最近の凪はちょっとおかしい。
「レオー、洗濯するものない?」
「ん? あぁ、ベッドの下にまとめてたユニフォームと……あとはこのタオルとか?」
「オッケー。じゃあ、先に戻って洗濯してくるね」
「お、おう」
ほら、やっぱりおかしい。凪が率先して、洗濯物を片付けようとするなんて。やり取りの一部始終を見ていた潔や蜂楽たちも、俺と同じように目を丸くした。
「なに? アレ」
「さぁ……? 俺が聞きてーよ」
いつもなら練習終わり、真っ先に俺のところへ来て、疲れたからおんぶして〜〜とねだるくせに、今日の凪は……というより最近の凪は甘えてくることが減った。おんぶする回数も、ご飯を食べさせる回数も、髪を乾かす回数も、何もかもが減った。それどころか、最近の凪は夜の練習を終えると、自ら率先して洗濯物をまとめ、ランドリールームへ持っていこうとする。洗濯物を持っていくのは自分の仕事だと言わんばかりに、凪はせっせと汚れ物をまとめると、大きな洗濯カゴを持ってランドリールームへ向かうのだ。それこそ最初はあまりにも帰りが遅いから大丈夫かと不安になったが、「心配しなくても洗濯機とか乾燥機ぐらいは使えるよ」と凪が言うから、それもそうかと思って、それ以来好きにさせている。
だけど、やっぱり違和感はある。それは潔たちも同じなのだろう。潔は凪を指差すと、変なものでも食べた? と、俺の宝物に対して失礼なことを言ってきた。まぁ、俺も変だとは思っているので、特別突っかかりはしなかったが。
「さぁ? 知らねーよ。気付いたらああなってた」
「ああなってたって……。つーか、最近の凪、おかしいよな。なんていうか、ちゃんとしてる……」
「まぁ、それが普通だとは思うけどね!」
凪っちは甘えすぎでしょ、と言って、蜂楽がドリブルをしながら散ったボールを元の場所に戻していく。千切もぽーんとボールを蹴り上げると、アイツも極端だよなーと笑った。
「極端って、なにが?」
「いーや、こっちの話。でも、まぁ、レオにとって悪いことじゃないならいいんじゃね?」
「んー、まぁ、そうだけど……」
「なにか不都合なことでもあんの?」
「いや、そういうわけじゃねーけど」
ちょっと慣れないっていうか。少し怖いっていうか。
凪がなんでも自分でやれるようになる=凪が離れていく前兆なのでは? という気がして胸がざわざわする。それに、凪に甘えられるのは好きだ。どうやら宝物には一等手をかけたい性分らしく、凪の世話をするのも苦だと思ったことがない。むしろ、楽しんでやっている。仕方ない奴だな、と口では言いながらも、自分にだけ甘えてくる凪のことが好きだった。
「……ま、そう長くは続かねぇだろ! アイツ、面倒くさがり屋だし」
「確かに♪」
「言えてる……」
凪が自分でやろうとするうちは任せておこう。きっと、いつかは面倒くさーいと文句を垂れて投げ出すだろうから。
◆
そんなふうに思っていたけれど、一ヶ月を過ぎても、二ヶ月を過ぎても、凪はせっせと洗濯物の片付けだけは俺の分までやってくれた。だけど、同室の千切の分は無視だ。どうせなら千切の分もやってやれよ、と言ったが、それに関しては千切が笑って「俺のはいいよ」と断った。
「俺の分までお願いしたら、量がヤバくなるし」
「だったら、俺も自分でやる。つーか、俺が凪のもやってやる」
「あー、それはダメ」
さっと凪がカゴを抱えてそっぽを向く。どうしてそこまで、と思ったが、凪がぽつりと呟いた。
「これは、いつも俺の面倒を見てくれるレオへのお礼だから」
「お礼……?」
「ご飯食べさせてくれたり、髪乾かしてくれたりするじゃん。そのお礼」
ポソポソと凪が言う。表情こそ変わらないものの、なんだか照れているような口ぶりだった。小さな子どもが母親のために、一生懸命お手伝いを頑張ろうとする姿にも思えた。
なんだコイツ。可愛いな。
「……分かった。じゃあ、お願いする」
「うん。そうして」
凪がカゴを抱え直し、部屋を出ていく。その後ろ姿を眺めながら、ぼすんと自分のベッドに腰を下ろした。
「別に、お礼なんていいのにな。気にしねーのに」
「あー、たぶんそれ。レオのインタビューを見たからじゃね?」
「インタビュー?」
「ほら、この前あったじゃん。みんなのプロフィールをまとめたいからインタビューしたいって」
「そういやぁ、そんなこともあったな……」
いまや、ブルーロックでの活躍はBLTVを通して全世界に配信されている。最近では視聴者も増え、かなりのファンがついた。そういった経緯もあり、ファンたちをより一層囲い込むためにも、俺たちのグッズを作りたいと言っていた。まずはその前段階として、選手たちのプロフィールをまとめた冊子を作ることになり、先日インタビューを受けた。その見本誌は既に出来上がっており、各選手たちの手元にある。名前、出身、身長、サッカー歴といった一般的な質問から、果ては好みのタイプまで、そんなことまで聞く? とツッコミを入れたくなるような内容までもが一冊にまとめられていた。
「で、それがどうしたんだよ?」
「ほら、ここに書いてあんじゃん。つーか、自分で答えた内容だろ?」
千切が見本誌を手にし、隣に腰掛けてくる。ここ、と指差したそこには『好みのタイプは?』に対する俺の答えが載っていた。
「これ見て、いろいろ思うところがあったんじゃねーの?」
「はぁ? つーか、そもそも好みのタイプについて書いたものだろ、これ。なんで凪がそれに合わせようとすんだよ。それに、わざとめちゃくちゃハードル上げて書いたやつだぜ?」
こういうのは、真実と嘘を混ぜて書くのが重要だ。そして、手が届かないと思わせるのもポイント。
俺たちはアイドルじゃない。もちろん、人気商売としての側面も大切ではあるが、あまり媚びを売りすぎても、粘着系のファンに付き纏われて大変な目に遭う可能性がある。それに、パーソナルな部分を切り売りして人気が出たところで、サッカーには関係ない。そう思って、いろいろと好き勝手に答えた。
『一緒にいて高め合えるような人、精神的にも私生活においても自立している人、足りないところを補える人、包容力があって適度に甘やかしてくれる人、できればサッカーに理解がある人。……ちょっと求め過ぎかも。まぁ、理想なんで!』
そんなふうに答えたが、実際のところそこまで理想は高くないし、他人に対して常に厳しい目を向けているわけじゃない。ましてや、友人である凪にその理想を押し付けたいと思ったことはない、のに。
「……つまり、俺の好みになりたいってこと?」
「じゃね?」
「ハッ、なんだよ、それ。たまに凪って変なところがあるっていうか、可愛いところあるよなー」
別にそこまでのことを友人には求めねーよ! と笑えば、千切が苦虫を噛み潰したような顔で俺を見た。
「……なんだよ」
「いーや、別に。ただ、あまりのんびりしてると、そのうち食われちまうかもな」
「は?」
「だから、こんなふうに……」
千切はすうっと目を細めると、見本誌を投げ、狼のようなポーズを取った。そのまま上に伸し掛かられそうになったとき、千切が勢いよく後ろに吹っ飛んだ。というよりは、凪に首根っこを掴まれたのと同時に千切自ら後ろに飛び跳ねた。
「え……?」
「千切、何やってんの」
「おー、怖い怖い。別になんもしてねーよ。それより洗濯は?」
「いま、回してるところ」
「ふーん」
ま、せいぜい頑張れよーと千切が凪の肩を叩いて部屋を出ていく。何やら不穏な空気が漂っていたが、凪……? と声をかけたら、すぐにもとの凪に戻った。
「お嬢だからって油断した」
「何が……?」
「いや、こっちの話」
それよりも洗濯回してきたから褒めて、とベッドに転がり込んできた凪にプッと吹き出す。自分からやると言っておいて褒美をねだるとか意味わかんねーと思いつつも、早く撫でろと主張してくる男の頭を撫でた。犬かよ。と、喉元までツッコミが出かかるがなんとか飲み込む。
最近、そうやって茶化すとあからさまに凪が嫌な顔をする。俺は犬じゃなくて人間だし、レオとサッカーできる手足がついてるでしょ、と。レオと一緒にサッカーできて、レオのことを支えられて、補い合えるのは俺だけだよ、と凪がツンと唇を尖らせて言う。そういところが子どもっぽいんだよなーとは思うものの、最近の凪は本当に自立してきているので、簡単にはからかえなかった。よく頑張ったな、えらいな。と、いつにも増して頭を撫でる。
「乾燥機からの回収は俺も手伝うわ」
「いーよ。レオは此処に居て。俺がちゃんとするから」
「でも……」
「本当に大丈夫だから。俺だって、やればできるよ」
「うーん、そうか?」
「そう」
だから、着いて来ちゃダメ。ランドリールームに入るのもダメ。と凪が首を振る。そこまで言うなら、と俺も凪に任せることにした。
それにちょうどこのあと、練習メニューについて相談するために、クリスには時間を取ってもらっている。じゃあ、任せるわーとお願いしたら、凪がいつもより少し元気にうんと頷いた。
◆
「あっ……」
脱衣所のカゴの中を漁る。ハンドタオルを忘れてきてしまった。
「どうした?」
「いや、ハンドタオル忘れたわー」
ちょっと取ってくる。と千切に言って、脱いだ服をもう一度着込む。
最近、ハンドタオルの消費が早い。というより、なんとなく減っているような気もするのだが、ここのところ試合続きなせいで洗濯が追いついていないのだろう。洗っても洗ってもすぐに洗濯カゴに放る毎日だ。
「洗い終わったやつあったっけな……」
そうひとりごちて、風呂へ行こうとする奴らを横目に部屋へと戻る。
ベッドの横にはそれぞれ個別の棚がある。そこが荷物置き場になっていて、タオルやユニフォームを整理して置いているのだが、案の定、棚には一枚もハンドタオルがなかった。ちょうど凪が洗濯を回していたから、まだ戻っていないのかもしれない。どうしたもんかなーと思っていると、部屋のドアが開いた。
「あれ、レオ。風呂に行ったんじゃなかったの?」
「あー、それがさ。ハンドタオル忘れちまって。でも、ぜんぶ洗っててないんだよなー」
「それなら、俺のタオル使う?」
「いや、それはダメだろ。お前のがなくなる」
「別にいーよ。なくても入れるし。ちょっと待ってて」
凪が棚からハンドタオルを引っ張る。そういやぁ、最近あまり整理整頓してやれてなかったな、と思ったが、よくよく見ると綺麗だった。うそ、あの凪が!? と思っていると、俺の視線と考えていることに気付いたのだろう。俺だってちゃんとやれるよ、と言って凪が迫ってきた。
「元々、一人暮らししてたし」
「お、おう」
「最近の俺、レオの好みに近づいてると思わない?」
「そ、そうだな……?」
いや、近い近い近い! と思いながら後ずさる。そのままベッドに膝裏がぶつかって座り込んでしまった。それでも凪が近づいてくる。
「わ、分かった! 分かったから、ちょっと離れろ!」
「レオが逃げようとするからじゃん。それと、これ」
目の前に差し出されたのは凪のタオルだった。
「使って」
「サ、サンキュー」
「じゃ、俺は残りの洗濯物を片付けてくるね」
いつも俺がするみたいに、凪がさらさらと俺の頭を撫でて部屋を出ていく。その間、呆然と凪の後ろ姿を見ていた。
「〜〜〜〜ッ!」
なんっだ今の!! と思いながら、凪のタオルを握り締め、急いで脱衣所に駆け込む。
変な気分だった。とにかく冷水を浴びて頭を冷やしたい。思考をクリアにしたい。
ぽいぽいと雑に服を脱ぎ捨てて、浴場に入る。たまたま空いていたところに座ったら、先ほど別れた千切が隣にいた。
「お、レオじゃん」
「…………」
「レオ……?」
千切の声が右から左に流れていく。温水から冷水に変え、無言のままシャワーコックを捻った。
「ちょ、冷たっ。こっちまで跳ねてるって!」
「…………」
「つーか、水だと風邪引くっつーの!」
慌てて千切がシャワーを止める。頭から冷たい水を浴びたけれど、頭の中は混乱したままだった。
「どうしたんだよ? なんかあった?」
「凪が……」
「凪?」
「やっぱり、ちょっとおかしいよな……」
ハァ、とため息をつき、先ほど起こったことを千切に話す。
凪が俺好みになろうとしていること、俺がいつも凪にしてやっているときみたいに優しく頭を撫でてきたこと。ぜんぶ喋ったら少しだけスッキリした。スッキリしたのと同時に、さっきのことを思い出してムズムズする。
「やっぱりアイツ、おかしいよな!?」
「まぁ、確かに極端すぎるけど、別に嫌じゃないならそのままにしておけばいいんじゃね?」
「なんかこっちがムズムズすんだよ……」
「じゃあ、やめろって言えば?」
「そんなこと言ったら凪が傷付くだろ。それに、俺は凪があんなことしなくたって……」
「しなくたって?」
「…………」
あれ。どうしてだろう。なぜだか急に言葉に詰まった。本当はどんな凪でも好きだと言いたかったのだが、今までみたいに、そう簡単に言ってはいけない気がした。なんだろう。ガチ感があるというか。いや、ガチ感ってなんだよ。
「おーい、レオ?」
「……わりぃ、なんでもねぇ」
「あっそ。てか、凪がお前に洗ってほしそうにしてるぞー」
「は?」
千切が後ろを指す。振り返ったら凪が立っていた。
「凪!? いつの間に……!」
「いま来たところだよ。それよりも、早く俺のこと洗ってー」
「……ったく、仕方ねぇなぁ」
さっきまでのひりつくような鋭さは何処へやら、早く洗ってと言わんばかりに凪がこちらを見る。俺はわざとらしくため息をつくと、凪の頭をシャワーで濡らした。
「やっぱりこれだわー」
「何が?」
「お前はそのままでいいってこと!」
「ん……?」
シャンプーをもこもこと泡立て、凪の髪を洗う。
こうやって、いつも通りの凪のほうが落ち着く。だけど、凪としては思うところがあるのだろう。凪は終始、何か言いたげに口をモゴモゴとさせていた。
◆
「やっぱりないんだよなー」
一枚、二枚、三枚、とタオルを数える。ハンドタオルはぜんぶで十枚あったはずなのに、何度数えても三枚ほど減っていた。
となれば、誰かの荷物に紛れているかも。そう思って千切や凪の棚をこっそり確認したが、何処からも出てこなかった。そうなると他のチームの洗濯物に紛れてしまったか、もしくはランドリールームの何処かに落ちているか。そのどちらかになるのだが、探し回るということは凪の仕事を疑うことになる。せっかく頑張ってくれているのに。「いつも甘やかしてくれるからその恩返しだよ」と言ってくれる凪に対して申し訳ない。
それに、今の凪はなんというか、ちょっと近付きづらかった。変な話、ドキドキするのだ。たぶん、俺の高すぎる理想ってやつに近付こうとしているからだろう。元々、容姿も整っていて、才能にも溢れて、同じ男から見ても面白くてかっこいい奴なのに、そんな奴が俺の理想に近付いてみろ。普通におかしくなる。俺、そっちの気はないはずだよな……? と自問自答するほどにはおかしくなってきている。
「レオ、もう洗う物ない?」
「おぉ、これで最後」
「オッケー。じゃあ、行ってくるね」
「あ、凪」
カゴから溢れんばかりの洗濯物を抱えた凪のシャツを引っ張る。その拍子にバランスを崩したのかカゴが落ちた。ごめんと慌てて謝り、洗濯物を集める。
「今日は俺も行くわ。また落とすかもだし」
「それはレオが引っ張ったからでしょ」
「だから悪かったって!」
「てか、いつも行きたがるよね。そんなに俺のこと心配?」
「心配っていうか……」
それもあるけど、今はなくなったタオルの捜索をしたい。もちろん、常に凪に洗濯物を片付けてもらって申し訳ない気持ちもあるから、自分でやれることはやりたいって思いもあるけれど。でも今は、なくなったタオルの行方が気になった。
「……じゃあ、今日はお願いしようかな」
「マジ?」
「自分から言い出しておいてなんでそんなに驚いてるの?」
「だって、お前が頑なに嫌がるから」
「嫌がってはないよ。でもこれは恩返しだから」
凪のスタンスは変わらないらしい。だが、ひとまずランドリールームへは一緒に行けるようになったため、カゴから溢れた分を持って部屋を出る。
ランドリールームは部屋を出て長い廊下を進み、途中トレーニングルームや浴場、いくつかあるトイレなどを抜けた先にある。部屋の場所的に、一番遠いところにあった。あまり人も来ない場所なため、電気は消えていることが多い。案の定、今日も消えていた。
「なんか久々に来たわ」
ぱちんと電気をつけて、洗濯物を洗濯機の中へ入れる。ブルーロックへ来るまで自ら洗濯機を動かしたことはなかった。もちろん知識として、使い方は知っていたが。
「どうしたの? レオ」
「いや、久々だから洗剤どこかなーって」
キョロキョロとあたりを見渡し、タオルなどが落ちていないか確認する。だけど、特にそういったものは見当たらなかった。
「洗剤ならここ」
「サンキュー」
「てか、レオは何もしなくていいよ。俺がやるって」
「そう言うけどさ、俺は別にお前が何もしてくれなくたって、」
そこまで言いかけて口を噤む。凪がじっとこちらを見ていたからだ。何かを待ちわびるような、期待しているかのような目で見つめられて、一気に喉がカラカラに乾いた。
「ねぇ、続きは?」
「…………」
「レオ?」
「〜〜〜ッ、だから! 何もしてくれなくたって俺はお前のこと好きだし、変な気は使うな!! って言いてーの!!」
言った、言ってしまった。反応が気になって、凪の顔をちらりと見上げる。だけど、凪は特に変わらずいつも通りだった。
「ありがとう、レオ、嬉しいよ。俺もレオのこと好き。でもレオの好きは俺の好きとちょっと違うっていうか、いろいろ足りてないんだよね」
じりじりと凪が近付いてくる。そのただならぬ様子にギュッと目を閉じた。だけど、
「…………」
後ろにあった洗濯機に凪が勢いよくカゴをひっくり返す。そこにいると邪魔なんだけど、と言う凪に、猫のようにぴょんと飛び上がった。
「わ、わりぃ! じゃあ、あとは頼むわ!!」
テキパキと洗濯機を操作する凪を横目に、そそくさとランドリールームを後にする。
緊張した。いつもの凪と違ったから。早く脈打ちすぎて痛む心臓を押さえながら廊下を歩く。途中、誰かに声をかけられたような気もするが、構っていられなかった。部屋に戻り、逃げるように布団を被る。のんびりとスマホを弄っていた千切も、俺のただならぬ様子につんつんと背中をつついてきた。
「急にどうしたー?」
「……なんでもねぇ」
「なんでもなくはないだろ」
「いや、ちょっと」
ぎゅうっと布団を掴み、ショートしそうな脳みそを必死に回転させる。
凪のことは好きだ。凪からも好きだと言われて嬉しかった。そりゃあ、嫌われるよりは好かれている方が嬉しい。だけど、なんとなく今までの好きとは違うような気がした。というより、
「おーい、レオー」
「……もう寝るわ」
強く目を閉じる。
たぶん、凪のことをそういう意味で意識している。凪が自分好みになっていくから。そうやって、俺の気を引こうとしてくれるところもいじらしくて愛おしいなと思う。凪は俺の好きはちょっと違うって言ってたけど、たぶん同じだ。
そう思ったら、あとは凪という男に転がり落ちていくだけだった。
◆
「俺もレオのこと好きだよ」
こうなったら居ても立っても居られない。凪とは同室なわけだし、そもそも凪も俺のことを好いてくれているわけだし。だったら、関係性をクリアにしておくべきだろ。そう思って、"ちゃんと"凪のことが好きだと告げたら、あっさりと答えが返ってきた。
うわー、マジか。男を好きになるとか、それも友人を好きになるとか始めてだわーと思いつつも、嬉しくて顔がニヤついてしまう。じゃあ、これからよろしくなーと言ったら、それだけ? と返ってきた。
「それだけって?」
「……いや、なんでもない」
「だからさ、これからはもっと俺に甘えてこいよな!」
少し寂しかったんだからなーと、冗談めかして言う。凪が望むならおんぶもしてやるし、ご飯も食べさせてやるし、髪だって乾かしてやる。正直、前みたいに戻りたいと思うし、頑なに恩返しだと言ってひとりで洗濯物を片付けようとする凪のことを手伝ってやりたいとも思う。そのことを告げたら、凪が分かりやすく唇をキュッと引き結んだ。ぶんぶんと首を振り、俺の手を強く握る。
「それだけはダメ」
「なんでだよ」
「だから言ったじゃん、恩返ししたいって」
「だから、もうそれは良いって」
「俺が、レオのために何かしてあげたい」
じっと見つめられて、黒々とした凪の目に吸い込まれそうになる。そこまで言うなら、と凪の手をやんわりと離した。
「分かったよ、凪に任せる」
「うん、任せて。だから着いて来なくていいからね」
「分かったから。あと、この部屋でくっつくのは控えろ。千切もいるから」
そう零したら、ちょうど風呂から戻ってきた千切が部屋に入って来た。
「二人同時にこっち向くなよ、怖いって……」
千切が髪を拭いながら言う。凪は不服そうな顔をしたもののひとまずは頷いて、俺のベッドから降りていった。
「……お前ら、なにかあった?」
「いーや、何も」
「いーや、別に」
「……あっそ」
聡い千切のことだ。たぶん気付いているだろう。だが、無駄な詮索をしないところは好感が持てた。
「じゃあ、今日も洗濯回してくるね」
「おう」
凪が汚れ物でいっぱいになったカゴを抱える。その後ろ姿に、恋人同士になったばかりの凪に、俺はひらひらと手を振った。
◆
それから凪と恋人同士になって、三週間が過ぎた頃だった。
「ん……」
寝苦しさに目を覚ました俺は、布団を剥ぐと、枕元においていたボトルを掴んだ。
「うわっ……ぬる…………」
部屋には冷蔵庫がない。備え付けられている部屋もあるにはあるらしいが、ここは食堂が近いからという理由と、部屋が狭くなるという理由で置かれていなかった。だから、寝る前には必ずボトルに水を入れておくのだが、ステンレスのボトルではないから当然のごとく温度は保たれない。ぬるくなった水は、あまり爽快感を与えてはくれなかった。
「あっつー……」
ベッドから身を乗り出し、棚に手を伸ばす。ハンドタオルを取り出そうとベッドの下を見たとき、洗濯カゴがないことに気が付いた。その横には、それこそ使用済みのタオルとユニフォームが落ちている。おそらく、カゴから落ちてしまったのだろう。そういえば、凪がベッドにいない。
「こんな時間に洗濯かよ……」
既に日付は変わっている。こんな時間まで起きているなんて体を壊すぞ、なんて思ったものの、自分の洗濯物も凪に託している手前、強くは言えない。
「とりあえず、様子見に行くか……」
使用済みのタオルとユニフォームを持って廊下を進む。二十四時間、明るい廊下ではあるが、それでも人の気配がしない廊下は気持ち悪さがある。
俺はトレーニングルームや大浴場、トイレなどを通り過ぎると、ランドリールームに入った。電気はついているし、洗濯機もガタガタと音を立てている。だけど、肝心の凪はいなかった。
「何処行ったんだよ、アイツ……」
ひとまず洗濯機を止め、持ってきた物を中に突っ込む。まだ、スタートしたばかりでかなり時間も残っていたから、問題なく洗ってくれるだろう。
「…………」
ガタガタと動く洗濯機を見つめる。暫く待ってみたが、凪が戻ってくる様子はなかった。
となると、ランドリールームの手前にあったトイレにでもいるのだろうか。そういえばさっき、物音がした。
「まさか、トイレで寝こけてたりとか……」
そんなまさかなと思いつつトイレを目指す。
案の定、トイレから微かに物音がする。電気はついていなかったが、個室がひとつ閉まっている。
「違ったら申し訳ねぇけど……凪いる?」
コンコンと控えめにドアを叩く。だけど返事はなかった。もう一度、ドアをノックして、おーいと呼びかける。
「凪? じゃ、ねぇのかな……」
諦めかけたそのときだった。僅かに扉が開いた。
「凪……?」
「……あーあ、来るなって言ったのに」
何かがはらりと落ちる。よく見慣れたタオルだった。というか、俺のじゃね……?
「これ……うわっ!」
一気に個室に引きずり込まれて扉が閉まる。赤らんだ顔でふーふーと息を吐き出す凪と落ちた俺のタオル――湿って重くなったタオル――ですべてを察した。
「お、まえ、何して、」
「見れば分かるでしょ」
ぐりぐりと肩に額を押し付けてくる凪の下半身を見る。いや、分かるけど。分かるけど、じゃあ、今まで頑なに自分で洗濯をやると言っていたのは、もしかして。
「俺のタオル、使ってたのかよ」
「引いた?」
「いや、まぁ、男だし、仕方ねぇだろ」
それに一応、恋人同士でもあるから許容範囲内ではある、けれど。
「俺のタオルが減ってたのってそのせい?」
「あー、気付いてたんだ。あまりにも汚れたり擦り切れそうになってたやつは捨てた」
「え、」
どういう使い方したら擦り切れるんだよ、というツッコミを入れたい。だけど、ちょっとだけ今の凪が怖くて言えなかった。
そうか、そうか、じゃあごゆっくり。と深く首を突っ込まずに出るのが吉だ。そう思ったけれど、
「今、この状況でレオのこと、返すと思う?」
ぐいっと腰を引かれて、すっぽりと凪の腕の中に収まる。ちゅ、ちゅ、っと耳たぶに唇を押し当てられて、ぞわりとしたものが背中を駆け抜けた。狭い個室の中、もちろん逃げ場なんてあるはずもなく、凪にされるがままだ。「レオの耳たぶ、柔らかいね」って言われても、褒められてる心地がしない。ゾワゾワする。
「そもそもさ、はっきりしておきたいんだけど、レオの好きってちゃんとこういうことも含まれてる? 宝物だからとか、友人だからとか、そういうやつの延長線で好きって言ってるわけじゃないよね?」
「ハァ!? 俺がそこまで馬鹿に見えんのかよ」
「だって、レオってば、全然俺の気持ちに気付いてくれなかったんだもん。俺はずっと、レオのこと好きだったのに。もちろん、こういうことも込みで」
凪の手が背骨の凹凸をなぞる。やっぱりゾワゾワする。というより、むず痒い感じだ。腹の底が重たくなるような。
「ねぇ、レオ。ちゃんと俺のこと好き?」
凪のいう"ちゃんと"が何を指すのか、さすがに分からないほど子どもじゃない。ちゃんと好き。と返したら、安心したかのように凪が俺の腰を撫でた。
「よかった。じゃあ、これで先に進めるね」
「は……?」
「そもそも、来るなって言ったのに、ここまで来たレオが悪いんだし」
あっ、と思ったときには唇が重なる。
確かに、来るなって言われてたのに、ここまで来てしまった俺が悪い。それに凪の気持ちも痛いほど分かる。だけど、心の準備ってものがまだできてない、のに。
凪は珍しく表情に出るくらい小さく微笑むと、俺のスウェットのゴムを引っ張った。