷えた風が撫でたが、俺はその冷たさを無視して笑みを作った。
    「……お前も、ちょっとは不幸だろ。みんな平等に不幸で、誰かが悪いわけじゃないんだから、マジで気にすんな」
     今の俺がやるべきことは、完璧な恋人を演じることだった。俺がここで弱音なんて吐いたら、凪の折角の誕生日が、台無しになってしまう。だから俺は精一杯笑った。
     よし、これが忙しい今年の凪への誕プレだな、静かな誕生日ってやつ。
    「お前も身体、気をつけろよ。てか、ちょっとスケジュール詰めすぎじゃん?どうした」
    『あー、今年はオリンピックイヤーだから。活躍しとけば招集されっかなって』
    「え、お前オリンピック出たいの?」
     オリンピックは世界最大のスポーツの祭典ではあるが、サッカー界最大の祭典はやはりW杯で、その次か同等くらいに恐らく欧州リーグが来る。オリンピックは、クラブによっては選手の出場を認めないとこがあるくらい、サッカー選手にとってはそれほど重要な位置にはない。
     でも、日本人はオリンピックが好きでしょ、と凪は冷めた眼で言った。
    『オリンピックは前回優勝出来なかったし、一応今年が最後だから。どうせならしときたいじゃん、優勝』
     凪は結構負けず嫌いだ。オリンピックは原則23歳までしか出場出来ないから、今年22歳の凪は最後のオリンピックイヤーだ。優勝を手に入れる最後のチャンスというわけか。その気持ちはわかる。
    「あんま、無理すんなよ。めんどくさがって、飯食わないとかナシだかんな」
    『ん』
    「お前が怪我したら泣いてやるからな」
    『わかった。俺怪我しない』
    「よし、いーこだ。じゃあな、凪……今までで一番最高に幸せな誕生日になるよう、願ってるよ」
     最早、俺が出来るのは、わがままを言わずに、遠くから幸せを願うことだけだ。
    「ちょっと早いけど、誕生日、おめでとう、凪」
    『……ありがとー、玲王』
     そう返した凪は、やっぱり去年と同じ顔だった。
     通話を切って、俺はやるせない気持ちを抱えてベッドに寝転ぶ。明日はここに凪もいるもんだと思ってたのに、頬を押し付けたベッドはひんやり冷たい。
     ……俺、結構、頑張ったんだけどなぁ。
     急な仕事のトラブルも頑張って終わらせたし、仕事をやりながらも明日のために料理の下準備にだって手を抜かなかった。全部、凪に会える、それだけをモチベにして頑張ったのに、なのに神様ってやつは血も涙もない。知ってた。ブルーロックに行ってから、神や運が俺の味方だったことなんて、一度もない。
     俺の人生、凪に出会ったことで運使い切っちまったのかな。運なんかに頼って生きていく気はないから、いいけど。
    「……キス、したかったなぁー……」
     凪には言えなかった下心を小さく呟いてから、天井をぼんやり見上げる。
     半年会ってない。半年触ってない。半年直に声を聞いてない。
     でも、そんなこと言って、凪に面倒くさいって思われる方が嫌だった。誕生日なのは凪だ。俺のわがままを叶えて貰う日じゃない。
     むしろ、凪にとっては久しぶりの静かな誕生日のはず。案外、ゲームやったりゴロゴロして、ここ数年で一番誕生日を満喫出来るかも。
     思えば、ずっとあいつの誕生日を祝いたいって俺のわがままに、凪を付き合わせてしまっていた。あいつにとって、誰にも構われない1日が、最高のプレゼントだったりして。
     ……また、どうにもなんねえこと、ぐるぐる考えてんなぁ、俺。
    「完璧な恋人はどうしたよ……ったく」
     気が抜けたせいか眠気に襲われ、アラームセットの為にスマホに手を伸ばす。が、凪が来ないんだから、別に何時に起きたって良いんだったと思い直し、止めた。
     代わりに、ベッドサイドに置いていた小さな小瓶を手に取る。去年の誕生日に凪にプレゼントした香水だ。プレゼントした時には、興味なさそうな目で見ていたが、俺と会う時にはつけてくれた。そういうところがすげー好きなんだよなぁ。と思いつつ、枕に向かってワンプッシュすれば、凪の匂いが鼻を撫でる。
     凪の匂いがする枕に顔を埋めて、目を閉じれば完璧だ。隣には凪がいるような気に……なるわけねーし!
     虚しい妄想を繰り広げられるほど、俺は夢想家じゃなかった。こういう時ばかりは、SNSで凪の恋人のなりきりをしている女達の逞しい妄想力が羨ましい。
     スマホを手に取り、ちょっと前に千切から教えられた、凪との交際の匂わせをやっているとかいう女子アナのSNSアカウントを開けば『#サプライズ#明日は彼氏の誕生日#彼氏の誕生日#大好きな人#誕生日ケーキ手作り#遠距離#喜んでくれるかな』等々ずらずらとタグをつけて手作りらしいケーキの写真をあげている。勿論、背後に凪のポスターを収めるのを忘れずに。明日、実際は凪が帰国しないなんてコイツらは知りもしないで楽しそうだ。
     俺と凪の関係を公表すれば、こういう奴らを焼け野原に出来るが、そんな理由でカムアウトするほどお子様じゃない。
     それに、このケーキはコメントでも指摘されているように、某百貨店のオーダーメイドケーキだ。凪の誕生日が見知らぬ他人の消費活動を活発にさせてるの、マジで最高。
     こんな奴らより目下問題は……ここ数日テンション上がりまくって、仕事が終わった深夜に色々作った料理とかケーキとか、どうすりゃいいんだろ。1人分の量じゃないんだよなぁ。2人分の量でもないけど。
     冷蔵庫の中の食べ物の処理に頭を掻き毟ってから、俺は意識を失うように眠りに落ちた。
     

    「は?お前先週誕生日だったの?」
     それは懐かしい夢だった。
     まだ、凪と出会ってから早一ヶ月弱、そろそろ俺に懐いてきたんじゃねーの、と呑気に思い始めていたその日、青空の下で俺は衝撃の事実を知った。
     どういう会話の流れで誕生日の話になったかは思い出せないけど、とにかくその時はもうすでに凪の誕生日は終わっていた、先週に。
     その事実に俺は真っ青な空を見上げるしかない。あ、鳥が飛んでる。トンビかな。
     鳥が後ろ向きに飛べないように、いくら金があっても、時間を戻すことは出来ない。
    「マジか〜、言えよ」
     そう言いながら、チラリと横にいる凪を見れば、無表情でゲームをしていた。俺は宝物の誕生日を祝い損ねて残念だったけど、凪はそうでもなさそうだ。
     つい最近出会ったこの男、凪誠士郎は俺が今まで出会ったことのないタイプの人間だった。人は皆人気者の俺のことを知りたがったし、俺に自分のことを教えたがった。御影くん誕生日いつ?私は俺は僕は〜〜〜……俺はそんな彼らにそれほど興味が湧かなかったけど、今はこの誕生日に興味がない男……俺に興味がない男に、俺は興味津々だった。
    「当日は何してたんだ?」
     誕生日に何してた?なんて他人に聞くのは初めてだ。凪と出会ってから俺は初めてづくしだけど、そんな俺の初めてを奪った男は、やっぱりそんなことに興味はない。
    「別に何も。誕生日とか、普通に忘れてたし」
    「忘れてたぁ?」
     ゲームをしながら淡々と答える凪に、俺は驚かされる。普通誕生日って、ケーキが食えたりプレゼントもらえたり、待ち遠しいもんなんじゃないのか?少なくとも、俺が出会ってきた同年代の奴らはみんなそうだった。みんな、他人に祝って欲しがって、一ヶ月くらい前から自然を装って誕生日を教えてくる。多分、俺の金目当て。
     つか、初対面で「お金ちょーだい」とか言ったくせに、凪はあれ以降俺に物品を強請ることはなかった。
    「おいおい、忘れるかよ、普通」
     そう言いながら肩で凪の肩を軽く小突いたけど、凪らしいと思ったし、興味深い。俺に誕生日を祝って欲しがらない、珍しい男。おもしれー男ってやつ?
     俺なんて誕生日の一ヶ月前から、両親からパーティの準備の話をされる。今年はどこでやる、誰を呼ぶ、何を着る、スピーチの内容はどうする。しつっこくて、忘れたくても忘れられない。誕生日が近づくと、何となく憂鬱になる。
     俺も別に巨大なケーキも山積みのプレゼントも豪華絢爛なパーティも義理でしかない祝いの言葉も、嬉しいと思ったことはないから、凪の冷めた反応が素直で自由で、少し羨ましい。凪は愛想笑いも大袈裟に喜ぶフリも社交辞令に過ぎない感謝の言葉も、したことがないんだろう。する必要すらなかったんだ。
     そんでも、俺は唇を尖らせて見せた。
    「俺、祝いたかったんだけど」
     それは本心だ。俺は俺が初めて手に入れた宝物の生まれた日を、心から祝いたかった。誰かの誕生日を大事にしたいと思ったのは俺も初めてだったのに、でも当の本人はその日に価値を感じていない。
    「別に今日祝ってくれてもいいよ」
     凪は興味なさそうにゲームを続けていて、俺は思い切りため息を吐いた。
    「こういうのは当日じゃねーと意味ないじゃん」
    「そういうもん?」
    「そういうもんだよ。大体なぁ、お前は誕生日の本当の価値を理解してない」
    「誕生日なんて、1つ年取るだけでしょ」
     冷めきってる凪の言葉が妙に心地いい。俺は凪の肩に飛びついてニヤッと笑って見せた。
    「あのな、誕生日ってのはさ、ちょっとわがまま言っても全世界から多少のことは許される日なんだよ。そんな日をみすみす逃すのかよ?もったいねぇな。なんかわがまま言ってみ?誕生日過ぎたけど、プレゼント代わりに、俺がお前のわがままを許してやろう」
     俺は物知り顔でめちゃくちゃ適当なことを言ったが、まあ、外れちゃいねーだろ。
     この時の俺は、凪の欲を知りたかった。
     人間を突き動かすもの、それはすなわち“欲“である。上に立つものは下々の者の“欲”を操れるようになって初めて一人前……なんてことを、教え込まれてた。
     凪誠士郎の“欲”を知れば、こいつの操縦の仕方が分かる。
     俺は大体いつでもなんでも許されるから、誕生日はそれほど特別な日じゃない。でもこれでこの謎の生き物のことを一つ知れる……ニヤついたところで、ハッとする。
     あ、つかこれって「じゃあ今日の練習なしがいい」って言われるんじゃねぇ?
     凪はとことん何もしたくないという“欲”を持った人間であることは、すでにわかっていた。あれ?マズったかも。
     内心オロオロしていると凪がパッと顔を上げる。
    「じゃ、玲王の誕生日を教えてよ」
    「は?なんで?」
     それは予想していなかった上に、意味不明な“欲”だった。その心は?
    「なんでって、だって、当日じゃないと意味ないんでしょ?」
     きょとんとした凪の黒い瞳に、俺は首を傾げる。
     いや別に俺の誕生日は良いんだよ。てか、俺にとって俺の誕生日ほど退屈な1日はない。朝から晩まで俺の誕生日を祝うパーティで、知らない相手にニコニコしなければいけない、欲しくも嬉しくもないプレゼントに礼を言わなきゃいけない、虚無の1日。
     そんな俺の退屈な日がいつか知りたいなんて、凪誠士郎、やはり謎が多い。
    「8月12日だけど」
    「あー、ぽいねー」
     凪はゲーム画面から目を逸らすことなく、それだけ言って終わりだった。は?終わり?テメェで聞いといてコメントが適当すぎねぇ?しかも、ぽいって何だよ、どういう意味?俺が夏男っぽいってこと?暑苦しいって?
     俺が困惑の視線を向けていることなんて凪にはどうでもよくて、「うりゃ、ヘッショヘッショ」って俺の知らない言葉を何度も口にする。
     そんな些細なことが、俺が生きてる世界と、凪が生きてる世界は全然違うのだとしみじみ思わされた。俺達の間にあるのは、サッカーボール一個だけ。それで良いような、でも何となく物寂しいような……寂しさが微風のように心に触れる。
     初めての感覚に戸惑いつつ、ゲームに夢中な凪の隣でサッカーボールを手の平で弄んでいた。なんかもう凪のやつ、俺の誕生日の日付とか忘れてそう。覚えろとは言ってねーけどさ。あ、ヘッショって何なんだろ、ググってみよっかな。
    「……あー何か、お腹減ったなー。ねぇ玲王、なんかない?」
     スマホを取り出そうとした時、ゲームオーバーになったらしい凪が、久しぶりに俺を振り返る。そりゃそうだ、昼休み、俺が何を言っても凪はずっと寝ていて、何も食べていない。
    「お前なぁ、咀嚼めんどいってまともに昼飯食ってないからそういうことになるんだろ。俺何も持ってねぇ……あるわ」
     その日は丁度調理実習があり、グループでブラウニーを作って、余りを持ち帰ろうと鞄に入れていたことを思い出す。
     カバンの中から、持ち帰り用の透明な袋に入れられたそれを取り出して見せれば、凪はパカリと口を開けた。
    「それちょーだい。あー」
     目の前で突然、無防備に開かれた唇に、俺は戸惑う。
     は?え、何?食わせろってこと……なのか?
     いつも凪に食わせてるうちの一流シェフが作ったものならともかく、これは初心者の俺が作ったケーキだ。材料だって、教師が準備した一般的なレベルのやつで、レシピも教科書に載ってた極々シンプルなやつ。俺が作ったんだからもちろん完璧な出来だけど、やっぱ大切な宝物に食わせるには、漠然とした躊躇いがあった。
     ……あれ?なんで俺は躊躇ってるんだ?出来は別に悪くないはずだし、異物が混入してるわけでもないのに。  
     それは、初めての感覚だった。
     ……まさか、自信がない?この俺が?
     凪も俺の躊躇いを珍しく思ったのか、首を傾げる。
    「誕生日ケーキってことで、だめ?」
    「や、ダメじゃないけど……でもこれ俺作ったやつだぞ?」
     初心者が作ったものを平気で口にしようとする無防備さをやんわり諭してやるが、凪は無垢な目をきょとんとさせた。
    「わかってるよ?」
     わかってんのに食おうとしてんのかよ⁉︎無防備すぎねぇか⁉︎
    「手作りだぞ⁉︎なんかヤバいもん入ってたらどうすんだよ⁉︎」
    「え、これ調理実習で作ったやつでしょ?ヤバいもん入ってんの?」
    「入ってねーけど!でも、誕生日ケーキならさ、もっと、ほら、一流のパティシエのとか」
    「俺は今お腹空いてんのー」
    「そうかもしんねぇけど……」
     いくら腹が減っているからって、ど素人が作ったもんを食おうとするその神経が分からない。マジで大丈夫か、コイツ。無警戒すぎて、いつか変な壺買わされるんじゃ?危ねぇ。
     凪の将来に不安を感じつつ、俺はスマホを取り出した。
    「ばあやに連絡して、うちのシェフにケーキ作ってもらうからさ」
    「ねー、誕生日は何でもわがまま許されるって、玲王が言ったんじゃん」
     凪は、呆れたように、いや、甘えるように俺の肩に顎を乗せてきた。俺が俺より背が高い凪の、上目遣いに弱いことを知っていやがる。
     ため息を吐き、俺はスマホをポケットに戻した。
    「お前今日誕生日じゃねーだろ……」
    「なんでもわがまま言ってみって言ったのは玲王」
    「ったく、不味くても知らねぇからな」
    「玲王が作ったんだからマズイわけないじゃん」
    「お前のその自信、どこからくんだよ?」
     袋からブラウニーを取り出せば、再び口を開いた凪が待っていた。その時、またあの未知の感覚に襲われる。シャンパンの中に心臓がおっこちたような、何だか指先もピリピリぱちぱちしてむず痒い。じわじわこめかみが熱くなってきた。  
     レシピ通りに作ったから、不味くはねぇとは思うけど……つか俺だって味見したし、変な味じゃなかったし、あー!もうどうにでもなれ!
     半分に割ったケーキを開かれた口に素早く突っ込んでやれば、凪はそれを咀嚼しながらまた何事もなかったかのようにゲームを始めた。かと思えば
    「おぃひぃよーれお」
     ケーキを詰め込んでハムスターみたいに頬を膨らませた凪の姿に、緊張が解けて俺は思わず笑ってしまった。そういえば凪は菓子パンをよく食べてるから、甘いのが嫌いじゃないのかも?なるほど、食欲から攻めるのもありかもしれない。
    ……ん?あれ?緊張?俺が?何故?
     答えを求めるように凪を見たけど、俺の緊張も躊躇いも知らねーって顔で、スマホゲームに夢中。俺だって、緊張とか躊躇いとか、そんなもん知らねーし……知らなかったし。
     この時は、凪が俺に興味を持っていないことに正直、ホッとした。俺は、緊張や躊躇いを他人に気付かれることに慣れていない。
     俺に興味がない凪の横は、その時の俺にとって、そこそこ居心地が良かった。
    「ちゃんと噛めよ、めんどくさがんないで」
     黙々とゲームをしながら、残りのケーキももぐもぐと食べる凪にとりあえずそう声をかければ、飲み込んだ凪が目を上げた。
    「歌は?」
    「……は?」
     一瞬理解できなかった俺に、なぜか凪が呆れたように肩をすくめながら言ってくる。
    「誕生日って言ったら、ケーキと歌でしょ。歌ってくんないの?」
     凪の誕生日祝いのイメージは、意外と、ド定番中の定番だった。
     に、しても
    「はぁ〜〜?お前、大したことねぇって言ってたくせに、結構ねだるな?」
     そんで、意外と強欲な凪の頭をわしゃわしゃ撫でてやると、凪は抵抗せず、唇を尖らせる。
    「わがまま言っていいって言ったのは玲王だし」
     もしかしてだけど、凪がこんな風に誕生日のわがまま言うのって、俺が初めてなんじゃね?それがマジなら、ちょっと嬉しいかも。いや、俺だって凪に“初めて“を何個か持ってかれてるんだから、一つくらい貰ったって良いよな。
     初めての凪の誕生日は、学校の屋上で2人きり、俺のケーキと歌だけの、地味で質素なお祝いだった。
     来年はもうちょいまともに祝ってやろう。俺のそんな決意も知らず、「玲王って歌も上手いんだ」なんて言う凪の口端のケーキ屑を指先で払ってやった。
     で、3ヶ月後の俺の誕生日、虚無パの真っ只中に凪からメッセージが届く。「お誕生日おめでと」ってほんの数文字とクラッカーの絵文字。それだけなのに、山盛りのプレゼントや豪華な食事でも微動だにしなかった心が、めっちゃくちゃ大揺れした。衝動のままに即思わず電話してしまい、「そういうのは直接言え!」と、誕生日特権を使って眠そうな声での「お誕生日おめでと〜」を強奪してやった。
     それが、俺と凪の、まだ友達にも相棒にもなり切れてなかった頃の、“初めて”の誕生日の記憶。





    「うっま!玲王お前マジでシェフになれるわ」
    「お前、ホントなんでも出来るんだな」
     凪の誕生日当日、俺はいつもの休日のように早朝ジョギング、ジムに行ってマッサージを受けた後、千切とに電話して、凪に食べてもらえなかった料理の処理をお願いした。今日が凪の誕生日だと知っている千切が何かを察してくれたのか、二つ返事で「いくいく。もう一つ胃袋必要だろ、國神も誘うわ」と言って國神も連れてきてくれた。マジ助かる。
    「急に呼び出してごめんな、忙しいのに」
     飲み物用のグラスを二人に手渡しながら、突然の誘いに詫びを入れた。
     國神と千切はそれぞれ関東圏のクラブに所属しているので、よく俺の家に遊びに来てくれるのだ。二人は、俺の家は人目を気にせず飲めるからいいと言ってくれるし、俺も二人は凪と俺が付き合ってるってことを知っているから、気楽に付き合える。
    「いや、タダ飯ならいつでも大歓迎だ」
    「こっちこそ、いつもタダ飯悪いな。これ、貰いもんだけど」
     國神からはビールの箱と千切から土産に一升瓶を手渡される。彼らは俺の家で飲む時は必ず手土産に酒を持ってきてくれた。
    「サンキュー。でも今日洋食ばっかだわ、合うかな?」
     今日は凪の好きそうなものを準備していたので、日本酒に合うメニューじゃない。そもそも凪は日本酒よりも甘めのカクテル好きだしなぁ。うちのバーカウンターにはビールサーバーはあるけど、他はリキュールや割材ばかりだ。
     対して國神や千切は、ビールや日本酒、焼酎が好きだ。刺身や唐揚げとか如何にも居酒屋メニューの方が好んで食べてるから、今日のメニューだと物足りないかもしれねぇな。刺身っぽいのなら、鯛のカルパッチョはあるけど……鶏肉なら余ってるのあるから、唐揚げくらいなら追加で作ろうか。
     そんなことを考えていたら、千切がニカリと笑った。
    「元は米だぞ、なんだって合うだろ。ほら、玲王ももう座って一緒に食おう」
    「でも日本酒だろ?グラスじゃないほうが」
    「いらねぇいらねぇ。グラスでいいって。今日の主役はお前なんだから」
     ホストとして料理を並べたり皿を持ってきたりとリビングとキッチンを往復して忙しなく動いていたら、千切から座るように促され、國神にも手招きされてしまった。いや、今日の主役は凪だけど。
     二人が来ると、いつもは静かなこの家も活気が生まれ、凪のいない寂しさを紛らわしてくれる。20を過ぎて、國神も千切もあれよあれよという間に酒豪になった。いつも二人で一升瓶なんて簡単に開けてしまう。俺も凪も酔うような飲み方はしないから、ガバガバ水のように酒を飲む二人の飲みっぷりは見ていて、気持ちがいい。
     千切が土産に持ってきてくれた日本酒を開けて、とりあえずグラスをぶつけ合った。
    「凪誕生日おめでと〜!」
     本人不在の誕生日会の始まりだ。
     凪はどっちかと言うとパンとかピザとか、洋食が好みだけど、どれが面倒くさがりのあいつの好みにハマるかわかんねーから、サンドイッチとかパンとかピザとかパスタとかパスタとか、ステーキは咀嚼めんどいって言われるからハンバーグにした。後野菜もきっちりとって欲しいからサラダも作ったし、スープだって準備した。もちろん、ケーキもホールで作った。
     リビングのテーブルに隙間なく並べられた料理に、二人は目を輝かせてくれた。凪もこれくらいわかりやすけりゃな。凪は、基本俺が作ってくれたもんは食べてくれるし、美味いとも言ってはくれるけど、それは凪が優しいからで、本音のとこはわからない。
    「玲王お前、頑張ったなぁ」
     作りすぎた料理達を眺めながら、千切がしみじみと俺を褒めた。
    「大したことねえよ。一ヶ月くらいミシュランで星3とってるシェフから教えてもらっただけだし」
     よく行く店の仲のいいシェフに頼んだらOKを貰え、オンラインで教えてもらった。やるからにはとことんやるタイプなんだ、俺は。
    「それを世間は頑張ったって言うんだよ」
     よしよしと千切に頭を撫でられ、俺の努力が少しだけ報われる。まあ、結局凪の「一番」じゃなくて「頑張ったで賞」でしかないけど。
    「いいのかよ、こんなスゲーの、まじで俺らで喰っちゃって」
     國神が若干戸惑いの目で見る大量の料理は、作った俺から見てもなかなかの迫力があった。凪と二人でも食べきれなかっただろうから、どうせ國神たちを呼ぶことになったかも知れない。
    「どうせ、お前らが食わないなら捨てるだけなんだよ」
    「おーわかった、任せとけ。全部食うからよ」
     決意の顔で國神は頷いてくれた正面で、千切が自分のスマホを持ち上げた。
    「お、そん前に写真撮ってい?SNSにあげたれ。玲王も國神も寄って寄ってもっと寄ってもっともっと!入んねーから」
     男3人で自撮りを試みる千切の指示に素直に従い、いつものように國神を真ん中にして撮る。自分の顔が映る角度をそれぞれ微調整する俺と千切に挟まれ、國神が所在なさげな顔をしたところが千切のお気に入りシャッターチャンスだ。
     何回か連写で撮って、千切は満足げに撮れた写真を見せてくる。相変わらず俺と千切の間には微妙に緊張顔の國神がいた。そういや、前に凪が俺らの写真を見て「きんにくん初めてのチェキ会かよ」って言ってたけど、チェキ会って何。
    「これ見たら凪もめっちゃ悔しがるぞ」
     何故か楽しげな千切に、國神は不安そうに口元を引き攣らせる。
    「……俺ら逆に殺されねぇか?」
    「はぁ〜?大事な恋人泣かせるあいつが悪いんであって、俺らはなーんも悪くねぇし」
     ふん!と顎を上げた千切だが、いくらなんでも語弊がある。
    「別に泣いてねぇって。仕事なんだから、しょうがねーだろ?」
     もちろん残念とは思うが、俺はちゃんと諦められているのだ。ましてや泣いてなんかいない。こんなことで泣くほど、俺ももう子どもじゃない。
     昔は何でも自分の思い通りにしたがった俺だが、俺も成長したな。自分の思い通りにならない存在と、出会ったおかげだろうか。
     千切からの差し入れの日本酒を飲み切ると、体の奥からぐわりと熱が広がるのを感じた。日本酒はあまり飲み慣れてないから、酔わないようピッチャーの水をグラスに注ぐ。
    「……ついでに、お前らに聞きたいんだけど」
    「何?」
     一杯くらいじゃまだまだ酔いを見せない二人は水を飲むように酒を注いでいる。そんな二人に俺は眉間を寄せ、手の中のグラスを強く握って最近一番の悩みを吐き出した。
    「普通の誕生日パーティって、実際どんなんだよ?」
    「……はぁ?」





     18歳の凪の誕生日は、俺達の関係も前年よりちょっと、いや大分変化していた。それはいい変化と言えるのか、それとも悪い変化と言えるのか、何とも言い難い。一年前と違って、俺たちは“相棒”と……お互いに明言はしてなかったけど、“友達”だと周りからは見られている。……青春ごっこコンビってそういう意味だよな?
     でも、凪の友達は別に俺だけじゃない。だから凪の誕生日、俺は潔とか千切とか馬狼とか、凪の新しい友達を招待して、クラブで貸切パーティを開催した。この時のパーティ規模は150人以下だったと思う。
     意外とみんな参加してくれたのは、正直驚かされた。案外凪は愛されている、って事なのか?集まった面々の楽しげな顔が、嬉しいような……ちょっとだけ、複雑なような。
     色とりどりのライトに賑やかな音楽には慣れてないらしく、凪は初めは面倒くさそうな顔をしていたけど、気の置けない奴らしかいないから、徐々に目が楽しげになっていくのを、俺は遠目で見ていた。
     具体的には、1階のメインフロアで主役がみんなにもみくちゃにされているところを、俺は2階のVIPルームのソファに座ってノンアルシャンパン飲みつつ、壁の花よろしく静かに眺めている。
     去年の誕生日は隣に座っていたのに、この距離感が今の俺と凪の心の距離を表しているようで、なんてか、こう……情けねぇな、俺は。
     17歳の俺は凪に……少なくとも俺はあいつに熱すぎる執着のような仄かな固執のような、微妙な感情をどう名づければいいか戸惑っていた。よくわからないけど、他人に気づかれてはいけない感情のような気もした。
     だから大勢がいるのも、パーティのホストとして忙しかったのも、精神的に助かった。凪との適切な距離感を図りかねている俺は今、物理的に凪と距離をとっている。でも、自ら距離をとっていると言うのに、凪が隣にいないことが、寂しかった。いや大人になれ、俺。
     俺がプレゼントしたブランドのニットよりも、潔から貰ったプレゼントのが嬉しそうだったのはちょっとイラッとしたけど、まあいい。相手は凪誠士郎だ、期待する方がどうかしてる。
     そんでも、俺は去年の雪辱を晴らせたことに、それなりに満足してた。天才凪誠士郎の誕生日が、ケーキと歌だけなんて、今思い出しても鼻で笑えるほど地味すぎる。
     だが、今年の誕生日は完璧だ。プロの料理とケーキに歌、沢山の友人達が凪の誕生日を祝うために集まった。今日の主役は間違いなくお前だ、凪誠士郎。
     メインフロアで潔達に囲まれている主役を眺めながら、手に持っていたグラスを軽く持ち上げ、俺は凪の誕生日を静かに祝いながら満足していた。
     どうだ?お前の誕生日をこんなふうに祝えるのは、この俺だけだろ?
     遠くにいる小さな凪を、シャンパンの中に捉える。凪の主役っぷりに満足しつつ飲んだシャンパンは、ノンアルコールのはずなのにちょっと苦味があった。
     今日、俺はまだ凪と殆ど会話をしていない。パーティの準備が忙しくて、凪の迎えも着替えも、潔や千切達に任せた。彼らには凪も懐いているし、特別な日だ。俺が迎えに行くよりも凪は嬉しいだろうし、サプライズ要素も必要だと思ったんだけど。
    「凪のやつ、着替えんのめんどくせー、寝てたいって、すげぇ不機嫌だったんだけど」
     俺の向かいに座ってスマホを見ていた千切が、今朝凪を迎えに行ってくれた時の様子を愚痴混じりに教えてくれる。ベッドに潜り込んで抵抗する凪の姿が、目に浮かぶようだ。
    「俺にもいつもそんなんだよ、手間かけたな。ありがと。お嬢も國神も、今日は好きなもん、好きなだけ食ってってくれ」
     このVIPルームには、今、千切と國神がいる。元々、メインフロアの状況を常に把握しておくために俺が一人で階下を一望できるここにいたら、千切と國神が二人で大量の食べ物が乗った皿を両手に「ここ下より静かでいいな」と言って、居着いてしまった。
     國神はひたすら食べ、お嬢はスマホを見たり、小説を読んだり自由に過ごしている。二人とも、誰かとはしゃぐことが苦にならないタイプなのに、もしかしてパーティつまんないのかなと思ったが、國神はステージで歌うロックバンドに目が釘付けだった時もあるし、お嬢はソファが気に入ったのかたまに寝転んだり、近くの國神を枕にしたり足おきにしたりと、自由気ままに過ごしている。
     もしかして、俺は何か気を遣われているのだろうかと思うが、千切はスマホから目を上げて肩をすくめた。
    「十分食ってるよ、ありがと。お前、ほんといつも大変だな」
     俺から見れば、今笑いながら答えた千切の背もたれになっている國神も大変そうだが、國神は慣れているのか全然気にせず肉を食べている。
     俺も凪の相手を、大変とは一度も思ったことがない。それは多分、あいつが俺の宝物で、友達だから。
     そんなことねーよ、と言おうとした口は、欠伸の形になってしまう。それを見た千切が「お前、頑張りすぎだろ」と笑った。でもこの眠気は、頑張りからくる眠気じゃない。
     普段は22時には寝るけど昨夜は、日付が変わると同時に凪にメッセージを送った。去年のリベンジと、凪の誕生日には俺が一番にお祝いしたい、そんな小さな野望のため。
     誕生日に興味のない凪は、どうせとっくに寝てる。メッセージを送っただけで満足した俺もすぐにスマホの電源を切ろうと、人差し指に力を入れかけた時、既読がついた。え、早。と驚く間もなく「ありがと」なんて返事まで。  
     予想外のことに、真夜中にテンションが爆上がりした。
     気がついたら俺は家のキッチンに立ち、ケーキを焼き上げていた。去年と同じブラウニーを。
     すずめの鳴き声を遠くに聞きながら、何やってんだと項垂れ、今日の睡眠時間は2時間程度になったし、迷いに迷ったけど、作ったケーキは勇気と一緒にキッチンに置き去りにしてしまった。
     怖かった。凪が去年のことを覚えているとは限らない。でも、もし覚えていてくれたら。
     期待と不安の振り幅がヤバすぎて、俺は結局、凪に「覚えてない」と言われる恐怖の方に負けてしまった。あいつが覚えていなくても、覚えていても、その時生まれた感情の名前に気付いてしまいそうで、それも怖かった。
     階下の喧騒を遠く聞きながら、手持ち無沙汰に手の中の細長いグラスをくるりと回せば、薄金色の水面がゆらりと揺れた。
     この感情を“友達”と解釈するには、疑問点が多すぎる。例えば、今目の前にいる千切と國神のことを俺は友達と思っているけど、彼らとずっと一緒にいたいとか、彼らの為なら何だってしたいなんて、思ったことがない。離れている時に、今あいつら何してんのかな、なんて考えたこともない。
     友情じゃないなら“これ“は何なのか。よくわからないタイミングで高鳴ることがある心臓に手を当てた。
     それは重石のように胸の下に留まっているかと思えば、溶岩のように熱くなることがあり、時に心を浮ばせる翼になることもある。
     俺から冷静さを奪うこの感情を自覚したのは、一年前の凪の誕生日から。つまり、俺はこの一年、ずっとこの感情を持て余していた。“これ“は俺から俺らしさを奪うし、俺も“これ”に付き合わされて疲弊している自覚もあった。
     昨晩、静まり返ったキッチンで黙々とバターをかき混ぜながら、考えた。
     もし凪が覚えていなかったら、俺はこの名もなき感情を、無かったことにしようか……なんて、馬鹿な賭けを。ま、結局持って来なかったんだけど。
     小さく自嘲し、何気なく階下のケーキカウンターへ視線を落とす。プロが作った華やかなケーキやらアイスやらがずらりと並べられていて、その量と種類に高校生男子がはしゃぎまくっていた。それを眺めながら、あのケーキを持ってこなくて良かったと心底思う。俺のこの無色透明な感情に名前も色も、つけないほうがいい。
     ケーキカウンターは色彩豊かで壮観だった。煌びやかな赤、計算され尽くされた白や洗練された紫色、陽気な黄色のケーキ、そして、シンプルな黒。ん?……待て、黒?
     グラスを置いて慌てて立ち上がり、メインフロアを覗き込む俺に「玲王?」と千切が怪訝な声で呼ぶが……気のせいだろうか。なんか、俺が作ったケーキが、置いてある……気がする。そんなバカな、寝不足の勘違いだろう。
     目を擦って、両頬を軽く叩いてから、もう一度ケーキカウンターの方へ視線を向けた。今度ははっきり見える。やばい、確かにあるわ。
     去年のとは違って、結構良いチョコレートを取り寄せ、表面には色んなナッツやドライオレンジやドライストロベリーを乗せて、見た目にもこだわった、世界で一つだけのケーキが、確かにそこに並べられている。金箔が乗った派手なオペラの隣に。あまりにも場違いすぎて愕然とした。
     えっ、待て待て、何で?
     今朝、着替える前にケーキの端を切って形を整え、切った端っこをばあやと二人で味見をした。「誠士郎様もお気に召しますよ」とばあやに言われたけど、着替えながらやっぱり持っていくのは止めようと決意した……ところまでは記憶がある。
     今日フロアに並べられている料理は、メイン料理は有名シェフのケータリングを頼んだが、サンドイッチやデザートはうちの料理人がうちのキッチンで作ったものも、一部持ってきていた。だから、誰かが、キッチンの作業台に置いていたケーキを、今日の為に作ったと勘違いして、一緒に持ってきてしまったんだろう。なんてことだ。俺の知らないうちに、ルーレットが回されてしまっている。
     ……てか、凪、あいつもしかして、気づいて食ってたりしねぇのかな。
     起きてしまったことは、もうどうしようもない。ちょっとした期待を胸に、もう一度、ケーキに視線を飛ばしたが、シンプルすぎる見た目のブラウニーは不人気だったようで、誰にも手をつけられることなく売れ残っている。あ、だろうな。
     胸が僅かに痛みを覚えるけど、この痛みの価値なんてそんなもんなんだって、見せつけられてる気分だった。結局、賭けは俺の負け……いや待て、ワンチャン、凪がまだ、存在に気づいてないだけかも。
     多分、食えば美味いんだから、誰か俺のケーキを皿に取って、凪の目の前で食ってくれたら、凪も気づくんじゃ?誰か、誰か……。観察し続けても、馬狼はプリンを選び、蜂楽はトロピカルフルーツのタルトを沢山皿に盛り、潔はショートケーキを皿に一個だけ乗せていた。ショートケーキって、地味かよ。
     その時、ケーキカウンターの近くに、斬鉄が皿を片手にやってくる。どのケーキにしようか吟味している姿に、俺は必死にブラウニーだ、ブラウニーを取れ!と念じるが、斬鉄がブラウニーをじっと見ていると、慌てた様子の二子が斬鉄に何か話しかけ、結局オペラとフレジェ、シュークリームを二個ずつ取りカウンターから離れた。
     バカ斬鉄すら俺のケーキを選ばなかった。結局、俺の涙ぐましい努力は誰の目にも留まることなく、存在すら気付かれず、最終的には生ゴミとして捨てられておしまいってことか。
     はぁ、とため息を吐き、崩れ落ちるようにソファに座わる。なんか、どっと疲れた。シャンパンが入ったグラスを再び手に取り、一気に飲み干そうとして、止める。
     そういえば、まだ、凪と直接乾杯出来てない。
     グラスの中、生まれてはふつふつと浮上する小さな気泡をぼんやり眺めた。永遠に生まれるように見える気泡も、液体の中の炭酸ガスがつきれば消える。俺のこの小さな想いも、黙って眺めていれば、そのうち消えるんだろうか。
     もう一度ため息を吐き、やるせない気持ちを払拭しようと、目を閉じた。
     でも、心を落ち着かせたら、逆に段々むかついてきた。凪はともかく、一個も誰も食ってねぇとか有り得なくね?俺も味見したけど、そんなに悪くなかったぞ。この優秀な俺が、やろうと思ったら何でも出来ちゃう俺が作ったケーキが選ばれない?あーケーキ作りの練習して、誰が食ってもプロと間違えるほどに上達したくなってきた。テメェら全員覚えてろよ。来年は目にもの見せてやる。来年は俺のケーキが選ばれるんじゃねぇ、ケーキがてめぇらを選ぶんだ。
    「……なぁ、玲王。そんなに気になるなら、話しかけに行けばいーんじゃね?」
    「え?」
     眉間に皺を寄せ、シャンパングラスを睨みつけていると、千切が苦笑交じりに声をかけてきた。どうやら俺がフロアのケーキを見ていたのを、みんなと話をしている凪を嫉妬の目で見ていると勘違いしたらしい。
    「そんなんじゃねーし」
    「ふーん?」
     千切は皿に取ってきた寿司を口に入れながら、適当に相槌を打つ。その適当さが妙に俺を気まずくさせ、テーブルにグラスを置いた。
    「それに凪も楽しそうだし、邪魔出来ねえだろ?」
    「ふーーーん」
     だめだ、何を言っても説得力に欠ける。
     我ながら言い訳にしか聞こえず、千切のニヤニヤ笑いに居た堪れなくなりソファに身を投げた。自然と上がった視界の中で、ミラーボールがキラキラと光を反射させながら回っている。それはサッカーを楽しいと初めて感じたあの時の凪の瞳を想起させ、俺の心を切なく締めた。
    「……あのな、信じねぇかもだけど、凪が俺以外のやつとコミュニケーション取れてるの、結構嬉しいんだよ、ほんと」
     凪の変化は、俺は少し怖いけど、本人にとっても、この世界にとっても悪いことじゃない。
     今は凪の隣に居られるけど、この席は永遠じゃないんだと気付かされたあの瞳の輝きは、とても綺麗だった。悔しいくらいに。
     それと同時に悟った。きっと、俺がこいつの目をこんなに輝かせられる日は来ないんだろう。俺は、潔や蜂楽、馬狼たちと違って、突出する才能がない凡人だから。
     凪は、俺みたいなやつといるより、ああいう奴らと出会い、一緒にいた方が、きっと成長する。
     お前には無理だ、諦めろーーー父親の言葉が耳に奥で響き、奥歯を噛み締めた。
    「でも、他の奴らのところに行ったきり、自分のとこには戻ってこねぇかもしんねぇって不安なんだろ?」
     さっきから無言で肉を食べていた國神が、とってきた肉を食べ終えたらしく、口を開いた。國神にはライバルリーの時に、散々泣き散らかしながら本音をぶちまけてしまったから、誰よりも俺の不安を知っている。下手したら凪よりも。國神は俺の頭を宥めるように2、3回撫でてくる。
     同年代に子ども扱いされてしまった照れ隠しに、俺は無意識に両腕を組んで、唇を尖らせた。
    「……だから、あいつがどこに行っても俺のとこに戻ってくるように、俺はこーして頑張ってんじゃん」
     こんな派手な誕生日パーティを開いてやれるのは、この御影玲王だけだって、凪や周りに見せつけてやるいい機会だった。
     結局、俺が凪に与えられるのは、御影の名で得た金だけ。あんだけ御影を疎んでたのに、結局それがないと凪の隣に居られない現実、マジで笑うしかない。
     そもそも凪が、このパーティを気に入ってくれてるかは、分からないけど。
    「玲王はすげーよ、マジで。肉めっちゃ美味いしな」
    「目的のためには手段選ばない感じ、いいじゃん」
     でも、國神と千切には口々褒められ、俺は「もっと言え」とふんぞり返って足を組み直した。この2人はいつも俺を褒めてくれる。心が弱っている時は、くにちぎに限るわ。國神用の追加の肉料理と、他適当に持ってくるようスタッフに連絡してやろう。
     さて、今年はクラブ貸切のパーティをやったけど、来年はどうしたものか。
     凪から今年の誕生日の感想を聞いてから考えてもいいけど、でもいい会場は一年前から埋まってたりするからなぁ……来年はもっと凪は有名になっているだろうし……。
     そもそも、来年も俺らは誕生日を祝えるような仲で、いられんのかな。
     チラリと再度メインフロアを見れば、やっぱり俺の作ったケーキは手付かずで、まあそんなもんだよな、と自嘲する。さよなら俺の、なんにもなれなかった感情。
     しんみりシャンパングラスをくるくる回して炭酸を飛ばす俺のことなんて構わずに、隣りに座る國神はもりもり肉を食っててくれて、いっそ爽快だった。
    「なぁ、玲王、余った肉って持ち帰ってもいいか?」
    「永遠の食い盛りかよ」
     口に肉を頬張ったままの國神のおねだりを、千切が笑い、肉を喰う國神の写真を撮る。2人の変わらない空気感に少しホッとした。こいつらのこういうところに、相変わらず救われている俺は頷く。
    「いいぞ、好きなだけ持ってけ。どれ持っていきたい?今のうち用意させるわ。千切もなんかあるか?」
    「俺も良いのか?」
    「当たり前だろ」
     國神と千切の持ち帰りたいメニューをスマホでウェイターに伝え、彼らに持ち帰り用の準備を頼む。ついでに見向きもされなかった哀れなケーキも、トレイごとここに持ってくるように頼んだ。もう、充分だろう。ケーキカウンター近くに待機していたウェイターが、即座に持ってきてくれた。
     地味なそれに気を使ったのか、「デコレーションしてお持ちしましょうか?」と聞いてくれたが、俺はそれを苦笑しつつ断った。そんなんされたら益々惨めな気分になりそうだったから。
     ガラステーブルの上に置かれた手付かずのケーキを、國神と千切不思議そうに見る。そりゃそうだよな、いきなりこんなの持って来られても困るよな。お嬢様なんて、大きい目を更に大きくさせてきょとんとしていた。
    「あれ?このチョコケーキって、確かさっき……」
     なぁ?と隣の國神の脇を肘で突き、何か同意を求めていたが、國神は「あ?なんかあったか?」と追加の肉を食い続ける。國神はケーキより肉か。だろうな。千切が怪訝そうに眉間を寄せた。
    「國神お前、スマホは?さっき潔からメッセ来てたろ」
    「……ん?あ、クロークに預けたバックん中だわ」
     ジャケットのポケットや尻ポケットを叩いて確認した國神の結論に、千切が呆れた顔で自分のスマホを取り出し、画面をタップし始める。その間に俺は雑談のつもりでケーキ事情を告白した。 
    「実はこのケーキ、俺が今日作ったんだよな。出すつもりはなかったんだけど、うちから誰かが間違って持ってきたみたいで、びっくりしたわ」
     瞬間、スマホを見ていた千切が顔を急に顔を上げて、丸い目で俺を凝視する。
    「玲王の、手作り?」
     僅かに緊張が滲む声は、なんだ、手作りにトラウマでもあんのか?って言いたくなるくらいの驚きぶりだ。でも、そうか、千切も今まで相当モテて生きてきたんだったな。
     同時に脳裏に浮かんだのは、有名店の名が書かれたボックスやショッピングバックの中にいくつか混じる、ブランド名のないラッピングがされたプレゼント。
     あー分かる、たまにやべー奴が変なもん入れた手作りお菓子を渡してくるよな。薬物ならまだ意図が読めるからマシだけど、髪の毛とか爪とか血とかは何なんだ。
     俺も他人の手作り食わないようにしてるから、千切の警戒も分かる。ま、俺の場合やばそうなプレゼントの類は、既製品にしろ手作りにしろ、ばあやが全部火炎放射器で焼き払ってたけど。
    「変なもんは入ってねぇよ、衛生にもちゃんと気をつけたし、作ったのも今日だし」
    「や、そうじゃなくて、そうじゃねーんだよ、玲王」
     スマホを握って何かを訴えるように首を横に振るお嬢の隣りで、肉を飲み込んだ國神が感心したような声を上げた。
    「へぇ、マジか。玲王お前マジでなんでも出来んだな、すげー美味そう。食っていい?」
     良いやつかよ。知ってたけど。
     率直な褒め言葉に戸惑いながらも、俺は國神に後で神戸牛の詰め合わせを送ることに決めた。
    「いいぞ」
    「いや、ダメだろ」
     俺がOKを出せば、すかさず千切が強い口調で國神を差し止める。
    「お嬢?」
     お前そんなに手作りにトラウマが……。憐憫の視線を向けかけた、その時だった。
    「良いのかよ、そんなん俺らが食って……今日作ったって言ったな?玲王が食わせたいのって、俺らじゃねーんだろ。お前、ビビってんのかよ」
     千切の切れ長の目が俺の弱い心を鋭く射抜く。突然の試合の時のような千切の気迫に、俺はぎくりとした。
     見抜かれている。凪に直接挑むことなく、終わらせようとしていることを。
    「ビビってなんかねぇし。ただ……」
     反射的に否定して、千切の強い視線から逃れるように、テーブルの上にあるブラウニーに視線を落とす。
     ……いや、俺はビビってる。
     思わず、強く下唇を噛んでいた。
     今朝、俺が自ら9等分に切り分けたそれは、一つも欠けることなくここにある。つまり凪は、これの存在に気づきもしなかったということだ。
     俺ばっか、過去に取り残されている気がして、それを痛感させられるのが、怖い。
     早い話、 賭けは俺の負け。負けを認めなきゃ、前に進めない。みっともない“これ”を俺は一刻も早く、無くしてしまいたかった。
     でも、一番みっともないのは、変わるのを怖がっている俺自身なのかもしれない。俺も今、バカになるべきなんだろうか。いや、ケーキ作ってる時点で充分バカだけど。
     ジィッと俺を疑うように見る千切の強い眼に急かされ、俺は咄嗟に誤魔化した。
    「だから、その……アイツに食わせる前に、味見、して、欲しい」
     そうだ、凪が去年のことを忘れているなら、今日、新たな思い出を作りゃいい。両手に勇気を強く握り、顔を上げた。
    「そんで絶対、美味いって、言えよな」
     俺のお願いに目の前の千切の顔から警戒がふっと消え、いつもの優しいお嬢になった。
    「ああ、何だ、味見。味見な。そういうことなら…………まあ、大丈夫か……?」
     何で、大丈夫か……?なんて疑問系なんだろう。やっぱ、千切も手作りにトラウマ持ってるんだろうか。さっきからちらちら、とメインフロアの方へ様子を伺うように視線を向けているけど。
    「お嬢、気が乗らねーなら、無理には」
    「あ、気が乗らねえとかじゃないって。普通に美味そうだし、食いたい」
     千切は軽く手を横に振ってから、手に持っていたスマホをソファの上に投げた。
    「ありがと、助かる」
     もし、こいつらに美味いって言ってもらえたら、それで勇気が出たら、凪に土産に持たせてやろうか。ちょっとプレゼントっぽくラッピングして。そしたらこの地味なケーキもそれなりに見えるかも、と俺はこの真っ黒いだけのケーキをどうにか凪に食わせる方法を思案する。
     俺の真っ黒くて苦い厄介な恋心は、凪に食って貰って終わりにしちまおう。ま、凪のことだから、食わずに捨てるかも知んねーけど。いや、絶対捨てるわ。手作りとかめんどくせーもんな。
     来年は、真っ白で純粋な友情だけを飾った、ショートケーキを作ろうか。……来年、まだ俺に凪の誕生日を祝う資格があるのなら、の話だけど。
    「まだ勉強不足でこんなんだけどさ、来年はもっとすごいケーキ作ってやろうと思ってんの。あのめんどくさがりが食いたいってなるようなやつ。だから厳しめの感想頼むわ」
     トングでケーキを摘み、適当な理由を口にしつつ千切と國神の皿に一個ずつ置くと、フォークを手に取った千切が何かを小さく呟いた。
    「いやー……もうなってると思うけどな」
    「いっや、普通に美味いわ、これ!マジでお前優秀だな」
     國神の感嘆の声で千切の言葉はかき消されたが、國神の勢いに押され、俺はそれを気にしなかった。お人好しヒーローは飾り気のない褒め言葉をくれるが、こいつもばあやと同じだ。俺の惨めな恋心を美味いと言ってくれるなんて、良い奴だから激甘判定がデフォ。國神は絶対に不味いものも「美味い」と言って食い切る人間だろう。
     俺としては、千切の辛口評価を求めてたんだけど、彼は一口食べ、長いまつ毛を揺らした。
    「お、確かに美味いわ。高級な味がする。売れるぞ、これ」
     國神も続いて「売れる売れる」と頷く。だよなぁ、やっぱ美味いよなぁ。やっぱなんか俺のケーキを選ばなかった凪にむかついてきた。
     でも、凪を恨む前に、俺は二人にもう一つ聞いてみたいことがあった。
    「つか、今更だけど、一般的にやっぱ手作りって重いかな?」
     俺は手作りが重いとか軽いとか、そこらへんの一般的な常識がよく分からない。深く考えるより前に、ばあやが全部焼き払ってたし。
     國神は即「別に重くないだろ」と平然と答えた。お前はそうだろうな、ヒーロー。
     千切は咀嚼をしながら何かを考えるように「あー……」と間延びした声を出しつつ、視線を上に流した。
    「……重いか重くないかって言ったら、重いと思うけど……凪は重いとか思わねぇんじゃね?」
     やっぱり凪はそういうの、重い軽い以前に何も思わないんだろう。内心、舌打ちしてしまう。もうちょっとココア多め作れば良かった。俺の失恋の苦味を、凪にもちょっとは感じてもらえるように。
    「つーか玲王、こんなめちゃくちゃ金かけたパーティ開催しといて、手作りケーキ一個の重さ気にしてんのかよ」
     千切に呆れたように言われたが、俺はちょっと呑み込めなかった。パーティは、ただの社交だ。金さえ出せばどうとでも出来て、尚且つ俺は金持ちだ。俺としては、自分の感情剥き出しの手作りケーキのが、よっぽど重い気がするが……もしかして、一般的には違うんだろうか。やっべ、もしかしてこのパーティ自体、凪に迷惑だったりする?
     不安になり、顎に手を当てて考え込んでしまった俺に、ケーキを食べ終えた國神は力強く親指を立てた。
    「安心しろ、俺は誕生日にこんなケーキもらえたら、めちゃくちゃ嬉しい」
    「マジで?あ、お前ら誕生日いつ?苦手なもんとかある?」
    「ん?何で?」
     ケーキをつついていた千切が、不思議そうに大きな目を向けたので、それに俺は満面の笑みを作る。
    「お前らも、凪と同じく俺の大切な友人だしさ、誕生日にケーキ、作らせろよ!」
     そうだ、重さを分散させてしまえば、手作りケーキも軽くなるはず。みんなの誕生日にもケーキを作れば、凪も俺がそういうタイプだって思って、気軽に食べてくれるかも。
     同じく、を僅かに強調すると、千切が気まずそうに目を逸らす。
    「あー……いや、いや、俺は嬉しいけど、でもそれは多分、絶対に凪が」
    「俺3月11日な」
     千切が何やら言いにくそうに凪の名前を出した時、ケーキを食べ終えた國神が誕生日を教えてくれた。「國神お前、答えてんじゃねぇよ」と千切が何故か頭を抱える。國神はそんな千切に怪訝な目を向けた。
    「だって普通に美味かったし。もう一個食っていいか?」
     國神の純度の高い褒め言葉とおかわりが俺の自己肯定感をマシマシにする。だよなぁ、美味いよな、やっぱり俺は超優秀。トングでケーキを掴もうとした、その時だった。
    「おい、味見なんだから、一個で充分だろ」
     俺の後ろから聞こえた少し冷ややかな声に、國神は伸ばしかけたを手を止め、千切が深くため息を吐く。
     振り返ればそこにはついさっきまで下にいたはずの凪が、立っていた。こっちが座ってるとやたら凪がデカく見え、威圧感すげえ。
    「あれ、凪?なんで?」
    「お待たせ、玲王。ふいー、疲れたぁ」
     凪は俺の隣に座り、コテンと俺の肩に頭を乗せ、目を閉じた。可愛い。唐突に頬に触れた柔らかな髪と凪の香りに、めちゃくちゃ動揺してしまった。二人きりの時には俺の肩を借りて寝ることはよくあったけど、最近はこんな人前でそんなことをするなんて、珍しかったから。
    「お、お?」
     普段は懐かない猫が膝に座ってきたみたいで、動揺する俺をよそに、凪は目を閉じたままモゾモゾ頭を動かして、俺の肩で一番居心地のいい場所を探す。そしてようやく落ち着くところを見つけたのか、ふっと瞼を上げた。
    「あー、お嬢ときんにくん、下で潔が呼んでた。早く行った方がいーんじゃない?」
     俺の肩に頭を乗せたまま、凪はそう言って千切と國神を一瞥する。あ、そういえばさっき、千切が國神に潔からのメッセがどうとか言ってたっけ。てか潔のヤツ、今日の主役を伝言に使うとか、まじエゴイストすぎねぇ?凪も凪で、何で大人しく潔の言うこと聞くんだよ。
     ムゥと不満に頬を膨らませている俺に気づくことなく、凪は千切と國神を見据えながら、もう一度、ややゆっくりと繰り返した。
    「呼んでたよ、潔が」
     言い終わる前に、お嬢が素早くソファから立ち上がり、國神の後襟を引っ掴む。
    「あーはいはい、了解了解、行くぞ、國神。今日は凪が王様だ」
     え、行っちまうのかよ。
     慌てて俺は腰を浮かせかけるが、肩に乗る凪が突然重量を増し、それを阻む。凪の頭重ッ!脳が詰まってる証拠だけど、困惑に瞬きをすれば國神の落ち着いた瞳と視線が合った。
    「おー、玲王、なんかよくわかんねぇけど、元気出せよ。お前は優秀だよ、ごちそうさん」
     立ち上がった國神は俺の頭を乱雑に撫で、そんな國神の背中を千切は殴り、蹴り、「バカ國神!ばーか!」と散々貶しながら仲良くメインフロアへの階段を降りていく。相変わらず仲が良いその二つの背を呆然と見送りながら、一つの疑念が浮かんだ。
     つか、國神のやつ、俺にはとりあえず優秀って言っておけばいいって思ってないか?
     國神にぐしゃぐしゃにされた髪を手で軽く払って整えてたら、もそりと起き上がった凪が髪を直すのを手伝ってくれる。
     凪から俺に触ってくるのが珍しく、それを揶揄ってやろうかとも思ったけど、何て言えばいいのかもわからず、自然、無言になってしまう。
     ……なんか、きまずい。
     いや落ち着け、俺は御影玲王だぞ。人心掌握術だって会話術だって自信がある……自信があったのに、こういう時は……めちゃくちゃどうでもいい話を振るのがいいんだっけ?例えば、「今日肌の調子めっちゃ悪くて〜」とか。これで行こう。
    「玲王、なんか元気なかったの?」
     俺が口を開こうとしたら、俺の髪を直し続ける凪が先に会話を振ってきてしまった。
    「え?」
    「きんに君が言ってたから」
     凪の黒く感情が読めない目にじっと見つめられ、普段はぐるぐる回る頭が、珍しく動きが鈍い。なんだっけ、あ、そうそう肌だ、肌。
    「肌の調子ちょっと悪くってさ、季節の変わり目ってこれだか、ら」
     調子を取り戻そうと笑った瞬間に突然、凪の手が俺の頬に添えられたので、正直マジでギョッとした。一方凪は、こっちが心臓バクバクだなんてことも知らない相変わらずの無表情で、不思議そうに首を傾げる。
    「そんな感じしないけど……いつもと変わんなくない?」
     何かを確認するように頬をさすられ、俺は、俺は……昨日エステ行ってて良かった……!って、そうじゃねぇ!
    「お、前のパーティに張り切りすぎたのかもしんねぇな」
     緊張で喉が渇いてきたので、平静を装いながらシャンパンが残っていたグラスへ手を伸ばす……ふりをしてちょっと凪と距離を取った。これ以上近距離にいたら心臓が死ぬ。凪の視線を感じつつ、炭酸が消えかけているそれを飲み干した。よし、おかわりを誰かに持ってきて貰おう。
    「凪、お前なんか飲むか?レモンティー持って来てもらうか」
     階下へ繋がる階段の側で待機をしていたウェイターを呼び、空になったグラスを軽く振ってみせた。
    「後、彼にはレモンティー。アイスでな」
     俺の指示に彼が一礼し、階段を降りて行ったところで、俺はふと気づく。國神も千切も待機しているウェイターもいなくなった。
     やってしまった、凪と完全に二人きりになってしまったのだ。沈黙の理由に出来る飲み物もなく、テーブルにあるのは俺の作ったケーキだけ。
     ちょっとした気不味い沈黙の中、にぎやかな音楽だけが軽快に響く。
     凪もこういう時にこそ、スマホを取り出してゲームでもすればいいのに、余程疲労したのか始める素振りも見せない。あ、千切に「國神の誕生日ケーキ一緒に作ろう」ってメッセ送っとこうかな。
     テーブルの上に置いていたスマホへ手を伸ばそうとしたのを、凪の声が止めた。
    「……なんか、今日あんまり玲王と話せなかった気がする」
     俺は凪と違って人に話しかけられている時にスマホを弄っていられるタイプじゃない。スマホを取るのを諦め、凪を振り返る。と、凪は、あからさまに疲れました〜って感じで目を閉じ、ソファの背もたれに身を任せている。
     なんだよ、お前が話しかけたんだろうが。
     そのまま寝入るのかと思えば、ぱかりと瞼を上げ、目だけで俺を見た。相変わらず感情の見えない瞳に、俺は少したじろぐ。俺と話せなかった、その言葉の真意はなんだ?ただの感想?それとも、寂しかったとか?まさか、あの凪が、んなわけねーわ。
    「そりゃ……パーティのホストは忙しいんだよ。どうだ、楽しめたか?」
    「んー、イマイチ」
    「はぁ?なんでだよ?」
     お前、あんなに潔とかと楽しそうに話してたくせに何が不満だってんだよ。
     少し責めるように声を上げた俺を気に留めず、凪はかったるそうに背もたれから身を起こす。
    「ケーキ、まだ食べれてないし」
    「食ってないのかよ?あんなにいっぱいあったろ」
     なんでだよ、潔との話に夢中になってて食うタイミングが無かったってこと?
     階下を見れば、千切たちが潔と話しているところの近く、ケーキの在庫はまだたくさんあった。
    「まだ下にいっぱいあんじゃん。食いに行ってくれば」
    「それに誰も歌ってくんなかったし」
    「バンドが誕生日ソング演奏してんだろ」
     下のフロアの舞台では有名バンドやアイドルにパーティ中ずっと持ち歌の誕生日ソングを演奏して貰ってたというのに、凪はなぜか不満げに、そしてどこか大袈裟に、ため息を吐いた。
    「知らない人におめでとーって歌われてもねー」
    「はぁ?みんなすげえ有名だろ、去年紅白だって出て……あー……なるほど、そうか」
     凪の冷め切った瞳に、瞬時に俺は理解する。
     なるほど凪は、潔と二人でケーキを食べたかったんだ、潔に歌って欲しかったんだ。だからパーティもイマイチだった。肝心の相手とやらなくちゃ、意味がないから。
     ……そうか、俺がどんなに頑張って作り上げたパーティよりも、凪は潔とケーキを食べて歌って貰えたらそれで満足なんだな。
     膝の陰で、強く手を握りしめる。でも、俺の虚しさなんて、どうだっていい。
     今日は凪の誕生日だ。全ては凪のためにある1日なのだから、こいつの願いは全部叶えてやるのが、パーティのホストである俺の役目。
     手の平に痛みを感じながら、俺は凪に笑顔を向けた。
    「……わかった、俺に任せとけ。潔をステージに上げて、バースディソングを」
    「は?いらないよ、なんでわざわざ誕生日に潔のド下手くそな歌なんて聞かなきゃいけないの?」
    「え?」
    「必要ないでしょ。必要なものは全部ここにあるんだから」
    「必要なものって」
     首を傾げた俺の前で、凪は指を一本突き立てて、テーブルの上のブラウニーを指した。
    「ケーキと」
     そして今度は、俺の首元を指し示す。
    「歌」
    「……俺が歌うの?」
    「ステージで歌ってた人たちより、玲王のが歌上手いよ」
     凪は頷き、チラリと目線を動かした。
    「後は、レモンティーもあれば完璧じゃん?」
     凪の視線の先をなぞれば、ウェイターがさっき俺が頼んだシャンパンとレモンティーを乗せたトレイを持って、階段を上がって来ている。
     ……えっと。
     俺は状況が飲み込めなかった。だって、凪の言葉通りに受け取ったら、俺に都合が良すぎる。多分、俺が何かを勘違いしている。そんなわけない、凪が俺とケーキを食べたかったり、歌を歌ってもらいたがるなんて。
    「あー……じゃあ、ケーキ、下にあるやつ盛り付けて持って来てもらうか。何がいい?」
     ケーキも別に俺が作ったやつを食べたがっているわけじゃない、これは偶然だ。
     でも凪はブラウニーが乗るトレイを指先で掴み、自分の方へ引き寄せた。
    「ケーキならここにあるじゃん」
    「や、でも、これは……」
     まさか自分が作ったとは言えず、言い淀んだ俺に、凪はコテンと小首を傾げる。
    「千切と國神には食べさせてたのに、俺はだめなの?」
     クリっとしたウサギのように黒い目に見つめられ、心が揺れる。凪はずるい。こういう時はいつも宝物特権を行使しやがる。
    「だ、だめとかじゃねーけど……でもな凪、これ、実は俺が作ったやつなんだ」
    「じゃあ良いよね」
     俺は決死の覚悟で白状したのに、了承を得たとばかりに、凪は即座に素手でケーキに掴みかかろうとする。ちょ、さっきの可愛らしさはなんだったんだよ。
    「待てって!」
     慌てて皿ごとケーキを取り上げると、凪はまたあの純真無垢な目で俺を見つめた。そんな目で見るなって。可愛いから。
    「だってこれは俺が作ったやつなんだって」
    「去年はくれたじゃん」
    「おま、覚えてたのかよっ」
    「レオ」
     ダメ押しのように凪が俺を呼び、声で甘えてくる。俺はその声にとことん弱かった。
     あーくそ、もう負けだよ、俺の負け!
    「せめて蝋燭!あと、生クリームも!つけさせろよ!」
    「えー?そこまで必要?」
    「必要!誕生日なんだぞ!ちょっと待ってろ」
     慌てて凪を少し待たせて、シャンパンを持って来てくれたウェイターに蝋燭と生クリーム、ついでにアイスを追加で頼む。それらが来るまで、凪はスマホを取り出してゲームをしていた。いつもの光景だったけど、それが乱れかけていた俺の精神を落ち着かせてくれる。
     まずはアイスをディッシャーでくり抜いて、ケーキの横に添えた。ボールに入った生クリームをスプーンで救い、これも慎重にケーキに添えて、その上にココアを少し振る。そして紫色の細いキャンドルを一本刺して火をつければ、パチパチと火花が舞った。スパークキャンドルのおかげで、地味なケーキもそれなりに見える。
    「よっし!」
    「おぉー、お店か。さすがレオ」
    「だろ?お願い事して吹き消せよ」
    「お願い事?えー何その文化。玲王が来年も誕生日祝ってくれますよーに、とか?」
     いつもと変わらない凪の淡々とした声に乗ったその言葉を俺が聞き返すより早く、一瞬で火が吹き消された。
     後に残るのは、白く細い煙を燻らせる蝋燭だけ。その蝋燭も、凪がなんの情緒も残さずすぐに引っこ抜いた。
     てゆーか、なんつったこいつ、また来年も俺に誕生日祝って欲しいって?え?こいつ、俺に祝って貰って、嬉しかったってこと?いや、凪のことだし別に深い意味はねーんじゃ?期待すんなって、後から泣きを見るのは俺だろ?つか、録音しておけば良かった。
     怒涛のように色んな感情が脳裏を駆け抜けて、ポツンと残ったものの正体に、俺は口角を上げるしかない。
     結局俺は、どう足掻いてもコイツを嫌いになってなれないわけ。多分、一生。
    「玲王?」
     不思議そうに俺を呼ぶ凪の肩に、俺は腕を回した。
    「おい、なぁ、そういうのって口に出したら叶わねぇやつじゃねぇの?」
    「え、叶わないの?」
    「叶えるに決まってんだろっ」
     俺は凪の白い髪をぐしゃぐしゃに撫でて、ばーかと笑ってやった。
     凪の願いなら、どんな願いだって叶えてやる。ばかは俺かもしれない、こんな勝ち目のない“恋“に溺れるなんて。
     親父には勝てない勝負は挑むなって小さい頃から散々言われてきたけど、でも、まぁ、やってみなきゃわかんねーし?
     改めて、自分で作ったケーキを食べたら、やっぱりそれなりに美味しかった。さすが、俺。
     ケーキの出来に満足している俺の横で、凪はフォークで刺したケーキを一口食べてから、また俺へと視線を投げてきた。
    「ねぇ玲王、じゃ、もう一つわがまま言って良い?」
    「何だよ、強欲エゴイスト」
    「お嬢ときんに君の誕生日でも、誰にもケーキ作んないで」
    「へ?」
    「なんでもわがまま聞いてくれるんでしょ?」
     凪の黒い目がねだるように俺を見つめてくる。その色は、懇願なのか、それとも俺は何かを試されているのか。
    「……や…でも、ばあやに来年の誕生日に俺がケーキ作ってやるって、約束しちまってて」
     深夜テンションで作ったケーキを褒めてくれたばあやに、俺は軽い気持ちで「ばあやの誕生日にも作るな」と約束していた。その時の彼女の嬉しげな顔を蔑ろには出来ない。
     凪も、俺の返答を予想していなかったのか、少し驚いたように瞬き、あの視線を俺から逸らした。
    「…………あー……ばあやさんか……ばあやさんには勝てない……」
     ぶつぶつ言いながら肩を落とす凪に、俺は笑ってしまう。そんで、思い切り気が済むまで凪の頭を撫でた。凪も嫌がることもなく、受け入れてくれる。
    「誕生日おめでとうな、凪」
    「うん、ありがとう、玲王」
     凪は、俺のケーキを食べながら俺の誕生日の歌を聴き終えた後に「なんかめっちゃ誕生日って感じする」と言った。なんだそれ。
     レモンティーを一口飲んだ凪は、二つ目のケーキを手に取っていた。気に入ってもらえたんだ、ケーキ。
     凪は三つ、四つ、と遠慮なく黙々と俺が作ったケーキを食べる。いつも咀嚼めんど〜とか言うくせに、ちょっと話をしている間に、凪は黙々と食べ続けた。
     次々口に運ばれていくケーキを見てたら、なんか色々、どうでも良くなってきた。ファンやらアンチやらに俺らの関係は散々色々言われている。そんでもあれから一年、俺は凪の隣に居続けていた。
     行き過ぎた友情……友情の平均なんてしらねぇし。
     執着、そうかもしんねぇ。
     固執、するだろ、こんな輝き見せつけられたら。
     青春ゴッコ?勝手に言ってろ。どれもこれも、知らない人生よりは知った人生のが、濃くなるってもんだろ。
     俺はずっと退屈な人生に飽き飽きしていた。ふと、思う。もし、俺を振り回すこの感情に名前をつけたら、俺の人生は更に破天荒になるんじゃないかって。
    「何、玲王。なんか悪い顔してる」
    「そうか?」
     だから俺は、“これ”を恋と呼ぶことに決めた。

     その年の俺の誕生日は、親父の仕事の関係で、俺の誕生日パーティが1週間前の開催になり、初めて誕生日当日丸一日フリーになった。
     地獄が別日になるだけだが、それでも初めての自由な空気が想像だけでも美味しくて、これをどうすればもっと美味しく出来るか、俺は思案する。そんで、誕生日の1週間前に、練習後ロッカールームでゲームしていた凪の肩に頭を乗っけて聞いてみた。
    「なぁな、凪。もし誕生日一日フリーだったら、お前なら何する?」
    「え、ゲームして寝るかな」
     お前はそうだろうな、知ってた。俺はお前に詳しい。さすが俺。
     前々に誕生日フリーアピールは一応したものの、めんどくさがりの凪に「誕生日だから会いたい」なんて言える程、片想いの心は神経がず太くなくて、結局誕生日前日まで凪から何か誘われるということもなかった。そりゃあそうだ、だって凪だし。
     折角だし、凪の言う「ゲームして寝る」誕生日ってやつをやってみようかと、前日に適当なオンラインショップでいくつかゲームをダウンロードしていた時に、雪宮に明日暇ならコラボした浴衣を着て、雑誌用の写真撮らせて欲しいなんてメッセージが来る。
     早い話、モデルか。そういえば俺やったことないな。学校のパンフレットくらいしか。
     興味があるかないかと言われれば、どちらかと言えば、ある。ゲームよりは。
     どうせ凪に誘われることもないだろう。俺は、全てを振り切る思いで了承した。一応御影との利害関係も確認して、何ら問題なかったっつーか、雑誌の出版社がウチ傘下だったのも後押しになる。俺は一人でいると、ぐるぐる変なことを考えがちだから、誰かと一緒にいる方がずっとマシだ。
     誕生日当日、わざわざいう必要もないので雪宮や他メンツーーー潔に言わせれば、意識が高い系メンツらしいーーーと自分が誕生日であることは言わずに過ごしていたら、烏に近くで夏祭りやってるからこの浴衣のまま行こうなんて言われる。
    「いいじゃん、このメンツで行ったら絶対女子にモテる」
     そんな乙夜の主張はともかくとして、歩く広告塔お願いと言われ、断る理由もなかったし、足を伸ばしたら、モテはともかく、人の視線は確かに集まった。それは俺の予想以上に。
     俺はさっきから慣れない下駄のせいで足が痛いからか、人の視線の多さに何となく憂鬱になってしまう。折角虚無パから解放されたのに、結局衆人観衆の前で見せもんになってんじゃん。
     ブルーロックに行って、俺も凪もこいつらも、有名人になってしまった。どこに行くにしても、人の視線に晒されるようになって、スマホカメラのシャッター音が逐一聞こえる。小さい頃から人の目に晒されてるから慣れてると思ってたけど、なんかちょっと、疲れるかも。……足も痛いしな。
     ふと、凪に会いたくなった。あいつは面倒くさがり屋でマイペースだけど……だからこそ、あいつの周りに流れる空気はゆったりしていて、休むには丁度いい。やっぱ、変な意地張らないで、凪んとこに行けば良かったかな。今更遅いけど。誕生日も後5時間ちょいで終わる。今から会いたいってメッセージ送っても良いかな。でも寝てるかもな、あいつ。
     そんなことを考えている間に、会う女子、男子、後お子様にも写真を求められる。にこやかに応えつつもこんなに目立って大丈夫かよ、逆に祭の運営の迷惑になるんじゃね?と思い始めた頃に、偶然、潔達と来てた凪に遭遇した。
     瞬間、夏の暑い空気が一気に下がり、俺のよそゆきの笑顔が凍りつく。
     ぅわ、こいつ、俺の誕生日に他のやつと夏祭りかよ。覚えてろとは言わないけど、覚えてるとも思っていなかったけど、タイミングが最悪すぎんだろ。大人しく家で寝てろよめんどくさがりが。
     でも凪は「あ、いた。玲王〜〜〜」なんて、頭に戦隊モノの仮面を付けて綿飴片手に、平気な顔で馴れ馴れしく手を振ってくる。うっ、デジャヴ。
     満喫してんじゃねぇ、なんだこいつ、って思った時に千切が「や、最初は俺ら4人で来てたんだけどさ、國神が今玲王を見かけた気がするって言ったから、もしかして凪も一緒かなって思って凪にメッセ送ったら、凪も来たんだよ」と何かを察して説明してくれた。いつも気を遣わせて悪いな……。
    「みてみて玲王、紫色の綿飴とか俺初めてみた。白のと並べると俺と玲王みたい」
     手に持っていた綿飴の理由をちょっと輝いた目で言った凪の可愛らしさに、俺は全てを許してしまった。可愛いって正義。
     内なるばあやに「誠士郎様に甘すぎです」と嗜められてしまったが、可愛いから許してくれ、ばあや。惚れたもんが負けって大昔から言うだろ。
     とか思ってたら、凪に前触れもなく顔にお面をつけられた。急に息苦しくなり、「なんだよ」と声を上げた俺に「玲王は目立つから、これ着けてて」と言われる。190オーバーのお前に言われたくないが?つかもう、すでに大分目立ってる。
    「急に着けんなよ、メイク着いちゃうだろ」
     顔からお面を取ってみれば、やっぱり内側にリップとファンデーションがうっすら移っている。凪が「メイク?」と不思議そうに首を傾げ、雪宮が「浴衣モデルお願いしたんだ」とざっくりと説明してくれた。
    「だからお前ら今日そんなキマってんだな」
     國神が納得したように改めて俺たちをまじまじと見て、凪もそれに倣うように頭の先から下まで目を動かして俺を見たので、少し心臓がギョッとする。凪の視線には、ずっと慣れない。
     Tシャツ姿の凪に、着慣れない浴衣姿を見られて気恥ずかしかった。なんでこんなに恥ずかしいんだろう……とか思ってたら急に体が浮き、凪の背中に乗っていた。なになになんだぁ⁉︎
    「誕生日だから、今日は玲王が王様」
     混乱していると無感情な目で足の傷を示され、心臓がありえないくらいびっくりした。
    「お前、俺の誕生日覚えてたの」
     一年ぶり二度目の驚きだった。
     誰かに誕生日を覚えて貰えていて、泣きそうなくらい嬉しかったのは初めてだった。去年とはまたちょっと違った種類の嬉しさだ。こんなことで無限の嬉しさを知るとは、自覚した恋心ってのは本当に厄介だ。つか、やば、今凪の背中におぶわれてんだけど、密着してんだけど、この心音気付かれてないよな?
     嬉しさを奥歯で噛み締めていた俺の横で、雪宮が声を上げた。
    「今日誕生日だったの?じゃあその浴衣あげるよ、似合ってるし」
    「はよ言えや〜〜〜これやるわ」
    「おめでとー、これあげる」
     誕生日だと知った面々から各々手に持ってた出店のりんご飴やら焼きそばやら、今川焼きやらをどさっと渡され、ついでに頭を撫でられ雑に祝われてたら、凪に「早く帰ろーよ」と急かされる。
    「あ、待って。取れたメイク少し直そうか」
     その時、何かを気遣ってくれた雪宮が巾着から撮影に使ったリップを取り出した。雪宮の知り合いが手掛ける男性向けコスメブランドだとかなんとか、撮影時に説明されたやつだ。
    「そんな崩れてんのか?」
     そう聞いた俺に雪宮は目を細くして笑い、俺の耳にこそりと「綺麗は自信になるからね」と囁いて更に笑みを深める。
     は、何?俺はいつだって自信満々だが?
     雪宮は困惑の目を上げた俺の唇に、指先でリップを乗せようとした。が、凪が突然、ふいっと横へ移動する。
     俺の顔が移動し、目的が宙に浮いてしまった雪宮の指と、それにより生まれてしまった変な沈黙の責任は、凪が取らされることになった。
    「……ユッキー、そんなんしなくても玲王はかっこいいよ」
     皆の視線から顔を背けながら、凪はぼそっと呟くように珍しく褒め言葉を口にする。凪が俺のことをかっこいいとか言うなんて。俺の顔がいいのは当たり前だけど、凪に言われるのは初めてかも!
    「わ、まじか、ありがとな!」
     俺がそう答えた瞬間、何故か後ろの千切が団扇の下で吹き出していた。
     なんで笑うんだろうと俺が首を傾げかけた時、凪リムジンが無言で出発する。つかこれ、明日のネットニュースになんじゃねぇ?見出しは多分、『ブルーロック、凪選手、御影選手を夏祭りでおんぶか』……うーん、平和かよ。問題なさそうだけど、一応ばあやにSNSに写真拡散されないよう頼んでおこう。
     チラリと後ろを見れば、背が高い奴らがさりげなく観衆の壁になりつつ、俺らに向かって手を振っていた。
     ありがとな、と返しながら俺も手を振ると、何故か凪の歩調が競歩かよ!ってくらい速くなり、慌てて首に抱き付いた。なんでだよ。そんなに早く帰りたかったのかよ。
    「今日、玲王に会えて良かった」
     ぐんぐん祭りの喧騒が遠かっていくのを背中で感じるにつれ、鍛え上げられた凪の背中で落ち着かない気分でいると、歩調は緩めないまま凪が唐突に口を開く。
    「当日じゃないと、意味ないもんね。おめでと、玲王」
    「……まさかお前が俺の誕生日覚えてるとは」
    「それ去年も言われたけど、俺ってそんなに記憶力悪そうに見える?」
     凪の記憶力の良さは十分知ってるけど、でもお前、興味ないことは全然覚えないじゃんってことも知っている。
     歴史のテストだって点はいい。でもテストが終わったら丸々忘れちゃうような奴だ、今年覚えていても、来年覚えている保証なんてない。
     自分の虚無だった誕生日が、凪によって特別な日にされていくのを、自覚せざるを得ない。
     なんかまだ、帰りたくないなと思ってしまった。帰ったら、今日が終わってしまう。こんな誕生日は、もう二度とないかもしれないのに。
     でも、凪の歩調は速く、こいつはさっさと帰りたいんだろう。帰りたくないなんて、そんなわがまま……。
     わがまま?
    「……凪、あのさ」
     そうだ、今日の俺は誕生日で、大体のわがままが許される日なのだ。
    「うん」
    「俺こんなに貰ったけど、1人じゃ食い切れねえから、一緒に食ってくれね?」
     俺が腕に引っ掛けてたビニール袋をがさりと揺らすと、凪の歩みがぴたりと止まった。首だけで俺をくるりと振り返った眠そうな目は、相変わらず何を考えてるのか分からない。
     凪は物食うのもめんどーって会った頃は言ってたけど、最近は運動量のせいかそこそこ自分で食べるようになっている。どうだろう。めんどーって断られっかも。
    「いいよ。オレんちでいい?」
     でも、凪は思いのほかあっさり頷いた。
    「いいのかよ。なんだよ、俺が今日誕生日だから?」
     俺が誕生日だから、今日の王様だからお前は優しいのかと、思わず責めるように聞いてしまう。けど、凪はまた早足で歩き出す。
    「別に誕生日じゃなくても行くよ。俺、玲王のお願いだったら何でもきいちゃう」
    「え……」
     ……なんだそれ、俺はその言葉をどう解釈すりゃいーの。
     一度凪に捨てられた俺は、凪の言葉に過敏なくらい一喜一憂するようになっていた。そのせいか、凪の言葉をどう受け止めていいのか、わからない時がある。例えばこの「別に誕生日じゃなくても行くよ」って言葉。本当に来てくれるのか?めんどくさがりのくせに?例えば、雨が降ってても?風がすごい強くても?……お前がその日、潔達と用事があっても?
     俺はいつも凪の言葉の真意には触れることは出来ず、ただ、凪がそれを言ってくれたことだけを、喜ぶことにした。友人として。俺は、友人の仮面を被り、このサイコーな誕生日を失わないために、普段通りの“俺“に徹した。そうすれば、今日という日を将来大切な思い出として、記憶出来るから。
    「あー、じゃあ、歌な」
    「歌?」
    「誕生日にケーキと歌はマストなんだろ?お前が言ってた」
    「俺は玲王ほど歌上手くないしー……ケーキだってないじゃん」
    「これがある」
    「今川焼きはケーキじゃないよ、玲王」
    「小麦粉混ぜて焼いてて丸くて中にクリーム入ってるんだから、似たようなモンだろ。」
    「あー、そう言われてみれば、確かに一概に違うとは言い切れない……」
     こっそり頬を寄せた凪の背中は思いのほか筋肉質で、その力強さに驚かされる。ちゃんと真面目にサッカーの練習してるんだなぁ。偉い偉い。
     凪は、日々変わっている。
     実際、凪は日本のサッカー界には欠かせない存在になりつつあって、それは俺としては誇らしいけど、凪の前に次々と凪の興味を引くような色んな人間が現れるから、なんつーか……。
     来年も、凪が俺の誕生日を、覚えていてくれますように。
     成長した凪の背中で、俺は願うことしか出来ない。それと同時に、星が浮かぶ空を見上げた。俺は、この空を覚えておこう。来年は二人では見れないかもしれない、この空の色を。
    「てか、玲王、今日パーティ無かったんだね」
    「あー、親父の仕事の関係で先週やったんだわ」
    「……前から不思議だったんだけど、なんで玲王は虚無パに律儀にやるの?それこそ、誕生日特権で無しにしちゃえばいいじゃん」
     凪は、去年俺がこいつに適当に言ったことを覚えていたらしい。流石の記憶力だなと思うが、確かに、凪から見れば俺の行動は矛盾しかないだろう。
    「あー……一言で言えば、義理かな」
    「義理?」
    「誕生日ってさ、俺はただ生まれただけだけど、18年前に実際大変だったのって母親だろ?」
     小学生の時に、自分が生まれた日のことを聞いてみようという課題があって、その時にばあやから、俺は難産だったって聞いた。それを知り、ほんの気まぐれで7歳の誕生日の朝、母にバラを一輪差し出してみる。「産んでくれてありがとう」と付け足した俺の前で、母は見開いた瞳から涙を一粒落としたのだ。
     びっくりした。あの強欲な母が、全身をハイブランドで固めた母が、たった数百円の一輪の花にそこまで喜ぶなんて。
    「……だからさ、誕生日は母親や周りの人に感謝を伝えるべき日だと思ってんの。俺がパーティに出なかったりパーティでミスったら俺の教育がなってないって、母さんやばあや、俺の周りの人たちが責められる。だから、誕生日には母さんにブーケ渡して、パーティに出て、完璧に育った俺を見せなきゃ」
     今日も、今頃馴染みの花屋が花束と俺からのカードを届けているはず。丁度その時巾着に入れていたスマホが2回震える。多分、母親からメッセージが届いたんだろう。
    「それに、バースデー・ドネーションって知ってるか?」
    「知らない」
     フルフルと正直に首を振った凪の頭を、笑いながら撫でてやった。
    「誕生日パーティでゲストからプレゼント貰う代わりに、寄付金を募って支援団体にあげてんの。内容は虚無パだけど、金は結構集まるからな。俺が一日虚無に耐えてどっかの誰かがハッピーになるなら、やるだろ?」
    「……え、それって、玲王、誕プレ貰ってないの?いつから?」
    「貰ってないっつーか、金で貰ってそれを寄付してるってだけだけど。始めたのは中学からかな。パーティが虚無すぎっから、せめてやる意味が欲しくてさぁ」
    「まじか……」
    「凪も、ありがとな。俺の隣にいてくれて」
     凪の肩に甘えるように顎を乗せれば、少し歩調が緩む。
    「……玲王って、変だよね」
    「そうか?」
    「そうでしょ。俺には誕生日は唯一わがままを世界から許される日だって言った癖に、自分の誕生日は他人のわがままに律儀に付き合っちゃって、しかも誕プレもなしで他人のために金稼ぐとか。真面目すぎて、疲れない?」
     お前だって、誕生日は俺のわがままに振り回されてるくせに、とは言えなかった。言ったらもう、このめんどくさがりやが、二度と誕生日に俺と付き合ってくれなさそうで。
    「玲王は、俺が今まで出会った中で一番変な人」
     いつもののんびりとした口調で言われ、思わず身を起こしてしまった。
    「マジかよ、嘘だろ。ブルーロックであんだけ奇人変人に揉まれたのに、俺が一番?」
     頭の中を色んな顔が浮かび、あいつらよりも変と言われて、思わず凪の首に腕を回す。「ぐぇ」と呻いた凪に小さく笑い、柔らかい髪を撫でた。
    「これでもあん中ではそこそこ常識ある方だと思」
    「玲王が変じゃなかったら、俺はお前について行かなかったけどね」
     俺は凪の頭を撫でる手を止めた。 
    「それって」
    「あ、玲王、ほら間に合った、上見てて」
    「上?」
     凪に促されるままに顔を上げると、バンと遠くで聞こえた爆発音の後、真っ暗な夜空に星のようにキラキラと瞬く花火が舞い上がった。
     突然の華やかさに魅入っていると、凪がどことなく悪戯っぽく俺を振り返る。
    「お願い事した?」
    「……お願い事?……え、空の花火に?」
    「火には違いないし。ほら、また上がる。消える前にお願い事3回言うんだよ」
    「それ流れ星じゃん」
     ふは、と笑ってしまった時に、頭上で花火が弾けた音が響く。その音の下で凪が小さく呟いた言葉が、聞こえてしまった。
    「やっぱ、ちっさい普通の蝋燭より、こっちのが玲王って感じだ」





    「……普通のパーティって、俺らよりはお前のが場数踏んでるだろ?俺もまともなパーティに初めて出たの、今思えば凪の誕生日パーティだったし。18ん時の」
     俺の疑問に、不思議そうに首を傾げる千切の指摘は、まあ、そうなんだけど。
    「でも、お前らが思う普通の誕生日パーティと俺が思う普通のパーティって、違うだろ、多分。その、規模とか」
     自分が当然だと思っている環境が、一般的ではないことを俺は充分自覚をしているし、そこが少しコンプレックスだったりもする。コンプレックスだから、説明が辿々しくはなってしまったけど、俺が言わんとすることは理解して貰えたらしい。
    「あーまあ、それはそうか」
     頷いた國神に、俺は周りを指し示した。凪の誕生日に備えて飾りつけた、このリビングを。
    「今回さ、ちょっと普通を頑張ってみたんだけど……どうかな?」
     俺はこの半年、普通のパーティを研究しまくった。で、100均でパーティの飾りつけを買い揃え、部屋を飾りつけてみたし、料理を盛り付けている皿や今酒を飲んでるグラスも100均で買った。俺だって100均を知ってるんだぞ!これぞ完璧な普通アピールってわけ。
     100均で買った折り紙で作ったリングのガーランドやフラッグガーランド、ハニカムボールやバルーンで飾りつけしたリビングは、完璧に普通なパーティルームになっていた。
     國神は部屋と料理を見まわし、俺に視線を戻して首を傾げた。
    「え、これ普通?」
     え、普通じゃないのか?
    「あぁ、だから輪飾り?輪飾りとか見たの小学生以来だわ。マジかこれ玲王が作ったの?」
     千切も物珍しそうに周りを見回すけど、わかざりって何だろう。
    「でも輪飾りにこんな高級な紙使ってんの初めて見た。新聞に挟んである広告で作ってたぞ、俺んち」
     國神が立ってリングのガーランドに触ってたから、わかざりってあれのことか。普通はあれを輪飾りっていうのか。つか、100均のカラーペーパーで作ったのに、高級な紙⁉︎新聞の広告って何?マジか、普通って、奥深すぎんだろ⁉︎
    「玲王が輪飾り作ったとか貴重すぎるわー。てかこの部屋自分で飾りつけたのかよ、すげー。プロの仕業かと思った、マジで玲王はセンスいいな。写真撮っていい?」
     千切が部屋のあちこちをパシャパシャ撮っている間に、國神が少し言いにくそうに俺と向き合った。
    「あのな、玲王。普通にしては料理のレベルが豪勢で盛り付けもオシャレすぎるし、品数も多すぎる」
    「部屋の飾りつけも、普通って言うには洗練されすぎてるしなぁ」
     飾っていた白いバルーンを突きながら、千切も國神に同意する。そんな、結構抑えめにしたつもりなのに、普通の域に達せていないってことか?
    「いやでも、パーティなんだから、非日常と特別感は必要だろ。それに写真だって撮りてぇし、SNSにだって載せないとだから見栄えはちゃんとしといたほうが」
     凪との思い出は大切にしたいから、どんなパーティでも写真は撮りたい。それに、今やスーパースターである凪の誕生日をちゃんと祝ったって写真はSNSにも上げないといけない。言い訳をするように理由を並べた俺の肩を、千切は宥めるように叩いた。
    「玲王、“普通“ってさ、SNS映えしねぇんだよ」
     ……普通って難しくね?
     そもそも俺の顔がSNS映えするから、俺が存在するだけで普通のパーティにならなくね?
    「でも凪は、玲王の手作り料理好きだし、そんな普通とかこだわる必要はないだろ」
     俺が若干俯くと千切が肩を竦めるが、誰が何を好きだって?
    「……美味しいとかは言われるけど、好きとか言われたことはねぇよ。もう一杯」
     凪は「俺が玲王が作ったもの不味いって思うわけないでしょ」としか言わない。
    「美味しいなら、好きってことだろ」
     さも当然のように國神は言うけど、俺は手の中のグラスを握りしめた。
    「俺は、美味いものしか食べてないけど、全部が好物にはならない」
    「あー、なるほど、そうなるのか……」
     千切の納得の声に、俺は鼻を啜る。
     酒のせいか、何だか急に感情が抑えきれなくなり、グラスを持った手をテーブルに叩きつける。
    「付き合うってなった時だって、あいつは俺のこと好きって言わなかったし」
    「なんて言われたんだ?」
     俺は自分で準備したシャンパンをグラスに注ぎ、一口飲んだ。
    「“俺は付き合うとかわかんないけど、玲王となら楽しそう“」
     ちょっとだけ凪の口調を真似して言うと、二人は「……凪らしいっつーか」と苦笑するが、俺は低く呻いた。
     俺は小さな蝋燭よりも、大きな花火に似てると、凪は言ったのだ。
    「つまりこれって、楽しくなくなったら俺と別れるってことだよな」
     





     凪の19歳の誕生日は、意図的にかなり盛大に祝った。
     W杯も近く、俺や凪が代表選手に選ばれるのは間違いなかったから、かつてないくらい凪が好奇の視線に晒される前に、あらゆる方面に向かって大きな釘を打つためだった。
     凪誠士郎の後ろには、この俺、御影玲王がいると。
     W杯優勝は勿論第一目標ではあったけど、俺の夢に付き合ってくれてる凪には、なんの柵もなくサッカーを楽しんで欲しかった。それが、サッカーの楽しさを教えることが出来なかった俺が、あいつにしてやれる唯一のことだと、思ったからだ。
     それに凪という天才を世界に見せつけて知らしめたい。俺の手で。けど、有名になればなるほど負の感情が集まることを、俺は知っている。凪をサッカーの世界に引き摺り込み、世界一にすると決めたのは俺だし、凪をその“世界“から守るのは俺の責任だった。
     と、言えば聞こえはいいが、19歳の時、俺は凪に恋してて、すでにスポーツ界では有名になっていた凪がちょいちょい熱愛ゴシップの餌食になっていたことに、マジで、いい加減、ブチギレそうだった。
     大体の若手スポーツ選手もそうであるように、凪もまた、でかい才能を持っているにしては、世間に対して無防備なピヨピヨ赤ちゃんだったから。そんな凪の年相応の隙を突いて群がる汚ねぇ大人どもに、慈悲など要らない。
     アイドルやらグラビアアイドルやら女子アナやらと熱愛ゴシップが雑誌の小さな記事になるたび、スマホを床に叩きつけそうになる。何で凪の熱愛がこんな小さな記事なん……違う、変なゴシップで凪の評価が落ちて、W杯落選なんてなったらどうしてくれるんだ!凪の才能は唯一無二だから、そんなことで選ばれないってことはないとは思うけど、念には念を入れておかなくては。
     大して売れてないアイドル達の事務所は「いいお友達関係と聞いています」と言ってたが、はいダウト、売名ですね。凪といいお友達関係なんて、そうそうなれるわけねーだろ!俺がどんだけ苦労したと思ってるんだ!つか、女体なだけで凪を籠絡出来ると思ってるのもムカつく。
     そういうことが何回か続いて、俺はついにガチギレた。俺の宝物を売名に使うとか万死に値する。凪はなぁ、テメェら羽虫が群がっていい存在じゃねーの。
     そんなわけで、後ろに控えている俺の存在も大きく見せなくてはいけなかったから、パーティを派手にやったわけ。
     金と権力をちらつかせれば、大概の人間はひれ伏す。界隈のトップとか政治家とかゴシップ捏造記者みたいな奴は大体中身もすっからかんで、金と権力がこの世で一番正しいと思ってるから、パーティの規模感とか、会場の装飾や食事や酒の質、土産の値段で陥落する。ま、やりすぎると癒着だ賄賂だなんだ言われるから、そこは、上品さを装って控えめに。
     自分の誕生日パーティで学んだノウハウを活かし、自分のよりも慎重にマジで気合い入ったパーティに仕立てた。笑顔であらゆる方向に対し威嚇をする俺を、ゲストで呼んだ千切や潔達が「お前マジやべーわ」と褒めてくれたその時、会場に歓声とは違う微妙なざわめきが起きる。これは、トラブルの揺らぎだ。この俺の主催のパーティ、しかも凪の誕生日にトラブルなんてゆるさねぇが。
    「凪選手!お誕生日おめでとう!」
     会場全体の視線の先、招待状を送った覚えのない凪のゴシップ相手が傲慢にも目一杯着飾って、凪の前に立っている。
     そう、中には金と権力じゃなくて、名声を目的としてる羽虫もいた。それは昔から俺の周りによく付き纏っていて、“御影”という蜜を求めるしつこく不愉快な羽音が聴こえない日はない。小学校の女教師に告白された時のあの不快感と失望を、凪に知って欲しくはない。しかも誕生日に。
     丁度いい、俺が直々に握り潰す。
    「玲王、今すげえ悪い顔してる」
     千切が俺にそう囁いたので、怒りで握りしめたグラスを笑顔で押し付け、凪の方へと一歩踏み出した、その時だ。
    「えーと、誰?」
     羽虫は俺が握り潰す前に、のんびりとした動作で首を傾げた凪によって勢いよく叩き落とされた。
     凪は何を思ったのか俺を振り返り、もう一度首を傾げて見せた。誰?と目で問われ、俺は首を横に振って返す。俺は招待していない、そう言う意味で。それで凪も思い出したらしかった。
    「あー、もしかして、この間うちのクラブの……名前忘れたけどキーパーに誘われたって飲み会に来てた人?何か変な記事出されてたよね。あんたも迷惑だったでしょ、大して喋ってもない俺とあんなガセ記事、友達ですらないのに。俺もちょっと困るんだよね、ああいうガセ出されんの。変に誤解されるのやだから、俺に近寄んないで。5人目のNGリストだよ、あんた」
     すげぇ言うじゃん。
     相手の女もあまり有名ではないにしても、芸能界で散々揉まれてきている。だから恐らく、ずっとサッカーだけしてきた世間知らずの子どもなんて落とすくらい簡単だと、侮っていたはず。まさか鬱陶しそうに後ずさりされるとは、夢にも思ってなかっただろう。
     正直、俺もだ。
     凪とはそれなりに付き合いが長くなっているけど、俺は凪の好きなタイプを知らない。でも、普通それなりに見た目の良い女に言い寄られて嫌な気分になる男はいないだろ?白宝ではアイドルと会えるってネタで部員を鼓舞してきてたし……でも確かに、あの時も凪は興味なさそうにしてたっけ。
     俺はすっかり毒気を抜かれてしまったが、逆に凪の態度に危機感を覚えた。凪は容赦がないところがあるから、それをまたゴシップ紙に売られたり、SNSで悪く書かれたりするのは正直困る。
     俺は宥めるように、凪の肩に手を置いた。
    「凪」
    「玲王」
    「申し訳ございませんが、今日のパーティは招待制です、お引き取りを」
     主役のゴシップ相手をパーティに呼んだと知られたら、俺の評価が下がる。呼んでいないときっちり強調した俺に、彼女は小さなバックから招待状を取り出し、俺の前に突きつけて大きな目で挑戦的に見上げてくる。
    「先日飲み会に誘ってくれた彼が行けないって言ってたので、私が代わりに」
     俺が時間をかけて選んだ招待状の封筒には、凪が所属するクラブの先輩の名前が堂々印刷されていた。あー、めんど。
     そいつはちょっと素行が悪く、毎日のように夜遊びをしているせいで最近伸び悩んでいるくせに、やたら凪に突っかかる奴だった。噂ではギャンブルで大分借金を重ねているとか。ダッサ。
     あいつ、凪を売りやがったな。よっしゃ、潰すわ。
     俺は内心そいつに罵声を浴びせつつ、ニコリと完璧に笑って見せた。
    「そうだったんですか。でも申し訳ないですが、招待した人のみの内々のパーティなので、今日はどうかお引き取り下さい」
    「でもぉ」
    「お詫びに彼の分のお土産をお持ち帰り下さい。それと」
     俺は着ていたジャケットを脱いで、彼女の剥き出しの肩にかけてやった。
    「夜は寒い。タクシーをお呼びしますよ」
     甘さを含んだ声で囁いてやれば、大抵の女は俺の言うことを聞く。彼女も俺のジャケットを肩に羽織ってまんざらでもない顔を見せた。ダメ押しで俺はよそ行きのとびっきりの笑顔を彼女に向ける。
     そのジャケットには、今日の俺のサブスマホが入っている。今回のパーティ用に準備したもので、入っている連絡先は会場とかケータリングとか花屋とかの代表番号のみ。だから、うっかりそれを俺が紛失したとしても何ら問題なく、俺がうっかりこの女にその携帯を持たせたら、GPSでこの女を凪に近寄らせた黒幕をうっかり知ってしまうかも。
     招待状の本来の持ち主である凪のクラブの先輩が、どっかの記者と組んで凪のスキャンダルを狙ってんだろうが。W杯前だし?話題性はめちゃくちゃあるから?でもうっかりそれを知っちゃった俺は、うっかり関係者全員を社会的に抹殺してしまうかも。そう考えていると、ほんのり頬を赤く染めた女から、ねっとりした熱い視線を感じる。うんざりしつつも、目を細めた。
     ……ああ、これならそんなまどろっこしいことしなくても、直接聞こうとすれば聞けるのかもな。
     俺は、その視線の意味を幼い頃からよく知っていたし、最近は利用の仕方も学んでいた。
     こんな方法はあんまりやりたくないけど、凪のためならしょうがない。この女がうっかり俺のことを好きになっても、仕方ないよな?恋なんて、どこに落ちてるかわかんないもんだし。やりようによってはこいつの後ろにいる誰かを、牽制出来るかも。
     こういう視線を向けてくる女が次に言う事は大体一つ。上目遣いで俺の名刺が欲しいって言い始める。御影の名前が入った名刺って、ネットで2万円で売れるらしいし。
    「ジャケットを返したいから、貴方の連絡先を教え」
    「あー、だめ。だめだよ玲王。ポケットにスマホ入ってんじゃん、ほら〜」
     女の猫撫で声を遮るように、間延びした声で凪が女が肩にかけてるジャケットのポケットに手を突っ込んで、それを取り出し「うっかりさんだね、玲王」と俺の手に置いた。
     おいコラッ!俺のうっかり作戦が!
     でも、これからしようとしていた俺と女の間の駆け引きなんて、凪にとっては知ったことじゃない。
    「あんたももう帰ってよ。今日は俺の誕生日なんだから、当然俺のお願い聞いてくれるよね?」
     凪はため息をついて、自分よりもずっと背の低い女を見下した。
    「つか、ジャケットとかいらなくない?タクシー乗るなら寒くないでしょ」
     寒いなら自分で防寒着を着てくるのが当然だろ、と凪は至極当然のことを言う。それはそう。
    「も一度言うけど、今日は、俺の、誕生日なの。で、このパーティは玲王が俺のために開いてくれたの。一ヶ月も前から、練習も大変なのに睡眠時間削って準備してくれてんの。そのパーティの主役の俺が、あんたに帰れって丁寧にお願いしてんの。で、あんたはどうするべきだと思う?それがわからないくらい馬鹿なの?」
     俺、馬鹿って嫌いなんだよねー。
     そう呟きながら女の肩から俺のジャケットを剥がし取り、俺の肩にそっと掛けた。
    「玲王、そのジャケット似合ってる。だから着てて?」
    「お、おお……だろ?」
     今日のために新調したジャケットを褒められ、小さな幸せに口角が上がる。たまに凪は俺の見た目を褒めてくれるけど、見た目は合格点ってことなんだろうか。
     ついさっきまでそうやって背後に髑髏を背負っていた男は、女がセキュリティに囲まれて去ってすぐに「疲れた〜ケーキ食べよ、ケーキ。玲王、食べさせて〜」と俺の背中に乗っかってきたのだった。
    「わかった、わかった」
     予定よりちょっと早かったけど、凪を引きずり会場の上にある個室へ向かう。凪は静かなのが好きだから、疲れた時に逃げられる部屋も当然用意している。
     夜景が一望出来る窓の方へ凪を連れて行き、ミニテーブルに事前に準備していたケーキをお披露目した。
    「じゃーん」
    「おー、すごい。今年はブラウニーじゃないんだ。もうプロの域じゃん。てか、苺が白い」
     ソファに座りながら適当に歓声を上げてスマホで写真を撮る凪に、俺は胸を張った。そう、今年はザ・誕生日ケーキって感じの、白いちごと生クリームのホールケーキだ。中には赤い苺も入れて断面も綺麗に見えるように作った自信作。
    「色々作れるようになったんだよ。國神たちも味見してもらったし、味は保証するぜ」
     もちろん、事前に國神達に味見してもらうのも忘れていないし、二人には「プロ」「神」との評価を得ている。
     ニヤッと笑いながらフォークを差し出せば、それを受け取りながら何故か凪は唇を尖らせた。
    「……えー……もうそれ良くない?玲王の作ったもんなら美味しいに決まってるでしょ」
    「だから、なんなんだよ、その自信」
    「自信ってゆーか、俺が、玲王の作ったもんマズイなんて思うわけないじゃん」
     実際美味しいしね。
     そう言いながら、凪はホールケーキの皿をガガっと音を立てて自分の方へ寄せ、さっさとフォークを突き立ててしまったので、ケーキを切る用のナイフと取り皿を用意していた手を止めた。
     あれ?凪ってこんなに食うっけ。
     断面も見せたかったが、凪はホール丸ごと食べるつもりみたいだから、まあいいか。不要になった皿とナイフをそっとテーブルの端に置きながら、積極的にケーキを食べる凪をまじまじと見る。
     でも確かに去年も俺の作ったケーキ一人で食べたしな。もしかして甘いもん結構好きなのか?
     黙々とケーキを食べる凪を、真横からじっと見る。
     ……なんか、いいなこれ。俺の作ったもんを食べる凪って、見ていて飽きない。今度動画撮らせてもらおうかな。てか今撮ってもいいかな。
     そんなことを考えていたら、凪の頬に生クリームが付いたので、ナプキンで拭いてやる。すると、凪の視線がケーキから俺に移り、何を思ったのか、フォークに刺さっていたいちごを俺の口元に押し付けてきた。どことなくぎこちないお裾分けにちょっと笑ってしまうが、大人しく口を開く。
    「……一応言っておくけど、あんな熱愛記事全部嘘だし、これからもずっと、全部嘘だから」
     俺がいちごを口の中に入れると、凪が少し面倒くさそうにそんなことを言った。……もしかしてこれ詫びいちご?甘いいちごを咀嚼してから、頷く。
    「わかってるよ、知ってるし。そもそもああいう女、お前の好みじゃねーだろ」
    「玲王は俺の好みのタイプ知ってんの?」
     ちょっと驚いたように目を見開く凪に、俺はソファの背もたれに身を投げ、足を組んだ。
    「知ってるっつーか、ああいう恋愛の駆け引きとかしてくるタイプは面倒くさいだろ、お前」
    「あー……あの人がしてるのは恋愛の駆け引きじゃなくて、生存競争的なもんだと思うけど。でも俺の好みじゃないのは正解」
    「だろ」
     だと思った。
     凪から正解をもらって上機嫌になった俺は、ケーキを食べる凪を眺めた。あ、また生クリームつけてる。今度は鼻かよ。
    「てか、結構長い間一緒にいたのに、こういう話すんのなんか初めてだよな。ついでに聞かせろよ、お前の好み。どんなのがタイプなんだよ」
     鼻のクリームを拭いてやりながら、ずっと聞きたかったような、聞きたくなかったような質問を投げかける。どうせ「めんどくさくて考えたことない」って答えなんだろうと思ったのに、予想に反して凪は視線を上に投げて考える素振りを見せた
    「俺の好みは、一緒にいて面倒くさくなくて、楽しくて、そんで、俺をとことん甘やかしてくれる、居心地のいい人かな。可愛い系よりは綺麗系。俺も背が高いから、長身のショートカットでケーキも美味く作れるなら尚良し」
     なんか、結構具体的じゃね?
    「あー……潔、みたいな?」
     自分でその名前を出して傷ついてるんだから、世話ねぇわ。ざらっとした感情が心を撫でた時、凪が不快げに眉間を寄せた。
    「は?何でそこで潔が出てくんの?つぅかあいつケーキ作れんのかよ」
    「……違うの?」
     チラリと上目遣いで問えば、凪の黒い目が俺の目を覗き込んでくる。
    「そうだって言ったら、玲王はどうすんの?」
     ぎりっと心臓が引きちぎられるような痛みを上げたが、それをどうにか堪え、ずっと用意して言葉を口に乗せた。俺は欲張りだから、凪の恋人になれないなら、一番の親友の席が欲しい。
    「そりゃ、そりゃあ勿論、おうえ」
    「あーーーいいや、やっぱいいや、ごめん今のなし。聞かなかったことにして、ごめん。お前のそんな顔見たいわけじゃないんだ」
     俺が頑張って全てを言い終えようとしたが、凪の声がそれを止めた。そんな顔って、俺今どんな顔してた?
     片手を自分の顎に当てた俺に、凪はため息を吐く。
    「でも、そんな風に聞いてくる玲王も悪いよ。何度も言うのも面倒くさいから一回で確実に飲み込んで欲しいんだけど、俺が潔とやってることは、あの女と一緒でそれこそ生存競争でしかない。俺にとってあいつはぶっ潰す対象なわけ。本当はわかってるくせに。俺ら、玲王が思ってるほど仲良くない」
     それは実のとこ、何となく気付いてはいた。凪は、潔とは個人的に会うことはほとんどなく、必ず蜂楽や馬狼達も一緒だ。たまにテレビ通話をやっていることも知ってはいるが、それも月に1度あるかないかで、それも個人で会ってるわけではない。そんで大体サッカーの話をしてるらしく、俺もたまに混ざる。有意義な時間だ。
    「つか、俺と玲王のさっきの会話のが、よっぽど恋の駆け引きじゃんね」
     凪の口から飛び出した呆れたような「恋」という発言に、ギョッとした。けど、凪は至って平然とケーキを食べていたので、特に他意のない言葉選びだったのだと察し、胸を撫で下ろした。あぶねーあぶねー。
    「なぁに言ってんだよ。俺相手に駆け引きとか必要ねーだろ」
    「……そうだね。俺らに駆け引きとか、全然合わない」
    「ま、好きなやつ出来たらちゃんと教えてくれよ、潔だろうがアイドルだろうが女子マネだろうが、お前の身辺プライベート、恋心だって、きっちり俺が守ってやるからよ」
     これは偽りでもなんでもなく、本心だった。
     いつか必ずくるその時の覚悟は出来ている。凪が誰かを好きになった時は、次は笑顔で送り出そうと決めていた。
     多分俺は、その相手が俺じゃなくても、凪が誰かを好きになれたことを、嬉しく思ってしまうだろうから。
     勿論、身辺調査をして怪しいところがないか隅から隅まで確認し、やべー奴だったら即社会から退場させるための人材も確保しているし、別れて悲しむ凪を傷心旅行に連れて行くために、うちの会社の旅行部門を新しく立ち上げ流ための計画書も作成中だ。全ては凪のために。
     まかせろ、と肩を組んでやれば、凪は白い頬を膨らませた。
    「俺って、お前に守られなきゃいけないほどなの?」
    「凪く〜ん、何回熱愛報道出されてたっけ?」
     膨らんだ頬をツンツンつつくと、今度は唇を尖らせた。
    「あれは全部でっち上げじゃん。さっきだって、玲王がいなくても俺ちゃんと誤解だって言えたよ」
    「確かにあれは偉かった。んでも、世間ってさ、お前が思ってる以上に汚ねぇやつとかもいるわけ。だからこうやって、お前のバックにはこの俺がいるって見せびらかしてるし、クソ記事でお前を陥れようとするやつは誰であろうが漏れなく潰す。だからお前はなーんも気にしないでいーの。汚れ仕事は俺に任せろ」
    「汚れ仕事?」
    「んー、掃除的な?」
     今までの凪の熱愛報道は全部ガセだったので、報道後否定の書面をクラブが出して終わらせてはいるが、俺としては法的に徹底的に潰したい。クラブからそこまでしなくても……と言われているから、大目に見てやっている状況だった。
    「……ねぇ、玲王。お前が俺の面倒ごと引き受けてくれるの、ほんとありがたいよ。助かる。でも、俺も19だし、玲王が思ってるほど赤ちゃんじゃないよ、俺」
    「……何、俺の助けはいらないってこと?」
    「お前に甘やかして欲しいのは変わんないよ。でも、ああいうのは自分でどうにか出来るようになんなきゃ、お前の相方名乗れないでしょ」
    「はぁ〜〜〜なーにそんなん気にしちゃってんだよ。お前はそんままでいーんだよ」
     凪にはそんまま、何も気にせずサッカーだけ楽しんで欲しい。凪が人生で初めて楽しいと思えたのがサッカーだ。俺はその楽しさを凪に教えてやれなかったけど、その気持ちを守ることは出来るはず。
     凪の頭をぐしゃぐしゃ撫でてやる。
    「でも、玲王は変わったよ」
     凪のその言葉に心臓がギョッとする。それは心当たりがありすぎる指摘だった。まさか俺の恋心に気付かれてる?
     俺を見る凪の目は相変わらず何を考えているのか、わからない。
    「そ?俺は何も変わんねーと思うけど、どこら辺が?」
     凪の黒い瞳が、眩しげに瞬いた。
    「なんか今日、すごく綺麗だ」
    「……お?まあな?お前の誕生日だから気合いれたぞ」
     今日は対有象無象のために頭のてっぺんから爪先まで、完璧に仕上げていた。だから、それは当然の評価で、単なる事実。今日は凪以外のやつにも「相変わらず綺麗だね、さすが女優の息子」「ますますお母さんに似てきた」「血は争えない」って言われまくったのだ。
     それがどうした、と首を傾げれば、凪に頬を軽くつねられた。え、なに。
     フニフニと俺の頬を弄びながら、凪は唇を尖らせる。
    「玲王、言われ慣れすぎでしょ」
    「だって、昔からよく言われるし」
    「でも、俺は初めて言ったよ」
    「こんなに綺麗な顔なのに、今までお前に綺麗って思われたこと一度もなかったってことか⁉︎」
    「いや、ずっと思ってはいたけど……てか玲王自分の顔に自信ありすぎじゃん」
    「そりゃ、この顔で自信ない方が世界に失礼だろ」
    「ま、うん。それはそう。でも、今日俺のために頑張ってオシャレしてくれた玲王が、今までで一番綺麗だって、俺は思いました。服も自分で選んでるんでしょ、すごいよ」
     俺の頬をフニフニしつつ、ちょっと不貞腐れながらやや早口で言われ、俺の思考は無事停止する。え、なんて?
     凪も俺が何も反応しないことに気づき、目を丸くした。
    「……玲王、顔真っ赤。いちごみたい、んぐっ」
     咄嗟にフォークで凪の口にイチゴを突っ込んでやって、いろいろ誤魔化した。何がいちごだ、今日は白いちごのケーキだっつーの。赤いやつより白いいちごのが高いんだからな。やっべーめっちゃ顔が熱い。
    「照れてるわけじゃねーからっ」
     凪が何か言おうと口を開ける度、そこにケーキを運んでやって、何も言わせなくした。
    「カッコいいとか綺麗とか美人とか、すげー言われ慣れてるしっ」
     凪も凪でさっさと飲み込んで何かを言ってやろうと、未だかつてないくらい咀嚼が早い。だから俺もめちゃくちゃケーキを塊で詰め込んで対抗した。
    「でも、お前に言われるのは、初めてだから、ちょっとびっくりしただけで……」
     そう、俺は本当にびっくりしていた。
     綺麗とかカッコいいとか言われるのは慣れているし、当然の評価だ。俺の母親は女優で、その母親似の美形は遺伝子のおかげであり、俺の努力で整ったわけじゃない。でも、この美形をどう輝かせるかは俺の努力にかかっている。日々の手入れや自己プロディース力があってこその輝きだが、大体の人間は全て遺伝子のおかげだと思っているのだ。んなわけねーだろ、俺の肌ツヤが良いのは遺伝子じゃなくて、日々の健康管理と適度な運動等々の日々の積み重ねのおかげだっつーの。
     そんな俺の努力の部分を、凪に見抜かれたことが気恥ずかしくもあり……嬉しくもある。綺麗と言われることって、こんな嬉しいもんだったのか。
    「玲王は努力の人だもんね」
     でも天才に言われるのはちょっとムカつく。すかさずいちごを、その口にねじ込んでやった。
     凪はいちごを飲み込んだ後、またぱかりと口を開けた。どうやら、残りのケーキも食べさせろということらしい。はいはい。
    「で、なんか欲しいもんはねーのかよ」
    「うーん、赤いいちご?」
    「……わかった、来年は赤いいちごでケーキ作ってやるよ。他には?」
     ご希望通りにケーキをフォークで口元に運んでやると、凪は待ち構えていたように食いついてきた。
    「あるけど、今日は言わない」
    「なんでだよ。誕生日なんだから言えよ」
    「誕生日だから言わない、言えない」
    「ん?誕生日じゃなきゃ、言えるのか?」
    「そ。だから今日、日付が変わるまで一緒にいてくれる?」
    「あたりまえだろ、日付が変わるまで騒ぎまくるわ!なんてったって今日は俺の宝物の誕生日なんだかんな!隅から隅まで、祝い尽くしてやる!」
    「そういうんじゃないけど……まあいいや。駆け引き、必要ないって言ったの、玲王だかんね」
     そしてパーティも無事終わり、うちに泊まりにきた凪は日付が変わった瞬間、ゲームをやっていた目をこちらに向けて特大爆弾を投げつけてきた。
    「ねぇ、玲王って、俺のこと好きでしょ」
     その年の誕生日は、そんな、とんでもねぇ幕切れだったのだ。
     誕生日は10秒前に終わったが、真夜中に特大の爆弾をパスされた俺は、その爆弾をどういう形で凪に渡せばいいのか、全然わからず、硬直するしかなかった。
    「……は?」
    「どうしたい?俺と付き合いたい?」
     いつもと変わらない動作で首を傾げる凪に、俺は息を吸うのを忘れた。酸素不足のせいか、凪の後ろに黒い髑髏が見える。怖。
     どうしよう、なんて誤魔化す?この強い黒い目に俺の浅はかな誤魔化しなんて、通じるんだろうか。
    「え、と……」
     脳裏に蘇るのは、二次選考の時の凪の「めんどくさいよ」の言葉だ。あの言葉だけは回避しないと、俺の心が死ぬ、やばい。
    「な、凪、あのな……」
    「俺は付き合うって、ショージキよくわかんないけど」
     うーん、と凪は天井を見上げた後に、自分の首を撫でながら俺へと視線を戻した。
    「玲王となら、楽しそう、って思うんです」
     そして差し出された白い手は、チャンスか、それとも地獄の入り口だろうか。何で敬語?
     つか、なんでこのタイミング?今はW杯前で、お互い大事な時期で、ゴシップなんてもっての外。そういうのに疎そうな絵心すら気をつけろってわざわざ警告してきた。ちょっとしたことで選考に漏れるかもしれないのに俺と付き合ったりしたら、開催国的にも確実にお互い一発アウト。俺らが追いかけてきた夢が、ぶっつぶれるかも知んないのに「楽しそう」なんて理由で突き進んでいいのかよ。
     世界を敵に回す覚悟がある価値のある恋か、問われてるってこと?
    「……マジで、言ってんのかよ」
     低い声で問うけど、凪からの返事はない。ただ、俺に選択の手を伸ばしているだけ。
     でも今、一つ確かなのは、凪が俺と世界を敵に回してもいいって思ってるってこと。
    「玲王、俺と最強になる覚悟はある?」
     昔、誰かが俺に「選ぶ側になれ」と言ったけど、俺は凪に選ばれる瞬間がこれ以上ないくらい嬉しい。
     しょうがねぇじゃん、誰かに選ばれる瞬間が、こんなに嬉しい瞬間があるってことを……この感情を、この存在を、俺はもう知ってしまったんだから。選ぶ側の人間は、こんな感情一生知らねぇまま終わるんだ、可哀想に。
     だから俺はきっと、今後一生、この瞬間を求め続けてしまうんだろうな。そんな予感を受け入れた俺は、凪の鍛え上げられた身体に、思い切り抱きついた。
     俺たちはきっとまた、最強になれる。





     あの瞬間は、最強になれると信じていた。
    「……俺さ、たまに思うんだよな」
     たまに思う。俺はあいつをサッカーに誘ったけど、あいつにサッカーの楽しさを教えたのは結局俺じゃなかったから。
    「だから、俺がどんなに誕生日を祝っても、誕生日の良さを凪に教えるのは、凪の目を輝かせられるのは、結局俺じゃ、ないんじゃないかって」
     ……誕生日だけじゃない、恋だって。
     俺がどんなに頑張っても、結局凪が恋を知るのは、俺相手じゃないんじゃないかって。本当の恋を凪が知った時、またあのミラーボールみたいにキラキラ輝いた眼で、別れを告げられるんじゃないかって。
     不安の黒い雫が一粒でも落ちると、それはみるみるうちに心の中に広がっていく。俺は怖いよ、凪。お前に恋をするのが、ずっと。
     でも俺は、きっとその時が来ても、その凪の目の輝きが眩しくて、悔しいけど嬉しくて、引き止めることも出来ないんだろう。
    「相変わらずネガってんなぁ。玲王って日本酒に酔いやすいタイプだったっけ?」
     國神がハンバーグを食べながら首を傾げる。そう、俺は日本酒は少し苦手だ。疲れもあってか、普段よりも酔いが回りやすくなっている気がする。頬に手を当てれば、いつもよりも熱かった。
    「恋人の誕生日に会えないんだから、ネガってもしゃーないだろ。思いっきりネガれネガれ」
     俺よりもすげー飲んでるくせに全く顔色の変わらない千切に慰められ、なんだか一人で泥酔しているみたいでいたたまれない。
    「でも、あの凪が、仕事で帰って来れない〜なんて言うとはなぁ」
     國神の頭の中には、めんどくさがりの凪のイメージしかないんだろう。あれでいて案外働きモンだぞ、凪は。
    「そうそう、あいつむしろ仕事の方キャンセルしそうだろ。玲王よりも優先するとか、何の仕事だったんだ?」
     けれど、千切も凪を誤解している。誰が何を優先するって?
     俺はグラスにワインを注いで、一口飲んだ。 
    「入院してる子ども達の慰問だって」
     答えた瞬間に國神と千切はしばし黙り込み、ため息を吐いた。
    「……あー、あれかぁ」
    「それは確かに断れねーわ……」
     千切は定期的にクラブの地元サッカーチームとの交流会に出ていると聞いているし、國神も暇を見つけては子ども病院に訪問に行っていて、出会った子どもとその母親のハートを鷲掴んでいるらしい。
     皆、自分の影響力とか、立ち位置とか、理解をして社会の役に立とうとしている。なんつーか、俺らも大人になったよな。ブルロで罵倒し合っていた頃が妙に懐かしい。
    「凪も大人になったな……」
     國神がしみじみと言うので、ちょっと笑ってしまった。そうだな、今日誕生日だしな。
    「感慨深いわ。マジで誕生日おめでとう凪」
     3人でもう一度グラスで乾杯しといた。俺も凪の成長は素直に嬉しい。
     乾杯後、ワインを一気に飲み干した俺に、國神が肩に腕を回してきた。
    「誕生日に仕事する凪は偉いし、我慢した玲王も偉いぞ」
    「いや、俺も大人だから、そういう褒め方はいいって……」
     クソ重い腕から逃れようともがく俺の真正面に、突然千切の顔が生えた。
    「でもさ、俺が思うに、凪がそういう仕事嫌がらずにやるのって、玲王の影響あるだろ、絶対」
    「俺?えぇ……?」
     俺が、凪に影響?
     全く心当たりがなくて、困惑の声を上げたけど、千切は念を押すように身を乗り出してくる。
    「玲王だって、会社で慈善活動とか寄付とか、すんげぇやってるじゃん。自分の誕生日もチャリティパーティにしてるんだろ」
    「そりゃ、俺みたいな人間の義務だし?」
     地位や財産を持つ人間には、果たすべき社会的責任がある。小さい頃からそう教育されてきた俺にとっては、当然の行動でしかない。
     でも、千切は猫のように目を細めて笑った。
    「多分だけど、凪はお前のそーいうとこ、凪なりに見習ってんだと思うわ。凪が変わったのは、お前の影響もあるっしょ。間違いなく、さ」



     俺の19歳の誕生日当日は、いつもの虚無パだった。折角付き合って始めての誕生日なのに、凪と会えないなんて信じらんねえ!
     凪に「なら、前日泊まってもいい?」なんて初めてのお泊まりチャンスがあったのに、前日はパーティプランナーとの最終チェックでスケジュールを埋められ、泊まりに来てもらっても一緒にいられないから泣く泣く断った。つか、気づいたら前日どころか誕生日の前後1週間、やたらスケジュールを詰め込まれていて、凪と二人きりで会うタイミングが全然ない。
     これ、どうにかならないのかと、俺が聞いた時のばあやの表情で、察した。
     親父に凪との関係を、気付かれているのかもしれない。
     親父には何回か凪との関係を、詰問された。「お前は人の上に立つ人間で、誰かに奉仕する立場ではないだろ」と言われ、その都度適当に返事をしていた。それが、一番普通の友人関係に見える対応だと思ったからだ。
     そもそも、親父には知り合いやビジネスパートナーはいても、友人はいない。父は他人を利用することしか知らないからだ。そんな人間に、友情と恋愛の微妙な差異に気づけるわけがない。そう思っていたから、完全に油断していた。
     でも気付かれたところで、親父になんて言われようが、凪と別れるつもりはなかったし、特に気にしてなかったけど、まさかこんなあからさまに邪魔してくるなんて。
    「クソ親父ッ!」
     親父に呪詛を吐きつつベッドに飛び込んで、目を閉じる。
     憤りからか、いつもより早く目を覚ましてしまい、4時過ぎにベッドから出て、ジョギングの準備を始めた。
     あまり一人で出歩くなと両親から言われているが、ジョギングくらいは一人で気楽にやりたい。
     最初、両親はいい顔をしなかったが、俺が護身術を会得するのを条件に了承してくれた。俺だって、自分の価値はわかっている。だから、毎日ジョギングに出る時間を変え、ばあやにだけ事前に走るルートを1週間前に伝えておくのがルールだった。今日は、1キロ先にある公園まで行って、戻ってくるだけのコースを選んでた。
     念の為、コンシェルジェにもコースを伝えて外に出る。真夏だが、太陽がまだ登っていないからか、外に出ても比較的涼しかった。
     しばらく走っていると、徐々に世界が明るくなっていく。公園内では犬の散歩やランナーとすれ違った。少し行けば、サッカーをやれるグラウンドがある。昼間はサッカーチームのゲームで盛り上がっているグランドも、この時間は誰もいないだろうと思っていたが、ポンポンボールを蹴る音がした。
     こんな時間に珍しいな。つか、グラウンドってもう空いてるんだっけ?不法侵入?犯罪者?……やばい?それにしては、ボールの音がちょっとプロっぽいな。
     早く通り過ぎようと少々ペースを上げつつ、こっそり音の方へ視線を向ければ、見覚えがある癖毛があった。
    「……は?、凪?」
    「あ、おはよー玲王、早起きすぎない?」
     呑気にフェンスの向こうから手を振ってくるのは、間違いなく凪だ。慌てて駆け寄ると凪も凪でフェンスを登って越えてくる。おい、やっぱり不法侵入してんじゃん!
    「なんでここに?てかこんな朝早くどうしたんだよ、てか不法侵入!」
    「なんでって、今日は玲王の誕生日でしょ。ばあやさんから、今日玲王に会うならこの時間のここだって聞いたし、ばあやさんがグラウンドの鍵貸してくれた。おめでと」
     フェンス上から飛び降りた凪は、ポケットから小さい鍵を取り出して見せてくれる。良かった、犯罪者になってなくて。下手したら選手生命やばかったろ。つか
    「わざわざ、そのために⁉︎」
    「わざわざって、玲王の誕生日じゃん……これ、もらってくれる?」
     小さな紙袋を掌に置かれ、一瞬状況が飲み込めなかったけど、これって、もしかして……
    「プレゼント⁉︎凪が、俺に⁉︎」
     その年、初めて俺は凪から誕生日プレゼントを貰った。何をくれたのか早く知りたくて、早速袋を開ければ、ミニプランターに植えられたサボテンだった。プレゼントっぽく鉢に紫色のリボンがかけられている。
    「サボテン?あは、ちっちゃ。かわいいな」
    「これ、チョキの子どもなんだ。グーね」
    「名前もう決まってんの?サンキュ。大事にする!」
     チョキとは形が違う、ウチワみたいな形の小さなサボテン……だからグーなのか?どっちかと言えばパーに見えなくもない。でも、凪がグーだって言うなら、グーでいいか。
     うちのどこに飾ろう。玄関フロアでもいーし、リビングでもいいな。ベッドルームでもいいかも。絶対大事にしよう。あ、でも水のやりすぎは注意、だったよな。気をつけなきゃ。
     なんて、テンション上がりまくってる俺を、凪はじっと見つめてきた。
    「……れお、なんか、俺に言いたいわがままある?」
    「へ?」
    「誕生日だし、わがままなんでも言ってもいーんだよ」
     プレゼントをくれたのに、さらになんかわがままを言えだなんて大盤振る舞いに、俺はビビった。なんだ、今日俺は死ぬのか。
    「いやいや、これで充分だって。朝弱いお前がさ、こんな時間に俺のこと待っててくれるってだけでマジで奇跡かっつーのに、プレゼントまで貰えちゃうなんてもうサイコー誕生日だよ。これ以上望むとか流石に贅沢すぎんんだろ」
     死亡フラグ回避しようとする俺の前で、凪はちょっと不満げに唇を尖らせる。
    「なんかそれ、玲王らしくないじゃんね」
    「え」
    「欲しいもんは全部、手に入れるのがモットーなんじゃないの?」
     首に手を当てながら、凪は俺を真っ直ぐ見つめてくる。真っ直ぐって言っても、いつもの心を貫くような強さはなりを潜め、春の日差しのような暖かさが心に甘く触れてくる。ああなるほど、凪は5月生まれだから。
     その優しい視線に促されるように、不恰好に口を動かした。わがままは言い慣れてるけど、凪に甘えるのは未だ慣れない。だって俺、いっつも甘やかす側だったし。
     でも、そうか、俺の誕生日だもんな。
    「……じゃー……これから俺んちで一緒に朝食食べて、その後、俺はパーティに行かなきゃ、だけど……俺が帰ってくるまで俺んちで待っててくれる?」
     それは無理だと言われる可能性が高いと思った。これから朝食を食べて、支度をして俺が家を出るのは8時くらい。それから昼のパーティと夜のパーティ両方が終わるのは22時くらいになる。それまで待ってろだなんて、ご無体にも程があるだろ。
     でも、凪は軽く肩をすくめて見せる。
    「了解、ボス。そんなん、よゆーだよ」
     面倒臭がりの凪は、あっさりと俺のわがままを許した。俺だったらこんなわがまま絶対拒否するけど、家でのんびりゲームをしたり寝たりするのが趣味な凪はむしろ大歓迎ってことか。
     ……俺ら実はめっちゃ相性良いのでは?
    「じゃあ玲王、今日は特別凪リムジン」
    「え」
    「早く乗ってよ」
     半ば無理矢理な凪リムジンで二人で俺んちに帰って、二人でシャワーを一緒に浴びてから朝食を二人で食べた。早起きしたおかげで思いのほか長い時間を凪と過ごせて、それはマジで嬉しかったし、すげー楽しくて、ずっとこうしていたかった。グーの置き場を話し合いつつテレビを見ていたら、気づいたら寝てしまっていたらしい。「時間だいじょーぶ?」と凪に起こされて初めて凪の腕の中で寝ていたことを知り、文字通り飛び起きた。時間は全然大丈夫じゃなかった。
     慌ててWICに行って、今日のパーティために仕立てたスーツを着る。オートクチュールだから着こなしに間違いはないはずだが、足元から腰、肩背中まで入念に確認した。俺は筋肉はあるが細身な方なので、そのスタイルを活かし、肌に張り付くようなスリムな仕立てにしてもらった。去年までは爽やかな若々しさを売りにしていたが、今年は恋人も出来たし、大人の色気デビューしたいという希望をテーラーに伝えた結果は、期待以上だった。
     鏡が映すスーツの出来に満足して視線を上げれば、凪が好きで好きでたまらない色ボケ御影玲王がいたので、両頬をぶっ叩き、一分の隙も無い御曹司顔に整えた。
     用意していたルブタンの靴を履き、夜用のスーツを手にWICを出た。
    「なーぎ、お腹空いたらコンシェルジュに好きなもん頼んでいいし、冷蔵庫にも俺昨日作ったパスタとか入ってるから」
    「おー、………傾国じゃん」
    「え?」
    「玲王めちゃくちゃ似合ってる。かっこいーね。てか似合いすぎ。人が狂うレベル」
     そゆこと言うなよ、色ボケ顔に戻っちゃうだろ!
    「流石に大袈裟だろ」
     凪からの褒め言葉に内心ニヤニヤしつつ、用意していた腕時計をつけていたら、後ろから凪の腕が回された。
    「……行ってらっしゃい。って言いたいとこだけど、なんだか行って欲しくないよ、玲王」
     バックハグをして首元に擦り寄り、耳元で甘く囁くという甘えのハットトリックを決められ、流石に泣きたくなった。
    「あ〜〜〜俺だって行きたくねーーー!虚無パ!」
     それでも時は残酷で、腕時計の時間を見て俺は凪のこめかみにキスをして誘惑を振り切るように家から飛び出した。
     行ったら行ったで、なぜか糸師兄弟が来ていてめちゃくちゃ驚かされた。俺が知るゲストリストには書いてなかったから、親父の差金だろう。今年のW杯選抜メンバーで一番マスコミが盛り上がっているのは糸師兄弟の存在だから、そんな有名人を息子のパーティに呼んで人脈アピールってところか。くだんねー。
    「来てくれたのは嬉しいけど、なんで来てくれたんですか」
     二人とも、別に個人的に仲がいいわけでもなく、俺の誕生日なんて「時間の無駄」と一蹴しそうなもんなのに。
     糸師冴に飲み物が入ったグラスを二人に差し出しながら問えば、二人とも受け取ってくれる。俺はてっきりどっちにも叩き落とされると思ってた。それはそれで、父の思惑が外れることになるから構わなかったけど。
     もしかして、一緒にW杯代表に選ばれたし、糸師兄弟にもちょっとは選手として認められたんだろうか。
     ちょっとした感動を噛み締めていると、ノンアルシャンパンを飲みながら兄が舌打ちしながら答えた。
    「チャリティじゃなければ来てない。1時間で帰る」
    「俺は兄ちゃんが行くから来た。兄ちゃんが帰るなら帰る」
     凛の相変わらずのブラコンを真正面から浴びてしまった。
    「へぇー、ま、飽きたらいつでも帰ってくれていいかんな。寄付金ありがとうございます。有効に使わせていただきますね」
     ちなみに俺はもう飽きている。俺だって今すぐ帰りたい。凪に甘えのトリプルハットトリックを決められたい。
     すると凛がきょろりと周りを見回した。
    「……お前の誕生日なのに、白いのは来てねぇのか」
    「白いのって、凪?ああ……あいつには退屈なのわかってっから、呼んでねぇよ」
     そう答えれば、凛は大して興味なさげに「ふぅん」と……いや、「ふん」と鼻を鳴らしただけかもしんねぇが、もう一度会場を見まわし、突然、俺の左肩を掴んだ。
    「おい、あれ、アリアスターか?」
    「は?」
     どうやら凛は、親父が招待していた来日中の映画監督に釣られていたらしい。その髭面のオッサンを前に「兄ちゃんアリアスターだ、アリアスター」と静かに、だが確実に目を輝かせてはしゃぎ、冴の方は「そうか良かったな」どこか死んだ目をしていた。多分、兄の方は欠席しようと思っていたのに、弟が出席者の中にあのおっさんを存在を知って行きたがったというのが真相だろう。兄も兄で弟のこと大好きじゃねーか。なんで俺は誕生日に他人のブラコン愛を浴びてんだろう。
     そんなブラコン二人とオッサンの写真を撮らされ、マジで俺自分の誕生日に何してんのかなって心底思った。テメェら俺の誕生日パーティだぞ?
     でも今日は帰ったら家で凪が待ってる。それが俺にとって最高の誕プレだ。
     ボロボロな気分でやっと自宅に帰って、待っててくれた凪と一緒に風呂に入って、頭を洗ってやっていたら「ねぇ、俺ら一緒に住んだ方よくない?」と言われ、結局サイコー誕生日になったんだっけ。
     

     

     凪と一緒に住むために色々こだわって買ったこの家に、二人で住めたのは結局2年にも満たない。凪はW杯い優勝後、イングランドのチームに移籍して、「行ってくるね」と思い出だけ残してこの家から旅立った。一人残された俺は、二人で買ったキングサイズのベッドに毎日一人で眠っている。
     ついて行くという選択肢は、その時の俺にはなかった。その後足の怪我で引退し、大学で勉強して早期卒業出来たから親父の会社に入れられた。忙しさは寂しさを紛らわしてくれるけど、一人でいる時にふと孤独を噛み締める。
     凪と一緒に住む前までは、平気で夜を一人で積み重ねていたのに、凪がいなくなってから夜をどう一人でやり過ごしていたのか、全然思い出せなくなっていた。
     そんな弱い自分を凪に知られたくなくて、凪と会っている時は大分、いやかなりテンション高めで、一人で突っ走ってしまう。凪はそんな俺をいつも受け入れてくれて、許してくれて……。
     なのに俺は、いつも自分勝手だ。
    「……凪なんか食べ物に興味無いのに、なんでこんなに作っちまったんだろ」
     凪がこっちに来ると決まってから、何を作ろうかずっと考えて、とりあえず思いついたものを全部作ってしまった。結果、3人でも食べきれないほどの量になる。会社でフードロス削減にも力を入れているというのに。
    「いや、凪がこの料理見たら絶対すげぇ喜んでたって」
    「凪ならお前の手料理食えなかったって、間違いなくブチギレると思う」
     國神と千切が口々に慰めてくれるけど、俺はテーブルに額をぶつけた。ガラスのひんやりとした硬質さが気持ちいい。
    「凪がそんなことで怒るわけねーだろ。あいつにとっちゃ、静かな誕生日が最高のプレゼントなんだから」
     やっぱり、今年は会わないで正解だった。長く人と付き合うためには、適切な距離感がやっぱり必要だよな。今年もこんな押し付け誕生会なんてされたら、流石の凪も俺にキレるかも。
    「……凪に静かな誕生日がいいって、言われたのか?」
     拗ねたような俺の言葉に國神がぴくりと反応し、硬い底音で聞いてくる。視線をあげてみたら、昔のブラック國神みたいな顔になっていた。おお、なんか懐かしいと思いつつ、視線を下げる。
     実際は、直接言われたわけじゃない。けど
    「……でも、お前らにそう言ってたじゃん」
     ガラステーブルに頬を押し付けつつ、唇を尖らせながら言えば、二人は怪訝な顔でお互いの顔を見ていた。
    「なんの話?」
    「お前らと凪が、この前オンラインで話してんの聞いたんだよ。お悩み相談って。誕生日はもうちょっと静かな方がいーって、凪が……」
     盗み聞きを告白するのは若干気まずくて、酒で熱くなった顔を逸らしながら低い声で言うと、千切が目を見開いた。
    「あー、そういや言ってた!言ってたわ!言ってた!」
     ほらやっぱり!あれは俺の聞き間違いでも何でもなかったんだ。言ってた!と千切が繰り返すたびに心に突き刺さる。
    「千切、お前3回も言う必要ないだろそこは」
     呆れたように國神に嗜められた千切は、「いや言ってたけどー……」と4回目を言いやがった。あー!
    「ほらな、やっぱり凪はずっと迷惑だったんだよ。毎回それほど嬉しくなさそーだし、プレゼントだって、俺があげたのより……俺があげたニットより、他のやつが……潔があげてた脱毛クリームのが嬉しそうだったしっ」
     あの年、なんか凪がやたら嬉しげな顔で貰ってたから、後でこっそり中身が何だったのか確認してみたら、脱毛クリームだった。何でだよ!後日、凪からそのクリームの匂いが若干漂ってきたのもスゲー嫌で、その日は念入りに体を洗ってやった記憶がある。
    「なんで潔が凪に脱毛クリームあげてんだよ。普通にウケるわ。ただの笑い話じゃん」 
     ケラケラと笑う千切は多分毛が薄い方なんだろうが、アスリートは特に思春期、毛に悩まされる。目の前にいる國神は身に覚えがあるのか、気まずそうに視線を逸らしていた。
    「……その脱毛クリーム、昔潔が買ってみたけど合わなかったから凪にあげたって言ってたやつじゃね?そんな気にすることじゃねぇって、絶対」
     國神が事情を知ってるってことは、多分、凪がそういう相談の相手として選んだのが、潔と國神だったんだろう。それは、まぁ不本意ながら、理解出来る。俺はサッカーやる前からあちこち脱毛してたから、凪に俺は生まれながら毛が薄いって思われているっぽいし。一緒に寝た朝に、起き抜けの凪から「玲王は本当に綺麗だねぇ」って髭のない顎を撫でながら言われるから。
    「流石に恋人には言いにくい話題だと思うぞ、それは」
     これに関しては國神は完全に凪の肩をもつつもりのようだった。てかなんで小声。
    「いや、そういう時こそ俺の出番だろ?無駄毛気にしてるなら、ウチの系列のサロンに連れてくのにさぁ!SNSでバズっただけの新興ブランドの脱毛クリームなんて使って欲しくなかった……!」
     新興ブランドのSNSバズりなんてそりゃあ場合によるけど、実際言うほどいいもんでもないってのに!多分バズりを見た単純な潔が買ってハズレだったから、凪の手に渡ったんだろうけども。でも、凪があの匂いをさせたのは一回だけだった。
    「玲王まじで肌綺麗だよな、それお前んとこの系列のサロンなの?紹介して」
     酔いで顔が赤くなった千切が俺の頬を掌で摩って、抱きついてきた。千切は酔うとわがまま度が増して距離感が近くなる。
     でも、それ良いかも。
    「いいぜ!つか、何なら今から行くか?みんなで!」
    「御曹司様、もう21時すぎてんぞ」
     今日の國神はあんまり酒を飲んでないらしく、真っ当なツッコミをしてくるから、つまんねー。
    「俺の言うことはみんな聞くし!問題ない!」
    「いやそれパワハラだろ」
     そう國神は言うけど、本当に周りのみんなは大体俺の思う通りに動いてくれる。そう動くように俺が仕掛けているのもあるけど……。
    「凪くらいだ、全然、俺の思い通りになんねーやつ……」
     昔から俺が何を仕掛けても、凪は俺の予想通りに動かない。だから凪が何を考えているのか、結局今も俺はよく分からない。
    「どうせ俺は押しかけ女房だよッ」
     沈みそうになる感情を酒のせいにして、シャンパンの瓶に手を伸ばそうとした時、千切が俺の肩に抱きついてくる。
    「あーでもさぁ、玲王、あの後、凪のやつ潔になんつったと思う?」
    「あの後?」
     あの時俺は、凪が動いたから慌ててキッチンから外へ出た。その間のことだろうかと千切に戸惑いの目を向ければ、彼はイタズラっぽく笑い、赤い唇をゆっくりと動かした。

    ーーー押しかけ女房じゃねぇし。恋女房だし。




    「今年の誕生日は、うちの親が一緒に食事したいってさ」
     20の凪の誕生日は、恋人になって初めての凪誕だったから俺は浮かれまくってて、プライベートビーチでのパーティを計画しようとどこの島を買うか品定めしていた時、凪がそう言った。
     確かに、20という年齢は特別なものだ。だから俺も盛大に祝おうとしてたわけだし、それを両親が親子水入らずで祝いたいと思うのは、当たり前のことだろう。
     大体のことは強行する俺でも、今回ばかりは頷くしかなかった。南国の透明度の高い海で凪とイチャつきたかったが、仕方ない。
    「わかった。でも、店は俺に選ばせてくれね?俺もお前の誕生日祝いたいし」
     裏方として凪のために何か出来るなら、ま、それでいっか。あわよくば、凪の両親に好印象を与えておきたいし。
    「それは助かる。じゃあ4人で予約とって貰ってもいい?」
    「オッケー4人な!」
     凪と、凪の両親と……あれ?もう一人って誰だろう。
    「ん?凪って兄弟いたっけ?」
    「玲王も来るでしょ?」
    「は?」
     付き合い始めてそろそろ1年、突然すぎる恋人の両親への挨拶ミッションの始まりだった。正直、この年の凪の誕生日が一番精神的に大変だった。
    凪からご両親の食の好みやアレルギーを確認し、俺が知る中でも最高級レベルの料亭を選んで、両親ウケ良さそうなスーツをいつになく真剣に選ぶ俺に、凪は珍しく物憂げな目を向けた。
    「大丈夫だよ、うちの両親、玲王のファンだから」
    「なあな、どっちのスーツが親ウケ良い?ハイブランドすぎんのも嫌味かな?」
     厳選に厳選を重ねて最後の候補になったGUCCIとトムフォードのスーツを凪に突きつける。いや、やっぱ庶民的イメージならラルフローレンの方が?チラリとクローゼットへ視線を向けた俺に、凪はため息を吐く。
    「どっちもエロすぎでしょ、ダメ」
    「は⁉︎エロ?露出度高くねーだろ、スーツだぞ?」
    「色気と露出度は必ずしもイコールじゃないんだよ、玲王。去年の玲王の誕生日の時のスーツ姿、エロすぎだったし。金持ちの変質者に攫われるんじゃないかってマジで心配した」
    「大丈夫、ボディガード近くにいたから大丈夫」
    「待ってよ、ボディガードがいなかったらヤバかったってこと?」
    「そんなことより問題は今日のスーツ!」
    「そんなことじゃないから、玲王、ちょっと」
     結局、凪をどうにか納得させたバーバリーのスーツを着て、緊張でガッチガチになりながら料亭の個室で二人の到着を待つ。店自慢の庭が一望出来る部屋を選んだから「ねぇ見てよ玲王、石灯籠でっけー」と凪はのんびりいうが、俺は膝に置いた手にじっとりと汗が滲み始めていて、それどころじゃない。そんな俺に、凪は「大丈夫だよ、玲王に会って玲王のこと好きにならない人いないから」と慰めてくれる。
    「ほんとかよ」
    「そうだよ。俺だって、今思えばお前に一目惚れだった」
    「今そんな初情報ぶっ込んでくる⁉︎」
     詳しく問いただそうとした時に「お見えになりました」という声と共に目の前の障子から声が飛んできたので、心臓が止まるかと思った。いや実際多分一瞬止まったね。
     障子が開いてすぐに、女性と目が合った。あ、目元が凪にそっくり。と思った瞬間に「玲王くん!本物!」という喜色に溢れた声が部屋に響く。
     驚きに硬直した俺の横で凪が「言ったじゃん、うちの親、玲王のファンなんだってば」と小声で言った。いや、ごめん、あんまり本気にしてなかった。
    「玲王って子と友達になったって話は聞いてたけど、テレビで見てびっくりしたわ。こんなにかっこいい子だと思ってなかったから。実物の方がかっこいい、同じ人間とは思えない。顔すっごく小さい。実物のが全然かっこいい。いつもうちの子にパスくれてありがとう。この子の得点はほとんど玲王くんのおかげよ。ちゃんと玲王くんにお礼言いなさいっていつも言ってるんだけど、言ってる?」
    「言ってる。言ってるって。もー」
    「ごめんなさいね、私達が一度玲王くんにお礼を言いたくてこの子に会わせて欲しいって頼んだの。本当に実物の方がカッコいいわね」
     3回目の「実物の方がかっこいい」頂きました。
     初めて見る凪の母親は、結構おしゃべり好きだった。年齢は、俺の母親よりもちょっと上ってところだろうか。目元がやっぱ凪に似ている。凪が実家でこの人のおしゃべりを「んー」とか適当に聞き流す姿がリアルに想像出来て、なんかちょっと感動した。
     対して、彼女の隣に座る凪の父親は静かだ。口数の少なさは父親に似たのだろうか。てか、背が高い。凪の身長は遺伝なのか。この人があの「俺より先に死ぬなよ」の父親なんだよな。輪郭が凪に似てる。……いや、凪がこの人たちに似てるってことだよな。
    「母さんやめてよ、玲王引いてんじゃん」
     ちょっと所在なさげに言う凪も息子の顔をしていて、凪も人の息子なんだなぁと当たり前のことを思った。おかげで、緊張が少し緩む。
    「いえ、嬉しいです。ありがとうございます」
     よかった、これなら両親との初対面それなりにやり過ごせそうだわ。イケメンに生まれてマジで良かった。こればっかは母さんに感謝だな。
     ノンアルのシャンパンを飲むふりをして、小さく息を吐いていたら、膝に置いていた手の甲が何か温かいものが覆う。
     凪の手だ。
     驚いて凪を見れば、凪は真っ黒い目で俺を静かに見つめている。その時初めて、俺は俺の手が緊張で震えていたことに気付かされる。凪が俺を見つめたまま軽く、それでもしっかりと俺の手を握る。
     そうだ、俺は一人じゃない。
     それを教えてくれた凪の体温にホッとし、大丈夫だと軽く頷けば、凪も僅かに顎を引く。繋がれた手は、随分と頼もしく大きくなった。今日は、凪に任せよう。凪の手に心を委ねて、シャンパンを飲む。
     そうそ、今日は凪の誕生会に友人として同席させてもらってるだけ。俺があんまり緊張する必要も理由もない。口内に広がる葡萄の甘い香りを静かに楽しんだ。
    「父さん母さん、俺今日誕生日だろ。だから、プレゼント代わりにわがまま一つ聞いて欲しいんだけど」
     凪が家族水入らずの話をしようとしているから、俺はそれを邪魔しないように。てか凪も家族にわがまま言う事あるんだなー、なんて他人事のように聞いていた。
    「あら、なぁに?」
    「うん、俺玲王と付き合ってんだよね。玲王とずっと一緒にいるから、孫は諦めて。その分金銭的な親孝行なら出来るから」
    「ン“ッ」
     シャンパンを吹き出しそうになった。
    「凪お前、何言って」
     僅かに濡れた口端を手の甲で拭いながら凪を見れば、本人はキョトンとした顔で首を傾げた。
    「玲王が教えてくれたんじゃん、誕生日なら大体何でも許されるって」
     ばっか、お前、そういう意味じゃねえ〜〜〜!
    「生き方は任されてるっしょ。玲王とのこと、他人から許可貰う必要ないとは思ってるけど、親には一応飲み込んでおいて欲しいから」
     俺が内心頭を抱える横で、凪は両親に真っ直ぐに伝えた。その何にも染まらない黒い瞳も声も、俺にはない真っ直ぐさも、凪と両親の信頼関係由縁だろうか。嘘を知らない真っ直ぐさは純粋すぎて時に無神経だけど、揺るがない強さが、結局好きなんだよな〜〜〜!
     沈黙したゲストの前で改めて凪に惚れ込んでしまっている自分を実感していると、凪の両親は二人とも目を大きくし、俺と凪を凝視している。そりゃそうだ、大事な一人息子が突然カムアウトしたんだから。
     こういう両親へのカムアウトの正解は俺にも分かんないけど、でも、俺に何の相談も無しに両親に言うのは間違いなく大間違いだぞ、凪。
     無表情で特大爆弾を投げた男を睨みつけると、まず女性の声が沈黙を破った。
    「誠士郎、あなた……意外と面食いだったのね……?」
    「……うちの息子って、恋とかするんだ」
     罵倒も覚悟していたのに、驚いたのそこ?てか、凪のお父さんの声、すげぇ凪に似てる。凪の声がちょっと低くなった感じ。凪も年取ったらこんな感じの声になるのかな。
     俺が全然違う方向で感動している横で凪も、怪訝そうに眉間を寄せた。
    「……別に顔で好きになったわけじゃないけど、でも今後玲王より綺麗な人と出会えるとも思えないのは確かだよ」
    「それはそうよね」
    「それはそうだろうな」
     両親の声が被った。褒められてるんだろうけど、ちょっと複雑だ。なんとなく気付いてはいたけど、凪の両親もなんかちょっと変だ。てかさっき俺に一目惚れって言ってなかったか?
    「俺らの関係が知られたら、そん時父さん達も周りから色々言われるかも知れない。だから、先に言っておきたくて」
     凪は突然、影の下で繋いでいた俺らの手を持ち上げ、それを庭から入る日差しの中に晒した。
    「俺、玲王といれて幸せだから。それだけわかっといて。よろしく」
     俺はずーっと凪の無神経な強さに悩まされて来てるけど、こういう時に心底思う。凪は強い。凪の、俺にはない強さにずっと魅了され続けている。
     でも、俺だって強いんだからな。
     凪の強さに背を押され、俺も手を強く握り締めた。
    「あの、俺、俺の持ちうる知力、財力、権力、全部使って、全力で息子さんのこと幸せにします。知力も財力も権力も、これからどんどん増やしていきます、必ず!」
     俺だって、最強になれるんだ。凪のこれからの人生だって背負えるくらいに。そう自分を力強く売り込んだ俺の横で、凪が肩をすくめた。
    「ね?俺は間違いなく絶対世界一幸せになれると思うよ」
    「……説得力がすごい……」
     やりすぎたのか、戦慄されてしまった。 
    「ところで、二人の関係は公表するつもりですか」
     凪そっくりな落ち着いたトーンの声での初めての質問に、俺は目を上げた。父親として、当然の質問だろう。
    「あ、それは……」
     凪が何かを言おうとしたけど、おい待て。
     俺達は世間へのカムアウトについてまだきちんと話し合っていなかった。凪には凪なりの考えがあるみたいだが、俺は何も聞いていない。何を言われるのかわからなかったし、これ以上余計なことを言ってご両親を不安に思わせるのも忍びない。だから、凪の言葉を思いっきり遮った。
    「今は凪……さんも選手として重要な時期なので、公表するつもりはありません。ご心配なく、完璧に隠し通します。凪さんの経歴に絶対に傷はつけません。お約束します。何があっても俺が絶対守ります!」
    「は?ちょっと玲王……」
    「ああ、いや、そういう意味ではなく」
     凪の不満げな声を上げたのと、彼の父が軽く上げた手を振るのはほぼ同時だった。彼は首に手を当て、撫でながらゆったりと笑った。
    「私たちのことは気にせず、二人がしたいようにしてくれて構いません。二人の判断に任せます」
     ふと、凪が昔「うちの親は放任主義だから」と言っていたのを思い出す。この人たちは、自分の息子を信頼しているんだろうな。うちの親なら、絶対にこんなこと言わない。
     急に、自分の過保護癖が恥ずかしくなる。ついでに有能アピールもしたくて、すげぇ先走っちゃったし。……マジで俺、自分の親にそっくりで嫌になる。
     視線を伏せかけたら、凪が握っていた手に少し力を入れるの感じて、目を上げた。そんなやりとりを見た凪の母親が柔らかい笑みを浮かべる。
    「あなたを傷だなんて、そんなこと思いません。本当に感謝しているの。貴方と会ってからびっくりするくらいイキイキし始めて。私はうちの子があなたに恋してるの気付いてたから、嬉しい。それに…‥」
     彼女は少し身を乗り出し、凪をチラリと見てイタズラっぽく微笑んだ。
    「あのね、この子、今年も去年も自分の誕生日なのに、私に花束送ってくれたのよ」
    「え?」
    「びっくりするでしょ?なんでって聞いたら、玲王くんがーーー」
    「ちょっともう良いじゃん。さっさと食べなよ。折角の料理冷めちゃうって」
     自分の母親の言葉を遮った凪の頬が若干赤くなっていたから、俺は思わず肩で凪に突撃していた。
    「えーなになに、なんだよぉ、俺詳しく聞きたい」
    「私も詳しく話したい!嬉しかったんだから!玲王くん本当にうちの子見つけてくれてありがとね!」
     それからは出会いのきっかけやら馴れ初めの話や、近況について話をしつつ、料理を食べた。てっきり凪はあまり喋らないのかと思ったけど、酒が入ったせいもあるのか普段の倍くらいは喋っていた。正直、助かった。後から聞いたら、初めての酒は父親と飲むと、小さい頃から約束させられていたらしい。
     食事が終わり、二人がタクシーで帰るのを見送って個室に戻ってきた瞬間、俺は畳に倒れ込んでしまった。 
    「あーマジすげー緊張した」
     ずっと息苦しかったネクタイを緩め、脱力した俺の隣に凪が座る。
    「玲王が緊張するなんて、珍しいじゃん」
    「すんだろ。お前の親なんてこの世で一番緊張する。ほんと、なに食べても味しなかったわ」
     とにかくずっと喋っていたから、出された料理もそれぞれ一口くらいしか食べれていない。でも、凪の両親は全て食べてくれたみたいでホッとする。口に合ったみたいで良かった。
     残していた刺身を箸でつまみ、醤油をつけて口に放り込めば、醤油の塩味がマグロの甘さを引き立てる。美味ぁ。
     やっと味覚が戻ってきたようで、改めて深く息を吐く。急に空腹を感じ、手をつけていなかった白米に箸を向ける。少し冷めているようだが、硬めに炊かれた米は噛むと甘味が増した。
    「……前から思ってたけど、お前の誕生日、良い季節だよな。寒すぎず暑すぎず、太陽光もほんのりあったかくて、世界が一番イキイキしてる。一番気持ちいい季節だろ。俺は冬が好きだったけど、5月も好きになった」
     やっと庭を楽しむ余裕も出来て、でかい石灯籠とそれを飾る新緑が、俺の疲れた心を癒してくれた。
    「そう?」
     酔っているのか、顔をほんのり赤らめた凪は、ちびちびと冷水を飲んでいる。20の誕生日だからと、父親とビールを一杯だけ飲んだせいだ。
     酔っ払い凪を見るのは初めてで、物珍しさにその挙動を少し観察してしまう。眠たげとは違う、とろりとした目が可愛い。
     箸を置いて、凪の肩に頭を乗せた。
    「玲王?」
    「お前のご両親、予想はしてたけど、やっぱ良い人だな。マジで俺はお前を幸せにしてやる」
    「うん、よろしくね」
    「……でも、俺に相談もなしにご両親に俺とのこと話すってどーなの。マジでびびったんだけど?」
     じろりと睨んで、凪の赤い頬を軽くつねってやると、「うにゃ」と酔っ払い凪が鳴いた。その声が可愛くて、うっかり許しかけてしまう。
    「ごめん、でもうちの親放任だから、どうせ反対されないって思ってたし」
     のんびりとした声に、俺は凪の頬を引っ張るのをやめた。
     ほんと、こういうとこだよなぁ。
     凪からは昔、親からは「俺より先に死ななければ、どんな生き方でもいい」と言われている。親に信頼されているという自信が、凪の強さの一つなんだろう。そういうところ、ちょっとだけ羨ましい。
     俺はというと、父親にはいちいち身の振る舞い方について昔よりも口出しされるようになった。多分、俺と凪の関係を知っている父は、あからさまに邪魔をしている。今日だって、父から呼び出しを食らって、時間がないからリモートで対応したら、「直接会って話したかった」と苦虫を噛み潰したような顔の父が始めた話の内容は見合いについて。即座に通話を切ったけど、その後「友達の誕生日会より大事な話だろう」とメッセージが来て未読無視をしている。俺にとって何が大事か判断するのは俺だし、つか自分たちだって恋愛結婚なのに、俺に見合い話持ってくるとか、道理に合わねぇだろうがよ。
     あの人たちは俺のことなんて何も考えていない。考えているのは、世間体とか、体面とか、外聞とか、とにかく御影というブランドに傷がつかないように。それだけだ。
     かくいう俺も、凪ってブランドに傷がつかないように必死になってしまってたけど。あーあ。ほんと、俺ってダサい。
     先ほどの醜態を思い出して自分に対してため息を吐き、再び頭を凪の肩に乗せた。
    「そんでも、俺がびっくりするだろ」
     びっくりしすぎて、凪の親に醜態晒しちゃったじゃん。
    「ごめんね、玲王。怒った?」
    「怒った。けどもう、怒ってねーよ。次はちゃんと事前に言えよな」
     凪は「わかった」と神妙に頷いたけど、本当にわかってんだろうな……。けど、また次似たようなことがあっても、どうせ俺は凪を許しちゃうんだろうな。
    「ねぇ、玲王」
    「んー?」
    「俺はいつでも、玲王の親にも会えるよ」
     は?
     今日はやたら凪に驚かされる日だった。思わず顔を上げれば、俺を真摯に見つめる凪がいる。その子どもみたいな無垢な視線が妙に後ろめたくて、俺は自然と口角を上げてしまった。よそ行きの笑顔を、無意識に作ってしまったのだ。
     凪はすぐ俺の御曹司スマイルを見抜き、咎めるように目を細めたので、しまったとは思ったが、もう遅い。
    「あー……いや、うちの親は気にしなくていいって。いざとなったら?駆け落ち?すりゃあいいし。家を飛び出す土台作りはちゃんとしてっからさ」
    「玲王」
    「お前はなーんも気にしなくていーの」
     うちの親に言ったところで、どうせ反対されるに決まっているのだ。実際、色々釘刺されたり、邪魔されたりしてる。これでもし、付き合ってるなんて馬鹿正直に紹介したら、父は邪魔どころか本格的に攻撃をしてくるに違いない。その時の攻撃対象は、俺じゃなくて、凪だ。
     父は一代で会社を大きくした、業界の天才だ。それは認める。でも、一代でそこまで会社を大きく出来たってことは、自らの手で潰してきた人間の数が多いってことだ。あの人はそういう裏工作に長けているが、俺はまだそこまでじゃない。本気になったあの人なら、一介のサッカー選手である凪を世間から抹殺することなんて容易い。実際、凪の周りを彷徨くゴシップ記者が増えた。凪が人気選手になってきているのは間違いないが、それだけじゃないだろう。何回か突然出た凪の交際ゴシップも、全部あの人の計画だ。
     あの人は俺が凪に愛想をつかすのを待っているみたいだが、残念なことに俺は親父より凪を信頼している。最近、SNSで凪との交際匂わせ投稿もやたら増えてるけど、これも親父の差金だろう。
     頻発する凪の交際報道のせいで、世間の凪のイメージが女好きになりつつあるのを、いい加減どうにかしたい。凪誠士郎は、毎日毎晩、俺の隣りで寝てるんだよ!
     執拗な攻撃にイライラして、いっそ全部真実をぶちまけたくもなるけど、今はまだその時じゃない。俺があの人を超えられるまでは、世間的には俺らの関係は友人であるべきだ。
     それに、それ以前に、凪には何の柵もなく、サッカーを楽しんで欲しい。それは譲れない。例え凪本人でも。
     俺は、御曹司スマイルを貫くことにする。凪は俺の笑顔をしばし見つめた後、諦めたように息を吐いた。
    「……俺、玲王のそういうとこ、好きだよ。ありのままの面倒くさがり赤ちゃんな俺のこと、全部受け入れてくれるつもりなんだろ」
    「たりめーだろ。お前はそんままでいーよ」
     凪が引いてくれたのを察し、俺は笑みを深め、凪の肩に甘えるように擦り寄った。親父には、そろそろ牽制しておこう。とりあえず、手始めにあの人が金庫に大事にしまっている、俺が五歳の時に描いた親父の似顔絵を燃やそうか。
     そんなことを考えていた俺の頭に、凪も頬を乗せる。
    「でもなんだろな、玲王にそう言われるとさ、なんか俺……お前のことびっくりさせたくなる」
    「びっくり、って……やめろよ、心臓に悪いだろ」
    「俺は欲深いエゴイストだから、玲王のこと全部欲しいって思ってるんだ」
    「おお……凪誠士郎記念すべき初めての酔っ払いだな?」
     珍しく積極的な凪の言葉を、俺は凪の赤い頬を突付きながら揶揄うに留める。今、その言葉を受け入れる勇気は俺にはなかった。
     凪は不満げに目を眇め、欠伸をした。
    「酔ってない。……いや、少し酔ってんのかも。ちょっと眠いけど、でも、言ってることに嘘はないよ」
     凪は唐突に姿勢を正し、俺の顔を真正面から覗き込んだ。
    「ねぇ、恋人ってさ、玲王が楽しいこととか嬉しいこととか、悲しいこととか悩んでることとかも、全部、丸ごと、俺のもんにもなるんじゃなかったの?」
    「そうだよ、俺のもん、俺の人生、全部丸ごとお前のモンだよ」
    「じゃあさ、玲王はいつまで、自分1人で俺らの問題を解決するつもりなの」
    「俺らに問題なんてねーだろ」
     ノンアルのシャンパンを飲みながら嘯いた俺を、凪の目が挑戦的に見下ろした。
    「……じゃあ、玲王の誕生日パーティに俺も呼んでよ」
    「は」
     想定外のことに流石に声を上げてしまう。
     俺の誕生日パーティって、虚無パのことか?何で凪があんなのに出たがる?てか今まで俺の誕生日パーティに興味持ったことなかったくせに、何で突然?
     思わず持っていたグラスを取り落としてしまい、倒れることはなかったものの、カチャンと甲高い音が鳴るがそれどころじゃない。
     聞き間違いか、もしくは何かの冗談かと思ったが、目の前の凪は至って真剣な眼差しだ。俺は知っている。この目をしている凪は、絶対に譲らない……これは、マズいぞ。
    「や、おい、待て待て。なんでそうなんだよ、あんな虚無パ、出る意味ねぇって。うちの親戚とか支社や子会社の奴らが集まって一応やるだけ。マジつまんねぇんだよ。お前、めんどくさいの一番嫌いだろ?」
     軽薄に笑いつつ、凪の肩を軽く叩くが、凪は微動だにせず俺をじっと見つめた。
    「でも玲王、お前の誕生日だ」
    「誕生日ったって、そうだけど、マジで俺の誕生日祝ってるやつなんて1人もいねーし。うちの親父にゴマ擦りたい奴らが集まるだけなんだよ。気にすんなって。お前には関係ない世界なんだからよ」
    「……関係、ないんだ?」
    「そ。あのな、ほんと虚無パなんだって。お前が思ってる以上に虚無パ。虚無すぎて悟りが開ける。くだんねぇ大人同士のくだんねぇ意地の張り合いタイム。あいつのつけてる時計は去年のモデルだとか影で笑ったり、今時名刺の紙質とかフォントで相手ランク付けしたり、気にくわねぇ男と同じブランドのスーツ着てきちゃってトイレでマジ泣きする20代後半の男とか、慰めるのに1時間もかかった!ほんとマジで虚無!お前とあんな時間過ごすより、俺お前ともっと他にやりたいことたくさんあんだよ!」
     虚無パのこと、思い出したらイライラしてきてついつい早口になったし、勢いで愚痴も出てしまった。凪の誕生日ってことは、今年も俺の誕生日まで3ヶ月ってとこで。あーくそめんどくせぇ。チャリティじゃなければマジで耐えられない。
    「……それに、あんな奴らにお前を会わせたくないんだよ、俺の宝物が穢れんだろ」
     俺としては、これが本音だ。
     あんなつまんねーダサい人間と凪を出会わせるなんて、怖気が走る。あいつらに凪を会わせたら、凪の才能に魅了されて群がってくるに違いない。ただでさえ、羽虫はたくさんいるというのに。俺が凪を守らなくては。
    「そんでも、気にしてくれてありがとな。うれしーわ」
     凪が俺の誕生日を気にしてくれたのは、素直に嬉しかった。柔らかい髪を撫でて礼を言うと、凪は視線を下げる。
    「……玲王がそう言うなら、とりあえずわかった」
    「さすが俺の宝物!」
     理解してくれたみたいで、ホッと胸を撫で下したついでに抱きついて頬にキスしてやった。あーよかったよかった。さて、残してた食事も食べようと再度箸を握った、その時だった
    「でも、玲王はさ、いつまで1人で恋愛してるつもりなの?」



     ふと目を開ければ、寝室の暗い天井が目の前にあった。千切たちと飲んで騒いで、いつの間にか寝てしまっていたらしい。
     なんで今、あの日のことを思い出したんだろう。凪の20の誕生日に凪に言われた言葉は、ずっと心の片隅に引っかかっていた。
     ーーー玲王はさ、いつまで1人で恋愛してるつもりなの?
     その言葉の真意は結局、今もよくわからない。いや多分、凪は俺に悩みを共有して欲しいって言いたいんだろうけど……俺は別に、虚無パに悩んでいなかった。小さい頃からの習慣だったし、完全に慣れてしまっているってのもある。
     つぅか、俺の悩みなんてほとんど凪のことなのに、本人に言えるわけねーじゃん。だって俺は、ちっちゃい事ですぐ嫉妬したり、どうでもいいことぐるぐるいじいじ考えてしまう自分が、この世界で一番嫌いなんだから。
     そんなめんどくさい俺を、凪に曝け出すのは怖かった。
     目を挙げれば、ベッドライトに淡く照らされたグーと、小さな香水瓶がある。うっすら黒みがかっている透明な90mlのこの小瓶は、この世界に二つしかない特注品だった。
     去年の凪の21歳の誕生日、初めて事前に凪からプレゼントのおねだりがあった。
    「あ、レオが使ってる香水が欲しいな」
    「香水?」
     凪も香水とか気にするようになったんだ、という驚きと、まぁもう20過ぎだしな、という納得があった。
     酒が飲めるようになって一年弱、ビールを「苦い」と言っていたお子様は気付けば、チーム優勝時に平然とビールをかけ、瓶1本飲み干せる人間になっていた。
     成長したなぁとしみじみ思うと同時、ちょっとした寂しさもある。
    「俺は凪の匂い好きだけど……」
     改めて凪の首元に鼻を擦り寄せれば、当然だけどいつもの凪の匂いがした。風呂に入りたての、石鹸のような、安心する匂い。出会った時から変わらない匂いだ。
    「俺も玲王の匂い好きなんだよね」
     凪は俺の香水の香りがお気に入りらしい。
     でも、凪の言ってる俺の匂いってどれだろう。俺はいくつかお気に入りの香水があって、それをTPOで使い分けているし、シャンプーの香りの可能性もある。どの匂いが好みだったんだろ。
    「俺結構色々使ってるんだけど、どの匂いが好きだった?」
    「んー、どれも結構好きだけど、今の玲王の匂いが一番好きかも」
    「今何もつけてねぇよ?」
     笑いながら、凪の匂いを俺好みにするのも、楽しいかもしんねぇなと思った。
     そうと決まれば、俺は、俺の香水を作ってくれた世界三大調香師の一人と連絡を取り、オーダーメイドで凪の香水を作って貰い、香水瓶も特注で用意して、世界でたった一つの香水を凪にプレゼントした。俺としては満足いく出来だったけど、匂いを嗅いだ瞬間に、凪は不思議そうな顔になる。
    「……これ、玲王の使ってる香水?」
    「いや、お前専用に作ってもらった。俺の香水はお前に似合わねーだろ。お前が前に良い匂いって言ってた俺の香水と同じ調香師にお願いしてさ、世界でたった一つのお前だけの香水だぞ、すげぇだろ!」
    「……ふーん……そうなんだ……」
     瓶を眺めながら凪は首を掻き、それだけだった。
     あれ?欲しいものを手に入れた時の反応じゃねぇな、コレ。
    「あー……もしかして、この匂い好きじゃなかった?」
    「や、嫌いじゃないし、いい匂いだと思うけど」
    「けど?」
    「なんつーか……確かに、俺……って感じの匂いで、ちょっとびっくりしただけ」
    「お前をイメージしてんだから当たり前だろ?」
    「うん、ドンピシャ俺の匂いだね。玲王は、この匂い好き?」
    「ああ、お前に似合ってて好き」
    「じゃ、いいや、ありがとー。玲王と会う時これつけるね」
     その後、凪は俺に会いにくる時はいつもその香りを纏うようになる。俺の男って感じで最高だった。SNSでも「凪選手近づくといい匂いがする」って一時話題になってたし。でも、これって凪が欲しいものじゃなくて、俺が欲しいものをプレゼントしてしまったんじゃねーかって気づいた時、それなりにへこんだ。
     凪のやつに俺のプレゼントを、あんまり喜んで貰えた記憶がない。でもあいつが何が欲しいのかよくわかんない。何で分かんないんだろう、俺、凪の恋人なのに。
     もしかして俺って、プレゼント選びが下手なんだろうか。
     千切と國神にそう聞いたら「そんなことなくね?」とは言ってもらえた。でも、凪はいつも俺からのプレゼントよりも、他人からもらったものの方が嬉しそうで、結構悔しい。
     喜んでもらえなかった香水瓶を眺めながら、俺はため息をついた。俺はグーを貰えてめちゃくちゃ嬉しかったけど、喜んでもらえなかったプレゼントをグーの隣に置いててもいいんだろうか。
     実はこっそりもうひと瓶作ってもらって、家で凪の匂いをベッドに振り掛けて寂しさを紛らわしてるなんて、凪には言えねぇな。結局、俺の自己満でしかなかったんだから。
     グーの隣りにある香水瓶を手に取り、枕に向かって2プッシュすれば、ふわりと凪の香りがする。その匂いに向かって顔を突っ込んで、大きく息を吸った。目を閉じれば、まるで凪が隣に寝ているような…‥わけねぇだろ!やっぱ何度やっても無理だわ。
     限界が近かった。
    「……使うか、ジェット」
     親父が所有しているVIP用のジェットが使える状況か、ばあやに確認しようとスマホを手に取る。時刻は23時半過ぎ。寝ている間にいくつかメッセージが届いていることと、SNSにもコメントが届いている知らせが画面に表示されていた。俺たちの主役不在誕生日パーティの写真をSNSにあげていたから、その反応だろう。
     國神達と飲んで、眠くなったから二人を残して寝室で寝ていたが、それほど長い間眠っていたわけではないらしい。けど、今から行っても、いくら時差があるとはいえ、あいつの誕生日に間に合うわけもない。
     どうしよう、行っちゃう?
     でも突然すぎて凪に迷惑がられるのもヤだし……もし、もしだぞ。もし、ドイツの潔が凪の誕生日祝いに行ってたらどうしよう。凪にはいつも「いや、玲王が思ってるほど俺ら仲良くないし。つか、そっちこそ俺が思ってるよりお嬢やきんに君と仲良いよね?」って話逸らされるけど。
    「玲王様」
     控えめなノックが寝室のドアを叩き、俺は身を起こした。ばあやの声だ。こんな時間に来るなんて、珍しい。
    「どうした、ばあや……」
    「大変だ玲王!起きろ!」
     俺がドアを開けるより早く、お嬢がドアを開けて突撃してきたから、びっくりして持っていた香水瓶をベッドの上に落としてしまった。でも、お嬢はそんなことお構いなしにズカズカと寝室に入ってくる。
    「玲王、急げ!つかスマホ見ろ!」
    「スマホ?」
     さっき時間を確認した時、確かに誰かからメッセージは届いていた。これを見ろってことなんだろうか。
     タップをして表示されたメッセージに、息を呑む。凪からだった。
    『そっち着くから、今すぐ成田に来て。俺今日、まだ誕生日でしょ』
     ……そっちって、どっち?え、なに、どういうこと?
     驚きすぎて理解しきれずにいる俺に、千切と國神が背を押して玄関へと誘導する。
    「後のことは俺らに任せろ」
    「そうだ、ちゃんと食っておくから」
     千切と國神がうちに泊まるのは珍しくないし、信頼関係も築けている。俺がいなくても二人は適当に後片付けをして帰ることもしばしばあった。だから、その点については問題はないが
    「待て、俺結構酒臭くね⁉︎」
     慌てた俺に千切が「そんなに気にするほどでもないぞ」と言いながら水をくれ、國神はミントタブレットを差し出してくれた。てかお前らのが酒臭いな、どんだけ飲んだんだ。もらったタブレットを2つ口に放り込みつつ、次の問題にぶち当たる。
    「でも成田って」
     酒の匂いよりも大きな問題はそっちだった。今から成田って車で行ったら、どれくらい時間がかかるんだ。
     時間の計算をしようとした俺の前で、ばあやが恭しく一礼した。
    「屋上にヘリのご準備が出来ております」
     そうだった、花火見るために用意しておいたんだった。
     
    『いつものラウンジで待ってる』
     空港にはいくつかラウンジがあるけど、凪の言う“いつもの”は俺らが二人で飛行機に乗るときによく使うラウンジのことだろう。
     ヘリから降りると、ばあやが事前に連絡してくれていたのだろうか。コンシェルジュが待ち構えていて、「御影様、ご案内いたします」と深々頭を下げた。
     彼の後を早足でついていけば、やっぱりいつものラウンジへ案内される。彼は航空会社の受付に何やら伝えると、今度はその受付の女性が「ここからは私がご案内します」と洗練された笑顔で言った。気持ちだけ急いてしまい、その笑顔には軽く頷くだけで対応してしまった。
     彼女の後をついてレッドカーペットを歩きラウンジの中へ入ると、深夜帯だからか人は数える程度しかいない。ふとカレーの香りを感じたので、まだ飲食サービスをやっているようだ。
     真正面は一面ガラス張りになっていて、強い光でライトアップされている滑走路は、昼間と見間違うほどに明るい。人間の知識と技術の集大成を横目で見ながら、コンシェルジュの後を追った。徐々にカレーの匂いは薄れ、嗅ぎ慣れた航空会社オリジナルのアロマの香りが勝つ。
     彼女はラウンジの奥にある個室ブースの、唯一利用中表示が出ている一室の前で止まり、綺麗な一礼をする。俺はそれに簡単に礼を言い、完全防音の重い扉を引いた。
    「玲王」
     半年ぶりの凪が、狭い個室に大きな体を畳んで座っている。
     本物の凪……ってだけで胸が躍りかけたけど、どうにかそれを堪えて、すぐに腕時計で時間を確認する。
     0時2分。間に合わなかった。
     その事実に奥歯を噛み締めるしかない。のんびり個室から出て身伸びする凪に苛立ちすら感じてしまい、詰め寄って、分厚い胸板を叩いた。
    「おッ前!突然すぎんだろ!1時間後に成田って!」
    「ごめん。連絡しようと思ったんだけど、メールとか大量にきてすぐ充電切れちゃって。飛行機で充電器借りれるって知ったのもうすぐ着くって時だったから……」
     俺の拳を易々と胸板で受け止めながら、白いケーブルと繋がったスマホを手に凪が言う。そりゃあ誕生日だから、みんな凪にメッセージを送るだろうよ。SNSでも、凪のチームの公式アカウントでも、凪の誕生日祝いポストしてたしな。それはいいんだよ、それは!
     俺が不満なのは、そこじゃない。俺は適当に羽織ってきたガウンを強く握り、その苛立ちを吐き出した。
    「てか、てか!お前と会うならもっとちゃんとした服きたりとか、髪だって起きたばっかでボサボサだし、シャワーも浴びれなかった!」
     ほぼ寝起きで来てしまった俺は、部屋着にヴェルサーチのガウンだけ羽織って、今地団駄踏んでる靴だって、ただのサンダル。顔すら洗う時間もなかった。今回は家でのパーティにするつもりだったから、ジェラピケのルームウェア着て可愛こぶろうと思ったのに……凪が結構単純なやつが好きなの知ってるんだかんな。ヴィトンの部屋着じゃ全然可愛くないのに……!
     それに、半年ぶりに会うんだから、心構えだって必要だった。まじでこんな寝起き姿で駆けつけさせるとか、流石に恨む。
     全てを投げ出して駆け付けたのに、結局、凪の誕生日にも間に合わなかった。ただの何でもない日になってしまったやるせなさに、凪をじろりと睨んでやるが、本人は何故かほっとしたような目で俺を見つめた。
    「玲王はいつも綺麗だよ」
     いや、俺結構怒ってるんですが。
    「てか、その服だって、今俺が着てるやつ全部合わせたより全然高いっしょ?」
     じぃっと凪の目が俺の足先から頭の上まで眺めるのを見て、慌てて「改めて見るなよっ」と凪の頬を手のひらで押した。
     でも、凪の「綺麗」にちょこっとだけ許してしまっていて、そんな単純な自分を気づかれまいと、俺は両腕を組んだ。
    「なんでこんな無茶したんだよ。ちゃんと休めって言っただろ」
     会いたい気持ちはあったが、忙しい凪に休んでもらいたかったのも嘘じゃない。俺のせいで、無理をさせたんじゃないかと、奥歯を噛む。
    「飛行機内で12時間寝れたし、問題ないよ」
    「あんな狭いとこじゃ十分休めねぇだろ。それに、30分後の飛行機に乗るとか。来たところでたった数分しか会えないのに、なんでわざわざ来るんだよ。金だって無駄にかかるのに」
     さっきのメッセージに、『次は0時35分の飛行機に乗る』とあった。今はもう0時3分。凪の誕生日には間に合わず、搭乗が30分前に始まるなら、後2分くらいしか一緒にいられない。
     たった数分だけの再会なんて、逆に残酷だろうが。
     ちょっと手を伸ばせば、凪の体温に触れられ、香りに鼻を突っ込める距離だったが、一度それを手にしてしまったら、2分間で手放せる自信がない。
     深く息を吐き、凪に触りたくてうずうずしている手を握りしめて、自分への苛立ちを堪える。忙しい凪に、無理をさせてしまった。こんなの絶対に良くないのに。眉間を寄せ、凪を視界から外した。触れないのに、目に毒だ。
    「……お前の誕生日なのに、俺のワガママに付き合う必要なんか、ないから」
    「玲王のわがまま?」
     不思議そうに首を傾げた凪に、眉間に力が入る。
    「だってお前、ほんとは別に全然好きじゃねーだろ、派手で賑やかなパーティとか」
    「そりゃ、別に好きじゃないし、静かな誕生日もいいけど」
    「ほらぁ!」
    「うん、俺は玲王と2人で静かに過ごしたいなって思うこともあるよ、そりゃね」
    「……え?」
    「初めて祝ってくれた時みたいに、玲王とケーキと歌があれば、俺は充分。みんなと騒ぐのも嫌いじゃないけど、たまにはお前と2人きりの時間もほしーよ」
    「いやいやいや、じょーだん。世界のナギの誕生日を俺が独り占めして良いわけねーだろ」
     凪のスマホの充電がなくなるくらい、大勢が凪の誕生日を祝いたがっている。凪に会った事すらない女が、本人がいないのに誕生日ケーキを作ってSNSに写真を載せている。もう俺だけの特別な日じゃない。凪はそれくらい世界から愛されるようになった。それは素直に嬉しいけど、何故か少し寂しくもあり。でも天才の恋人だから仕方ないんだと、その寂しさに耐え続けてきたんだ。
     何言ってんだ、と呟くように言った俺に、凪は怪訝そうに目を細めた。
    「なんで?玲王は俺の恋人なんだから、独り占めしてよ。俺だって玲王の誕生日に、お前独り占めしたい。でもお前が真面目だって知ってるから、俺はずっと我慢してたんだ、ずっと。お前のためなら我慢出来るし、頑張れるって、思ってたけど……」
     我慢とか頑張るとか、凪があまり得意としない言葉を何回も口にし、ふと視線を下げた。
    「……でもなんか、俺、わかんなくなっちゃって」
    「な……何が?」
     なんか、もしかして今、初めて聞く話を聞かされている気がする。俺と付き合ってる理由がわかんなくなったとか、そういう話?あ、わざわざ日本に来たのって、もしかして別れ話だったりとか?確かに別れ話だったら、2分で済む。
     緊張し、身構えた俺の前で凪は目を上げる。ああ、この瞳に今から俺は殺されるんだ。
     覚悟を決めた俺の前で、ゆっくりと、どこかかったるそうに、凪の薄い唇が動く。
    「労働……」
    「…………ろう、どう?」
     俺が同じ言葉を恐る恐る繰り返せば、凪は頷いた。
    「玲王の隣にいるために、労働して有名になって、金を稼がないといけないのは分かるんだけど」
    「……は?」
    「だって必要じゃん。飛行機のチケット代とかはさ、どうしても」
    「そうだな……?」
    「だからめんどくさいけど、金は稼ぐのは仕方ないなって、思ってはいるんだけどね」
     凪はいつも通りのゆったりとした口調で言葉を繋ぐが、全然話が見えてこねぇ。凪ってこういうとこある。
     ……でも、別れ話ではなさそうなのはわかった。緊張で強張っていた肩から、徐々に力が抜ける。
     いや、じゃあ逆に別れ話じゃないなら、何なんだ?
    「おぅ……?」
    「でも、金を稼ぐために玲王に会えなくなるのは、俺としてはマジで本末転倒。なんで労働してんのかわかんなくなっちゃうから、来ちゃった」
    「へ」
    「たった数分でも、誕生日に玲王に会うために、めんどくさい労働してんの、俺は」
     悩んでるって、前に言ったじゃん。
     そう言って唇を尖らせた後、凪は「あー」と少し考えるように頭を掻く。
    「電話した時に玲王、言っただろ「一番幸せな1日になるように祈ってる」って」
    「言った、けど」
     覚えのある話に頷く。凪から帰れなくなったという連絡を貰った時に、俺としては最大限気を使って、色んな本音を呑み込み、どうにか口にした大人の対応だった、はず。
     でも、凪は少し腰を屈めて、俺と目線を合わせた。そして俺の目の中を覗き込んで、不満げに目を細める。
    「あれさ、違うじゃん。マジで全然違う。俺、ちょっと怒ってんだけど」
     自称平和主義な凪には珍しい「怒っている」という言葉での意思表示だったけど、何で怒るんだ。なんか怒るとこあったか?俺はあの時、ちゃんと聞き分けのいい恋人の顔を出来たはずだ。
     俺がわかっていないと察した凪はますます不満げに唇を尖らせ、呆れたように俺の頬を軽く摘んで引っ張る。
     いつも何考えてるのか分からない凪の黒い目が、諌めるように細められた。 
    「お前に会えないのに、幸せな1日になんてなるわけないだろ」
     は?
     何を言われたのか分からず、茫然としている間に、凪は指で俺の頬をむにむにと弄ぶ。途中「は〜、レオだ〜」なんて満足げにため息を吐きながら。
     俺も頬に久しぶりの凪の温度を感じ、何だか……急に心にドッときた。多分俺も、あまり自覚はなかったんだけど疲れてたんだろう。
     バカバカ、ダメだって。
     そう己を叱咤したが、遅かった。みるみるうちに目に熱が溜まり、それがボタッと溢れ落ちてしまう。目の前の凪の目がみるみる大きくなる。あー、しまった。
    「え?玲王?待って俺、そこまで怒ってない」
     突然俺が泣き出してびっくりしたらしい凪が珍しくあわあわと慌て始めるが、一度流れだした涙はそうそう止まるものじゃない。まじで俺カッコ悪い。乱暴に涙を拭い、鼻を啜った。
    「つか、つぅかさ……!」
    「うん、うん」
    「そのニット、結構前に誕生日に俺があげたやつじゃん……!」
     今凪が着ているのは、俺が凪の18歳の誕生日の時にプレゼントした、ブルネロクチネリのカシミヤニットだ。渡した時はあんまり喜んでるように見えなかったし、着てるとこも見たことなくて、脱毛クリームに負けたと思ってたあの杢グレーのニットカーディガン。
     秋冬コレクションを観た時も絶対に凪に似合う!って確信して受注したけど、やっぱりめちゃくちゃ似合ってた。
     なんで着てんの。気に入らなかったんじゃなかったのかよ。とっくの昔に捨てられてるんだと思ってたのに。
    「あ、そうそう。玲王がくれたやつ。まだ向こう寒くってさ」
    「……袖、擦り切れてんじゃん」
    「え、まじ?うわー……ごめん、大事にしてたつもりだったけど、ロンドン行ってからしょっちゅう着てたからなー……やっぱあっち寒いよ」
    「しょっちゅう、着てた?」
    「うん。チームメイトにもめっちゃ似合ってるって褒められたよ。玲王はほんとセンスいー」
     知らなかった話を次々と容赦なく暴露され、情報量の多さに頭の中の処理が追いつかず熱暴走状態だ。
     本当まじで俺はこいつに愛されてるんじゃないかって、自惚れそうになる。
    「玲王の言う通りだったよ。誕生日だから恋人に会いたいって言ったら、チームの奴が車飛ばして空港まで送ってくれたし、マネージャーも飛行機のチケットとってくれた。本当に誕生日って、ワガママが世界から許されるんだね」
    「……そのノリは海外だからっつーのもありそうだけどな……」
     凪が話している間に感情の山をどうにか乗り越え、小粒になった涙を振り払い、鼻を啜り上げた。
    「ねぇ、玲王、もう顔あげてよ。俯いてたらキス出来ないじゃん」
    「こんな顔お前に見せたくねぇ」
    「玲王〜〜〜」
    「分かれよ。いくら恋人でも、つか、恋人だから、お前だからこそ見られたくないもんも、あるんだよ」
     俺は、ダサいやつと格好悪いやつが嫌いだ。俺自身、全方位に格好つけて生きていきたい。アホくさいと思われがちだけど、これは俺の美学で矜持でもある。それは、いくら凪でも譲れない。
     頑なに顔を上げない俺の耳元に、優しい声が触れた。
    「俺は、玲王はいっつもすごいなーって思ってる。誕生日の度に凝ったパーティとか、高いニットとか、世界に俺だけの香水とか、今じゃもうプロみたいな手作りケーキとか」
     そりゃそうだろ、俺は今まで頑張ってきたんだから。全部、凪に喜んで欲しくて。
    「でも、俺は結局エゴイストだから、完璧じゃない玲王も欲しいんだよね。全部くれるって言ったじゃん。お前が隠したい顔も、全部俺のもんにしたい」
     何でそんな酷なことを、そんな甘い声で言えるんだ。俺がプライド高いの知ってるくせに、俺のひでぇ顔見せろだなんて。
     俺が欲しかったのは、単純で暖かな「好き」の一言だけだったのに、それで良かったのに、思いの外粘度の高い欲望混じりの手が俺を掴んで離さない。
    「ねぇ玲王、顔あげてよ」
    「……今絶対かっこ悪い顔してる」
     震える声で、そう予告することが、俺が出来る精一杯の抵抗だった。
     せめて鼻は垂れないようにと何度か鼻を啜って顔を上げると、涙で頬に張り付いていた俺の前髪を指先で払いながら、凪の目が満足そうに微笑んだ。
    「俺には、俺のこと大好きって顔にしか見えないけど」
     やっぱり凪は残酷だ。俺が嫌いな俺を、無理矢理暴いて、悦んでいる。
     凪の冷たい指が、擦り過ぎて少し痛みを感じる俺の目の端を撫でる。熱くなった目元に気持ち良かった。
    「玲王、ごめん。俺ももっと話はしたいけど、とりあえずキスしていい?」
    「でもここ……」
     凪の言いたいことはわかる。俺だってしたい。でも、今まで俺らが恋人のキスしてきたのは、自分たちの家の中か、絶対に俺ら以外来ない状況の時だけだ。チラリと周りの様子を伺う。ラウンジの奥に俺ら以外はいないけど、でも他人の気配はするから、いつ誰がここに来てもおかしくない。凪の後ろにある個室も確認したけど、一人用のそこは身長180オーバーの男二人が収まるような広さじゃない。
     俺の懸念を察した凪はそっと身を屈め、キスの距離になる。
    「大丈夫だよ」
     間近になった凪の確信の瞳に、もしかしてこのラウンジ貸切とか、そんなことしてんのかな?最近の凪ならそれもあり得る?なんて、期待にふわりと心が軽くなった。
     凪は俺の鼻に自分の鼻を甘えるように擦り寄せる。そして
    「俺、誕生日だから、大丈夫」
     ……いや、おい、こら。
     自信満々に根拠がない一言を堂々言い切りやがったから、一気に肩から力が抜けた。本当に、お前ってばもー……。
     誕生日だからってなんでも許されると思ったら大間違いだけど、でも俺は凪のエゴいキスを許してしまう。
     結局、誕生日ボーナスで神様が味方してくれたのか、それともGW後閑散期深夜帯のおかげか、俺たちが長い長いキスをし終えるまで、誰もこのフロアの奥まで来なかった。
     凪の体温が移った唇を軽く前歯で噛んでから、ようやく俺はそれを口に出来た。
    「誕生日おめでと、でした」
     でした。過去形だ。それが悔し過ぎて凪の肩口に額を乗せて撃沈アピールすると、凪の手が俺の後頭部を撫でる。
    「……2分なんてニアミスみたいなもんだよ」
    「ばっか、お前、2分のアディショナルタイムあれば2点はゴール出来る」
    「俺なら4点入れられるけど」
     何故か張り合ってきた凪に、もう一度抱きついて、思い切り息を吸い込む。凪の匂いだった。俺があげた香水の香りも混ざった、俺の大好きな匂い。
     来年は絶対に当日に誕生日を祝おう。そう、心に決めた。
    「……そろそろ行かなきゃだろ」
    「うん」
     名残惜しいけど、俺はゆっくり凪から離れる。もう涙は完全に収まっていた。
    「大丈夫か、ロンドン行きの搭乗口って近い?」
     搭乗口まで見送るつもりで歩き出そうとした俺の足を、凪の言葉が止めた。
    「あ、戻るんじゃなくて、ロスに直接行くから」
    「ロス?」
    「親善試合に召集されたって前話したじゃん。試合8日だし、7日現地集合じゃなきゃもうちょいゆっくり出来たのに」
    「そりゃ、調整とか色々あんだろ……てかお前シーズン中なのにそんな試合の予定詰め込んで大丈夫かよ。クラブに止められないのか?」
     そう聞くと、凪は何故か視線を逸らして自分の首を撫でる。
    「あー、まー……今年はオリンピックイヤーだからね。日本人って、オリンピック好きじゃん」
     ……よくわかんねーけど、凪ってそんなにオリンピックに憧れ持ってたのか。初めて知ったわ。
    「アジア予選にも出てただろ、お前にしては珍しく働きすぎ……」
     その時、ふと何かが引っかかり、言葉を止めた。
    「玲王?」
    「……ロス?」
    「ロス」
    「ロス…………ってアメリカのロスだよな?」
    「そのロス」
     アメリカのロス……。
     何がそんなに引っ掛かるのか、自分でもわからず、考え込んでしまう。でも俺の超優秀な頭が何かを感じているのだから、何かはあるはず。
     ロス、ロサンゼルス……アメリカ……アメリカのロス?……やっべ、マジか!
     離れかけた凪の手を咄嗟に掴み直した俺に、凪が目を丸くした。
    「玲王?」
    「俺も行く!」
    「へ?」
     珍しく分かりやすく驚いた凪に、俺は興奮を隠さず声を上げた。
    「だって、アメリカのロスだろ⁉︎」
    「うん」
    「日付変更線を超えるじゃん!」
    「そうだけど……あ」
     凪も気づいたらしく、目を軽く大きくしたので、俺はその顔を両手で包んで身を伸ばし、額に軽く喜びのキスをした。
    「今から行けばロスはまだ5月6日の夕方くらいなんだよ!チケット確認してみろって!」
    「そっか、集合が7日だし、一緒に行けば一晩玲王とのんびり出来るってこと?」
    「や、それもだけどさぁ、5月6日!5月6日だぞ⁉︎お前の誕生日、祝えるじゃん!」
     凪がニットのポケットからパスポートを取り出し、挟んでいたチケットを二人で確認する。俺の予想通り、発は5月7日だけど、着が5月6日になっていた。ほらやっぱり!
    「……うわ、マジだ。すっごー。こんなことあるんだ」
     素直に感嘆の声を漏らした凪の横で、俺は両手を握って勝利を確信する。地球が球体で良かった!
    「仕事はリモートに切り替えばなんとかなるだろうし……なぁぎぃぃやっぱ俺ら持ってるわ!」
     今から俺の分の飛行機のチケット取れるか、ばあやに確認しようとスマホを見れば、ばあやから『プライベートジェットの用意が出来ます』なんてメッセージが来ていた。まじか、流石ばあや!
     俺は喜びの勢い余って、凪の背中に飛びついた。
    「行くぞ凪!今年の誕プレはロス行きのプライベートジェットと、この俺だ!」
    「プライベートジェット?俺も乗っていいの?」
    「ったり前だろ。ばあやが、俺が作ったケーキと余ってる料理もジェットに準備しといてくれるって。あーでも、お前の飛行機代はパアになるけど……」
     イギリスから東京までのフライト料金は、決して安い料金ではない。出発寸前のキャンセルになるから返金はされないだろうことを含めて、どうする?と首を傾げて見せるが、凪は目を輝かせた。
    「玲王のケーキ食べれんの?そんなら別に飛行機代なんていいよ」
    「今年も自信作だぜ!」
     今年も無事國神と千切から「美味しい」評価を貰っているから、堂々胸を張れる。赤いイチゴ山盛りのショートケーキだ。凪のために作ったんだから、俺だって凪に食べてもらえるなら、すげぇ嬉しい。
    「本当、玲王はびっくりするほどスパダリだよね。俺マジで太刀打ち出来ないや」
     プライベートジェットの専用搭乗口へ先立って歩き出した俺の後ろで、凪がそんなことを言うので、口元を上げた。
     そう、俺はいつだって完璧。さっきはちょっとダサいとこ見せたけど、本来の俺はやっぱりこうでなくては。あ、ばあやに俺の服も準備してもらおう。いつまでも部屋着じゃカッコ悪りぃ。
    「さっきの、ダセェ俺は忘れろよ」
     ついでに、凪にも釘を刺しておく。どうでもいいことで泣き喚くとか、一生の恥でしかない。けど、何故か凪はパチリと驚いたように瞬きをした。
    「え、忘れないしダサいとか思ってないけど。てか、あれくらいいつでもウェルカムだし」
     いやお前ほんとに、めんどくさがりのくせに何言ってんだか。
     調子を取り戻してきた俺は足取りも軽くなっていて、歩きながらくるりと凪を振り返った。
    「そんなに俺の完璧じゃないとこ見たいなら、お前が俺の完璧を引き剥がせば良いだろ」
    「え、いいの?」
    「やれるもんならな!こちとら20年以上完璧御曹司やってるんだぞ、そうそう簡単に」
    「玲王から俺の香水の匂いするけど、なんで?くれた時、世界にひと瓶しか作ってないって言ってなかったっけ」
     太刀打ちできねーとか言ってたくせに、速攻かけてきやがった。
     あまりの速さに口篭った俺に、凪は「玲王ばっかずるーい。俺だって玲王の香水欲しかったのになー」とどこか大袈裟にため息を吐いた。
     って、え?それって……
    「……俺の香水じゃお前に似合わなくね?」
    「玲王ってたまにちょっと鈍いよね」
     でもまぁ、そゆとこも好きだよ。
     そんなことをさらっと言った凪の口元は笑みを象っていた。


     
    本番はロスタイムからです。



     プライベートジェットには、俺も乗るのは久しぶりだった。前に家族旅行に行った時以来だろうか。
     親父はプライベートジェットを国内用2機と国外用を1機所有している。親父優先ではあるけど、誰も使う予定がない時は使っていいことになっている。
     国外用の大型機はベッドにシャワールーム、シアタールームもあるから、凪とイチャイチャし放題。やっぱいいなぁ、プライベートジェット。俺も今度買おっと。
     機内に入って、真っ先に目に入ったのは、あちこちに飾られたリングのガーランドだった。俺が作ったやつ。ばあやが気を利かせてくれたんだろうが、気を利かせすぎだろ、ちょっと恥ずかしい。
    「うわぁ、輪飾りだ。見るの小学校ぶり」
     凪の感嘆の声に、俺は口元を引き攣らせるしかない。しょ、小学校ぶり……?
     もしかしてこの飾りつけってそんなに“普通”の枠じゃなかったんだろうか。子どもっぽい?まじで普通って難しいな、と頭を抱えている俺の前で、凪はさっさと機内に足を進めた。
     普通の飛行機とはレベルが全然違う座席は、高級感あるレザーで統一されている、完璧な内装だ。凪はそんな座席に臆することなく座り、シートベルトを着用した。
    「ねぇ玲王、1つわがまま言っていい?」
     小さなテーブルを挟んで向かいの席に座ろうとする俺に、凪は真っ直ぐな目で誕生日特権のおねだりを口にする。
     でもまだ飛行機は離陸すらしていない。つまり、日付変更線はまだ超えていない。
    「まだ5月7日だぞ?」
     揶揄うように俺が言えば、凪も頷いた。
    「うん、誕生日特権じゃなくていいんだけどさ」
    「なんだ?」
     誕生日特権でなくてもいいと言うことは、断られても良いと思っていると言うことだろう。続きを促せば、凪はもう一度頷いた。
    「今度の玲王の誕生日って、いつもの虚無パやるんしょ?」
    「あー、毎年のことだかんな」
    「俺もそれ出たい」
     またその話か。
     あの時にその話は終わったんじゃないのか。なんで数年経ってまた蒸し返してきたんだろう。
    「何度も言うけど、来てもつまんねぇぞ。親戚とか会社関係者ばっかだし……それに俺、やなんだよ。御曹司やってる退屈な俺を、お前に見られんの」
    「えー、俺は金持ち同士のマウントの取り合いを牽制する玲王とか、ちょー見てみたい」
    「お前なぁ、もぉ……他人事だと思って」
    「他人事だなんて思ってないよ?玲王は恋人だし」
     俺らの関係を恋人と呼ぶ凪に、強張っていた心がちょっとだけ緩くなる。
    「……なんでお前そんなに虚無パにこだわんの?俺、別に虚無パについて悩んだりとかは全然ねーんだけど」
     そういえば、前に言われた時は理由を聞かなかった。聞いたところでNOは変わらないから、聞く必要はないと思ったからだ。今回も、凪を虚無パに招待する気はないけど、今は長い旅の始まりで、話を聞くだけの時間はある。それに、この会話は5月7日にしているから、誕生日のわがままとして受け入れなくてもいいってことを、凪も啓示してくれている。
    「だって、玲王の誕生日パーティだ」
     でも、凪の答えはあまりにシンプルだった。シンプルすぎて、真意が見えない。えぇと……。
    「お前が祝ってくれるのが、俺にとっては本番パーティだぞ?」
     もしかして、単純に俺の誕生日パーティだから出たいってこと?と首を傾げれば、凪は視線を斜め上に上げた。
    「そゆんじゃなくて、えーと……俺は、玲王の恋人じゃん?」
    「そうだよ」
    「でも、玲王は俺にあんまり頼らないっていうか……前にも玲王が糖質制限してる時に残した唐揚げを食べてって頼ったのが、俺じゃなくてきんにくんだったの、正直ちょっと傷ついた」
    「いやお前食わねーだろ」
     俺の前で散々「食べるのめんどくさい」「消化めんどくさい」と言ってたのは誰だ。すかさず呆れた声を上げた俺に、凪は咎めるように目を細め、頬を膨らませる。
    「あのさ、それ玲王の思い込みだから。俺だって、可愛い恋人があーんしてくれるなら食べるよ?」
     あーんて。
    「うん……?」
    「玲王は、俺に誕生日じゃなくてもわがまま言っていいし、頼ってくれていい。でも、そういうのって、きんに君とお嬢みたいな、こいつ相手ならわがままも言えるし頼れるって信頼関係ってやつが、ないとだめなんだろなって。俺はずっと玲王に甘えただったし……玲王が自分で色々出来ちゃうのも昔からそうだったから、お前が俺に甘えるのが難しいのも分かんだけどさ」
    「……いや、いや、待てよ。大分俺、お前に甘やかされてたし、頼ってた自覚はあるぞ?嫌がってたお前を無理やりブルーロックに参加させたし。試合中だって、充分ワガママで自分勝手だったろ、俺は」
    「サッカーの話じゃないよ。俺は今、恋人と話ししてるの。じゃあ、この間こっちに来てくれた時に、まだ帰る日じゃなかったのに、荷物まとめようとしてたのなんで?」
    「えっ?あっ……」
     凪にじっと見つめられ、俺は次の言葉を見失う。
     半年前に、凪んちで潔と話してるのに俺が一人で勝手にブチギレて帰ろうとしてたの、バレてたらしい。やっば。
    「なんか必死に誤魔化そうとチューしてくんのは可愛かったから、誤魔化されてやったけど」
    「気づいてたのかよ……」
     手の平にじっとりと汗が浮き出てくるのを感じる。必死に隠してたのに、ダサい俺に凪は気づいていたんだ。
     気づいてたのに、そばにいてくれてたのか。
    「俺さぁ、嫌なんだよね。玲王がなんか勝手に呑み込んで、1人で悩んで凹むの。1人で悩んだところで、結論なんて出ないんだから、元凶である俺にさっさと聞いちゃったほうが、合理的だよね?それに、親に会わせられるほど、俺まだ玲王に信用されてないって」
    「それは違う!」
     凪の言葉に愕然とし、思わず立ちあがりかけたが、それはシートベルトに阻まれる。腰と腹の鈍い痛みに俯きつつも、俺は必死に首を横に振った。
    「ちょ、玲王、大丈夫?」
     腹よりも心臓が痛い。
     どうしよう、俺はずっと、凪に酷い誤解をさせていたのだ。あの20の誕生日から、ずっと。
    「……ごめん、あれはそうじゃない、そうじゃねーんだよ。誤解させたならごめん。違うんだ、凪。俺が信用してないのは、お前じゃなくて、うちの親の方で」
     あんな親を見せられて、うちの親と会わせられるわけがない。
     俺の親がもし凪とのことを知ったら、どんな手を使っても俺たちを別れさせるに違いない。いつもみたいに、俺の話を充分聞くこともしないで、ただただ自分の意見を俺に押し付けてくるんだ。親父は絶対に凪を認めないだろう。親父が何をやろうが、別れない自信は俺にはあるし、家を飛び出す覚悟もできている。
     でも、恋愛初心者の凪が……親と信頼関係を築けている凪が、真正面からうちの親に否定されて、俺たちの、男同士が恋人であることは、「間違い」だと言われたら……俺たちの関係が「めんどくさい」ものだと、気づいてしまったら。
     俺は、それが一番怖い。
     凪は、自分の面倒を見てくれる人間なら誰でもいいのかもしれないけど、俺は俺の隣は凪じゃないとダメだから。
     『当機はまもなく離陸します』という機長の放送を聞きながら、手すりを強く握る。その手に温かいものが重なった。凪の肌は色白だけど、触れると存外温かい。俺が一番、安心する温度だ。凪自身もそう。見た目、めんどくさがりで物事に興味を持たないように見えるけど、結構優しい奴であることはもう知っている。
    「うん、分かってる。玲王のパパさんがどんな人なのかも、まぁ……大体分かったしね」
     少し身を乗り出して俺の手を握った凪はそう言いながら、視線を動きだした暗い外へと向けた。
    「……俺、玲王の親戚一同が集まる誕生日パーティに玲王の彼氏ヅラして出たいんだよね、だからさぁ」
     離陸が近いらしく、徐々にスピードが速くなり、ちょっとした重力と浮遊感の後、飛行機が飛んだ。飛行機には何回も乗っているけれど、離陸の瞬間は少し緊張する
     ぐんぐんと上昇し、街の灯りが小さくなっていくのを凪と一緒に無言で眺めていると、離陸の緊張が解けたのか、凪がふぅとため息を吐き、視線が俺に戻される。
     その瞳は、宝石みたいな街の灯りを宿したまま、キラキラ輝いていた。
    「ねえ、玲王。次のオリンピックで何点キメたら、俺はお前の完璧な恋人になれると思う?」
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    Replies from the creator

    cosonococo

    REHABILI凪くんの誕生日おめでとう話。凪くんの両親模造してます。お互いが大好きななぎれお。色々おかしいとこがあるのはそう…なので目を瞑っていただければ…。
    本番はロスタイムからです。 誕生日なんて、元々俺にとってもそんな特別なもんじゃなかった。
     周りの同年代は誕生日のごちそうやプレゼントに心を躍らせていたけど、俺は毎日質のいいものを食べていたし……というか、あれが食べたいと言えば、料理人がすぐに作ってくれたし、あれが欲しいと言えば誕生日でなくても与えられた。そもそも自分で自由に使える金が充分あったから、欲しいと思ったものは何でも買えた。
     だから、俺にとって誕生日なんてそれほど特別じゃなかったけど、世間一般的には誕生日は特別な日。
     特別な日には、人気者で特別な存在であるこの俺御影玲王に祝って欲しいと思う人間は、多かった。学校の廊下を歩いていたら、見知らぬ女子生徒に「玲王くん、あの、私今日誕生日なの」と声をかけられることもしばしば。「へえ!おめでと!」俺がそう言うだけで、彼女達は悲鳴のような歓声を上げる。凪にこのやりとりを目撃された時は「めんどー……よくやるね、玲王」と欠伸をされたっけ。
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