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    ganiwaoo

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    ヌヴィ蛍 現パロ

    スイミーの恋人 ① 煌々と燃え上がるアパートを前にして、蛍は手に持っていたビニール袋をすとんと落とした。
     木造二階建ての単身者用賃貸アパートだ。かなり年数が経っていてセキュリティも何もなく、見た目もオンボロだった。ただ家賃が安くて、蛍の通う高校に近かったから選んだだけだった。そのアパートが燃えている。消防車が二台、消火に当たってくれているがもう見るからに手遅れだ。救急車両のサイレンと野次馬のざわめきをどこか遠くに聞きながら、少女は落としたビニール袋をそっと拾い上げて、ふらふらと踵を返した。
     かといって行く当てもなく、辿り着いた公園のベンチに一人腰掛ける。真夏の夜だった。玉のような汗が滲んでは肌を滑り落ちていく。肩に担いだリュックが重い。今日はたまたま夏休みの登校日で、今着ている制服といくつかの教科書は無事だったが、他はすべて燃えてしまっただろう。
     震える手でリュックからスマホを取り出して連絡先一覧を眺めた。兄か、養父か。指がうろうろと彷徨って定まらない。何故なら二人とも海外だ。連絡がついたとして、悪戯に心配をかけるだけなのではないか…。たったさっきまでいたバイト先の店長や仲間たちはどうだろう?明日もシフトが入っていたはずだ。この状態で行けるかもわからないし、とりあえず一報を入れなくては…。
     画面にぽたりと水滴が落ちた。
     汗が落ちたかと訝しむ間もなくザアザアと雨が降る。濡れないようにと慌ててスマホをリュックに仕舞い込んだ。いよいよ、蛍は途方に暮れた。

    「君、こんな時間に何をしている」

     すっかり濡れ鼠になった頃、突然横から男の声が掛かった。同時に傘を差し出されて視界が暗む。
     声の方に顔を向けても胸から下しか見えなかった。かっちりとしたスリーピースのスーツ。腰まである長い銀髪。繰り返すが季節は真夏である。昨今の気象変動で最高気温を毎日のように更新しているこの夏の夜に。
    「この私でさえ仕方なしに傘を差しているというのに、君は変わらないな」
     傘をこちらへ向けてくれているおかげで、見るからに上等なジャケットはあっという間に雨に濡れていく。言っていることはよくわからないが、何か嘆いているらしいのは蛍にもわかった。ぼんやりと思考停止した少女は突然湧いてきた男を訝しむ前に口を開いた。
    「突然降ってきて」
    「家に帰らないのか」
    「燃えてしまったの」
    「あの通りの火事か……」
     思案するような声に、蛍ははたと我に帰った。慌てて傘を差す手を押し返してベンチから立ち上がる。「傘、ありがとう。私は大丈夫だから…」言いかけて、そこで初めて男の顔を見た蛍は、目を瞠いたまま言葉を失った。
     作り物のような、端正な造形だった。
     すっと通った高い鼻梁、薄い唇、シャープな輪郭。
     しかし、蛍が目を離せないのは、その瞳だ。
     この暗がりの中、公園の電灯の乏しい灯りの下で、男の切れ長の瞳は薄ら光っていた。宝石みたいにきらきら光って、淡く、一言で何色とも形容し難い。

     その色に、強烈な既視感があった。
     蛍はそれをどこかで知っていた。
     ──でも思い出せない。

     頭の中にノイズが掛かったみたいに思考がざらついて、シナプスが明滅する。急に天地がわからなくなるような眩暈に襲われて、蛍はたまらず頭を抱えた。
     男の瞳孔が開いて、雨ざらしの物言わぬ少女をじっと待っている。強いて言うなら、爬虫類みたいだった。
    「あなた、誰」
    「君の恋人だが」
    「恋人……?私たちどこかで会った?」
    「そうだ。しかし、ここではない」
     この人頭イカレてるのかな、と蛍は思った。ナンパだとしたら下手すぎる。蛍には恋人どころか初恋もまだだというのに。
    「具合が悪いのか」
     男が聞いてくる。蛍はこっくりと頷いた。イカレてるとは思ったけど、何故だか、この人に対して警戒心というものが働かなかった。黒いグローブに包まれた男の手がこちらへ差し伸ばされる。少女は無意識にそれに応えようと手を伸ばす。男の瞳がうっそりと光った。微笑んでいる。まただ。デジャヴ。彼の口が開く。
     世界が揺れる。

    「ほたる」

     ──そして少女は意識を失った。


    ***


    「忘却は罪たりえるだろうか?」


    ***


     覚醒。
     長い夢を見ていた気がする。
     蛍は寝起きのぽやぽやした頭で辺りを見渡した。
    「知らない天井だ…」
     言ってみたかっただけである。まあ本当に知らない天井なことなんか早々ないので仕方ない。
     蛍はそろりと体を起こして周囲を見渡した。まずこのふかふかのベッド、とてつもなく大きい。兄と養父──空とダインとで川の字に並んで寝てもまだ広いだろう。
     枕元に自分のリュックが置かれている。あまりに所在なさそうに佇んでいるのが哀れで、思わずきゅっと抱き寄せてしまった。最後の記憶では服もリュックもびしょ濡れだったはずだが、触った感覚ではどちらもさらりと乾いている。中を検めたが、財布もスマホも教科書もすべてきちんと揃っていた。
     スマホの電源を入れても問題なくついた。時間は深夜、まだ日を跨がない。バッテリー残量が半分を切っているのを確認すると、蛍はスマホを片手にリュックを担いで、もぞもぞとバカでかいベッドから這い出した。
     壁一面にこれまたバカでかいカーテンがかかっており、捲るとまたもやバカでかいガラス窓があった。窓の外は暗く、雨が降っていて、ぽつぽつ灯る街の明かりを一望できた。
     ──つまり、ここは高層階である。
     蛍の手から、スマホがするりと滑り落ちた。しかし衝撃はなく、傷一つ付かない。床に敷かれたカーペットがあまりにふかふかなのだ。
    「石油王のおうち…?」
    「残念ながら違う」
     突然かかった声にぎょっとして振り返ると、開いたドアにもたれるように男が立っていた。
     蛍はリュックをぎゅっと抱きしめて、背中がカーテンに掛かるくらいじりじり後退した。
    「あなた、何が目的なの?お金?身体?えっちなやつ?」
     問われた男は口元へ手をやって、伏し目がちにじっくりと考え込んでから、困り果てたように首を傾げた。
    「……強いて言えば、君の存在そのものか」
     要領を得ない。蛍も思わず同じように首をひねった。
    「それって誘拐?身代金目当て?」
    「金はいらないが」
    「じゃあやっぱりえっちだ」
    「合意がなければしない」
     噛み合わない問答に、蛍はだんだんと苛立ってきた。この少女、一見可憐だがその本性は野生動物のように勇猛果敢にて大胆不敵である。やっと恐慌状態から抜け出せた蛍は、冷静な頭で目の前の男をどう攻略するか算段を立てている。
     蛍の顔つきが変わったのを見て、男は何か懐かしがるように目を細めた。
    「さすが、肝が座っている。きみは本当に変わらない」
    「あなた誰?どうして私のこと知ってるの?」
    「──ヌヴィレット、と。そう呼んでほしい」
    「ヌヴィレット」
     蛍がこんなにも警戒しているというのに、それを承知の上で尚も男、ヌヴィレットはフラットだった。棘を逆立てたハリネズミみたいな少女を驚かさないように、ゆっくりと部屋へ入ってくると、三歩ほど空けて蛍の前に立った。
    「行くところがあるというならここを出て構わないがもう夜も遅い。警察署へ行くなら案内するが、一先ず保護者と連絡が取れるなら電話しなさい。その際、必ず私と電話を代わるように」
    「…やだ。ダイン絶対うるさいもの」
    「血縁者か?」
    「血の繋がりはない…」
     蛍がそう言うと、ヌヴィレットは「ふむ」と、何か納得したように頷いて、長身を屈めて少女の足元に落ちたスマホを拾い上げた。
    「君には兄がいただろう」
    「なんで知ってるの!?」
    「なぜ真っ先に連絡しない?」
     あっさりと手渡してきたスマホをひったくるように受け取ると、蛍は束の間逡巡して、ヌヴィレットを睨みつけながら結局養父に電話をかけた。ダインはうるさいけれど、空に心配をかけるよりずっとマシなのだ。
     いっそ着信に気づかないで、と願う間も無くワンコールで出た。時差的に今向こうは真昼間の仕事中のはずだが。
    『蛍、どうした?そちらから電話など、』
    「アパート燃えちゃった」
    『は』
    「ねえ、ダイン。ヌヴィレットって知ってる?」
    『待て。──その男がどうかしたのか』
    「今その人のところにいる」
    『代わりなさい』
    「知ってるの?」
    『…………。いや、俺の知り合いかどうかは関係ない。蛍、電話を代わらないならば俺は今、即座に、その男を未成年者略取及び誘拐の疑いで通報する』
     その方がいいんじゃないかな、って蛍は一瞬思った。しかしそうなると絶対空に連絡が行く。そもそもダインにこんな連絡をした時点でアレなのだが、この男は昔から蛍にとにかく甘いので、ここで留めておければワンチャンあるかもしれない。
     蛍はそろりとヌヴィレットを仰ぎ見た。首が痛くなるほど高い位置にある顔はやはり作り物めいている。表情はまったく読めないが、蛍と目が合うとふっと目元が緩んで、それが意外と幼い印象すら受ける……蛍はなぜだか胸の奥がきゅっと痛んだ。
     確かに何かを忘れている。その実感がある。それが後ろめたくて──きっと、それだけだった。

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