藤堂くんは鈍感だ。全然、分かってない。どうして俺がメガネをかけずに登校してきているのか、気付いていないのだ。おまけに「なんでメガネやめたん?」なんて聞いてくる始末である。だから言ってやりたい。君のためにメガネをやめたんですよ、と。そんなことは、口が裂けても言えないけど。
「まぁ、気分ですかねぇ……」
いつもの帰り道、とうとう藤堂くんが俺のメガネについて問うてきた。三日前ぐらいから伊達メガネをかけてないというのに、指摘するのが遅すぎる。声をかけるなら初日からにして欲しい。この三日間、居心地の悪い一日を過ごす羽目になってしまったではないか。
俺はメガネのフレームを指で押し上げようとして、そうだった、メガネかけてないんだった……と、空振りしてから気付いた。
「……あと、夏場はどうしても汗が溜まるんですよね。だから、暫くはかけないままでいようかと」
そう言ったら、藤堂くんが露骨に嫌そうな顔をしてきた。なんでそんなに顔を顰めるんです? と聞きたいけど、お前の顔が好きじゃないと言われたら凹むから聞けない。まぁ、藤堂くんはそんなことは言わなそうだけど。むしろ、俺自身ですらあまり好きではないこの顔を好ましく思っていることは知っている。
昔、藤堂くんの前でメガネを外したとき、可愛らしい顔してんな、と言われたことがある。それから暫くはしつこくメガネを外しているときの顔を覗き込んできた。だから、嫌いではないことは把握済み。だからこそ、嫌そうな顔をされるのは予想外だった。
「……なんです? メガネがない顔は変ですか?」
「いや、そーいうわけじゃねェけど……。ちょっと、落ち着かないっていうか……」
「じゃあ、なんですか?」
もうすぐ別れ道に差し掛かるというところで、藤堂くんのブレザーを掴む。ほとんど藤堂くんを自分の方に引き寄せていた。藤堂くんの顔をそっと見上げる。
ちょうど、一週間前と同じシチュエーションだった。あのときは練習前の部室だったけれど、藤堂くんが落とした制汗剤の蓋を互いに拾い上げようとしたら、見つめ合う格好になってしまった。
そのとき僅かに沈黙が落ちて、藤堂くんの顔が近付いた。あっ、キスされる、と思った瞬間、カチャッとメガネのフレームが鳴った。変に近付きすぎて藤堂くんの顔とぶつかったのだ。
そうなると壊れた空気は元に戻せないもので、お互い無言のまま暫し見つめ合ってしまった。すぐに遅れてやってきた部員たちが入ってきて事なきを得たが、その日の夜から俺は藤堂くんとキスすることばかり考えている。
藤堂くんとは少し前に付き合いだしたが、まだ手を繋ぐとかキスをするとか、そういった接触が一切できていない。お互い童貞だし、残念ながら恋愛ごとには疎い方だ。特に藤堂くんなんか、何も考えてなさそうである。だから、俺がお膳立てしてあげないと。手始めにキスしやすいように、暫くメガネは外しておいてあげましょうかね、と思っていたらこれだ。ここまでしても、藤堂くんは退くだけだった。
「ちょっと、なんで逃げるんです?」
「逃げてねェわ!!」
「嘘つき。俺の顔、見ようとしないじゃないですか」
「ダアアアーーーー!! もう頼むから、勘弁してくれ……」
藤堂くんが手で顔を覆いながら必死に横へと逸らす。だけど逃げられると追いかけたくなるもので、左右に首を振る藤堂くんの顔を覗き込むように追いかけた。いい加減にしろよ、てめェ……と凄まれてもちっとも怖くない。
「そんなに逃げないでくださいよ」
「だからッ! そんな寄ってくんな!! こっちの気も知らねェくせに」
「ハァ!? むしろ、こっちの気持ちを知らないのは藤堂くんでしょう!! 俺はキスしやすいようにって、メ、ガネ……を…………」
途中からとんでもないことを口走ったことに気付いて、ハッと息を飲み込む。
藤堂くんはぽかーんと口を開いたのち、にんまりと口角を上げた。
「なに? もしかして俺、めちゃくちゃ千早に誘われてた?」
「ち、ちが……」
「へぇ、なるほど。そんなに俺とキスしたかったんか」
「違います!! そんなんじゃないです!!」
「よかったなァ、千早。まんまと乗せられてたわ」
メガネないから、ずっとキスしやすそうだなーってお前のこと見てた。と、藤堂くんが楽しそうに暴露してきて、俺は逃げる間もなく藤堂くんに捕まってしまった。