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    泡沫実践

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    泡沫実践

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    デカラビア 悪食と救済

    デカラビアイベント前後編、Bデキャラストの内容を含みます。

    #メギド72
    megiddo72
    #デカラビア
    decaravia

    誰の花にも私はならない「体制に歯向かうことは悪と看做される。」
     街道を歩く、ひとりの少年が言葉を零した。もしその声を拾う者があれば、彼は俄かに驚きをみせただろう。みるからに年若い子供が、その短い時間のなかで絶えず言い続けてきたのかと思うほど、その言葉は少年の赤い舌によく馴染まされていた。
    「誰もが社会に許容された範囲でしか善になれない。」
     少年はそう続けると、途端に表情に笑みを浮かべた。見下すような、嘲るような、不敵なその微笑いは、言葉同様、何百年も唱え続けてきたのかと思うほど、少年の肉によく馴染んでいた。いいだろう、声高にそう言った少年は、デカラビアは、ひとり、誇り高くわらってみせた。メギドラルの頃より変わらぬ、当然の事実を嚥下する。認めよう。受け容れよう。世界を滅ぼそうとする自分は悪に違いない。災厄を齎す、社会の敵だ。
    「だが、それを定めるのは誰だ。」
     音にした言葉は、低く、明確な苛立ちを孕んでいた。此処はヴァイガルドだ。ヴィータの世界だ。だというのに、何故、この社会の善悪をハルマが決めるのか。ヴィータの未来をハルマが決めるのか。ハルマの管理下にある限り、ヴィータの成長はないだろう。あれらにとってヴィータの意思は重要でない。成長なぞ必要がない。従順な子であればよいのだから。ひとり囀る、デカラビアは言葉をやめない。ククク、と愉快に嗤った。

    「なぜ俺たちがそれに従わねばならない?」

     苛立ちは頂点に達した。それでも、だからこそ、デカラビアは言葉を紡ぎ続ける。顔には悪辣な笑みを浮かべる。

    「異世界の住人に任せるな。抗う意思を忘れるな。ヴィータによるヴィータのための勝算が必要だ。ヴィータ自身が闘い、護り、抗う力。卵の殻を食い破り、血塗れの脣で見せつけてやろう。メギドやハルマとヴィータとの間にある、遙かな壁さえいつかは壊してみせよう。俺は知っている。このデカラビアは知っている。ヴィータには人格がある。ヴィータは生きている。ヴィータにも意思がある。ヴィータにも、闘争は可能だ。」

     庇護は不要だと叩き付けてやろう。壁も蓋も無くしてみせよう。鐘を鳴らして知らしめよう。ヴァイガルドの広さを。ヴィータの力の底を。抗うヴィータの矜持をみせろ。己はそれを知っている。辿る、脳裏には、未だ褪せぬ、美しい亡骸の記憶がある。抗い、死んだ、両親の死体を覚えている。家族や幼馴染、学友や教師、あの街に生きていた、尊い生命を覚えている。ヴィータとなったデカラビアは、彼らの生命を知っている。ひとりきりで歩く、少年の背中を風が追い越した。脣が勝手にうごき、さよならだ、セーマン。そんな言葉をつくった。
    「俺が滅ぼす。俺が壊す。滅びは俺の領分だ。俺の流儀でヴィータを守ろう。愚者に花を捧げよう。滅びを齎す者の名がデカラビアだ。ヴァイガルドはいま一度俺が滅ぼし、俺が救おう。」
     少年はわらった。悪魔がわらった。滅びがみたいと、そう思った。
    「取るに足りぬヴィータの力をみせてやろう。」
     デカラビアは知っている。ヴィータの可能性を知っている。ヴィータは、美しく滅びることができる。



    「……お前の呼び寄せた、伝説の出張料理人だが。ソロモンの召喚を受けたようだ。」
     クックックとお決まりの笑いかたをして、その子は私を見遣る。冷めたい瞳にはぐるぐると遊興が渦巻き、脣は愉快に歪められている。
    「いやはや。最後まで食べ損ねた残念を思い出してしまったじゃないか。きみは酷いことをするねえ」
     そう返して遣れば、歓びをいっそう深くした少年が、するりとフルカネリの頬を撫でる。細く、若い指が、枯れた肌を這うさまは蛇を思わせた。合格だ、と音に出さず彼は告げる。これはまた妙に蠱惑的な仕草を覚えて来たものだと、フルカネリは内心に溜息を零した。とはいえ、子供の戯れであった。フルカネリにとっても、この子にとっても。言葉でも、行動でも、迂遠な遊びを、デカラビアは好んだ。
    「というかね、私の膝に座らんでくれよ。重くはないが、そこはシャンパーニュの特等席だってきみも知ってるだろう?」
    「ならそいつを俺の膝に乗せればいい」
     声に反応したのか、仏頂面で窓の縁に座り込んだ猫が此方をものぐさに振り返った。くつくつと咽喉を鳴らして笑うと、デカラビアは中指を器用に揺らしてシャンパーニュを呼び寄せた。

    「……きみの服に毛が着くのを気にして言ってるんだけどなぁ」
    「気にするな。俺は気にしない。」

     そうは言っても、黒衣を好む彼に猫の毛は不似合いだろう。フルカネリは微かに眉を寄せながら、彼が屋敷で寛ぐための衣服でも用意しようかと考える。成人も済ませていない若者のあいだで、どういった装いが流行しているかは知らない。しかし、デカラビアの好むであろう服装であれば、ある程度の推量は可能であった。フルカネリとデカラビアとはまだ二年程度の付き合いしかないが、それでも、過ごした日々はフルカネリに色濃く灼きついている。
     曰く、人生には幾つかの重大な岐路があるらしい。デカラビアと出会ったことは、自身の生に於ける最もおおきな分岐であるとフルカネリは認識していた。そうしてまた、フルカネリは、己の今後の人生に、最早分岐点など存在しないことも、知っていた。否、信じるように強く、そう思っていた。

    「……? おい、何を考えている。」
     不機嫌な子供の、軽い身体が老人の太腿の上で揺れる。まるい輪郭を覆う髪が気まぐれなリズムで踊る度、普段は髪で隠れている耳が覗いた。そこでようやく、今日の彼が耳飾りを着けていることに気づく。デカラビアが身を捩れば、輪に囲まれた赤銅の月が優雅に揺れ、射し込む陽光を受け水晶が燦く。ああ成程と、悟られぬように頷く。ひっそりと、やさしげな音色でフルカネリは微笑んだ。

    「はは、よく似合っているよ。でも意外だね、きみはもっとこう、それこそ帽子の端で揺れているような、透明で凶悪な装飾を好むものだと思っていたが。」
    「はっ、正解だ。別段俺の好みというわけではないが、ククッ、何かほしいものはないかと聞かれたのでな。ソロモンに強請った。傑作だったぞ、奴等の間抜け面は。」

     細い、剥き出しの指が、耳飾りをぴんと弾いた。今度は上機嫌に身体を揺らす。乱れる黒い髪の隙間で月が揺れ、水晶の輝きが空間を舞う。部屋に入るなり脱ぎ去られた彼の白手袋は、書斎机の上で沈黙を続けている。赤い石が嵌め込まれた、ソロモンの指環がきらりと瞬いた。

    「折角訪ねてくれたところ悪いが、まだ仕事が残っていてね。すぐに片付けて、午睡をして、それから夕食の予定なんだ。きみはどうする?」
    「夕飯は要らん。おまえの有能な働きぶりには感謝している。昼寝は俺もする。」
    「おやおや」
    「ここまで来るのに、少し、疲れた。寝るには賛成だが、あと二時間もすれば日が暮れる。はやくしろ。猫を抱いて眠るよりも俺のほうが温かいぞ。冷え性の老人には願ってもない機会だろう」
    「いや、冷え性じゃないんだけどね、私は」

     なにがおかしいのか、愉快そうにクックックと笑っている。聞けば数年前からひとりで各地を渡り歩いているそうだが、それにしては体力のない子だと思う。内臓と血液とをおさめただけですっかり定員になってしまったのかと思うほど、デカラビアは、腕も脚も腹も、何処もかしこも薄い身体をしていた。矢張り今日は、彼と一緒に夕飯を食べよう。フルカネリはちいさな決意をした。


     手早く済ませろとのオーダーを受けたフルカネリが書類を前に頭を悩ませるのと同じ部屋で、デカラビアは薬学書を抱えひとり笑っていた。引き続きフルカネリの上に居座ろうとしたが、仕事の邪魔と拒否されたためである。尊大で寛大な振る舞いで特等席を自らシャンパーニュに譲ってやった後、デカラビアは、ふと目に留まった、書斎の端に置かれたひとり用のソファに身を沈めることに決めた。
    「…………?」
     柔らかな感触の心地好いこれは、しかし、前に訪れたときにもあっただろうか。優秀であると自認する記憶を漁れどもみつからず、デカラビアははてと首を傾げる。家具の多くは屋敷を買い取った際の備え付けとフルカネリは話していたが、彼が機械椅子以外に腰掛けるものなぞ、寝台より他にないように思われた。少なくとも、デカラビアは他に知らなかった。まったく不要のものを新たに買い求める男とも思えず、だがもとよりあったものを運んできたにしては、平均よりずっと痩身である自分の体格にぴったりの大きさであるのは、些かの違和感を感じさせる。前の持ち主に子供でもいたのか、それとも。
    「……まあ、いいか。」
     デカラビアは若いが、計画を思えば時間はない。知識はあればあるほど良い。居心地の好いソファに背を任せると、挟んだ栞の続きを辿った。


     幾らかの時間を経た後、フルカネリが声をかける。
    「今晩はここで過ごすだろう。夕飯も用意させよう。」
    「要らん」
    「まあまあ。もう頼んでしまったから。」

     老人の、穏やかな声が室内に響く。その間もフルカネリの視線は机上に注がれており、了承のかわりにデカラビアはちいさな唸り声をあげた。不満を露わにした、子供の声に、くすくすと微笑みが溢れそうになるのを堪え、暖炉の焔、なんでもないように、フルカネリは言葉を紡ぐ。

    「ひとつ質問をしてもいいかな。」
    「許す。手短にしろ。」
    「指環保持者がふたり居ることの戦略的優位は承知しているつもりだ。だけど、私がヴィータであり、きみが追放メギドである以上、そこには大きな彼我があるとは思わないか。きみは逡巡なく我々に指環の力を試させたが、それを危惧しなかったのかい。」

     文字を追う目の動きを停止させ、デカラビアはフルカネリをみた。失意と嘲笑の溜息が脣から吐き出され、開いたままの頁にはすぐ戻ると言わんばかりに人差し指が乗せられている。尊大な瞳の湖、運ばれた緩慢な視線はひどく態とらしい。歪んだ脣がひらく、咲く赤い舌には、億劫を露わにした気倦の色が塗られていた。

    「つまらん問いだな。おまえが俺に強制力を用いることはない。」
    「それ、答えになってないよね?」
    「俺が見捨てることはあっても、おまえが俺を見捨てることはない。俺の相棒である限り、おまえはそれをしない。あり得ない仮定の話がしたいなら相手を選べ。俺は興味がないし、忙しい。仕事は終わったのか?」
    「……ああ、終わったよ。つまらないことを聞いたね。」

     返事の代わりに頁を捲る音が聞こえた。子を持たぬフルカネリには想像しかできないが、拗ねた子供とはこんなふうであろうかと思った。さいわいに今日の勤めは済ませたので、機嫌を損ねるのは承知で、フルカネリはぽつぽつと言葉を続ける。
    「午睡の前に、昔話をいいかな?」
     ぺらり、また、頁を捲る音が聞こえた。それを勝手に了承と解せば、老人は語りはじめる。声は小さかったが、ヴィータふたりと猫が一匹の、静かな部屋にはそれでじゅうぶんだった。


     かつてヴェステンには悪徳が栄えていた。窓辺で囀る小鳥の気軽さで、誰もが容易く道を踏み外した。悪政の齎す効果のひとつは、人々が肉体を罪に浸す選択を容易にさせることだ。フルカネリがこの国に生を受けた頃には、日常のあちこちに悪虐が蔓延していた。

    「商人になり、はじめて国を出た。驚いたよ。国の外には平和があった。生まれてはじめて、平和をみたんだ。」

     それは美しかった。フルカネリの胸を深く拍った。燦燦たる微笑みと、麗かな太陽、絹糸の柔らかな雨とが調和し、流れる風の滑らかさはどんな女の肌よりも心地好かった。咲き誇る花々の清廉に眼を見張った。

     思い出話の枯れた声。床に、壁に、家具のひとつひとつに滲み入ってゆく。規則的な紙の音。肥えた猫が身を捩り、低い唸り声をあげた。

    「けれど私は想像できなかった。私の国が、私の世界が変わることを想像できなかったんだ。平和とは遠い隣国の話で、手が届かないものだと思っていた。そうやって何十年もの月日を過ごした。」
    「一瞬だったよ。泡が弾けるみたいに。」
    「きみは、やってみせた。私の世界を壊してくれた。中枢にとってきみは毒だが、暮らす民草にすればきみは薬だった。わかるかい? きみは私の、」

     続きを言おうとして、脣が、ぴたりと静止する。もしやと浮上したある疑念を動力に椅子が絨毯を滑り、少年の隣へとフルカネリを導いた。そうして眼に映るそれに、大仰な息を吐く。
    「寝るかね? 普通。」
     ご丁寧に本には栞が挟んであった。
    「ふふ、ひどい子だ。」
     言葉とは裏腹に、フルカネリは微笑っていた。あどけない寝顔を守るようにみつめる、老人の視線に橙の陽が灯る。頭の奥では警鐘が鳴っている。境界線が、曖昧だ。大地に生きる者は皆、単数では居られない。両の指で足りるだろうかと、この子を示す言葉をあげる。追放メギド。世界の敵。毒。悪。世界を滅ぼす者。ヴァイガルド史上最悪の犯罪者。若くして指名手配犯。災厄をもたらす者。それから、フルカネリの、相棒。異世界で何百年生きたかは知らないが、ヴィータである彼は、18歳の、子供に過ぎなかった。
    「きっときみは、愛され育ってきたんだろう」
     決して上品な産まれと言えない身であるからこそ、よくわかる。共に過ごすことで触れ得た、彼の所作の端々には、愛され育った者が持ち得る無垢な純真があった。輝きを知る者の期待があった。愚かなほどに、抱く前提が美しかった。
     日常、薬学書を読む姿や、手ずから薬を精製する姿に潜む、愛と生活の気配。惑う、言葉持たぬ胸の騒めきが喚ぶ衝動に、思わず手で顔を覆った。しかしそれも、不意に聞こえた、ソファと衣服とが擦れ合う音の前に崩れ去る。戒めを解かれた目撃者のように、送った視線の先には、夢見が悪いのか身動ぎをする、幼い、まるい寝顔がある。黒い髪が寄り添う、細い首には少年の瑞々しさが宿っている。どうしようもなく、彼は、デカラビアは、子供だった。その事実にほんの僅か眉を下げれば、それだけでフルカネリの顔はしわくちゃになる。ともすれば、その表情は、涙が溢れる寸前のようにも、強く堪えた姿にも、みえた。全自動の告解が勝手に執り行われ、赤と、青、零れ落ちる。

    「それでも、私にとってデカラビアは英雄の名前だ。どうしようもなく、きみは私の英雄なんだ。」

     庇護で覆われた橙に、濡れた思慕と、剥き出しの敬愛とが入り混じる。漏れ出た声は、驚くほど熱を帯び、擦れていた。老人の、細い咽喉を震わせる、ちいさくとも、意思を据えた、力強い声、焔。

    「私の英雄。私の救世主。誰がなんと言おうと、きみにその意思がなくとも、きみはヴェステンを救ったんだ。……ああ、愚かだろう。ほんとうに。」

     ヴェステンは平和な公国となった。個の意思を蹂躙する洗脳を基盤として。盛えた政は滅び、いまはただ、一輪の悪徳が咲くばかりであった。懐古するフルカネリの視線の下で、現在が名を呼んでいる。眉を寄せた表情で、おまえは、とデカラビアが言った。目覚めた彼の声には、呆れと不服が滲んでいた。
    「寝ている者の真横で話す趣味があるのか?」
    「はは。そういった嗜好は生憎と持ち合わせていないよ。……で、いつから起きてたんだい?」
    「いま目覚めた。ククッ、おはよう。」

     歪めた頰の醸す怪しさはあれど、フルカネリの知る、デカラビアは嘘を吐かない。複雑な安堵が胸中を満たした。彼が己に向ける視線はヴィータの相棒以外にはなく、少なくとも彼の前では、自分もそう在りたいとフルカネリは願った。己が彼の相棒である限り。
    「ああ、おはよう。夕飯は遅めにと頼んだし、夜はまだ来ていないから、少し仮眠を取ろうと思うんだが。」
    「俺はベッドでなくとも構わん。ここで寝る。ククッ、さっきは言い忘れたな。おやすみ。」
     再びにソファに沈み込もうとした若者をどうにか説き伏せ、ふたりで寝室へ向かった。




     ゆめをみた。メギドラルの頃の、ゆめ。
     ゆめをみた。名を思い出す前の、ゆめ。
     ゆめをみた。己がすべきを定めた、あの日。

     目覚めると同時に、ぎり、と歯の奥を噛み締める。それでも、隣で眠る老人を起こさぬよう、そっと寝台から抜け出すだけの冷静は備えていた。バルコニーで風を浴びる。疲労はあれど、二十分程度の睡眠におさめる予定であったが、しかし随分と長く眠っていたらしい。
     暫くの間沈みかかった陽を眺めるに専心したが、やがては眩しさに耐え兼ね瞳を閉じた。夕焼けの残響、染み付いた目蓋の裏の閃光が消えぬように、時間が流れども先にみたゆめが薄れる気配はない。思考に纏わりついて離れぬそれが鬱陶しく、煩わしかった。戻らぬものを想い、何になるのか。それでも、観念したように、デカラビアは脣を動かしはじめた。ゆめを咀嚼するように、己のことを、考える。

     デカラビアは、デカラビアという生き物の個は、滅びをみることだ。世界の死と再生に、意味と価値とを見出した。ゆえに、デカラビアは滅びを愛する。ゆえに、デカラビアは滅びを齎す。デカラビアが求めるのは、己という毒によって滅び、己という毒を薬として新たに産まれ出づる世界で、あった。そうして、己の個がそうである以上、生き方なぞ、それをするより他にない。
     だというのに、デカラビアは、真に求める滅びをみたことがなかった。滅びとは、命が散ることではない。個が砕かれ誇りが踏み躙られることでもない。デカラビアの魂が欲する滅びとは、システムの崩壊であった。世界の秩序を壊すことこそ、彼の求める滅びであった。

    「俺は、言葉でハルマゲドンを止めようと思った。それができると思っていた。」

     個を背負う闘争が戦争であるなら、メギドラルに仕掛けた策謀は、デカラビアにとっての戦争に等しい。しかし、先にゆめでみたとおりに、デカラビアは敗北した。手繰る言葉は上位メギドに容易く看破られ、自らの個を貫くこと能わず、呆気なく敗れた。無様に死に損ない、挙句追放され、デカラビアはヴィータとなった。滅びをみること叶わぬまま、ヴィータの器に生まれ変わった。
     しかし、ヴィータとなっても、デカラビアはデカラビアであった。メギドの記憶を取り戻したその瞬間から、滅びを希求する衝動は絶えず止むことがなかった。いっぽうで、変わったものも、あった。たとえば、ハルマゲドンを阻止したいという思いの向きは変わった。メギドラルを救うため、という目的は、他者が寄越した滅びで死ぬなぞまっぴら御免だ、という反発が主と変わった。
     デカラビアは滅びを愛するが、けれどもただの滅びに用はなかった。雨が降るように天から注がれる毒、そんなものに用はない。闘争の果てにある破滅、それも違う。無力な個体として成す術なく滅びの前に膝を折る景色、言語道断!

    「俺は、俺がみたい滅びは、システムの崩壊だ。いまある世界を壊すことだ。世界を滅ぼし、世界をつくる。死と再生だ、死と再生だ! 俺の滅びは、自滅でも、破滅でもない。停滞でも、絶滅でもない。社会が死ねども世界は死なない。」

     気づけば、閉ざした筈の眼は開いていた。太陽と月、大地、メギドラルとは異なるヴァイガルドの景色が視界にひろがる。雄大で不変の大地、この世界を目に映しても尚、ぐつぐつと腹の奥が燃え続けているのを感じる。けれどもいっぽうで、デカラビアは、無意識に硬く握り込んでいた己の拳にはしる、微かな痛みを認めると、あとで爪を整えねばなとも、思った。デカラビアにはいつだって、何処か冷静な自分が居た。その冷静が囁くのだ。大地を産まぬおまえは、滅びを愛するだけのおまえは、再生の行方に興味はないのだと。
    「はっ、馬鹿馬鹿しい。」
     声と同時に、びゅうびゅう、茫漠を孕んだ音が吹き、その強い風量にデカラビアの身体がたじろぐ。己の貧弱な肉体にチッと舌打ちを零した。

    「ヴィータを舐めるな。この大地に生きる者こそ、この世界の住人なのだ。まずは在るべきかたちに戻さねばなるまい。滅びは再生なのだから。」

     デカラビアの思惑は様々であった。揺るがぬものがあるとすれば、滅びを見届けたい、それだけであった。死と再生を希いながら、その後の世界にはさしたる関心を抱けぬことも、事実、認めよう。フルカネリはそうもいかぬであろうが、ヴィータが新世界でどう生きるかは、最早自分の領分ではないとデカラビアは認識していた。
     深く、息を吸い込む。清涼な空気が臓腑を満たす。再び目を閉じ、長い思案を経て開く頃には、太陽は屋敷に籠り、空を藍の衣が支配していた。

    「滅ぼした世界の次、ソロモンが王になる。」
    「では、そのとき俺は?」
    「死と再生を、滅びを愛する俺は、その世界をまた滅ぼすのか?」

     わからない。理由は変わったが、しかし、ハルマゲドンを防ぎたいという意思は変わらない。とはいえ、まずは滅びるためにこの世界を滅ぼすことが最優先であると、デカラビアは定めた。
     ハルマの管理下でなく、あの男が王を務める世界なら、ヴィータは矜持を持てるだろう。自ら抗うことを知るだろう。いまある構造を変えるのだ。彼らは日常を送ればいい。デカラビアにとって、基盤を整えるのは、力ある者の役目で、あった。他でもない、ヴィータ自身に抗う意識を根付かせなくてはらない。そのための言葉も、仲間も、行動も、手段もある。己のメギド体でさえ、滅びの前では道具に過ぎなかった。

    「俺は変わらない。」

     言い聞かせるように、呟く。敗北し、追放され、メギドからヴィータとなった。それでも、デカラビアは、変われども、変わらない。滅びを個とする、デカラビアは、変わらない。いまある世界を滅ぼすのだ。何度でも、何度でも。

    「ならば、ソロモンが王になった世界を、おまえは滅ぼすのか?」

     答えを知らぬ問いをまた繰り返す。それはデカラビアの黒い箱で、あった。救済は目的であり、目的でなかった。滅びこそがデカラビアであり、滅びのための再生で、再生のための滅びだ。再生のための世界の破壊であり、再生の先には滅びを求めるだろう。何度でも、何度でも。

    「ああ、……ああ!」
     相反する幾つもの色が脳裏に渦巻き、思考を埋めてゆく。花束を抱くように、それらすべてをたいせつに抱き寄せ胸に抱く。
     ひとつに定める必要は、なかった。矛盾を孕むようにもみえるそれらは、しかし矛盾したままにデカラビアの裡で咲き誇る。どの思考も、感情も、そのままに咲くことを許した。渇望と怒りとが肥となり、滅びと美学、衝動が水を遣った。月光がまろい頰を照らし、デカラビアは静かに微笑う。
     今度こそ、滅びを見届ける。これは二度目の抗いで、足掻きである。死を見届け、再生の世界。必要とあらば、そこからまた、デカラビアを始めればいい。繰り返せばいい。何度でも、何度でも。

    「愛している。俺が救う。己の生に胸を張って死ね。」
    「滅び逝くは美しい。叶わじとも滅びに抗う姿も、美しい。」
    「愚か者ども、せめて矜持を持つべきだ。無様で愚かな滅びはみたくない。」

     己が己である限り、滅びを求め続けるだろう。再生を求め続けるだろう。見届けることを望むだろう。それは決して変わらない。デカラビアは、変わらない。ともすれば、そこに救済がなくとも、世界を守るためでなくとも、世界の敵であり続けるやもしれない。それは未だ知らない。わからない。無明長夜の只中で、唯一のものがあるならば。

    「すきだ。たまらなくすきだ。俺は、滅びと再生がすきだ。」

     世界が、姿が、変わったとして、それだけは知っていた。微笑む、蕾、陶然の舌はこの上なく気持ちがよかった。どう転ぼうとも、滅びそのものが目的であるデカラビアは、魂の指し示す行方と、己の美学とに従い生きるのみで、あった。この魂の名が、デカラビアであるならば。
    「ふふ、クク、くふっ、ふ、ふふふふふふふ!」
     爛れ剥がれ落ちた皮、破れた柘榴の艶めく種が滴り落ちれば、泥黎から引き摺り出した哄笑が夜に響いた。氷の眼が愉悦に歪み、鋭い甘美に貫かれた少年の肉をあえかに捩る。紅潮した頰と吐息とが物語る、手折った花に跪くように。悪魔が、居た。悪魔は、蓮華を観測するため世界に降りたのだ。

    「ははっ、ふ、あはっ、クク、俺は、ふふふっ、俺のために全力を尽くそう。ふふっ、ハルマゲドンは防ぐ。この世界も滅ぼす。俺が滅ぼす。災厄は俺の名であるべきだ。支配者は俺だ。ヴィータの滅びは俺の領分だ。」

     大地を包む夜闇、指環をちいさく瞬かせ、鮮やかな悪魔の翅をひろげる。どれほど風が強く吹けども、薄い身体が揺れることはなかった。大地の恵みの歌声が響き、デカラビアは傲慢が当然の表情をつくり、口の端をもちあげる。
     破壊と創生に蓮華が吐息を一雫、横溢する世界の洪水。数多の口と眼を持ち、多くの姿があり、幾千の月輪が揺れ、幾万の闘争を振り上げ、咲かぬ花が微笑った。夜の空洞、デカラビアの、如何にも魔術師らしい帽子の裡には、翻したローブには、明滅する宇宙が息づいていた。
     死と再生。無限に棲み、無限を観測する者。生者必滅の愛を朽ちる心臓に囁き、会者定離の背中を愛で殺した。抗う姿に美を、無常に愛を見出せば。循環するこの世界に生きるヴィータの魂は、紛れもなく、永遠であった。変化を内包した不変の花が咲き匂う、光、ひかる、指環の輝きに口づけを落とす。獣の遠吠えを踏み付ける、嗤い声が響く。降魔は果たされた。なれば、降誕の扉は決まっている。

    「滅びがみたい。滅びからの再生がみたい。ただ滅びるのはだめだ。俺以外の要因で滅ぶのもいけない。滅びは滅びでも、俺が齎す滅びがいい。それも可能な限り美しい滅びがいい。生命ではない、この世界を壊したい。俺の流儀で滅ぼそう。俺が滅びを見届けよう。ヴィータには、その可能性がある。」

     夜を睨め付け、大地を蹴った。風と踊るように身体を宙に浮かせる。ゆらゆらと杖を振るう。眼の端で空気が凍り、星の氷が産まれた。それに指を滑らせ、ゆっくりと舌を這わせる。誕生直後の星は当たり前に冷めたくて、それが無性におかしくて、デカラビアは微かに、無邪気に微笑った。はやく、滅びがみたかった。


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    泡沫実践

    DONEトラファルガー・ローはパンを食わない。葡萄酒で咽喉を潤さない。かれの主人はドフラミンゴではないからだ。
    呪え祝うな あの、忌わしい、運命の夜から七年が経った。愛を注いだ。庇護下に置いた。腹心の相棒を据えていた心臓の席を与え、これは重要なものだと誰の眼にも分かるよう、色を違えた揃いの羽織も遣った。そうやって、心からだ、心の底から、己の心臓のようにたいせつに可哀がっていた弟の、手酷い裏切りに遭い、胸を裂く想いで鉛玉を撃ち込んだ夜から、七年。堕ちた身が被った獣の暴力、父を我が手で殺めた記憶が悪夢として今尚蘇るように、七年前のあの夜も又、ドフラミンゴを苛み続けて、いる。重く伸し掛かる、痛む、思い、痛みは絶えることがない。記憶が薄れることなどある筈も無い。況してあの夜は、弟を殺した、耐え難く、怒りと屈辱と心痛、喪失、に極まる一件、それだけでは済まなかったのだ。あの日、ドフラミンゴは奪われた。決定的に、致命的に。ロシナンテ、ロー、愛、信頼、心臓、右腕、未来。奪われた全てをひとつに集約するならば、それはハートだった。ハートが全ての言葉になる。空席、赤い、血より濃い、同類。ハートの席。其処に座るべき男の名前。失い、奪われ、未だ手に入らない。その境目を判別することなぞ最早出来まい。
    5341

    泡沫実践

    DONEドフラミンゴさんの話。

    原作通り、当時子供であるドフラミンゴによる父親の殺害描写など暴力描写が含まれます。ご注意ください。
    祝え呪え王の生誕ごめんな、と言って眉を下げ微笑い、ドフラミンゴの父は残して行く家族に命を差し出した。最早他にできることはないと腹を据えたようにも、銃を突き付けてきた息子に対し取るべき行動を何も考え及ばなかっただけの愚鈍にも思える姿だった。差し出された命の貨幣をドフラミンゴは受け容れ、ロシナンテは拒絶した。撃ち込んだ鉛によって与えたのは赦しである。死体となった頭を切断する糸に震えは無かった。銀盆に載せられた首は強張りの隠せぬ、併し柔らかな微笑を湛えている。ドフラミンゴは銃をヴェルゴに手渡すと、伏せられた瞼の端に滲む水を己の熱い指で拭い、最期の言葉に謝罪を選んだくちびるから流れる血の筋や、頸から滴り、溢れ出した血液が、ひたひたと、満たすように銀の大地に広がっていく様を凝と見詰めている。ドンキホーテ・ホーミングは赦された。罪は死によって赦される。犯した罪は己の血によってのみ灌がれる。哀苦に眉を歪ませ、肩で息を切らせながら、ドフラミンゴは冷静だった。頭の半分は激情に浸っていたが、残りの半分は恐ろしいほどに冷めたく、それが眼になり父を見詰めていた。
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    泡沫実践

    DONEロシナンテとロー。
    無題 愛とは全身全霊の行為だ。魂の火が愛だ。ドンキホーテ・ロシナンテが白い子供への憐憫に涙を流した夜、溺れた火種、トラファルガー・ローの心臓は息を吹き返し、幽かな、確かな火が灯された。程なくして心臓、赤い悪魔の実が、ロシナンテの前に立ち現れる。道化は笑った。心の底から祝福を叫んだ。これは奇跡だ、と。ハートの果実は空想でなく、間違いなく実在する、手の届く希望で、あった。同時にそれは、決断を迫る悪魔でも、ある。だがコラソンは迷わなかった。ドンキホーテ・ロシナンテに躊躇いはなかった。惨禍に投げ入れられた子供。同じ苦しみを味わった、何としても止めねばならぬ血を分けた実兄、父の如く慕う恩人、忠を誓う、己を拾い上げてくれた海軍、人々の生活を守り抜く為の組織。決断を鈍らせる要素は幾つも存在する。それでも、かれは選んだ。すべてを裏切り、世界を敵にまわそうとも。トラファルガー・ローを救うと定める。己が持つすべて、命さえ賭しトラファルガー・ローと生きると決める。ロシナンテは既う、知ってしまったのだ。瑕の永遠、この世界の残酷も、白い子供の柔しさも、躍る、赤い心臓に手が届くことも。
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