「凪!! おせーよ!」
凪の名前を聞いて、ぴくりと肩を揺らした。開始時刻から一時間は経とうかというところで、凪がやってきたらしい。俺は座敷の端っこで、同じテーブルに座るメンバーの声に耳を傾けた。気持ち、体を縮こませる。幸いにして、凪は俺のところへ来ることなく、潔たちがいるテーブルへと引きずり込まれた。
「彼、来たみたいだけどいいの?」
「……彼ってなんだよ」
「とぼけんなや。あの面倒臭がり屋の天才クン」
いつもべったりやん、と烏が言う。それには周りにいた氷織や雪宮たちも同調して、飼い主とワンコみたいだよね、と茶化した。どっちかっていうとヤドカリとかカタツムリの殻やない? なんて言われて想像する。確かに、俺におんぶされてるときの凪はそんな感じかもしれない。
「あっち、いかんでえぇの?」
「いい。酔ったアイツとは絡みたくねーもん」
「彼、そんなに酒癖、悪かったっけ?」
「いや、悪くはねぇけど……」
とにかく、酔っ払った凪には近付きたくないのだと伝える。それよりも、さっきの話を聞かせてくれと続きを促したら、そうだった、と話が移り変わった。
このメンバーといると、凪と一緒にいるときには出来ない話で盛り上がるからちょっと楽しい。凪は、俺がこっちのテーブルにいると、いつもじめっとした冷たい視線を投げてくるけれど。
「で、出店場所に悩んでるんだけど、何処がいいと思う?」
「…………」
「おーい」
「…………」
トントンとテーブルを指で弾かれて、ハッと顔を上げる。全員が俺の方を見ていた。
「あー……ごめん、なに? 聞いてなかった」
「もー、また最初からやん」
「ちょっと酔ってる?」
「お水、飲んどいたほうがええで」
顔、赤いもん。と、水を差し出される。全員、面倒見がよいタイプなので、このテーブルにいる間は甘やかされている気がする。それに対してちょっとだけムズムズとした気持ちを覚えながらも、軽く水を飲んでから席を立った。
「ちょっとトイレ行くわ」
「大丈夫? 着いてこか?」
「一人で行ける?」
最後まで面倒を見ようとする彼等に苦笑いを零す。俺は大丈夫だと返すと、足先に靴を引っ掛けてトイレに逃げ込んだ。暫くして、誰かがトイレに入ってきたのが靴音で分かって余計に出られなくなる。
俺のあとを追いかけてくる人間なんてひとりだ。アイツに決まっている。
「レオ、いるんでしょ? 大丈夫?」
案の定というべきか、凪に扉をノックされる。その音が次第に大きくなっていった。倒れてない? 気持ち悪くない? 生きてる? と、凪が切羽詰まった声で言うから、ちょっとだけ申し訳ない気持ちになる。
でも俺は、この前のことを忘れてはいないのだ。此処を出たらどうなるのか、分かっているから出られない。
「レオがその気なら……」
凪が強く扉を押す。押したり引いたり、鍵の出っ張りを壊さん勢いで圧を掛けるから、それには俺も焦って扉を開けた。
「馬鹿、壊そうとするな!」
「だって……」
レオが出てこないから……と言って、凪が俺の腕を引っ張る。
凪は、この短時間でたくさん飲まされたのか、ほんの少しだけ頬が赤かった。凪は特別酒に弱いわけでも強いわけでもない。表情は変わらないけれど、元々肌が白いせいかアルコールを入れると朱が差したように赤くなる。だから、みんな面白がって凪に酒を飲ませようとする。おまけに、俺たちのやり取りまで面白がっているからたちが悪い。凪が甘えん坊になって、俺にべったりになるのを見て、いつものやつか〜〜と笑って楽しむのがセットになっているのだ。
だから、嫌だった。酔っ払った凪の隣に座るのは。それに、
「れーお」
ふーっと耳に息を吹きかけられる。いつもよりふにゃりとした声に、俺はビクッと肩を跳ね上げた。
「逃げないでよ」
「逃げてねぇ……」
「嘘。逃げてる」
熱に浮かされた声が鼓膜を揺さぶる。そのときの声が、ちょっとだけ、あのときの声に似ている。俺を抱いているときの声に。
「お前、ちょっと離れろ……!」
「なんで? いつもはもっとくっついてるじゃん」
「お前が勝手にくっついてくるんだろ! そのせいで、俺たち見世物になってんだからな!」
「うん、そーだね」
今度は逃げられないようにぎゅうっと体を抱き締められる。わざとなのか、耳たぶに、ちゅ、ちゅ、と音を立てるようなキスをしながら名前を呼ばれた。
「レオ」
「ほんとに、やめっ……、ひッ!」
ぐにっと尻たぶを揉まれて、悲鳴じみた声が出た。それに気をよくした凪が、何度も耳元で俺の名前を呼ぶ。
俺が、凪の声に弱いことを知っているのだ。だから、こんなことをする。
「凪、もう、」
「レオって俺の声、好きだよね」
ぢゅうっ、と耳の裏を吸われる。誰か来るかもしれないのに、と焦る気持ちとは裏腹に、凪の熱っぽい声に染められて足から力が抜けた。ぐずぐずにベッドの上で甘やかしてくれる凪を想像して、湿っぽい息が零れる。
「ねぇ、レオ。このまま抜け出す?」
「……抜け出さねぇ」
「なんで? レオ、俺が酔ったときの声、好きでしょ?」
「別に好きじゃ、」
「嘘ばっか。えっちのときの俺を思い出してるくせに」
気付いてないとでも思ってるの、と凪がいつもより楽しそうな声で囁く。トドメとばかりに「いっぱい気持ちいいことしよーね」と言われて、俺はその声に今日も抗えなかった。