猫は喜び庭駈けまはる ぎしりと畳の上を歩く足音がした後、しゃっとカーテンを勢いよく開く音と共に、寝室に柔らかい乳白色の光が射し込んできた。尾形だ。
佐一、起きろ。
んー。
起、き、ろ。
被っていた布団を捲ると前髪を退けて、尾形が眠っている人の額に顎を押しつけてごりごり擦り付けてくるという嫌がらせのような起こし方をしてくる。朝の髭は短く新しく生えたばかりのものが混ざっていて、夜に触れる時よりもちくちくとして痛い。じょりじょりと音がしている気すらする。これをしたら絶対起きると解っていてやるのだ。独特すぎて、ふふふ、と目を閉じたまま笑ってしまった。ここで一緒に暮らしているうちに性格も以前より穏やかに丸くなってきたと思うが、時々、こういう変なことをしてくる。
おい、今、笑っただろ。もう起きているんだろ。見ろ。目を開けろ。
重たい目蓋を上げる。眩しさに目を細めてそれに慣れたと思うと、至近距離で覗き込んでいる尾形の顔が見えた。パジャマの上に俺のやったカーディガンを羽織っていて、今度はごりっと頬擦りをしてくる。それもまた髭が痛い。
んもう、お前、その起こし方は止めろって。
こうしたら絶対起きるだろ。良いから、そんなこともより布団から出て、ほら、早くお前もこっちに来て窓の外を見てみろ。
そう云って立ち上がって手招きをする。薪ストーブに火を入れてくれたのだろう。部屋の中の空気は暖かく、それがまた微睡みを連れてくる。目を擦って尾形の嬉々としている背中を見つめた。
なんだお前、今日は朝からご機嫌さんだな。
雪が降った。しかも積もった。
まじか。昨夜凄え寒かったもんな。
佐一、外に見に行くぞ。
飯食ったら行こうか。
誰かが俺達より先に足跡をつける前に行きたい。
未だ早いよ、町じゃねえんだから急がなくて大丈夫だって。それに一昨日まで白炭を焼いていたからもうちょっとこうしていたい。百之助も布団の中に戻っておいでよ。可愛がってあげる。一緒にぬくぬくしよう。
今日は百も起きている。
えっ、なんで、雪が降ったからか。
そうだな。子どもみたいな声がする。ちっこくなっているな。うずうずしてやがる。
百も外で遊びたいってか。
そう。
二対一か。
そう、だから、お前の負けだ。準備しろ。
逆光の中、勝ち誇った顔をして尾形が微笑む。そこに笑った百の顔も重なって見えて、起きるしかないか、と諦めて布団から這い出ることにした。
真っ白だな。
家の外に出た尾形が寒さに頬と鼻と耳を赤らめながらも満足そうに呟く。短く刈り上げている襟足を見て、いの一番にマフラーをぐるぐる巻きにしてやった。手を差し出されて繋ぐ。互いに手袋をしているので繋いでいるという感覚が鈍い。辺りはまだ薄暗く、朝飯前の散歩なので炭窯まで行って帰ってくることにした。ついでに炭窯の様子も見られる。
水分を多く含んだ雪のようで、長靴で踏み締める度にざくざくと音がした。はぁ、はぁ、と静かに二人の息が白く昇る。足元は色違いの長靴だ。積雪は脹ら脛が埋まる程あり、雪の侵入を防ぐのに履き口にあるドローコードをきつく引いてきた。山を歩いている時の百のように尾形が前や後ろや上や下や遠く近くを見ては、溜め息をつく。
はぁ、どこまでも白い。
炭窯の前まで来るとまた尾形が嬉しそうに呟くので、今度は、な、と頷いてやった。窯を覆っている屋根は大丈夫そうだ。もう春も間近だというのに名残り雪だろうか。この辺りは山地にしてはあまり降らない方だし、尾形が来た頃には殆ど冬の雪は解けてなくなっていたというのに、今頃にこんな積もる程降るとは珍しい。
雪は苦手だ。喜んでいる尾形には悪いが、この冬は雪が少なくて良かったと思っている。積もった雪を見ると未だ少し胸が少し痛む。あの女の人が履いていた赤い長靴が脳裏に浮かんできてしまう。それをこびりついているという言い方をするのは失礼か。そんなことを考えながら繋いでいない方の手をダウンジャケットのポケットにつっこみ、尾形の横顔を見つめた。秋に計算して前もって用意しているとはいえ、こうして雪が降り積もると、残り少なくなってきた家や炭窯で使う薪や原木は足りるだろうかと不安になってしまう。雪は、だからどうしても少し憂鬱になる。
佐一、今日は午前中いっぱい遊ぶぞ。
尾形がこちらを見て愉しそうにそう宣言する。きりが良かったので今日は炭やきを休むことは伝えてあった。
今からじゃないんだろ?
ん、腹が減っては戦は出来ぬというからな。帰ったら俺が朝飯を用意してやるよ。
有難うな。それで遊びは何がしたいんだ。
橇をして雪だるまを作りたい。
橇ね。
それと雪合戦。
二人で。
三人だろ。
三人だな。
うん、しような。
手を離して尾形が伸びをする。それを見て俺も隣で伸びをする。肺に入ってくる空気が冷たくてもう一度目が覚める気がする。にしても寒いな、と尾形が小さく苦笑して、今度は俺から手を出して繋ぎ直す。回れ右をして山の家へと戻った。歩きながら、味噌汁の具を何にして欲しい、と訊かれて、この前おじさんに分けて貰った蕪が良いな、とリクエストをする。
朝に飲む味噌汁は身体の芯から温まれて好いよな。
ああ、味噌汁といえばよ、おばさん味噌も自分で作っているんだって、凄いよな。
と尾形がこっちを見て云う。ぐぐ、と踏みしめた雪が鳴いた。
味噌作りも習うのか。
まあ興味はあるな。
家で作るのならお前、何味噌が良い、と話ながら尾形と一緒に歩いているうちに雪の中を歩くのも愉しいと思えた。手袋越しの繋いでいる手から尾形の愉しんでいる気持ちが俺の中に入ってくるみたいに次第にわくわくとした気持ちになってきて、こうして尾形と百と一緒に歩けるのなら雪道も悪くないと思う。最後に片付けた場所は何処だったか。思い出そうと頭の中で納屋の中を歩き回り、何とか家に着く前に子供用の黄色い小さなプラスチック製の橇を見つけることが出来た。問題はその橇に大人の尾形が座れるかどうかだ。
少せえ。
態と眉間に皺を寄せた尾形の顔を見て笑ってしまう。
割れそう。
本当に割ってしまいそうだ。
窮屈そうに尻を橇の中に納めて尾形が何度もこちらを振り返る。それが、早く背中を押せ、という意味だと気付いて、また微笑ましくなった。視線の送り方が構って欲しい時に百のする顔そのものだ。すっかりはしゃいで愉しそうだと思う。こんな表情豊かな尾形は初めてだ。子供みたいだと思う。
これで滑ったの憶えているか?
ああ。憶えている。愉しかった。
今のは百の言葉か。
そうだ。
私道の、道路と山の家を繋ぐ短い坂道の頂上から道路までを下る。滅多にこの辺りを走って通る車がないとはいえ、勢いよく車道に飛び出さないようにと、予め境界線となる白線の上に低く雪の壁を作って整えておいた。準備万端だ。行くぞ、と尾形の背中をゆっくりと前に押し出す。傾いたと思うと、ずずっ、と音を立てて勢いよく橇が滑り下りていく。喜んで歓声を上げるのかと思えば無言で尾形が姿勢よく滑っていき、その姿が妙におかしくてその場にしゃがみこんで笑う。ややして、ざざーっ、と橇が止まった音がしたのを聞いて立ち上がり、上から感想を訊く。
面白かったかぁ。
尾形が橇の紐を引いて粛々と登ってくる。
かなり面白い。
伏せ目で笑いながら、よいせ、と尾形が橇をスタート位置にセットする。次はお前の番な、出来るだけ前の方に座った方が面白い、と薦められて橇の前の方に座る。縁をしっかり掴んでおけよ、そこでコントロール出来るから、とアドバイスをしながら尾形が背中を押し出す。滑り出した、と思った瞬間、透かさず尾形が後ろに乗り込んできて、橇がべきっと変な音を立てた。お前っ、これに大人の二人乗りは無理だろぉ、と笑って叫びながら、さっきよりもずっと早いスピードで橇が坂を滑り下りていく。落ちないように後ろから抱きついている尾形が、ははっ、と悪い声を出して耳の近くで笑う。出鱈目なスピードに途中のカーブでバランスを崩し、斜めに傾きながら雪の壁に突っ込むと、二人とも雪の上に投げ出されて転がった。ほらぁ、言わんこっちゃない、と空を仰ぎながらその姿勢のままで爆笑する。自分の白い息が昇っていく見える。横を向くと隣で大の字になって転がっている尾形が、愉しいだろ、と髪をかきあげるのが見えた。百も愉しいってよ。そう続けて尾形が満足そうに目を細めて云う。
今のは百のアイデアだ。
百に付き合ってやってくれているのか。
俺が一緒に遊びたくてやってるんだよ。
橇が壊れてしまうかもしれないけどさ、今のもう一回やりたいな。
ああ、やろうか。百もしたいってよ。
二人で起き上がって身体の上の雪を手で払い退けると、橇を引き引き坂を登った。もう一回どころか、馬鹿みたいに二人乗りで繰り返し坂を滑り下りて、その都度振り落とされて転がって、何度か立ち上がる前に頬にキスもした。
あーあ。
小一時間後、散々大人二人を乗せて真ん中から派手に割れて大破してしまった橇を見て、少し調子に乗り過ぎてしまった、と尾形が頭を掻く。労るようにしゃがんで撫でてもいた。
どした。
ちょっとだけ百が悄気ている。
ああ、百の橇だったもんな。
愉し過ぎたな。なぁ百、今から雪だるまを作ってやるから元気出せよ。佐一がどでかいのを作ってくれるってよ。
え、休憩しないのか?
しないな。お前は胴体の方を作れ。俺は頭の方を作るから。ほら、始めるぞ。
ほら、じゃねえし、然り気無く大変な方を俺に押し付けやがって。
力自慢の佐一ならこんなの朝飯前だよな。いや、時間的には昼飯前か。まぁ、楽勝だろう。
それはどっちの言葉だよ。
俺。
しゃあしゃあと答えると、しゃがんで雪の玉を転がし始めながら尾形が小さく鼻唄を歌い出す。鼻唄なんか歌うのか、と背中越しにそれを聞きながら、その旋律が百の好きだった童謡だと気付いて耳をすませた。よく百がひとりで歌っていたよな。懐かしくなって、色んなことを思い出しながら、自分も雪玉を転がし始める。朝は薄曇りだった空模様が、風に流されてか雲が千切れ陽が射してきていた。気温も上がり更に少し解けた雪は重く、底で面していた土も混ざる。綺麗な真っ白な雪だるまにはならなさそうだと思うも、喜ばせたくなってひたすら雪玉を大きくしていく。
尾形の鼻唄が聞こえなくなって、何処に行った、と振り返ると反対方向に向かって転がしているのが見えて、阿保か、こっちこい、そんな離れていたら頭乗せられねえんだろ、と手招きをする。首を傾げて少しぼうっとこっちを見ていた尾形が理解して、方向転換をしこっちに向かってくる。その間に雪玉はどんどん大きくなる。乗せられるのか、あれ、と思いながらそれを受け止められる大きさにしなければとこちらもどんどん転がして大きくしていく。少しして、いや待て、お前もこっちに来い、俺から遠ざかってどうする、と尾形に云われ、本当だ、と尾形のいる方に向かって方向転換をした。汗をかきながら全身を使って転がし続け、合流した時には大人の身体の腰上くらいの大きさの雪の塊と股下くらいの大きさの雪の塊が出来上がっていた。
立ち尽くして、なあ、これ、持ち上げられるのかよ、と尾形に訊く。それには、お前も手伝えよ、という意味を込めて言ったのだが、これくらいなら、お前一人で持ち上げられるだろう、百が待っている、と涼しい顔をして答えられて、睨みながら半ばむきになってひとりで必死で抱え上げ、頭部を胴体の上に据えてやった。それを見て尾形がぽんぽんと手袋をしている手で拍手をする。
こんなでかいのは初めて作った。
俺も。
次は装飾だな。百にしてやりたい。
炭の欠片や石で目、目、鼻、口、は出来るけど、耳と尻尾はどうしようか。
葉っぱかな。
葉っぱ。
ああ、百が気付いた。それは良いかもな。じゃあ、俺達は耳を用意するから、佐一は尻尾を探しておいてくれ。
そう云って尾形が表戸から家の中に入っていく。尻尾。尻尾。考えながら何かないかと、自分は納屋に入った。がさごそと畑道具や古い炭やきの道具などで使えそうな物がないか見て歩く。
佐一、耳をつけた、見にこい。
尾形の声がして雪だるまの元に戻る。顔が炭の欠片で出来ていて、蕪の葉が耳になっていた。たくさん採れたからと貰っていた蕪の中から、大きな葉を選んできたのだろう。葉先の形が少し三角をしていてなかなかぴったりだと思った。首部分にも装飾が増えていて自分のしていたマフラーを外してそれを雪だるまに巻きつけていた。
良い感じだな。マフラーも巻いて貰って首も暖かそうだ。お前は寒くないか。
これくらい平気だ。百が寒そうだと可哀想だろ。お前は尻尾あったか。
ホースはどうかな。
納屋から持ち出してきたホースリールを持ち上げて尾形に見せる。
は、尻尾はそんな長くないだろ。切るのか。切らないのならもう少し考えろよ。
それどっちの言葉。
俺と百。
仲良くなったよな、お前等。
渋々ホースリールを納屋に戻し、探し直してみるがどうにも思い付かず尾形に助けを求める。尾形が考える顔をした後に、仕舞ってあった細い苗を添え木にくくりつける時に使う黒いロープ何本か使って編んで、ちょうどぴったりな尻尾を作ってくれた。それを二人で雪だるまの尻につけてやった。
出来た。
完成した雪だるまを見て満足そうに尾形が微笑む。すっかり手袋は雪の水気を吸って濡れそぼっていた。
だいたい俺達のお陰で出来たな。
そうだな、お前等のお陰だな。愉しかったか。
愉しいな。
失敗した。
尻尾のことか、気にするな、百も満足して喜んでいる。
違う、雪だるまは解けちゃうから。残しておけないだろ。解けちゃう。一生懸命大きくしたのに。
先に鼻水が出てきた。歯を噛み締める。でも堪えられず涙が溢れてきた。
どうした。
尾形に優しく訊かれて涙を袖で拭く。濡れていた上にダウンジャケットの生地ではたいして拭いきれなかった。鼻を啜り、涙を手袋を外した手の甲で拭いながら尾形に聞いて貰う。
凄え愉しかった。山にきて、雪の中でこんなふうに真剣に遊んだのは初めてで、俺、車も怖くなっていたけど、本当は積もった雪を見るのも好きじゃなくて。だから百が小さい時に積もると雪で遊びたがったのに、冬は炭やきが忙しいからって、あんまり一緒に遊んでやらなくて。こんなふうに喜んでくれるのなら、もっといっぱい遊んでやれば良かった。百は遊びたがっていたのに、ごめん。
じっと尾形が見つめてくる。濡れていた手袋を外してそのへんに放ると、両手で頬を掴んだ。いつにも増して冷たい手に目を見開く。溜め息をついた後に軽く俺の頬をつねりながら尾形が口を開く。
なんで寂しくなったんだ。過ぎたことだろ、謝るな、笑え。百が、遊んでやれなかったというのなら、その分も今日遊べたからもう気にするな、だと。尾形が傍にいる限り俺はお前の傍にいるって云っただろ。だからそんな顔をするな、だと。今日、百は愉しかったって云っている。尾形もいて三人で遊べて愉しかったって。雪合戦が未だ残っているだろって。そんな泣いている奴に向かって雪玉を投げても愉しくないから泣くなって。俺もそう思う。そんな顔に雪玉を命中させたところで何一つ面白くない。あともう一度だけ言っておくが、俺が今日こうして遊んでいるのは身代わりの精神じゃないということを解っておいてくれるか。俺が遊びたかったし、百も遊びたかった。それで俺も百も愉しんでいて、自分の好きな奴が喜ぶと幸せな気持ちになれるだろう。それはお前に対しても百に対しても同じだから、起きている時は百が喜ぶことをしてやりたいと思う。別にそんな特別なことじゃないだろ。俺と百で身体はひとつしかないけど、普段は眠っている百が起きて声を聞かせてくれている時は二人一緒にお前と色んなことをして愉しみたいと思っている。だから確かにお前からは見えないし聞こえないし解りにくいとは思うが、お前も百のことが好きなら、愉しい時はちゃんと心から愉しめ。そういう泣き言があるのならそれも聞いてはやるが、話すのは後にしろ。良いな。
諭されて、顔を縦に振る。頬をつねっていた手が頭を撫でた。
解ったのなら良い。解けてしまうっていうのなら、雪が降る度に何度でも作れば良いだろ。橇もまた買ってくれ。面白かった。あれもまたしたい。
尾形が微笑む。
うん。最後に雪合戦もするか。
いや、流石に身体が冷えてきた。指先も感覚が鈍ってきたし、寒いな。
それなら今、二人で俺のこと、ぎゅうってしてみてよ。
ん。
手を広げてくれた尾形のダウンジャケットもたいがい濡れていて腕の中に入れられても冷たかった。ぎゅ、と背中に回そうと曲げられた袖が擦れて音を立てる。抱き締められて頬に冷たい尾形の耳が当たる。いっぱい遊んだ。愉しかった。目を閉じた時に見える、地面に寝そべって見た雪のある風景が描き換えられたと思う。ゆっくりと力を込めながら尾形が訊いてくる。
これ暖かいか?
あまり暖かくないな。
濡れているもん脱いでやった方がよっぽど暖かいだろ。
うん、そうだよな、俺もそう思う。もうあちこち冷たいな。俺もお前もびしょ濡れだ。いっぺん乾かさねえと駄目だな。腹も減ったし。マフラーは雪の百から返して貰え。なんか代わりに巻いてやれるもんがないか後で箪笥の中を探してやるから。
うん、解った。なぁ佐一、午前中だけ、と思っていたが、今日はお前の時間を丸一日俺達にくれないか。午後からも三人で遊びたい。
良いよ。遊び足りないか。昼からは何をして遊びたい?
昼からは暖かい部屋の中で遊びたい。それから百がもっとキスをしたいって。
子どもは額と頬だけな。
拗ねているぞ。
その拗ねているのは本当に百の方なのか。
俺も口にしたい。
起きているんだろ、百。
思春期の子どもみたいな声で話している。
じゃあ駄目だ。昼飯にしようか。もう家に入ろうか。卵とじうどんを作ってあげる。
肩の向こう側でこくりとひとつ頷くと、尾形が顔を起こし首筋に冷たくなった鼻を押し付けて顔を左右に振ってみせた。百のする甘えたい時のサインだ。身体を優しく引き剥がすと、特別だからな、と言ってから、額、頬、唇の順に口をつけてやった。それをまるで甘いお菓子を貰ったかのように尾形と百が悦んでいるのが唇越しに伝わってきて、こんな二人掛のお強請りは狡い、敵う訳が無いだろ、と思った。