鬼さんこちら、手のなる方へ
呼ばれている鬼とは、誰だったのだろうか。
かごめかごめ、カゴの中の鳥はいつ出会う
囲われているのは、誰だったのだろう。
「君を此処に連れてくるのには、まだ早すぎたようだ」
優しい手付きで俺の頭を撫でて、あちらへお行きと帰り道を示された。
とても暗く恐ろしい道に震えていると、かごだよと言って額に唇を寄せられる。
「君にはまだ神様が居るからね。私が出来るのは、これが限界なんだ」
暗かった道に一筋の光が差して、怖かった道が少し和らいだ気がした。
一緒にと言うと、その人は少し驚いた表情を浮かべてから首を横に振る。
「あぁ、私は行けないよ。君がそうだな。八つになったら来なさい。それから五年後の十三に……」
鬼さんこちら、手のなる方へ
呼ばれている鬼が、ふと自分だった事を思い出す。
夜明けの晩に、鶴と亀が滑った
そうだ。後ろの正面を答えないといけないのは、自分だった。
「新兵衛!!」
はっと目を開けると、焦った兄の顔が映る。
ここはと声を出そうとすると、喉が乾いて声にならなかった。
周りの大人達が慌てていて、近所の婆ちゃんはお経を唱えていた。
子供ながらに何か大変な事をしてしまったと思い、申し訳なさと何をやらかしたの分からず涙が零れていく。
「新兵衛、泣かんでよか。帰ってきてくれて、ほんのこて良かった」
後にも先にも兄が泣いたのは、この日だけだった気がした。
話を聞くと、俺は兄と一緒に出掛けた先の神社で遊んでいる最中に居なくなってしまったらしい。
その場に居た子供や兄も、俺が一瞬で消えたと証言していた。
それから大人達の山狩りと子の居る家は神隠しに備えていた様だった。
何があったのか聞かれたが、どうしても答えてはいけない気がして分からないとだけ答えた。
あの人が言っていた八つになったらと十三になったらの意味は分からなかったが、これも言ったら駄目な気がして口を噤むことにした。
七五三を終えて、八つの誕生日を迎えた日の事だった。
昔神隠しにあった事などすっかり忘れて、俺は神社の前を通ってしまったのだ。
「あ、やべ」
道を引き返そうと立ち止まると、鳥居の上に誰かが座っているのが見える。
神主かと思ったが、人間が登って座れる高さではない事を思い出す。
なら修繕の人間かと思い、何も見なかったと流そうとすると近くで声が聞こえた。
「鬼さんこちら、手のなる方へ」
咄嗟に出そうになった声に、慌てて手で口を押さえる。
あれ以来、神社の前を通るのを禁止され尚且つ童歌が聞こえたら何も答えずに下を向く事。
「かごめかごめ、カゴの中の鳥は」
下を向いたら何があっても顔を上げない事、そして振り向かない事。
最後は気付いてないふりをしながら、家とは別の道へと歩く事を教えられていた。
「そうじゃ。今日ん夕飯は、おいん好きなもんやった」
後ろが気になるが、絶対に振り向いてはいけない。
振り向いたら怖いことになるのだけは、嫌でも分かっている。
なるべく楽しいことを考えて、声に出しながら歩いていたが自然と涙が零れていく。
得体の知れない恐怖と悪い予感が、綯交ぜになって声も震えていく。
「次は十三になったら此処に来なさい。今日は見逃そう」
誰かの声が聞こえたと同時に、道がパッと明るくなった気がした。
これで家に帰れると、ダッシュで家路に着いたのだ。
「他の神の手は離れたが、誰かに入れ知恵でもされたみたいだな」
俺は振り返らなかったから、そこに何が居たのか分からずに済んだのだ。
鳥居の中に居た二人が、何かを話しているのだけは遠くだと言うのに聞こえてきた。
「最後は、此方に来るのは決まっている。焦ることはない。それより落神が何で居る」
「連れていくのを忘れていた義弟を迎えに来ただけだが」
それから五年の月日が流れ、神社に近付く事を避けるように生活をしていた。
俺の十三参りの準備をしていた時だった。
兄が深いため息をつきながら、申し訳なさそうに俺へと視線を向けて何度も謝ってきたのだ。
どうしてもあの神社で、十三参りをやらねばならないと言われ体が思わず強張った。
「新兵衛嫌なら」
「よかじゃ。あにょ、あん神社でやっで。絶対に、振り向かん事は守っで」
兄は最後まで悩んでいたが、あれは振り向かなければ大丈夫な事だ。
余計な気を使わせたくないのもあって、何度も大丈夫だと言って説得させた。
この時、俺は選択肢を間違えてしまったのだ。
それに気付いたのは、十三参りの当日。
大切にしている漢字をしたためた時、何かに突き動かされる様にある漢字を書いていた。
『武』
この漢字を書いた時、どうしてこの漢字を大切にしているのかふと思った。
もっと別の漢字があった筈なのに、どうしてだろうか。
ご祈祷を受けてる最中も、どうしてか疑問が消えずに居た。
ご祈祷が終わり、一人ずつお守りを貰う列に並びながらもずっと考えてしまう。
俺が貰う番になり、宮司さんが差し出してくれたお守りに手を伸ばす。
「これがお守りっ!?」
お守りを貰おうとした瞬間、宮司さんの手が触れた瞬間熱くてお互い手を離してしまった。
お互い手を見て何もない事を確認してからもう一度お守りを貰おうとしたが、次はお守り自体が燃えてしまったのだ。
「君、一体!?」
宮司さんが慌てて神主を呼びに行き、俺はどうしたらいいか分からずに立ち止まっていた。
ただ早く此処から出ないといけないと思って、宮司さんが帰ってくる前に社から出ていく。
あのまま居たら、きっともっと悪い事が起きる。
突然走り出した俺に、いろんな人が声を掛けていた。
振り向いてはいけない、全部取られちゃうから。
だから、早く早く鳥居の外に出ないといけない。
お願いだから、鳥居の外に出させて欲しい。
そうじゃないと、もう外に出れない。
そんな気がして仕方無いのだ。
一目散に鳥居に向かって走っていると、後ろから抱き寄せられてしまった。
「何処へ行く」
振り向いてはいけないと分かっている。
それなのに、振り向いてしまいそうになっている自分が居た。
目を閉じて、何も見ないで返事もしない。
そしたら、きっとあの時の様に。
「帰れると思ったか、田中君」
「え?あ……」
「私の加護があるのだから、恐れる事は何もない。行こうか、新兵衛」
待ってと言う言葉は、誰にも聞こえる事はなかった。