かぐれ〜誕生日 今夜も、月が美しい。
九段第3合同庁舎屋上、ここは舞台裏だ。未だ煌々と輝く今の私のランウェイを見下ろしながら、ここで夜食を食べながら月からの交信を待つ。なんとなしに画面をタップすると、人差し指がどこからかの光でつるりと光った。忙殺される毎日ですっかり素爪が定着していた指先を彩るのはベージュワンカラーのショートネイル。目敏くて仕事ができてイケメンで完璧な同僚達ににいじられて「強くするためです」と言い逃れたのは記憶に新しい。スーツに馴染む地味なそれも今ここでできることを黙々とこなす私を肯定してくれるようで誇らしい。
1969年、アメリカの有人宇宙船アポロ11号は月の海の一つ静かな海に到着した。
その大いなる一歩は7月20日。神楽さんの誕生日と同じ日だ。月のウサギを見上げるたび、一つの大きな目標にたどり着いてみえる彼がそこにいるような気がして、背筋が伸びる。
『神楽、例の商談がまとまったらしいよ。ミラノでの勉強期間が伸びるかもね』
何度目かはわからない。電話ごしの揶揄うような羽鳥さんの声が蘇って、心が萎むような、掻き立てられるような──触りたいような気持ちになる。
もっとも最近ではそれが事実か否か定かではないらしいけど──
そこに行ったことのない私にとっては月もイタリアも大して変わらない。私は業界外の人間で仕事の取引もない、大きな動きを人づてやネットニュースごしに知る業界外の大衆一人に過ぎない私には、アポロ11号が本当に月に行ったのか、彼がまた大いなる一歩を踏み出したか分からない。
(だけど、おめでとうございますっていいたい)
立ち上げたLIMEアプリには『昼に時間取れる?』『泉にとっては夜』っと連投された素っ気ないように見えて神楽さんらしい気遣いにあふれたメッセージが残っている。
メッセージを送れば時間を合わせて電話出来るぐらいにはこの距離を許されていると思う。
だから、私はただただ今やれることをやりながら月からの電信を待つだけだ。