彩るものと彩られるもの おれが帰宅すると、ヒロくんが大きな箱ふたつと一緒にリビングの中央を陣取っていた。ソファ用のテーブルはテレビ側にぴたりと寄せられ、ソファの上には沢山の布が積み上がっている。
「おかえり藍良。出迎えなくてごめん」
ヒロくんが立ち上がって律儀に抱きしめてきたので、おれはよしよしと頭を撫でてあげた。おかえりのハグも必須じゃないんだから、忙しい時はいいのに。
何をしているのかだいたい察しはついたけれど、何事かと聞いてみた。
「それはいいけど。その荷物どうしたのォ?」
「僕の故郷から送られてきた荷物だよ。またこんなに沢山」
どうやらふたつとも同じ場所から送られてきたものらしい。ひとつに入りきらなかったんだ。おれは自然と笑っていた。
実家から届く荷物って、あったかくていいよね。普段は照れもあってついそっけなくしちゃうこともあるけど、おれの親もおれに何かを送るときはいつも箱いっぱいに愛情を詰めてくれる。
「へェ……。愛されてるねェ、『一彩さま』?」
おれが茶化すと、ヒロくんはふふっと笑った。
「『藍良さま』の分もあるよ」
箱の中には、ヒロくんの故郷で採れた野菜、陶芸品や織物が入っていた。ソファに積み上がってる布類だけでも結構な量なのに、箱の底はまだまだ深くて、他にもいろいろな物が入っているのが分かった。
ヒロくんが自分で使う分と、人に譲る分とで分けていく。仕分けはヒロくんに任せて、おれはヒロくんの言うとおりに物を積み上げる係になった。
「本当に沢山あるねェ」
「兄さんがこういうものを受け取らないからね。兄さんの分まで僕のところに届くんだ」
「ほんっと、かわいいお兄ちゃんだね」
燐音先輩、わざわざヒロくんが居ない時間を狙ってお土産を置きに来るもんねェ。連絡もヒロくんじゃなくておれにしてくるし。案外、ふるさとからの贈り物をヒロくん経由で受け取るのも、ヒロくんから連絡してくる口実にしていたりして。あり得る。
ヒロくんが「里から贈り物だよ」と連絡すれば、「しょーがねーなァ」なーんて言うんだきっと。
「あ、見て藍良。テーブルランナーとソファカバーだよ」
ヒロくんが次に取り出した布は、積み上げずにまず広げて見せてくれた。ヒロくんの故郷では定番の藍色と緋色、二種類の細長い敷物と、すっぽり人がくるまれそうな大きな掛け物。
「おれがリクエストしたやつゥ! 嬉しい!」
ヒロくんの故郷の皆が、いつも素敵な織物を送ってくれるんだけど、帯とかのれんとか、嬉しいけど使い道に困るものが多かったから、おれはヒロくんと暮らすこのマンションの中を飾れるようなものをと思って、テーブルランナーとソファカバーをリクエストした。
テーブルランナーとは何だ? という質問が故郷の住人の人数分返ってきそうだったので、こういうデザインのこういうサイズの物が欲しいとヒロくんを通じて故郷の仕立屋さんにお願いした。リクエスト通りのものが送られてきてすっごく嬉しい。ちなみに前に送られてきたのれんは洗面所に飾ってあるし、着物の帯類はヒロくんが大事に仕舞っている。紋様の刺繍が綺麗な布や帯はタペストリーにしてリビングの壁に飾っている。使い道に困るとは言ったけれど、案外この部屋には馴染んでいるかも。
ヒロくんがどういう基準で選んでいるのかは分からないけれど、いくつかESの衣装部に譲っているらしい。それが巾着袋やがま口のお財布になって戻ってくることもあった。買い物の時のエコバッグにもなるし活躍している。
おれは早速、カウンターキッチンに隣接させているダイニングテーブルに、藍色のテーブルランナーをかけた。椅子のクッションも同じ色にしてあるし、統一感が出て最高。ソファ用に作ってもらった大きなカバーは、荷物をどけてさっそく掛けさせてもらった。
おかげさまで、おれたちの家のリビングは緋色と藍色で統一されている。ソファやテーブル、テレビボードなどは洋風の木の家具を選んだので、ヒロくんちの故郷感? が強くなりすぎなくて上手く調和している。おれもヒロくんも大満足のふたりの住処。
おれはソファに座って、カバーと同じ色のクッションを抱いて、緋色のラグの上で残りの荷ほどきをしているヒロくんを眺めた。
「よし、これは兄さんの分、こっちは人に譲る分だよ」
「はァい」
ヒロくんが荷物の整理を終えて、おれの隣に来た。手には立派な桐の箱を抱えていた。高級な和菓子でもなかなか見ない箱だ。
「それは?」
ヒロくんがソファに座って、膝の上でそれを開けて見せてくれる。中から出てきたのは見事な織物だった。テーブルランナーとかに使っているのよりも、生地がしっかりしてて分厚いのがすぐに分かる。繊維もなんだか細かくキラキラして見える。
「それってもしかして、着物?」
「うん。立派な仕立物だね」
そう言ってヒロくんが大事そうに中身を取り出し、人を抱き上げるみたいに両手で広げて見せてくれた。見事に深い藍色で均等に染められた生地に、きめ細かな金の刺繍の縁取りが施された着物だった。呉服屋で売られていたらそれなりのお値段がしそうなくらい立派な物。素人のおれにも何となくそれが分かるくらい、とにかく良い品物だった。
ヒロくんはひととおりその着物を眺め、それとおれとを交互に見る。
「ねぇ藍良、いまこれを着てみない?」
「……言うと思った」
ヒロくんは時々、おれに故郷の民族衣装を着せたがる。部屋着にしている羽織り物もおれの分まで用意してくれてるから、時々着てあげている。肌着の上から羽織るだけの旅館の浴衣みたいなやつは、結構楽に着れるから頻繁に着ているんだけど、ヒロくんとおそろいで着ているとなんだか「夫婦」みたいで照れるので、素直に着るのはいつもちょっとだけ悔しい。着るたびにヒロくんが嬉しそうにするからいいんだけど。
でも今は、ヒロくんが今見せてくれているその着物を着てみたいという強い感情があった。それくらいその着物が綺麗だったから。
「着せてくれるなら着てあげる」
「もちろん」
おれは立ち上がりリビングの藍色のカーテンをなんとなく閉めてから、今着ている服を脱いだ。肌着だけの姿になって、襦袢を広げて待っているヒロくんの腕の中へと入ると、そのまま抱きしめられた。やると思った。
「ちょっとォ……」
「ふふ、ごめんね。嬉しくて」
「着せる前からデレデレじゃん……」
悪い気は全然しないから、布の中から顔を出してヒロくんの頬にちゅってキスをしてあげた。調子に乗ったヒロくんにもう一回強くぎゅっと抱きしめられてから、ようやく着付けの時間になった。
最初に身につけるのは薄手の絹のような素材でできた襦袢というもの。これはもう着方は知っているけど、ヒロくんに任せたほうが綺麗に着れるので全部お願いする。帯を巻いて貰うときとか、手つきが優しくてちょっとくすぐったいけど、最後にはぎゅっと締めてくれるから着心地よくまとまる。
「できたよ。……姿見を持ってくるね」
着せ終わると、ヒロくんは寝室にある大きな姿見を、わざわざリビングに持ってきてくれた。おれを鏡の前に連れて行かずに鏡のほうを持ってきた理由はすぐに分かった。リビングで姿見の前に立つと、壁のタペストリーやカーテンの色が、おれの衣装のちょうどいい背景になってくれていた。
この部屋に飾られているものが全部、この衣装のための撮影セットみたい。衣装と同じ藍色のバンダナみたいなのを巻いてもらって、ヒロくんが紋様を彫ったという短冊の形をした木彫りのピアスをつけてもらったら、異国の『お姫様』の完成だ。
「ふーん、我ながら似合ってるじゃん」
素直にそんな感想が出た。厚手の生地はどこを見ても均等な藍色。光を反射も吸収もしないくらい深く染まった青。帯や羽織り物の縁には気が遠くなるほど細かい刺繍が施されている。自分でも綺麗だと思った。おれに似合うように仕立てられているからか、ヒロくんが似合うように着せてくれたからか。多分両方だろうな。
「とても綺麗だよ、藍良」
おれも、背景も、全部があつらえたようにマッチしているから、ヒロくんだけがいつもの部屋着なのが逆に浮いている。マンションの一室があっという間にヒロくんの故郷になってしまった。ヒロくんが故郷のことを大事にしていることや、大好きなことを知っているから、おれがその一部になったみたいで嬉しかった。
「ひ、ヒロくんも着てよォ……。おれだけじゃまとまらないでしょ」
だからヒロくんも着替えて、横に並んで欲しい。そう言ったら、ヒロくんは早速自分の分の箱を開けて着替え始める。
自分で着るのが人に着せるより簡単なようで、手際よく着替えていった。人前で肌を見せることを躊躇っていたヒロくんも、仕事の現場で必要があるときは人に着替えを手伝ってもらうのにも慣れたみたいだけど、ここまで堂々と脱ぐのは家族やおれの前でだけ。それが嬉しくてちょっと優越感に浸ってしまう。筋肉の付き方もすごく綺麗で、古傷の痕の残る肌も色っぽい。そんな肌が布に隠されていくのは見ていて気持ちがいい。ヒロくんの着替えをこうして眺めるのが好き。だからついじっと見ていたらヒロくんが恥ずかしそうに視線で窘めてくる。ふふ、かわいい。
あっという間に『ヒロくん』から『一彩さま』になった。おれとおそろいの衣装に見えるけれどちょっとずつ違う。大粒の石がはまったイヤリングが揺れるのを見ていると、本物の王子様みたいだった。いや、厳密には本物なんだろうけど。
「ねえねえ、写真撮って皆に送ろォ」
ヒロくんの故郷から送られてきたおそろいの衣装。部屋の調度品が故郷のそれになって、鏡の前に並ぶと絵になって仕方が無い。おれの撮影欲がくすぐられた。でも、鏡のヒロくんがちょっとだけ困った顔をする。
「うん、いいけど」
「何? 気が進まなそう」
「そういう訳じゃ……でも」
ヒロくんの目が泳いでいる。
「でも?」
泳いでいた目がおれの視線とあった。何を言うか決まったみたいで、小さく息を吸う音が聞こえた。
「本当は誰にも見せたくないって言ったら、藍良は怒るかい?」
あまりに素直にそう言うからおれは拍子抜けしてしまって、ツッコミを入れることも照れることも忘れて、
「……怒らない」
思わず真顔でそう呟いていた。
「ふふ、よかった。でも写真は撮ろう」
ヒロくんがそう言って笑って、おれも時間差で照れる。ヒロくんがストレートに愛情表現をしてくれるのにはいつまで経っても慣れないな。ずっとドキドキしてたいから、慣れたくもないんだけど。
「写真、故郷の皆には送ってあげようねェ?」
「そうだね。仕立てた者にも礼をしないと」
そのヒロくんの言い回しからちょっとだけ『お育ち』が感じられて嬉しくなった。
おれたちは部屋の内装を背景にして何枚か写真を撮った。自撮りだと限界があるからタイマーも使って部屋全体も一緒に撮影してみる。
スマホの画面には、緋色と藍色の仕立てものたちに彩られたおれたちの部屋に、ふさわしい衣装を纏ったおれたちふたりがおさまっていた。どこをどう見ても綺麗。誰にも見せないってヒロくんは言ったけど、それはそれでもったいない気がした。
「ふふゥ、おれ、ヒロくんの『お嫁さん』も板についてきたんじゃない?」
「ああ。……僕は幸せだよ、藍良」
「もォ、大げさだなァ」
おれが冗談ぽく流そうとしても、ヒロくんがそうさせてくれない。目を細めてじっとおれを見つめてくる。
「大げさなんかじゃないよ。故郷を思い出す懐かしい品たちの中に、とびきり綺麗な着物を着た大好きな藍良がいるんだ。幸せすぎて、どうにかなりそうだよ」
本当に愛おしそうに、感情を全部視線に乗せて見つめてくるから、おれもすぐその雰囲気にのまれちゃう。
「そ、そんなこと言われたら恥ずかしいよォ……」
ヒロくんの手がおれの耳に触れてピアスを揺らす。そして、そのまま頬を撫でられた。これが「今からキスするよ」っていう合図になったのっていつからだっけ? もう身体が勝手に反応してすぐ目を閉じてしまう。
「ふふ、かわいい僕の藍良」
ヒロくんが満足そうに言うのが悔しいけど嬉しい。そして最初からそうすることが決まっていたみたいに、唇を重ねた。
大事に、丁寧に唇を押しつけられるから、お互いのそれの柔らかさがよく分かって恥ずかしい。いっそ深くと思って唇を少し開いたら、ヒロくんの舌が優しく中に入ってきた。
「ん……」
思わず喉のところで小さく声を出してしまった。その声に自分で煽られちゃって、ヒロくんの頬に添えた手で耳をくすぐった。ねえもっと、もっとヒロくんが欲しい。
「……藍良」
途中で短く名前を呼ばれて、また塞がれる。熱くて優しいキスがしばらく続いて、解放されるころには体温が上がってしまっていた。
「はぁ……」
だらしなく熱い息を吐いたら、ヒロくんに「ごめんね」と頬にキスをされた。身体が熱くて、心臓のあたりがきゅんってして止まらない。もっと愛して欲しくて、おれはヒロくんの首に両腕を回して、触れるだけのキスをした。
「ねェ、ヒロくん……」
「ん?」
「このまま、えっちしたい……」
「そ、それは駄目だよ」
「えぇ~」
まぁ、それもそうか。こんな立派な着物、汚しちゃったらまずいもんね。ふてくされたフリで尖らせた唇にまたキスをされて、おれは大人しくそれで我慢してやることにした。
「でも君がその気なら、僕がちゃんと脱がしてあげるよ」
「え」
どうやらヒロくんの方もちゃんとその気になってしまったらしい。ヒロくんはおれの羽織り物の中に手を入れておれの腰を撫でた。それからするりと帯が解かれる。
おれはそれから、おれの着物を脱がせてもらってからヒロくんに抱き上げられ、寝室に連れて行かれた。
そしてヒロくんが自分の着物を丁寧に脱ぐのを眺めながら、また抱きしめてもらえるまで、たっぷりじっくり焦らされてしまいました。
おわり