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    hiko_kougyoku

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    hiko_kougyoku

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    若やまささ+雨緒紀、乃武綱……他
    「希望という名の罪」②
    ※続・雨緒紀の物語
    ※やまささと言い張る。
    ※捏造あり。かなり自由に書きました。
    ※名前付きのモブ有。

    希望という名の罪②  2

     光と呼ぶには頼りない、淡々しい陽光が雲間から細く差し込んでいる。薄雲の下に広がる極彩色の紅葉は、その鮮やかさを存分に発揮できるまでの明度がないせいかどこか暗い影を落とし、山の方からゆるく吹き抜ける風の中をざわざわと漂っている。
     七番隊舎の見学から一晩が明けた。朝の定例会議を終え、真っ先に自分のもとへ来た作兵衛に、長次郎はこんなことを言った。
    「作兵衛、今日は流魂街の見回りに行こうと思うのだが、付いてくるか?」
    「行きます」
     即座に返って来た、打てば響くような返事。その声を発した本人が、どこへいくのですかと目だけで訴えれば、長次郎は緊張を孕んだ面持ちのまま答えて見せる。
    「行き先は――」


     北流魂街七十五区。瞬歩を使いながら最短距離を移動してきた二人は、人目に付かないよう郊外に降り立った。草履越しにも感じ取れる乾ききった大地はそれだけで不作を想像させ、はじめて足を踏み入れる下層地区に心臓がせわしなくなるのを実感しながら、長次郎は辺りを見回した。
     荒れ果て、戸が戸としての役割を果たしていない吹き抜けの家屋が立ち並ぶ町並み。人の気配はまるで感じられず、ここで人間が生活しているのかと疑問に思った長次郎は、作兵衛にその旨を尋ねた。すると作兵衛は「もちろんいます」と、あっさりと返す。
    「出歩いても何にもありませんし、動き回っても腹が減るだけなのでみんな寝てるんですよ」
     聞きながらも意識を町の方へと向けていた長次郎は、うなじに突き刺さる気配に弾かれたように背後を振り向くと、ぐるりと視線を巡らせた。
     家の一つ、窓とみられる四角い穴から何かが顔を出している。目を凝らして見るとそれは子どもだった。虚ろな目をした子どもが、長次郎たちを眺めている。自分がいつも相対している、生きる気力に漲った人間とは全く別の世界に生きている……生というものへの執着はまるで感じられない双眸に射抜かれ、長次郎は隣に立つ後輩のことを考えた。
     作兵衛も、かつてはあんな目をしていたのだろうか……長次郎先輩と自分を呼んでくれる時の、無邪気な光を宿した瞳を思い出す。聞けば、流魂街は下層に行けば行くほど治安が悪くなるだけではなく、生活の様子も変わっていくというではないか。着るものもまともになく、足元も裸足という動物と変わらない生き方で、一体どう生き延びたのだろうか。明日をもしれない場所で、明日はいいことがあると、楽しいことがあると、思えたことはあるのだろうか。
     目頭がつんとした。そうした中で生き延びた作兵衛に何とも言えない感慨を持った長次郎は、気づかれぬようそっと袖口で目元を拭う。
    「長次郎先輩」
     たった今、考えていたばかりの人間に声を掛けられ、長次郎は顔を上げた。
    「見回りと言いましたが、ここで何かあったのですか?」
    「いや、ない」
    「ならどうしてこんなところまで?」
     問われ、長次郎は一気にむず痒くなった。自分が考えていたことがあまりに浅薄で幼稚に思え、立ち昇る感情が恥ずかしさに彩られていく。しかし自分の言葉をじっと待つ、作兵衛の純粋さをひしひしと感じ取ると、ええいままよと決心し、頭の中で考えていたことを言う。
    「護廷十三隊は忙しいし、まとまった休みなんて取れないだろう? 里帰りなんて難しいだろうし、その……御父上の墓参りとか、どうだろうと思って……」
     胸の中で勢いづけたつもりだが、出た言葉はなんとも頼りない響きをしていた。弱くなる語尾にいたたまれなくなった長次郎は、なんて馬鹿なことをしているんだと自分を責め立てたい衝動に駆られてしまう。こんなこと、作兵衛が望んでいるとは限らないではないか。これはあくまで自分勝手な考えに過ぎず、誰のためにもならないのかもしれない……そこまで思い至ったところで、目の前の気配がふっと弛緩したことに気付き、視界が明るくなる。
    「長次郎先輩、私などを気遣ってくれてありがとうございます」
     その言葉で心が救われた気持ちになった長次郎は、こちらへと促した作兵衛の後を、重い足取りでついてゆく。
     墓というものは共同墓地やそれに準ずる場所にあると思っていた長次郎だったが、作兵衛の父親の墓はそうではなかった。まるで誰にも知られないようにするために、山奥に作られていた。
     枯れた草をかき分けて見れば、他よりも背丈のあるクヌギの木の真下にはびっしりと苔が生えたいびつな丸石が置かれている。それを墓と呼ぶから驚きだ。そんな場所に本当に父親がいるのだろうか……疑問が頭にもたげた長次郎だったが、作兵衛が地に膝を付き、手を合わせるのを見ると考えは一瞬で消え去った。
     長次郎も膝を折り、作兵衛と同じように手を合わせる。目を閉じて黙禱していると、横から「見守っていてください」という決意が聞こえ、目だけで作兵衛を見た。
    「私は必ずやり遂げます。だから父上、見守っていてください」
     そう話す作兵衛の目がこちらを向き、一瞬だけ奇妙な沈黙が降りた。見てはいけないものを見てしまった気分になった長次郎は、どうすればいいか分からず硬直したまま作兵衛を眺めていると、相手は率直な心中を聞かれた気恥ずかしさからか、眉を下げて笑ってみせる。
    「実は、父というのは呼び名だけで、私たちに血の繋がりはありませんでした」
    「そうなのか?」
    「はい。しかしそんなのどうでも良かったのです。父は私にとって大きな存在でした。この生きにくい町で、私を生かすために毎日必死になって動き回り、ここまで育ててもらいました。結局は何も返せないまま死んでしまいましたが……」
     そう話す作兵衛の目が、昔を懐かしむように細められる。そのまなざしに、もう二度と会いたい者に会うことのできない喪失の痛みを感じ取った長次郎は、何も返せないまま、もし自分が元柳斎を喪ったら、などと最悪の想像をする。
     きっと自分は前を向けない。太陽のない世界から光もぬくもりも失われ、生きとし生けるものの全てがその生命活動を終えてしまうように、主をなくした自分はひっそりと息を止めるだろう。あるいは、突き抜けるような悲嘆に突き動かされるままに、腰に差した斬魄刀をためらいなく心臓に突き立てるか……。
     沈みゆく思考に汚染され言うべき言葉を見つけられなかった長次郎は、自分の不器用さへの嘆息混じりに「父上も、お前が頑張れば喜んでくれるだろう」と口にする。作兵衛は心底嬉しいといった顔ではい、と返事をしてくれた。
    「いつか長次郎先輩を超えられるように頑張ります」
    「言うようになったな。元柳斎殿の右腕は渡さないからな」
    「……先輩は、そんなに山本総隊長が良いのですか?」
     投げかけられた問いに、長次郎は迷いなく頷く。
    「勿論。私はあの方に永遠の忠誠を誓った。だからお傍で、あの方の思い描く世界のために身を粉にして働きたい」
    「……私も、そういう人に出会いたかった。自分の命を、良い方向に輝かせてくれる人に……」
     全身から滲み出る悔恨が、長次郎の頭に先ほど見た町の風景を思い起こさせる。背後から闇が迫るような陰惨さが常であるあの環境下では、他人を助ける余裕のある人間などいないし、例えいたとしても、受け取る側がそれを光と取る心の余裕もなかっただろう。感傷が肋骨の下でじくじくと疼くのを感じた長次郎は、思うよりも先に「執行殿はどうだ」と言っていた。
    「昨日はああ言ったものの、もしお前が本当に執行殿が良いと思ったならば、そちらに行くのも選択の一つだと私は思う。言いにくければ私の方から元柳斎殿に口添えをするし……」
     「そういうつもりはないのです!」作兵衛は慌てて顔の前で手を振った。
    「私は山本総隊長の傍にいることができて良かったと思っています。あの方の傍にいれば、私は自分を見失うことなく、志を果たせる……」
    「ならば、二人で元柳斎殿のお傍にいよう。あのお方の支えになって、この尸魂界の平穏のために身命を賭そう」
     風が吹くと、頭上に繁る木々がざわりと揺れる。その音に、ふと視線を逸らした長次郎は、次に目を戻したときにびくりと心臓がはねるのを感じた。
     一瞬のうちに作兵衛の瞳の奥に宿った、底の見えない汚濁。泥のように粘性を持ったどす黒い感情に言葉を失った長次郎の、細くなった喉から弱い息が漏れる。しかしそれはほんの一呼吸の間のできごとで、気付いた時には作兵衛は、自分の後を付いてくる時のような子犬のあどけなさを顔に浮かべていた。
     今、自分は何を見た? 自問するが、まるで白昼夢を見たような曖昧な気分の中では明確な答えは出てこない。ただ一つ言えるのは、渦楽作兵衛という人間は自分が知っている後輩の顔だけではなく別の一面も持っているのかもしれないということだけだった。
     ひっくり返された思考を整理していると、「そうですね」という声が返ってきた。作兵衛のものだ。
    「私も、身命を賭したいと思います」
     その言葉に裏があると感じた長次郎だったが、しかし何が潜んでいるかは分からず、正体の分からない気味の悪さにもやもやとしたまま作兵衛を見ていることしかできなかった。

      3

     太陽が山の向こうに隠れ、闇が忍び寄る。一気に下がった気温が肌を撫で上げる感触に身震いしながらも、雨緒紀は今日も入浴場へ行こうと自室を出ると十番隊舎を離れ、一番隊舎方面へ向かう。
     夕食はとうに終え、ほとんどの隊士が眠りについた、夜も更けたと言っても良い時間帯。静寂に包まれた中で、一つ二つと霊圧を感じた雨緒紀は、あいつらはまだ起きているのか、と何人かの隊長の顔を思い浮かべる。
     七番隊舎の乃武綱は酒でも飲んでいるのか、まだ起きているようだ。四番隊舎からの知霧の気配はどこか焦ったもので、提出間近の書類でもやっているのだろうか。三番隊舎の金勒はいつもと同じく時間外の職務を行っているものと分かる。二番隊舎からは何も感じないことから、千日は任務で不在なのだろう……。
     考えながら歩みを進めていた、その時。雨緒紀の耳が微かな音を拾い上げ、思わず足を止めた。草履が地面を擦る音だった。誰かがこちらに向かっている。思うより先に雨緒紀は、全身の神経を周囲に集中させ素早く行燈の火を消すと道から逸れ、近くの木の影に身を潜めた。
     こんな時間に一体誰が……不審に思っていると、一番隊舎から誰かが出てくるのが見えた。暗がりのためその顔を確かめることができなかったものの、その霊圧に覚えのあった雨緒紀は、そっと首だけ出して相手を見る。
     夜闇の中で、さらに黒い影が動いている。漆黒の死覇装は雨緒紀に気付かないまま小走りでその場から遠ざかり、どこかへ行ってしまう。人目をはばかるようないかにも怪しい動きに、雨緒紀は気配を消したままその人物の後を追い、来た道を戻る。
     あいつはどこに行くつもりだ……前方の人物が張り詰めた闇を切り裂くように走りゆくのを後ろから見据えながら、雨緒紀は考える。誰かに会いにいくのだろうか。いやしかし、一体誰に……答えが分からないまま追っていると隊士はいくつかの隊舎の前を通り過ぎ、やがてある隊舎の前で一度足を止めた。
     隊士は歩いて壁伝いにぐるりと裏手へと周り、自分の背丈よりも高い塀を越えて敷地内に入ってゆく。ここは確か、七番隊舎。乃武綱の顔を頭に浮かべた雨緒紀は、まさかあいつに会いに来たのかと訝しみながら同じように塀を昇り、中に入る。
     冷たい空気を肌で感じながら、周囲に視線を巡らせる。隊舎のいくつかの部屋からは障子越しにうっすらと明かりが漏れ、軒先で夜の中へと溶けてゆくのが見えた。光は、雨緒紀の元に届くころには淡々しく希釈されているものの、重い闇に慣れた目には刺激として知覚された。それは相手も同じだったのだろう。光から逃れるように建物から距離を取って進む人物は、地面にぼやけた影を映しながら庭先を駆け抜ける。
     そうして抜けた先に現れたのは、七番隊で管理している平屋型の倉庫だった。
     静寂の中でひっそりとそびえる建物のすぐそばに腰を下ろした隊士は、手元に目を落としながら手を動かしはじめる。懐から何かを取り出し、地面の上に広げるのを見ると、雨緒紀は足音を消したまま隊士の背後に近寄った。
    「何をしている」
     目の前の背中がびくりと跳ね、ゆっくりとこちらを振り向く。かろうじて人の顔が判別できる明度の中、目を凝らして見るとそこにいたのは、やはり……、
    「……渦楽作兵衛」
     目を丸くした作兵衛は、驚愕を隠すことなく顔に浮かべ、こちらを見上げている。
    「どうした。こんな夜遅くに、こんな場所で……」
     雨緒紀の存在にすっかり委縮してしまったのか、作兵衛は視線を泳がせながら、あの、えっとと意味のなさない単語を口から漏らすばかりで、一向に何かを話そうとしない。
     狼狽している隙を見て、雨緒紀はしゃがみこんだ作兵衛の足元に目をやる。先ほど何かを広げていた場所には細く束ねられた藁の束がいくつか置かれ、その横には丸められた紙がいくつか、無造作に放り投げられていた。
     それは、と尋ねようとした時だった。唇をわななかせていた作兵衛が、ようやく言葉を発したのは。
    「実は、昨日来たときに落とし物をしてしまいまして……」
     昨日と言えば、あの隊舎見学の時か。「何を落とした」と続ければ、幾分落ち着いた様子の作兵衛から小さく「筆を……」という答えが返ってくる。なるほど、そう来たか。雨緒紀は内心でほくそ笑む。
    「私も一緒に探そう」
    「い、いえ……! 王途川隊長のお手を煩わせるわけには……」
    「何を言う。大切なものなのだろう? 私とが嫌ならば執行に声を掛けるが……」
     言いながら隊舎の方に目をやって見せれば、作兵衛は反射的に腰を上げ、ぴんと背を伸ばして屹立した。
    「いえ、必要ありません! ここではないかもしれませんし……また明日探しに来ます!」
     早口でそれだけ言い残し、作兵衛は逃げるようにその場から立ち去ってしまった。たたたっ、と焦ったような足音が聞こえなくなったところで雨緒紀は改めて目線を落とす。紙を拾い上げ皺を伸ばすと、どうやらそれは報告書の書き損じらしく、縷々と綴られた文章が途中で途切れ、以降が白紙だった。
     この字は見たことがある、細いがさらりと流れるような字は長次郎のもので、この書き損じは長次郎の部屋からくすねたものだと推測できる。
     同時に、作兵衛がそこで何をしようとしていたか理解できてしまった。まさか今夜だったとは。悠長に構えていたのは自分だったと忸怩たる思いを感じた雨緒紀は、さてどう動くべきかと考えはじめる。作兵衛の後を追うべきか……いや、ここで自分が捕まえるのは簡単だが、それをしてしまっては何もならない。むしろこの状況を好機とみて、利用すべきではないか……?
     自分の中で浮かび上がった残酷な考えに、どくん、と心臓が一つ大きな音を立てるのを聞いた。全身の血液が駆け巡り、自分を沸き立たせる感覚は一種の陶酔にも近い心地良さを感じさせ、雨緒紀の思考能力を一層加速させる。脳内にいくつも浮かび上がる、最終工程への道筋。その先には完全な右腕になった長次郎がいると確信した雨緒紀は刹那、いけない、という声を聞いたような気がした。それは警鐘だった。けれども未だ残存する甘さが生んだ泣き言だと判断した雨緒紀は、躊躇うことなく思考の外へと追いやり、そのまま精神の弱い部分に固く蓋をした。
     肺の内側に残る、もやもやとした空気を一気に吐き出そうとした時だった。立ち尽くしていた雨緒紀に声が掛かった。
    「何やってんだよ」
     乃武綱だった。雨緒紀は隊舎へと目を向ける。縁側に立った乃武綱は、腕を組んだままじっと雨緒紀を見つめていた。ここから向こうまでは距離があることと、部屋から漏れ出る光が逆光となって乃武綱の顔に影を落としていることからその表情をうかがうことはできない。しかし闇に混じって漂う険悪な雰囲気から、あまり良いものとは思えなかった。
     乃武綱は辺りをきょろきょろを見回すと、首をかしげながら「一人か? もう一つ霊圧があったような気がしたが」と疑問の声を上げる。乃武綱の捉えたもう一つの霊圧はおそらく作兵衛のものだろう。理解できたものの、雨緒紀はあえてそれを告げることはしなかった。
    「……気のせいではないか?」
     言うやいなや、さっさと踵を返そうと闇を見据える。だが、その足を乃武綱の声が止めた。
    「おい、まだお前が何をしていたか聞いてないぞ」
    「別に何もしていない」
    「嘘つけ。ほら、こっちに来い。話ならたっぷり聞いてやる」
     手招きする乃武綱を横目で見た雨緒紀は、面倒な奴に見つかってしまった、と率直に思った。平素のふざけた振る舞いを見ていればただのろくでなしにしか思えないこの男は、どういうわけか人の本質を見ることに長けている。乃武綱が一度思考の片隅でひっかかるものを感じたら最後、相手の行動だけではなく内面まで覗くような観察眼でこちらの人間性まで読み取られ、普段ろくに使わないその脳味噌のどこにそんな思考領域があったのか不思議に思うほど多くの分析を行い、対象人物の全てを網羅する。結果、時には歯車として、時には台風の目となって、その場その場で役割を変えながら物事を円滑に進められるよう立ち回っているのだ。
     そのためには、懸念事項は徹底的に究明し、場合によっては潰す。そのしつこさはまさに蛇の如く。こちらが洗いざらい吐くまで逃がしてもらえない……。
     絡め取られてたまるか、口の中でそう呟いた雨緒紀は、乃武綱の言葉を無視してそこから離れようと足を踏み出す。
     瞬間、雨緒紀は戦慄した。突如肌を撫で上げた怖気は全身の毛穴という毛穴を開かせ、澄んだ冷気を皮膚の内側へと浸透させると、やがて体の最も中枢にある心臓を強く掴み上げた。この感覚は知っている。殺気だ。眼球を動かして隊舎を見た雨緒紀は、それまでいた場所から乃武綱が消えていることを確認すると、一瞬でも目を離したことを後悔した。
     あいつはどこに行った。首を動かすよりも先に強大な霊圧が間近に迫り、目の前を大木を思わせる黒い影が覆った。それが瞬歩で一気に距離を詰めた乃武綱だと理解した時には首を抑え込まれて塀に押し付けられていた。雨緒紀は背中全体に衝撃を感じ、呻き声を上げる。
     ぎょろりとした蛇の目が、わずかな光を受けて鈍く輝くのが見えた。
    「無視すんじゃねえ。お前、何か企んでるな?」
     低い唸りに、雨緒紀は苦悶の顔で答える。
    「……何故そう言える」
    「ここは七番隊舎。お前が俺の近くに来るなんて、よっぽどのことがない限りありえねえ話だからな。さっさと吐け」
    「断る。言ったところでお前はいい顔しないだろう」
     すると目の前の男は、口の端を歪めて笑う。喜んでいるようにも、怒りを抑え込んでいるようにも見える顔となった乃武綱が、首を掴む腕に力を込めるのを感じ取った雨緒紀は、自分の足が地面から離れたのが分かった。
    「ほう……そんなにひどい内容なのか。ならばなおさら教えてもらわねえとな……!」
     宙吊りにされると自分の重みが首の一点に集中し、圧迫された気道がきゅうと狭まる。反射的に乃武綱の腕を振り払うために右腕を上げようとするも、酸素が行き渡らない脳からの伝達が途切れてしまったのか、腕は思うように動かない。体が自分の意思から遠ざかろうとしている。こめかみが脈動に合わせてずきずきと痛み、意識に靄が掛かるのを感じながら、雨緒紀は乃武綱の顔を見た。
     理性の箍が外れるか。黒曜の瞳の奥に、本能のままに動く獣のような凶暴性を確かめると、これもまた真だと口にしたくなった。洞観と暴力。二つを併せ持ち、そのどちらも使い分けながら飄々と生きる男。そうして上手く立ち振る舞えるからこそ、自分と正反対の生き方をしているからこそ、雨緒紀は乃武綱を疎ましく思うし、羨ましい。自分が決して得られないものを、この男はすでに手に入れているのだから……。
     感傷が胸を締め付け、目の辺りが熱を持った時だった。遠くから闇を揺るがす爆発音が聞こえ、雨緒紀の意識は一気に覚醒した。
    「なんだ、今の……」
     そう言った乃武綱の手が首から離れ、ようやく地面に足を付くことができた雨緒紀は、浅い呼吸を繰り返しながら音の出処を見つけようと辺りを見回した。酸素を得た脳が回転をはじめたところで今度は先ほどよりも重く大きな音が響き、二人は音の方角を見る。
    「方向からして十番隊よりも向こうの方か……」
     乃武綱の呟きに答えるよりも先に、雨緒紀は走り出していた。すぐ後ろに一歩遅れて地面を蹴った乃武綱の気配がついてくるのを実感しながら七番隊舎を飛び出し、闇の中に浮かび上がるように聳える塀を目印に自分の隊舎のほうへと急ぐ。
     爆発を聞いて出てきた隊士の声だろうか、遠くの小さな喧騒が闇を震わせている。その冷たい空気に混じる不穏は道を進むほどに色濃くなり、かすかに鼻を突く焦げ臭さが、爆発が聞き間違いなどではなく確実に起こったことを物語っていた。
     十番隊舎の前に到達する。しかし外観に変化がないことから瞬時に爆発箇所の候補から除外すると、足を止めることなく次の場所へ向かう。卯ノ花が隊長を務める十一番隊舎も異常なし。この先にある隊舎は二つ……考えながら十二番隊舎へ向かうと、門前に複数の人影を認め、雨緒紀はここだと確信した。
     体格の良い有嬪のためにひときわ大きく作られた門は爆発によって破壊され、残骸があちこちに散乱していた。一度足元の木片に目を落とした雨緒紀は、すぐに目を上げると状況を確認する。明かりを持った隊士たちが門を囲み、何事かとわめきたてている。確か今夜は、隊長である有嬪は任務で不在だったな。そんなことを思い出しながら隊士の一人に近づくと、「状況は」と被害の有無を尋ねる。
     振り向いた隊士は雨緒紀と、その傍に立つ乃武綱の姿を目に入れると瞬時に緊張を纏わせ、気をつけの姿勢になる。駆け付けた隊長二人にどう答えようかと逡巡するように視線をさまよわせ、口を開こうとした瞬間、闇から聞こえてきた声が雨緒紀たちと隊士の間に割り込んできた。
    「何者かが門を攻撃し、破壊したようです」
     闇に劣らぬ射干玉の髪をなびかせ、ぬらりと現れたのは卯ノ花だった。その神出鬼没さに呆れを通り越して感心している間に、慌てる素振りも見せずゆるりと歩み寄って来た卯ノ花は、雨緒紀の横で立ち止まるとその顔ににっと笑みを浮かべた。
    「卯ノ花、お前も来たのか」
    「隣で大きな音がすれば、いくら私でも起きますよ。それで、誰がやったのですか」
     怜悧な目を向けられた先ほどの隊士は、その恐ろしさにすっかり委縮してしまい「不明です!」と悲鳴に近い声で叫んだ。答えを聞いた卯ノ花は、もう用はないというように隊士から視線を戻すと、人を死に誘うようななめらかな声で言い放つ。
    「壊れ方からして上級の鬼道……双連蒼火墜か、あるいは更に上のもの……ということは死神の仕業かもしれません。こんな大それた挨拶をしてくださるんですもの……さぞ元気な方でしょう」
     斬魄刀に手を掛け、ふふ、と愉しげに声を漏らす卯ノ花に、この戦闘狂めと今度こそ呆れていると、それまで黙っていた乃武綱がようやく声を発したのを聞いた。
    「でもなんでこんなところで……規模もそこまで大きくなさそうだし。見たところ被害は門の損傷のみでけが人もいねえ。どういう意図で……」
     乃武綱の言葉を耳にしながら周囲を注視する。騒ぎを聞きつけたのか、他の隊からも隊士が来たことに気付いた雨緒紀は、一瞬のうちに散らばっていた点が一つの線で結ばれるのを感じた。やったのは間違いなくあいつだ。そしてその理由など、一つしかないではないか……いや、むしろそれがあいつの手口だと最初から分かっていたではないか……。
     考えていた雨緒紀は自分の口角がひくつき、いびつに上がっているのが分かった。この騒動を心から喜んでいるような、この場にそぐわない歪んだ顔をしているに違いない。
    「王途川殿、あなた、もしかして……」
     卯ノ花の訝しむ声に、乃武綱の視線が自分に向くのが分かった。蛇のような男は、狂気じみた笑みを浮かべる同胞をどう感じているだろうか。自問しながら雨緒紀は、おそらく不審を露わにした乃武綱の目を見ようとする。
     だがそれは叶わなかった。隊士の中から「あれは……!」と驚愕した声が上がったからだ。場にいた人間が一斉に東を見る。雨緒紀たちが来た方向がやけに明るい。重苦しい墨色に塗りたくられた空の下方が橙色に染まり、上書きするように黒煙が立ち昇っている。見ただけでわかる。火の手が上がったのだ。
    「おい、あれって俺の隊の……!」
     困惑を滲ませた乃武綱の声に、ついに動き出したか、と雨緒紀は目を細めた。躊躇うことはなかった。ある者は火の手が上がる七番隊舎方面を呆然と見上げ、ある者は応援を呼ぶために十三番隊舎へ走り出すという、半ば混乱状態にある隊士たちを一顧だにせず、雨緒紀は素早くその場を離れる。乃武綱の制止の声が聞こえるが無視し、そのまま振り切ると、闇を駆け抜けまっすぐに十番隊舎の自室へ戻る。斬魄刀を携帯し、またすぐに部屋を出ようとした。
     ふと、机の脇に置かれた笠に目が留まる。屋根状に作られたその笠は、自分が任務に出る時や外出する時に身に着けているもの。
     これも必要になりそうだ。そう思った雨緒紀は、笠を持っていくことにしたが、しかし頭に被ることなく死覇装の腰から下げ、その上から笠をすっぽりと隠すように隊長羽織を重ねる。白い羽織の腰の辺りだけがふっくらと盛り上がっているという奇妙ないでたちとなったが、これで良いと思った。
     そうして飛び出した雨緒紀は、迷うことなく目的の場所へと移動する、七番隊舎ではない。その更に向こうの、護廷十三隊の要とも言える存在……一番隊舎だ。
     あいつの本当の目的はそこにある、という確信があった。そしてそれは、見事的中することになる。

      4

     自室の布団の上で横になっていた長次郎は、作兵衛について考えていた。今まで一心不乱に元柳斎の背を追ってきた長次郎にとって、自分の後を付いて回る存在というものははじめてだった。
     憧憬の対象になって分かったことは、誰かに見られているという緊張感が付きまとうことと、その者の模範となる振る舞いをしなければならないこと、そして、自分に懐いてくれる者とともに歩めるということはこれほどまでに胸を弾ませるということ。それらが渦楽作兵衛という一人の青年の姿となって思考の中に浮かび上がると、長次郎は自然と頬が緩むのが分かった。
     いつか、作兵衛は立派な死神になるだろう。あの探求心と向上心、そして行動力。どれを取っても申し分のない素質であるし、強みでもある。右腕の座を渡すつもりなど毛頭ないが、自分が立派に育て上げ、そう遠くない未来に作兵衛とともに元柳斎の支えになることができれば……淡い期待は幸福となって長次郎を包み込む。その心地良さと、今日の疲労が複雑に混ざり合うと全身がすっと脱力し、長次郎はあっというまに意識を手放した。
     そうして一瞬にも一刻にも感じた時間の経過ののち、長次郎は奇妙な空気の震えに覚醒させられる。
     異常を本能で感じ取った長次郎は反射的に飛び起きると障子戸を開け、外を見る。のっぺりと広がる昏い空に星はなかった。周囲に濃密な闇が漂い、鉛のような重さに一度足を止めたが、空の端に映る、光と呼ぶには鮮やかな色合いを見つけるとすくんだ足に力が戻る。
     それが火の手だと分かったのは、一足早く動き出した隊士の足音とともに声が聞こえたからだ。
    「十二番隊で爆発だ!」
    「火事です! 場所は七番隊舎敷地内!」
     瞬時にあの倉庫が浮かんだ長次郎はすぐさま死覇装に着替え、斬魄刀を腰に差す。行かなければ。七番隊舎に向かおうとしていた長次郎だが、まだ覚醒しきってない、靄のかかった脳内に主の姿を映すと咄嗟に立ち止まり、そのまま回れ右をして逆方向へ向かった。
     元柳斎殿は起きているだろうか。まずは報告をしなければ。考えながら進んでいた時、目前に迫った元柳斎の部屋から轟音がして、長次郎の心臓が大きく跳ねた。
     暗がりに慣れた目が、部屋の障子戸が内側から破られるさまをはっきりと捉えた。大きく放り出された人影が縁側を越えて庭にごとりと転がる。瞬間、それまで触れていた冷気が急激に温度を上げ、表皮のあまねく細胞から水分が失われ渇きを自覚すると、長次郎は元柳斎が始解をしたと分かった。
    「元柳斎殿、何事でしょうか!」
     その叫びに、答えはなかった。代わりに目に飛び込んできたのは一本の炎だった。闇の中で燦然と輝く、炎をまとった刀身。それは紛れもなく元柳斎のものだ。部屋から出てきた元柳斎は庭に転がったままの人影を鋭く睨みつけると強く床を蹴り、その人物を仕留めようと刀を大きく振り上げた。
     だが、地面を転がりその一撃をすんでのところでかわした人影は、付いた両腕で地を押しやるとその勢いのまま起き上がり、跳躍して元柳斎と距離を取る。徹底的に追い詰めると言わんばかりに突っ込んで行った元柳斎の目の前に、人差し指が伸ばされたのはその時だった。
    「破道の四、白雷!」
     眉間めがけて細く放たれた閃光を、元柳斎は首を逸らして避ける。人影はもう一度白雷を撃つが、距離を取った元柳斎はその光を蠅を落とすかのように素手であっさりと叩き落とし、眼光鋭く人影を睨みつけた。
    「甘いわ!」
     叱咤ともとれる咆哮は場の空気に更なる熱気を上書きし、びり、とわずかに建物を揺さぶる。そうして間合いを詰めながら切りつけた元柳斎だったが、その一太刀は長次郎には違和感として映った。
     精彩を欠くと言うべきなのだろうか。普段隊士たちとともに行う稽古の方がまだ闊達としている。元柳斎の戦いぶりを間近で見てきた長次郎にとって、目の前で行われている戦いはまるで霊術院の生徒にそうするように、わざと手加減しているように見えたのだ。
     違和感は次の瞬間、事実として現れる。人影が元柳斎の一撃を刀で受け、がきん、と金属がぶつかり合う音が闇に響く。斬魄刀を包むまばゆい炎が人影に迫り、その顔を照らし、それまで黒く塗りつぶされていた敵の顔がはっきりと浮かび上がった。
     元柳斎を襲った人間が誰か分かってしまった長次郎は瞬時に全身の毛穴から汗が噴き出し、悲鳴に近い声を上げた。
    「元柳斎殿……!」
     その声に、元柳斎がこちらを一瞥した。その一瞬が隙として空白を生んだのか、敵は元柳斎の刃を流水の如く受け流し、猫を思わせる敏捷さでするりと抜け出すと一目散に駆け出し、塀を飛び越えてどこかへ逃げてしまった。
     元柳斎はその影を追うことはなかった。再び静けさを取り戻した庭で、敵が去った方向をじっと見据えながら立ち尽くす主に近づいた長次郎は「あれは、まさか……」と言葉を放つ。その声色に長次郎の心情のぶれを感じ取ったのか、元柳斎は努めて冷静に答えた。
    「……侵入者じゃ」
    「追いかけます」
    「よせ! 行くでない!」
     即座に反応した声に焦りが滲んでいるのを感じ、長次郎の思考で疑問が確信として固まってゆく。やっぱり、という囁きが耳元で聞こえ、その冷たさにぞっとした長次郎は、胸を占める嫌な確信と元柳斎の制止を振り払うように腹に力を込め、叫んだ。
    「私は、元柳斎殿に刃を向けた者を許さない!」
     それは自分を奮い立たせるための慟哭でもあった。これまでも、そしてこれからも抱き続けるであろう忠義を掲げ、滞留する澱を吐き出したつもりになり、衝動のまま飛び出した長次郎は、霊圧の残滓を辿りながらひたすらに闇の中を駆け抜ける。
     立ったままの鳥肌が気持ち悪い。その感覚さえも抜けきらない不快感を増幅させる要素になりうるようで、長次郎はもう何も考えたくないと思った。

      *

    「お前はここにいろ。私が行く」
     今しがた飛び出した右腕を追いかけようとしている背中に呼びかければ、元柳斎はこちらへ振り向き、驚いたように瞠目した。
    「お主、何故ここに」
     雨緒紀は長次郎が消えた闇を凝視する。瀞霊廷内で立て続けに騒動が起き、総隊長である元柳斎が襲われるという惨事の最中というのに、雨緒紀の胸中は空気とは裏腹に落ち着いていた。これからのことを考えれば動揺している暇などない。冷静であらねばならないという気持ちと、この騒動の先にはきっと自分の思い描くものがあるという期待。その二つがないまぜになって全身を包み込むうちに、揺れていた心が徐々に鈍化してゆくのを感じた。
    「……凶と出たな」
     ひとりごちるように漏らせば、元柳斎が目を伏せる。過ちを悔いる、というよりもむしろ火種が燃え広がる前に処理できなかったことに対する無念さがにじみ出ていた。その中には、長次郎を巻き込んでしまったことも含まれているのだろう。
     だから言ったではないか。思わず口をついてしまいそうになった言葉をすんでのところで飲み下し、雨緒紀は元柳斎をねめつける。
    「心というものはそう簡単には変わらない。人の足を動かすのも、止めるのも情。そして情の振り子というものはいともたやすく悪に傾き、汚濁となって他者を巻き込みながら回り続ける。あいつの場合、それが憎悪だったのだ。他ならぬ、お前への……」
     言いながら横を素通りし、自分も長次郎を追おうと足に力を込めた時だ。「儂が行く」という声が投げかけられ、雨緒紀は振り返った。飛び込んできたのは今までの迷いを捨て、厳と唇を引き結んだ元柳斎の顔だった。だが雨緒紀は首を横に振る。
     もう遅い。お前に行かせるわけにはいかない……お前では駄目なんだ。言外に伝えると、目の前の人物の低い唸り声が、喉から発せられた。
    「もとは儂が撒いた種じゃ。刈り取ることができるのも儂しかおらん」
    「何を言っている。総大将がほいほいと出歩いてもらっては困る。それに……そのための長次郎ではないか」
     平静を装っていた元柳斎の顔に一瞬で火が点いたのが見て取れた。右手に握ったままの斬魄刀の炎が、ひときわ鮮やかに輝いたような気がした。
    「ぬかせ! 儂はそういうつもりで長次郎を置いているわけではない!」
    「長次郎の方はそういうつもりかもしれんぞ?」
     畳みかけた言葉に、元柳斎は今度こそ何も言えなかった。その沈黙を了承と取った雨緒紀は背を向けてその場から離れると、一番隊舎を抜け出て茫洋とした闇の中へ身を投げ出す。
     瀞霊廷中の死神が動いているせいかあちこちに霊圧が満ちており、夜の冷気と混在してそこらじゅうに漂っていた。長次郎の霊圧が飛びぬけていると言えど、他の霊圧にすっかり紛れてしまっているためどこに行ったか探しようがない。
     仕方がない。雨緒紀は肺の中の酸素を吐き出し精神を集中させると、神経を闇へと落とし込む。
    「南の心臓、北の瞳、西の指先、東の踵。風持ちて集い、雨払いて散れ……縛道の五十八〝掴趾追雀〟」
     霊圧の一部が四方に散り散りとなり、夜を走る。目を伏せてその帰りを待っていた雨緒紀は、細く伸びた霊圧の一部が対象のそれを捕捉したことを知覚すると顔を上げてそちらを見る。長次郎の霊圧は瀞霊廷を出て、すぐ外に広がる雑木林にあるようだ。
     雨緒紀は消火活動に追われる隊士たちを横目に瀞霊廷の外れまで瞬歩を使いながら移動すると、高く伸びた塀を駆け上がり、上から一気に飛び降りる。隊長羽織が翻るたびに腰に下げた笠が揺れ、若干の動きづらさを感じる。しかしそれは塀から降り、雑木林に入るまでだった。
     雑然と伸びた木々や枝を避けているうちに雨緒紀の神経は研ぎ澄まされ、余計な思考の一切がそぎ落ち本来の鋭さが取り戻されてゆくようだった。
     気を抜けば前後不覚になりかねない闇を、探知した長次郎の霊圧を辿りながら進む。瀞霊廷の声が遠ざかり、耳に入る音という音が木々のざわめきだけになり、人間の息遣いが一切聞こえない異世界じみた空間を走っていると雑木林の途中で開けた空間があった。
     そこには闇よりも暗い人影が二つあった。一つはその白い髪から長次郎だと分かる。足元に尻もちを付いた人影があることから、どうやら侵入者を捕まえたようだ。
     そっと近づくと、硬質となった空気を伝って長次郎の叫び声が聞こえてくる。泣き声に近い声は夜にはおおよそそぐわない声量で響き渡り、場の空気を激しくかき回していた。
    「何故……何故こんなことをしたんだ……!」
     子どもの癇癪に近い声には感情の揺れがそのまま表れているようだった。侵入者に斬魄刀の切っ先を向けた長次郎は相手の答えを待たず矢継ぎ早に言葉を紡いでいる。まるでそうすることで自分の中の膿を出し切り、全ての苦悩から解放されると言わんばかりに。
    「元柳斎殿を害するなど、なんということを……お前は言っていたじゃないか! 尸魂界のために力を尽くすと! 私のようになって元柳斎殿の役に立ちたいと! あれは嘘だったのか!」
     噴き上がる怒りのまま口を動かすが、しかし相手からの返答はない。黙したままの侵入者の態度に煽られたのか、長次郎は吊り上げていた目をさらに鋭く細め、まくし立てるように言い放った。
    「答えろ……作兵衛!」
     侵入者――渦楽作兵衛は、喉元に向けられた刃の輝きに動じる様子もなく顔をひきつらせ、長次郎を嘲笑うかのように歪んだ笑みを浮かべた。

       《続く》
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    Replies from the creator

    hiko_kougyoku

    DONE若やまささ+千日、逆骨
    「世のため人のため飯のため」④
    ※やまささと言い張る。
    ※捏造あり。かなり自由に書きました。
    ※名前付きのモブあり。
    世のため人のため飯のため④  4

     逆骨の霊圧を辿ろうと意識を集中させるも、それらしき気配を捕まえることは叶わなかった。そういう時に考えられるのは、何らかの理由で相手が戦闘不能になった場合――そこには死亡も含まれる――だが、老齢とはいえ、隊長格である逆骨が一般人相手に敗北するなどまずあり得ない。となると、残るは本人が意識的に霊圧を抑えている可能性か……。何故わざわざ自分を見つけにくくするようなことを、と懐疑半分、不満半分のぼやきを内心で吐きながら、長次郎は屋敷をあてもなく進む。
     なるべく使用人の目に触れないよう、人が少なそうな箇所を選んで探索するも、いかんせん数が多いのか、何度か使用人たちと鉢合わせるはめになってしまった。そのたびに長次郎は心臓を縮ませながらも人の良い笑みを浮かべ、「清顕殿を探しております」とその場しのぎの口上でやり過ごしているうちに元いた部屋から離れてゆき、広大な庭が目の前に現れた。どうやら表である門の方ではなく、敷地の裏手へと出たようだ。
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