二人を繋ぐ思い出 窓からみゃあみゃあと威勢のいい鳴き声が聞こえ、建付けのよくない窓をガラガラ言わせながら開ければ茶色い毛並みの猫がひょっこりと顔を出す。可愛らしい声から一変して、真島の顔を見るなりシャーっと威嚇の声を上げ、尻尾はブワッと太くなる。
「勝手に人の顔見て威嚇するか」
猫相手ではあったが、小言の一つくらいは言いたくもなった。何事かと思って窓を開けてみればこのザマなのだから、さすが気分屋な生き物というべきだろうか。しかし当の猫はというと人間に物怖じすることなく、小さな身体でまだ睨みをきかせていた。度胸はあるらしいその猫を真島はすぐに気に入った。
「名前はやっぱりみそかつ、か? 関西っぽい名前がいいよな」
「……味噌カツは関西ちゃうで、兄弟」
「違うのか」
「また、アレ、抜けとるで」
冴島からの指摘にバツが悪い真島は頭を掻きながらごまかすように「お前は今日からみそかつや!」と猫を抱えた。だが、みそかつは真島の手の中で暴れるとスキを突いて床に飛び降り、どっしりと座り込んだ冴島の手に頭を擦り寄せた。
家の中で飼うことこそしながった。猫を飼うほどの余裕はなく、もしかしたらどこかから抜け出した飼い猫だったかもしれない。ただ気まぐれに現れては窓のそばでみゃあみゃあと鳴き、ひとしきり遊んだ後はいつの間にかいなくなっていた。
兄弟が出頭し、大阪・蒼天堀で地獄のような日々を過ごした後、再び真島は東京へと舞い戻った。だがあの頃と違うのは、傍らにいるのは自らの舎弟やら組の若衆だけで、最も信頼を寄せる頼もしい背中はない。
眠らない街にも、静かな場所はあった。真島からすれば静寂はかつての大阪という牢獄を彷彿とさせ、否応なしに過去を引きずり出される。多くを失った出来事を忘れないと誓っても、大切にしたい記憶はそこにはない。
名の知れた極道者が夜道で一人いれば火種にもなり得るが、今日の真島にとってそんなことはどうでも良かった。ふらりと訪れた公園のベンチにどさりと座り、煙草を吹かす。すると不思議なことに足元には一匹の猫。みゃあみゃあと鳴く姿は今の今まで忘れていた風変わりな猫を思い出させた。茶色い毛のみそかつ。
「お前、まさかみそかつか? いや、そんなわけあらへんよな…」
あれからすでに五年以上は経過している。偶然にすぎては出来すぎだろうと思いながらも、どことなく身体の割に人に立ち向かっていく度胸がある辺りは至極そっくりだった。
「みそかつちゃうくても、お前は今日からみそかつや」
猫を抱えて今度はその足のまま、家へと向かうのだった。
***
「待たせたな」
「ほんまや、待ちくたびれてもうたわ」
いつの日かと願っていた日が、二十年以上の時を経て実を結んだ。全てを分かつことになった日から今日まで、二人は多すぎるくらいあらゆるものを失った。大切なものほど手から零れ落ちていく。そしてこの先も同じことが起きるかもしれない。それでもなお、広がる青空を二人で見上げ、どちらともなく口角を上げた。今度は失うことがないようにと決心して。
「そういえば、あいつは元気にしとるか」
「あいつ? お前が気にかけるようなやつおったか?」
「あいつや、みそかつや」
「お前、味噌カツそない好きやったか?」
冴島にやいのやいのとしゃべり倒す真島の顔をまじまじと見た後、ぼそりと「お前が名前つけた猫や」と付け加えた。冴島が最後にみそかつに会ったのは刑に服す前、二十五年も前の話である。
「なんやかんや懐いとったしな、元気か思ってな」
「覚えとったんか」
「忘れるわけないやろ。猫一匹に振り回されてたなんて知ってる奴は……」
「―――何年か前にぽっくり逝ってもうたわ。ただまあちゃんと弔ってやったで」
「そうか……」
冴島が指すみそかつと、真島が最期の瞬間を共にしたみそかつが本当に同じみそかつだったかは誰にもわからない。しかし佇まいや身体の割に気が強くて全然懐かなかったところは瓜二つだった。二度目に出会ったみそかつも一度家に連れて行きはしたものの、結局極道者が飼えるはずもなく、気まぐれに遊びに来るちょっと変わった友人のようであったが、その瞬間だけは過去の、楽しかった日々を思い出せた。
「あいつはきっとお前を呼んでくれたんやろうなぁ……」
真島のつぶやきは冴島に届くことはなかった。臭いセリフ、兄弟に聞かれなくて良かったと思いながらも、胸の内は空高く照らす太陽のように温かかった。