ボラさんがおきおに櫛を贈る話「やる」
自身の手の中で照り映える飴色を見て、キオは目を瞬かせた。事務所の照明に反射して艶々と光るそれは自分にはあまりにも不釣り合いに思われて。恋人の手から自分の手へと渡った瞬間、落としてしまいそうになったくらいだ。
「やる、と言われましても…」
キオは目の前の恋人がいつもそうしているように眉間に皺を寄せた。
無理もない。いきなり手を出せ、なんて言われて投げ渡されたのが女物の櫛だなんて。プレゼントにしてはあまりにもおざなりすぎる。つまりはあれか。依頼の証拠品だから保管しておけということか。
だがその推理はアテが外れたらしい。無表情から一転、恋人の顔が不機嫌で歪んだ。
「お前にやると言ってるんだ」
つまりは自分宛へのプレゼントということか。
パートナーから贈り物をしてもらって嬉しくない者はいないと思う。だからこそ、もう少しムードを持たせてほしかった。なんて、女々しすぎる考えだろうか。
「…不満があるって面だな」
キオはそっと、指先で半月型のそれの輪郭をなぞる。すべすべとした肌触りが心地よく、まるで本物の月に触れているかのようだ。
「恋人に贈り物をするのがそんなにおかしなことか?」
「いーや、ぜんぜん。でもそのふてぶてしさはどうにかならないかなって思ってはいるよ」
渡し方に不満が少しもないといったら嘘になるが、実のところ、そんなことは割かしどうでもいい。その贈り物が、恋人が自分のことを想いながらあつらえられた品であることには何ら変わりないのだから。その事実があるだけで、手元にあって目の前にもあるならば数倍、その喜びはケタ外れだ。
「でも、ありがと。ボーラさん」
だから、自分は結構恋人に甘いと思う。その喜びと、あんな粗暴な言動もひっくるめて、耳の先端を微かに赤く染めているのを見れば『ああ、好きだなぁ』とまた惚れ直せてしまう。痘痕も靨なんて言葉では片づけられない。
「すごい嬉しい」
想いを胸に抱き留めて、相手に伝えられることがどれだけ幸福で温かいものか。
それをキオに教えたのは他でもない、ボーラであった。そしてそれを教えられたのもボーラであり、教えたのもまたキオであった。
「…そうか」
機嫌の良いんだか悪いんだか判別しがたい、口角を上げたしかめ面。こんな中途半端な表情を浮かべるときは大抵、にやけ面を無理やり隠そうとしている時だ。
引き結ばれた薄い唇にそっと自分のを押し当てると、やはりだ。
「ね、ボーラさん」
キオはボーラの手を引いてソファまで連れて行き、例の櫛をボーラに手渡した。結び髪を解くと、パサリ、と浅葱色の絹が肩に落ちた。
「髪、とかしてくれない?」
ボーラはしばしキオのつむじを見据えた後、どこから取り出したのか容器に入った油を櫛の歯に馴染ませ始めた。容器に印刷された花から、椿油だろうか。ふわりと花の香りが舞う。
「触るぞ」
櫛で髪を梳くその動作に一切の淀みはない。キオの髪に絡まりが無いせいもあるだろう。
キオは目を閉じてその感覚を堪能していた。恋人に、恋人からの贈り物で髪をとかしてもらうだなんて、何たる贅沢だろうか。触れる手が、何もかもが愛おしい。
「ん、上手上手。気持ちいいよ」
キオはあまり自分の髪が好きではなかった。意志とは関係なしに設計(デザイン)された代物であったし、何より人生の暗黒時代とも呼べる期間に散々な扱いを受けてきたからだ。けれども流石アンドロイドといったところだろうか。いくら引っ張られても、抜けたり千切れたりすることはなく、ボーラに拾われてからもいつまでもいつまでもキオに呪縛をもたらし続けた。
『綺麗な髪だ』
付き合い始めたばかりの頃、ボーラがひっそりと溢した言葉だ。キオの聴覚センサがその呟きを聞き逃すはずもなく。
何故パーツばかりを丈夫に作るのかと設計者を恨めしく思うこともあったし、そもそもの自身の存在に疑問と苛立ちを覚えない日はなかった。だからこそ、あの言葉をくれたのがこの人で良かったと、心の底から思う。