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    あんちょ@supe3kaeshi

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    8/5更新【うさぎ④】塾一彩とうさぎ藍良のパロディ小説。コンセプトバーで働く藍良と、彼目当てに通っちゃう学生の一彩くんのお話。二人とも大学生で成人済、飲酒表現あり。推し活編(?)スタートです。(8/5)Scene7追加しました。

    ◆◇今夜もウサギの夢をみる◆◇Scene6・7Scene6.偶然 ◆◇◆◇


     クリスマスも正月も、驚くほど何もなく過ぎた。
     冬期講習のバイトで忙しかったし、年末年始だからといって実家に帰る時間もなかった。
     少しだけ変わったのは、藍良がときどき僕と店の外で会ってくれるようになったこと。僕が来店した日に、藍良が早上がりだったらという条件つきだけれど、藍良がシフトを細かく教えてくれるようになったのでほぼ毎回、駅まで送らせてもらっている。
    「いやお前、それはいいように使われてんなァ」
     ダイニングテーブルをビールの缶で叩きながら兄が言った。友人の部屋を渡り歩いている兄が珍しく僕らの部屋に帰って来ているので、僕は晩酌に付き合っていた。覚悟はしていたけれど、藍良とのことを色々聞かれた。
     最近、店に行くたびに藍良と一緒に駅まで歩いていて、バーやファミレスに寄ることがあると伝えると、兄は楽しそうな複雑そうな難しい表情で僕の話を聞いていた。
    「それでも僕は楽しいよ」
    「まァそうだろうさ。……光栄なことだな」
    「え?」
    「藍ちゃんにとってお前は『切れてほしくない客』になったわけだ。おめでとさん」
     兄は本当に、僕に釘を刺すのが上手い。あくまで僕は客で、藍良が好意的なのは店に通い続けて欲しいから。それを説教臭くなく伝えてくるから反論もできない。
    「お前にできることは、店に通い続けて藍ちゃんの稼ぎになることだけだ」
     兄が置いたビールの缶がコン、と音を立てる。音で、それが空になったのが分かった。一本数百円のそれがゆっくりと並べられていく。
    「……分かってる」
    「まァでも、本気で落としたいならお兄ちゃん相談に乗ってやるから。……焦るなよ」
    「そ、そういうわけじゃ……」
    「じゃあどういうわけなんだ? お前は藍ちゃんに惚れてンだろ?」
    「……」
     何も言い返せないけれど、この場合黙ることは肯定だ。僕は、藍良のことが好きだ。
     プシュッ、と新しい缶が開けられる。兄がそれをこちらに傾けるので、僕は空いたグラスでそれを受け取った。
    「お兄ちゃんは弟くんを心配して言ってんだ」
    「うん、ありがとう兄さん」
     半分ずつに分けたビールを飲んで、テーブルの上の空き缶は四本になった。
     兄さんは僕より先に寝て、僕より先に起きて部屋を出て行った。


     冬期講習のバイトが終わると同時に、僕の大学の冬期休業も終わる。僕は冬休み最後の日に、明日からの授業の準備をすることにした。大学三年ももう終盤だ。単位は足りているけれど、いくつか興味のある授業を履修している僕は、休み明け早々1コマ目から授業がある。
     今日出かける先は本屋だ。足りない文具を買い足すついでに教授に勧められた本と、空き時間の暇つぶし用の本を買おう。
     なんとなく、藍良のいる店のある方面へと向かっていた。まだ昼だから彼のいる店は開いていないのに、何となく足が向いてしまった。あのあたりは便利な店が多いし、藍良と待ち合わせる時に時間をつぶすようになった本屋もある。
     今度また帰り道を一緒に歩ける時のため、寄り道のレパートリーを増やしておきたい。時間があったら駅周辺を散策してみるのもいい。

     会えるわけが無いという思いと、会えたらいいなという思いをちょっとずつ燻らせながら、僕は本屋へと入る。大抵の本なら見つかりそうな広い店内に高い本棚。狭い通路を沢山の本を乗せたワゴンが通る。
     閉店間際とは違って店内は賑わっていて店員さんも活発に動いていた。だから僕は必要な参考書を探すのを店員さんに手伝ってもらった。店の中央にある検索機を使うのは少しだけ苦手なのだ。
     必要な本や欲しい本を腕の上に積んで、セルフレジの列へと並ぶ。この後の計画を頭に巡らせながら、どれくらいで僕の順番が来るだろうかと前に並ぶ人たちをなんとなく数えた。
    「あ……」
     その姿を見つけると同時に、僕の体温が上がった。鳥の子色の髪。後ろ姿で帽子を被っているけれどもすぐに分かった。
     鼓動が早くなる。あれは藍良だ、と思うのと同時に僕はセルフレジの列を外れて出口のほうへと先回りした。
     会計を終えて、大事そうに本の入った袋を抱えて僕のいる出口へと向かってくる藍良。ポケットからスマホを取り出して目を伏せていた藍良は、僕が声をかけるとびくっと肩を飛び上がらせて顔を上げた。
    「え、ヒロくん!?」
     呼ばれ慣れた渾名だけれど、藍良に名前を呼ばれるのはそのたびに嬉しい。まさか本当に会えるなんて。藍良の表情がぱっと明るくなって、ポケットにスマホをしまい直す。
    「なんでここにいるのォ? 学校このへん?」
    「ううん。君や兄さんと飲む時以外このあたりに来ないから、たまにはこの辺で買い物しようかと思って」
     嘘はついていないが、ひょっとして藍良に会えるかもという思いがあったことは言わないでおいた。
    「大学で必要な本を買いに」
    「うわァ、真面目ェ」
     くすくすと笑う藍良。かわいい。これが営業としての笑顔なのかそうでないのか分からないけれど、僕に笑ってくれているのだから、どちらでもいい。
    「藍良は何を買ったの?」
    「これ? 雑誌」
    「そうなんだ」
     咄嗟に「何の雑誌?」と聞くのはしつこいだろうかという勘が働いて、僕は気の利かない返答をしてしまった。会話が途切れて、僕は少し焦る。店の出入口での立ち話の状態。何か言わないと、藍良が帰ってしまう。せっかく会えたのだから、どうにか話したい。
    「ねえ藍良。良かったらこの後ご飯でもどうかな。ご馳走するよ」
    「え? い、いいけど……」
     藍良は戸惑っている様子だったけれど、意外にも即答だった。
    「ありがとう。じゃあこれ買ってくるから待っていて」
     僕は藍良に店の出口で待ってもらって、もう一度レジの列に並びなおした。


     思いがけず藍良に会えた嬉しさで、僕は頭の中で今日に関わるあらゆることに感謝した。今日塾のバイトが休みなことも、冬休み最終日で今日買い物をするしか無かったことも、わざわざ少し遠い駅まで足を伸ばしたことも、最初に本屋に入ったことも、全部だ。
     藍良に何を食べたいか聞いたら、少し考えた後にこう答えた。
    「ファミレスでもいい?」
    「もちろん。藍良の食べたいものを食べよう」
    「今日は自分のぶんは自分で払う」
     藍良が少し強い口調でそう言った。いつもの僕ならここで食い下がって、意地でも奢らせてもらおうとしたかもしれないが、藍良はお店とは関係ないところで僕に借りを作りたくないのだろうと思い至ることができた。冷静に、思い上がらないように。兄に言われたことを頭の中で反芻する。
     藍良に予定にない出費をさせるのは申し訳なかったけれど、それでも僕との食事を受け入れてくれたのが嬉しかった。

     藍良が選んだのは、夜に二人で入ったこともあるファミリーレストラン。藍良は学校が終わってからお店に入るまでの時間、ここで腹ごしらえをしたり、大学の課題をしたりして過ごしているらしい。
     明るいファミリーレストランの店内。家族連れやカップル、高校生のグループなどが作り出す昼間の喧噪。日の光を感じられる時間と空間で藍良と向かい合っていることに、僕は内心で舞い上がっていた。
     料理を注文して、僕はドリンクバーで藍良の分も飲み物を注ぐ。藍良のリクエストはメロンソーダ。いつもは僕に合わせてレモンサワーやレモンスカッシュを飲んでくれているから、本当は何が好きなのかを知りたいと思った。メロンソーダ、好きなのかな。
     僕は自分のグラスにも同じものを注いだ。
    「藍良の大学はこのあたりなの?」
    「ううん。ここからだと結構遠い。家から遠い店、選んだから」
     大学の人に店のことがバレないように、また店の常連に大学がバレないように、買い物はいつもこのあたりで済ませるらしい。賢明だ。当然だが、僕はそれ以上藍良の大学については聞かなかった。
     藍良が注文したカルボナーラと、僕が注文したオムライスが届く。「お好みでどうぞ」とケチャップのミニボトルが置かれたので、藍良が「おれにやらせて」とケチャップで何か描いてくれた。
    「見て、ラブ~い!」
     そう言って藍良が見せてくれたのは、ケチャップでオムライスに描かれた眼鏡のイラストと「ヒロくん♡」の文字。僕の心が痺れたみたいに高鳴る。なんてことを。
    「こ、こんなに上手に描いてもらったら、もったいなくて食べられないよ」
     はしゃいでいる藍良も、僕のことを描いてくれたことも、全部が可愛くてどうしたらいいか分からない。
    「写真にでも撮ってさっさと食べなよォ」
     喜んでくれて嬉しいけどさ、と藍良が笑う。僕は鞄からスマホを取り出して、藍良が描いてくれたイラストをフレームに収める。
    「藍良も一緒に撮っていいかな」
    「写真は有料でーす」
    「も、もちろん払うよ!」
    「冗談だってば!」
     また、藍良が笑ってくれた。そうだ、藍良と僕はあくまでキャストとその客。こうしてプライベートで食事をしているからといって、特別な関係なんかじゃない。でもこの状況、浮かれるなというほうが無理じゃないか。
    「しょうがないなァ、誰にも見せないでよね」
     呆れたように優しく笑って、藍良が僕のオムライスを両手で持ってこちらを見る。かわいらしく首をかしげて笑う藍良を、僕は自分のスマホのカメラに収めた。

     食事のあとはしばらく雑談をした。食べ終わってすぐに解散にならなくて少しほっとしていた。食事を共にすることを快諾してくれたこと、急かされないこと、用事が済んでも一緒にいてくれることなどから、迷惑がられてはいないことが分かって安心した。誘っておいてこう思うのは図々しいかもしれないのだけれど。
     店で色々な話をしているから、まだ話したことのない話題を探すのに苦労する。なるべく一緒にたいから藍良を引き止める話題を探して、藍良の席に立てかけてある本屋の袋が目に付いた。
    「どんな雑誌を買ったのか聞いてもいい?」
    「気になる?」
     二杯目にアップルジュースを選んだ藍良は、ストローから唇を離していたずらっぽく笑う。
    「うん。君の好きな物のことなら知りたいな」
     僕が頷くと、藍良が雑誌の入った袋を持って僕の隣に移動する。思わず奥に詰める。藍良が触れそうな距離に肩を寄せて、雑誌を広げて見せてくれた。
     それはいわゆるエンタメ情報雑誌。テレビ番組や音楽、映画、タレントなどの特集が載っているものだ。僕にとっては馴染みのない分野のものだ。表紙以外を見るのは初めてかもしれない。
    「ヒロくんになら教えてもいいかなァ」
     雑誌をめくる藍良の手が、あるページで止まった。そこには僕たちと同じくらいの年齢の男子が四人、煌びやかな衣装を身に纏って大きく載っていた。「新曲がチャート1位に」「ライブツアー開催決定」など景気のいい言葉が並んでいる。
    「おれの推しアイドル」
    「アイドルって、テレビとかで歌ったり踊ったりしてる……」
    「それ以外に何があるのォ?」
    「いや、ごめん驚いてしまって。藍良に『推し』がいるのはなんとなく知っていたけど……彼らが好きなの?」
     藍良から今まで聞いた話を総合して、藍良が『推し活』のために時給の良いコンセプトバーで働いていることは掴んでいた。その『推し』が誰なのかようやく分かった。藍良のトークアプリのプロフィール欄の写真は、どこかのライブ会場で撮った写真なのだと今更気づく。
    「そうそう! 歌もダンスも上手くて、カッコよくて、ほんとラブいの!」
     藍良が同じページを開いたまま饒舌に語る。彼らのこれまでの活躍、それぞれがどんな性格をしているか、好きな曲やエピソード、今日の夜の歌番組にも出演することなどなど。
     僕は途中から、雑誌の写真じゃなくて藍良の横顔を見ていた。好きな物について語る藍良はとても楽しそうで、きらきらしていた。本当に大好きなんだなあと、見せつけられた。
     藍良の大好きなものを教えてもらえた喜びと少しの嫉妬が心地よく襲ってくる。目と鼻の間が、つんと熱くなった。
    「ねェ、聞いてる?」
    「ご、ごめん!」
     途中から内容が頭に入ってきていない自覚はあったから、咄嗟に謝ってしまった。藍良の解説を受け取る能力が僕に足りていないのは事実だが、僕は藍良の話す内容よりもその姿に見惚れていた。
    「君があまりにも楽しそうに話すから、つい……」
     その横顔を見つめてしまっていた。そこまでは言葉にできなかったけれど、視線で伝わってしまったらしい。
     藍良はかぁっと赤くなってそっぽを向いてしまった。その仕草もかわいいと思ってしまうのだから僕はどうしようもない。至近距離で目が合うと、藍良の瞳が輝いているのがより分かってしまうから。
    「まァ、おれがオタクの早口で語っちゃったのも悪いけどォ」
    「大好きなのは伝わったよ」
    「そォ……?」
     藍良が少し恥ずかしそうにしている。沢山語ってしまった反動がきているのだろうか。普段は見られない藍良の表情が沢山見れて、今日はなんて良い日なんだろうと思う。
    「藍良の好きな物、ずっと知りたかった。教えてくれてありがとう」
    「そ、それならいいけどォ……」
     藍良が雑誌を持って向かいの席に戻る。すぐ隣にあった体温が離れてしまったのは少し残念だけれど、ボックス席の片側にくっついて座っていると目立つし、僕もソファの真ん中に座りなおした。
     藍良が何やら手早くスマホをいじって、直後に僕のスマホの通知が連続で数回鳴った。確認すると、それらは藍良から送られてきたアイドルの公式ホームページやミュージックビデオの動画のURLだった。
     顔を上げて藍良の顔を見ると、藍良が小さく舌を見せて笑う。

    「今度お店に来るときまでに、勉強しておいてねェ」

     僕はその日、藍良が買ったものと同じ雑誌を買って帰った。



    Scene7.カルーアミルク ◆◇◆◇


     藍良の好きなアイドルを教えてもらってから、藍良と話す時の話題も増えた。昨日の歌番組は見たかとか、今度何が発売するだとか、藍良から連絡してくれることも増えた。
     僕は、藍良から共有される情報は欠かさずチェックして勉強した。塾の生徒の中にも同じアイドルを好きな子がいて、それをきっかけに僕に懐いてくれることもあった。
     藍良の「推し」を知るために見始めたエンタメ情報番組。そのついでに仕入れる様々な情報が、意外なところで誰かとの話題づくりに役立つことがあった。
     大学やバイト先での交流が少し深いものになって、アイドルとは、エンターテイメントとはすごいなと思った。
     そうして外から仕入れた情報や話題のおかげで、店での話題にも事欠かなくなった。藍良が楽しそうに聞いてくれている時の表情を見るたび、大好きな趣味を共有してもらえたことを喜ばしく思う。

    「いらっしゃいませ、一彩様」
     今日は店の入り口に、水色の髪の背の高いウサギが立っていた。藍良が着ているかわいらしいデザインのものとは違う、すらりとした燕尾服のようなデザインの衣装。この店はキャストそれぞれに自身に似合う衣装をあてがわれているのだなと、今更ながら感心した。それと同時に、自分がいかに藍良のことしか見ていなかったのかを自覚して気恥ずかしくなる。
    「こんばんは。いつも兄さんがお世話に……」
    「いえいえ。お兄様に通っていただいているのはこちらのほうです。それに、今はお兄様よりもあなたのほうが常連さんですよ」
     僕は苦笑いと照れが混ざったような変な笑い方をしてしまった。この店の他のキャストにも顔を覚えられているようで、店内ですれ違うと「『あいら』くんのお客様ですよね」と挨拶をされる。
    「『あいら』は今、前の予約のお客様が少し押していて遅れますので、『ひめる』に案内させて下さい」
     さあこちらへ、と優美な仕草で店内へと誘う『ひめる』さん。「ヒロくんいらっしゃい!」とフリルのついたしっぽを揺らしながら僕の手を引く藍良とは、ずいぶん雰囲気の違う接客だなと思った。

     席に案内され、十分ほど待って藍良が現れた。最近は私服姿も見慣れたけれど、お店の衣装の姿は藍良の「かわいい」が強調されていい。フリルたっぷりの黒いミニドレスをふわりと翻して、僕の隣に座る。
     出会った場所がここだから、私服姿のほうが特別に感じるけれど、本来はここでしか見られないウサギ姿の藍良が特別なんだと気づいた。初めて藍良を見た時のような心臓の高鳴りがまたぶり返す。
    「ヒロくんごめんねェ、お待たせ。前のお客さんが延長するって言って、説得するのに手間取っちゃってェ」
     ヒロくんはラストだからゆっくりできるからね、と言って藍良が持ってきたレモンサワーを手渡してくれる。座る位置がずいぶん近くて、下手に動いたら触れてしまいそうだ。この店では客からの過度なスキンシップは禁止。どこからが「過度」になるのか分からないから、僕からは触れないように気を付けているのだけれど、最近は藍良のほうから遠慮なく触れてくるので気が気じゃない。
    「藍良指名のお客さんが来ていたの?」
    「うん。最近たくさん指名もらえるようになったんだよォ」
     藍良を指名して予約する際に、この日は空いているとかいないとか言われることが増えて、藍良に僕以外の常連客がついていることは何となく知っていた。
     けれどこうして実際に待たされてみて、他の客の存在を感じると心がざわつく。
    「そ、そうなんだ……」
     下手な相槌しかできずに思わず目を逸らすと、藍良が嬉しそうに僕の視線を追いかけてくる。
    「もしかして妬いてる?」
    「そ、それは……当たり前だよ」
    「大丈夫」
     藍良が僕の至近距離に顔を寄せて来て、手を添えて耳打ちする。
    「シフト細かく教えたり、一緒に帰ったりするのはヒロくんだけだから」
     手のひらでこもった声と、耳をくすぐる吐息に僕の心臓は一気に跳ね上がってしまう。乾杯のために手に取ったグラスがやけに冷たく感じた。
    「ヒロくん顔真っ赤。かわいい」
    「か、からかわないで欲しいよ……」
     僕の心はとっくに、藍良に見透かされているんだろう。このお店の思うツボだって、藍良の手のひらの上だって、頭では解っているのに、心が判ってくれない。

     その日は藍良のシフトの時間いっぱいまで二時間ほど過ごした。僕は藍良の売上に貢献しようと、少し奮発して酒を注文する。いつもは僕の好きなレモンサワーばかりだから、藍良に好きな物を注文してもらった。藍良が選んだのはカシスオレンジ。「定番だよね。でも一番好きなんだァ」と言って藍良は笑っていた。赤から黄色への鮮やかなグラデーションが綺麗で、藍良と並ぶと絵になった。
     店を出た僕は、一番近くにあるコンビニに入る。ホットコーヒーをテイクアウトして店先で待つこと十数分。私服に着替えた藍良が来てくれた。
    「またまたお待たせェ」
     お店が終わった後一緒に帰るのも、もう当たり前の習慣になっていた。
    「待って藍良。藍良の分もコーヒーを買ってくるよ」
     僕は、まだ半分ほど残っているコーヒーを飲み干したいのと、少しでも藍良と一緒にいる時間を長くしたいという下心でそう提案した。
    「え、いいよォ」
    「でも」
    「じゃあソレちょうだい」
    「え、これ?」
     言うが否や、藍良は僕の手からコーヒーをひょいと取り上げると、僕が今の今まで飲んでいたそれを躊躇わずに一口飲んだ。両手で持ったそれを傾けて、藍良の喉がこくっと鳴る。ほっと息をついた藍良が、安心したように笑った。
    「あったかくて美味しい~! はい、ありがと」
     返されたコーヒーカップを見て、藍良に視線を戻すと今度は悪戯っぽく口角を上げている。この表情は確信犯だ。僕はいちいち狼狽える自分が情けなくて、悔しくて、その場で残ったコーヒーをすべて飲み干した。

    「じゃあ行こ、ヒロくん!」
     藍良が僕の手をとって、帰り道へと誘導する。空気が冷たくて寒いので藍良の手のひらの温度と柔らかさをより意識する。時刻はすでに23時を回っているから、今日は寄り道は無しでまっすぐ駅へと向かう。いつもなら物足りないと思うところだけれど、今夜はいっぱいいっぱいだった。
     常連の指名客が増えたという藍良の話が、ずっと頭に残っている。藍良は僕だけが特別だと言ってくれたけれど、あくまでそれは「客」としての話。僕がお店に通ってお金を払わなくなったらこの関係は終わり。
     藍良はきっと、僕がお客さんで居続けるように適度に相手をしてくれているだけ。藍良から手を握ってくれたり、触れてくれたりするからといって、僕の方から触れて良いことにはならない。
     帰り道、藍良が楽しそうに好きなアイドルの話をする。お店で話す時は僕の話したい事や聞きたいことを優先してくれるけれど、帰り道ではずっと藍良が喋っている。
     僕はにこにこと話している藍良の横顔を遠慮なく眺められるこの時間が好きだ。夜の街明かりが逆光になってもキラキラして見えるまつ毛も、ネオンに照らされて虹色に輝く瞳も全部が綺麗で可愛らしくて、僕はたびたび藍良が話している内容が頭に入ってこなくなっていた。
    「はいこれ、あげる」
     駅での別れ際、藍良がバッグの中から一枚のCDを取り出した。受け取ってよく見ると、それは藍良が推しているアイドルグループのアルバムだった。確か最近発売したばかりの、ファーストアルバムというやつだ。


     帰宅してすぐ、僕は藍良にメッセージを送る。お互いに無事に家に着いたかの確認と、今日のお礼と、次の約束のためだ。
     今日は、帰り際にもらったアルバムについてのお礼を付け加える。アルバムという決して安くはないものをプレゼントしてくれたことに驚いたけれど、よくよく話を聞いてみたら、ライブのチケットに応募するためのチケットというものが入っているらしく、そのために三枚購入したのだそうだ。
     応募できるのは1名義につき1回だそうなので、自分と母親と父親で三枚応募したのだと説明してくれた。つまり、藍良の家には同じアルバムがあと二枚あるということ。ようするに余っているものを僕にくれただけなのだが、それでも僕は嬉しかった。このアルバムを聴いて、藍良の大好きなもののことをよく知って、藍良に話したいと思ってもらえるような話し相手になろうと思う。
     藍良から「おれも家に着いた。今日もありがと。絶対アルバムの感想聞かせてね! いつでも連絡してね!」と返信が届く。いつでも連絡してね、という何気ない一言に素直に高揚する僕の心を、自分でも単純なやつだと思う。
     藍良からの返信を確認した手癖でSNSのアプリを開いて、藍良の投稿を確認する。藍良は夜中に、今日の仕事の感想やお礼を投稿していることが多いから、帰宅後や寝る前には必ずチェックしているのだ。

    『今日もご指名ありがとォ! お客さんと色んなお話できるの楽しい。『あいら』の知らないこと、いっぱい教えてねェ!』

     店内で撮影された自撮りの写真。今日の衣装とともに客を喜ばせるようなコメントを添えて、たった今投稿されていた。僕はその投稿に迷わず「いいね」ボタンを押す。「いいね」されている数も、前に比べて随分増えているように見えた。人気が出るのは喜ばしいことだけれど、僕としては当然複雑だ。
     藍良の投稿にいくつか返信がついていたので、僕は流れでそれをチェックする。「今日もかわいかった」「今度指名しようかな」という短い投稿が連なるなか、長文の返信が目に留まる。

    『『あいら』ちゃん、今日もとても楽しかったよ。カルーアミルク、美味しそうに、飲んでいたね。『あいら』ちゃんはミルクが好きなのかな? 今度また、指名するからね。就活の相談にも、乗るからね。それでは、オヤスミナサイ』

     僕は絵文字だらけのその返信を見て、思わず眉間に力を入れてしまう。ぞわぞわと背筋が冷える代わりに顔がかっと熱くなるような妙な感覚。僕はおそるおそるそのアカウントのアイコンをタップする。
     プロフィール画面には、海を背景に撮影された車の写真。自己紹介文には『美味い酒と美味い飯が好き。人間は食べたものでできている! 良いものを取り入れれば、良い自分になれるのです。趣味の合う人と繋がりたい40代の男(年齢より若く見られます)』という何とも言えない文章が綴られていた。
     画面をスクロールして、その男の投稿を見てみた。

    『可愛かったなぁ。キミの笑顔に、癒されっぱなしだったよ』

    『美味しい、カルーアミルクの情報を、仕入れないと。知り合いに、バー経営してるやついるから、聞いてみるか』

    『次は、いつ会えるかな。お仕事、がんばれるね』

     読み進めるたびに背筋がざわつくので、僕は薄目で一通りスクロールして画面を閉じた。
     多分、僕の前に藍良のことを指名していたのはこの男だろう。随分年上のようだけれど、藍良はこういう人が好きなのだろうか。いや、店のキャストはお客さんの指名を断れない。変なお客さんに当たってしまったのかな。
     ……待て、そもそも僕が変なお客さんだと決めつけるのは良くないだろう。僕だって藍良に本当はどう思われているのか分からないのに。
     僕は溜め息をついた。今日は兄さんは帰って来ていなくて誰も居ないから、遠慮なく、深いため息をついた。風呂に入ってさっさと寝てしまおう。
     藍良にもらったアルバムを聴きながら、今まで藍良と一緒に撮った写真を眺めながら。

     藍良はカシスオレンジが一番好きだと言っていた。
     本当のことを教えてもらっているのは僕のほうだと、信じている。



    つづく
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    あんちょ@supe3kaeshi

    DONE【うさぎ⑥】塾一彩とうさぎ藍良のパロディ小説。コンセプトバーで働く藍良と、彼目当てに通っちゃう学生の一彩くんのお話。今回は藍良視点。◆◇◆◇9/10追記
    ◆◇今夜もウサギの夢をみる◆◇ Scene.10Scene10. ウサギの独白 ◆◇◆◇


     おれは、アイドルが好きだ。これまでもずっと好きだった。
     小さいころ、テレビの向こうで歌って踊る彼らを見て虜になった。
     子どものおれは歌番組に登場するアイドルたちを見境なく満遍なくチェックして、ノートにびっしりそれぞれの好きなところ、良いところ、プロフィールや歌詞などを書き溜めていった。
     小学校のクラスメイトは皆、カードゲームやシールを集めて、プリントの裏にモンスターの絵を描いて喜んでいたけれど、同じようにおれは、ノートを自作の「アイドル図鑑」にしていた。
     中学生になると好みやこだわりが出てきて、好きなアイドルグループや推しができるようになった。
     高校生になってアルバイトが出来るようになると、アイドルのグッズやアルバム、ライブの円盤を購入できるようになった。アイドルのことを知るたび、お金で買えるものが増えるたび、実際に彼らをこの目で見たいと思うようになった。ライブの現場に行ってサイリウムを振りたい、そう思うようになった。
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