sun drop「レイリーさん、これ欲しい」
「珍しいな。シャンクスが宝石を欲しがるのは」
真っ青の空にかざした石はまるで存在していないように透き通る。小指の爪ほどもないそれは、摘まむ力を少しでも強くしてしまうと指先から滑ってどこかに飛んでいってしまいそうだ。
「ああ、悪いがそれはやれない」
「なんで」
「先約がいる」
シャンクスが伸ばす腕の先を覗いたレイリーは、麦わら帽子を二回叩くように撫でた。
「それはバギーのだ」
「こんなにちっせぇのに」
小さくても価値は十分にある代物だ。こんなちっぽけな宝石よりも大きな財宝が詰まった宝箱から一発で摘まみ取って、他と吟味してバギー自身が選んだ。海の青より薄く、太陽に照らされた空のような白は透明に近い色。
「他に欲しいものはないか」
「他はいらない」
「……なんでそれがいいんだ?」
「これならポケットにいれておける」
影が落ちればまるで水溜りができたような静かな色に変身する。光の当たり方や場所によって変わる表情を手のひらの中に閉じ込めた。
「太陽の涙みたい」
――――――――――――
「なあ、この石」
二人分のグラスを乗せた小さなテーブル。その引き出しには、かつて手に入れることのできなかった宝石があった。繊細な装飾の施された箱はどう見ても値が張りそうで、その中で傷がつかないよう真っ黒な布に大事に包み込まれるように鎮座している。
「なァに勝手に引き出しあけてんだ」
「これ、レイリーさんからもらったやつだろ。おまえにやるからって、もらえなかった」
「聞いて。おれの話」
「おまえのことだから売り飛ばしたと思ってたが……」
まさか、まだバギーの手元に残っているとは。
どうしても欲しかったシャンクスは、その石がバギーの手に渡ってすぐに欲しいと強請った。ポケットに入れて肌身離さず大事にするからと。アホかと断られた。ポケットなんかに入れていたら傷がついて価値が下がるだろと。
「欲しい」
「やるわけねェだろ」
ベッドに肘をついて横たわる男、バギーは小指で耳の穴をほじりながら吐き捨てる。
「ポケットで大事にするから」
「だからポケットに入れんな! なーんも変わってねェなァ、てめェはよォ!」
「いいだろ。減るもんじゃない」
「減るんだよ! 価値が!」
これだから価値がわからない男は、と嘆きながらバギーは背を向けた。見てないところで海賊らしく盗むこともできるが、こんな大事な扱われ方をしていたらすぐにバレるし後を引く可能性もある。これよりも希少価値のある宝石を持ってくれば解決するだろうが、シャンクスは宝石に興味もなければ高いか安いかの目利きもできない。できるのは、惹かれる色かどうかだけ。
「なあ、バギー」
「何度言ってもやんねェぞ。そもそも宝石に興味ないくせに、なんだってそれは欲しがるんだァ?」
遠い昔にも尋ねられた言葉。宝石に興味はないのに、何故これだけは執拗に欲しがるのか。一度目の質問にはポケットに入れられるからと答えた。今度はその理由は使えない。
「お前の目の色みたいで好きなんだ」
これを初めて見た時、幼いシャンクスの心は躍った。欲しいものがそこにある。手の届く距離に、いつでもそばに居られる場所に、肌身離さず持ち歩ける。
バギーの目が空を見上げる、その横顔をいつも隣でみていた。世界中の宝を手に入れるという夢に自分がいなくとも、夢を語るその目にすら自分が映ることができなくとも。夜空に浮かぶ月の光できらめく瞳も、爛々と空を照らす光できらめく瞳も、この手に入れてそばにおける。
「え、気持ち悪……」
「ひどい!」
「そんなこと聞いたら余計にやるか! 気持ち悪ィ!」
「二回も言わなくていいだろ!」
寝転がっていたバギーはわざわざ身を起こして、勝手に開けられた引き出しを閉めた。
「おめェ、あの時から思ってたわけじゃねェよなァ?」
「……」
同じだ。同じに決まってる。
口にすることなく、隣に並んだバギーを見る。引き出しに仕舞われた宝石が二つ並んだその顔に欲しいと訴えてみるも、うげぇ、と聞こえてきそうなほどに歪められた。実際に喉から「うげェ」と音は漏れていたわけだが、シャンクスの耳には聞こえているのかいないのか。気にすることなく腕を握るも、本体は簡単に離れていく。
バギーはいつもそうだ。知らぬ存ぜぬフリをして、なんでもないように躱していく。バギーにとってシャンクスの心中など知ったことではないのだ。それは隠されることなく態度に大きく現れる。
だから酒だ宝だと土産を持ってくる男を仕方がないと受け入れる。
バギーにとって、世界の中心はバギーであるが、シャンクスにとっての世界の中心というのはシャンクス自身にはなれない。シャンクスにとってのバギーは世界の中心かと言われればそうではないし、かと言って止まり木のように身軽なものでもなかった。
「バギー。うで、何かと交換しないか」
「しねェ。返しやがれ」
冗談めかして振った腕はバラバラになって主人の元へと帰っていく。
自分が世界にとってどんな立場になろうとも、対等でいてくれる誰かがいて欲しい。敬うこともなければ恐れることもない、同じ目線で恨みを並べてバカを言い合い昔を懐かしむ。自分勝手で自由な、そんな海賊が。
「欲しいものは自分で探せ」
「探したんだけどなあ」
ウソだ。探していない。
「やっぱりあれがいいんだ」
シャンクスの目が思い出すフリをして右上へと流されてバギーに戻る。
探すほど欲しかったわけではないし、四六時中覚えていたわけでもない。時々似た色の宝石を見てそういえばとあの時のやり取りを思い出す程度だ。
「探し足りねェんだよ。欲しいものがあったらどこまでも追いかけるのが海賊だろ」
「それが海軍の基地でも?」
「ァ?」
「冗談だ。そう怒るな」
探しても探してもそれ以上のものが見つからない。かといって肌身離さず常にそばに置きたいとも思わない。
背を向けて座るバギーの首にシャンクスの腕が回る。軋むベッドにしわくちゃのシーツ、いつも羽織っている黒のマントは豪奢なイスに投げ捨てるようにかけられている。
「酔いが醒めた。飲もうぜ、バギー」
「てめェが持ってきた酒は全部空だぜ」
二つのグラスには一滴たりとも残っていない。窓から差し込む淡い光は流れてきた雲に身を隠し、ベッドライトのみが仄暗く部屋を照らす。
「酒がなくなったら静かに寝ろ」
「ひとりだと、どうもうまく眠れそうにないんだ」
誘い込むように背後から肩を抱く。纏められていない青い髪に鼻を埋めこみ息を吐いて名前を刻む。
バギー
『四皇・赤髪のシャンクス』としてでしか知らない輩がこの声で名前を呼ばれたら、きっと甘やかしたくなるだろう。世界から四皇として恐れられている海賊が、己の弱さをひけらかし優しくしてくれと強請ってくるのだ。しかし相手はバギーである。彼の四皇の肩書きなど意に介すこともなく、ただ同じ海賊船で見習いをやっていただけの昔馴染み。それも自業自得といえど、海を泳げない体にさせた要因の一つだ。かわいさのかけらも感じない。憎い男が自分勝手なワガママを通そうとしているだけにしか受け取れない。
「いや、帰れ」
返ってきたのは無慈悲な言葉だけ。
「朝に迎えがくる」
「仕方ねェからソファ貸してやる」
「ベッドで十分だ」
「これァ、おれ様のひとり用のベッドだ」
バラバラになった手首がシャンクスの顔を押し離す。顔は振り返らず、折れてもくれず。頷かせるための酒は飲みきっていて宝はない。「なんだよ」「ケチ」と言ったところで「わかってんじねェか」と流されるだけ。もう一つの手首があっちに行けとソファを指差している。しかもマントがいつのまにかソファにかけられており、それを被って寝ろと言っているも同然だ。
これ以上駄々をこねたところで適当にあしらわれるのは明白。そうなればシャンクスには強硬手段しか残っていない。
「寝る!」
「おうおう。さっさと寝やが―――ッ!?」
抱きしめていた肩をより一層強く引き寄せてそのままベッドに倒れ込む。右手が下にきちまったのは寝ずらいなと思いながらも、腕を引き抜くこともせず暴れる体を押さえつける。バタついて暴れる下半身もガッチリと足で固定した。
「てめェ! 何してんだシャンクス!」
「おれは寝るって言っただけだ」
「言っただけじゃないよね!? おれ様の体抱き込んだままベッドに横になってるよね!」
「うるせーなあ。夜中だし静かにしろよ」
「あ、ごめんなさい……。じゃねェ!! てめェはソファで寝ろ!」
「いいだろ。減るもんじゃねぇし」
「減――、りはしねェが、何が楽しくてハデアホと一緒のベッドに寝にゃならんのだ!」
いいから離せと両手首が引き剥がしにかかるも、力の差は歴然。鍛えていない腕がどう足掻こうとも片手で獲物を振るう筋力に敵うはずがない。
バラバラ緊急脱出を使わないのは、このまま二人で眠りにつくより、ベッドを独占されることの方が許せないからだということをシャンクスはよくわかっていた。
「懐かしいな。海賊見習いの時に一緒に寝たの覚えてるか?」
ようやく振り返ってきた首に笑いかける。
「そんな記憶ハデにないぜ」
苦虫を噛み潰したような顔はやだやだと言いたげに元の位置に収まった。これ以上文句をつけたところでこの腕から解放されないことを思い知ってしまったようだ。
「だあー、もォ……。てめェと寝ると余計に疲れるぜ」
「そうか? おれはいい夢みれそうだ」
「あーそうですか。おれ様は悪夢みそう」
海の底より深いため息に、シャンクスの腕の力も少しばかり緩くなる。ぶつくさと聞こえてくる恨み言を子守唄に「おやすみ、バギー」シャンクスは静かに目を閉じた。