アーニャが喫茶店に入ったのを見届けてから、ダミアンは踵を返した。
喫茶店が入るビルと隣のビルの間の薄暗い路地に踏み入る。他に誰も歩いていないそこは、塞がれていないのにどこか空気が澱んでいる気がする。10メートルほど進んだ辺りで背後に気配を感じた。それと共に伝わる殺気。振り返ると、どこからか現れた男が銃口をダミアンに向けていた。咄嗟に身を低くしたのと同時に、飛びかかったダミアンのSPによって銃口が上を向いて、パシュッと空気を切り裂いた。そのままSPが男の腕を捻りあげると、男は呻き声を上げて銃をあっさり取り落とした。
ダミアンはその拳銃をすかさず拾い上げ、
「FREEZE!」
僅か1、2メートル程度の位置から男に向かってピタリと銃口を向けた。すると男は目を見開いて硬直した。
「両手を上げて頭の後ろにやって、両膝を地面につけ。……あぁそうだ」
取り押さえていたSPに目配せすると、SPは男から手を離し、1歩退いた。もう1人のSPは、男の視覚の外で拳銃を構える。
「――他家のお坊ちゃんはどうだか知らんが、デズモンド家の男は必ず射撃訓練を積まされる。軍の一等兵よりはよっぽど銃の扱いには慣れているし、10メートル以内なら的を外さない」
そこまで言ってダミアンは、一度銃口を男から逸らして拳銃をざっと観察した。
「――ベレッタのモデル92Sか。最新のやつじゃねーか。どこで手に入れた? 軍のお下がりにしちゃ状態も悪くなさそうだし。ご丁寧に消音装置までつけやがって。
……まぁ、それはさておき、だ」
男の目の前まで歩み寄ると、ダミアンは半開きだった男の口にゴリッと無理矢理銃口を捩じ込んだ。安全装置を解除したままで。
「俺の女にこの薄汚ねー銃口を向けたのはどこのどいつだ? あ?」
凄絶な笑みというのは、この事を言うのかも知れない。恐怖で見開いた男の黒い双眸に映る自分はまさにそんな表情になっていた。そのくせ、口から出てくる言葉に怒気などと言った感情は乗せない。笑っているのに口調はひどく淡々と冷めきっていて、さぞかし不気味に見えている事だろう。
そして男は、絶望しきった真っ青な顔でダミアンを凝視していた。銃身からカチカチカチと小刻みな音と振動がしてくるのは、男が恐怖で震えて歯が銃身に当たっているからだろう。
この様子からすると、こいつはプロの殺し屋じゃない。カネで雇われた捨て駒だろう。こんなチンピラ風情に襲わせるとは。誰の差し金か知らないが、随分とナメられたものだ。
「本当は今すぐこのトリガーを引いてテメーの脳ミソぶちまけてやりてーんだが、アンタは情報源だ。洗いざらい白状してもらう。素直に従えば悪いようにはしない。
――但し、嘘をひとつでも吐かしてみろ。白状する分には支障ない所をこいつでブチ抜くからな。……足か腕か。4本のうちどれを犠牲にするかはアンタに選ばせてやるよ」
男から涙と鼻水が垂れ流れ始めた。更に口から唾液も溢れ出して、男の顔面は見るに耐えない様相へとなる。そんな男を冷めた目で見据えたまま、ダミアンは続けた。
「言っておくが、俺はデズモンド家の中でもかなり穏健な方だ。兄貴や父上だったら、とっくに手指が何本か吹っ飛んでいただろうな。
それを弁えた上で、デズモンド家に協力するか否かは考えるんだな」
そこまで言うと、男の口から銃口を引き抜き、
「――ミスター、あとは任せた」
拳銃の安全装置を戻して、男の傍にいたSPのリーダーに銃をぽいっと投げた。受け取ったSPは短く是の返事をし、控えていたもう1人のSPがすぐさま男の身柄を拘束した。
「――あ、そうだ、陸軍司令部のビル・ワトキンス少尉に連絡取って、軍の銃器類が横流しされていないか調査するよう伝えてくれ。それを参考品として提示するといい。
ビルには俺の名前を出せばすぐに通じる」
「かしこまりました」
そこでダミアンは目を閉じて、大きく深呼吸をした。頭の中を切り替える儀式のようなそれをし、次に目を開いたダミアンはすっかり年相応の爽やかな青年へと変わった。
「それじゃ、アーニャとのデートを再開させるぞ。結構待たせちまったな。
アーニャは大丈夫だよな?」
「はっ。例の喫茶店で、ピーナッツクリームケーキを食べられているところです」
「ははっ、ほんとアイツはピーナッツばかりだな」
裏通りから表通りへ。
裏の顔から表の顔へ。
ダミアンはアーニャが待つ喫茶店へ向かった。