プレゼントはケーキのあとで「荷物を送るから受け取ってほしい」
そう言われた上京一年目の秋。
いつでも会えるようになったというのにわざわざ送ってくるなんて。
どんな大層なものが送られてくるのかと思った11月。
正確に言うと5日20時。
「配達です」とインターホンから聞こえる声に思わず笑いそうになった。
近頃の時間指定は随分と時間通りに荷物を運んで来るものだ。
笑いを堪えて顔に出さない様に、「はいどうも」と玄関を開けた。
開けた扉の先で笑う配達員を見ながら、わざとらしく腕を組んで壁にもたれる。
「お届け物です」
そう言って、配達員ぶった羽鶴が恥ずかしそうに笑った。
恥ずかしいならやらなければいいのに。
恥ずかしくてもやりたかったんだろうな目の前のこの男は。大好きな俺のために。
自意識過剰ではないだろうことを思いながら、羽鶴の続きの言葉を待った。
「プレゼントは、俺です」
王道のセリフにも、広げられた腕にも反応するのを耐え、腕を組んだまま鎖骨の間をポリポリと掻いてみせる。
「……とか、そういうのどうですか?」
自信なさ気に段々小さくなる語尾と、目の前でみるみる赤くなっていく肌。羽鶴は肌が白いから、照れるとよくわかる。
普段から格好つけることに慣れた男が、自分の前では恰好つけきれなくなるところに、ついつい愛おしさを感じて。こんな王道のばかみたいなことにも嬉しいと思ってしまうのだから。
(惚れた弱みやな)
こちらをうかがうように傾げられた首と上目遣いにとうとう吹き出してしまった。
「さすが、俺の欲しいもんがよう分かっちょるやん」
やっと玄関の中へ身体を入れて招くように顎を振れば、羽鶴が「焦るよ、もう」と、ほっと息を吐いた。
「さっそくなんだけど、小腹空いてる?」
ワンルームの小さな部屋のローテーブルにケーキの箱が置かれた。
こちらの返事もろくに聞かず、箱の中から白い小さなホールケーキを取り出して羽鶴がロウソクを立てていく。
「ほんま急やな」
ケーキの乗ったテーブルを挟んで向かいに腰を下ろした。
「この店のケーキ、クリームが少し柔らかめなんだ。11月なのにちょっと暖かいから、ケーキ駄目にならないか心配で」
言いながら真剣にロウソクを立てている足場は、そういう仕上げなのかもしれないが確かに少しゆるそうだ。
「オッケー」
立てたロウソクに今度は火をつけていく。コンビニで買ったような安っぽい100円ライター。器用な手つきのくせに中々つかない火に、本日二度目の吹き出し笑い。
「貸せ」
「いやだ」
「ええから貸せって」
何度かのじゃれるような問答の末にライターを奪って火をつけた。
自分で灯した火が、自分の誕生日ケーキの上でちいさくゆらゆら揺れる。
その火の向こうで羽鶴が拗ねたように、それでも笑っている。
「格好つかないな」
電気を消そうと立ち上がった羽鶴の後ろ姿に「ええやろ、つけんでも」と零せば、「つけたいでしょ。君の前なんだから」と返ってきた。
その言葉の終わりにパチンと電気が消える。一瞬目の前が真っ暗になって、すぐに揺れる明かりで見えるようになって、そして目の前に座り直した男の顔が浮かぶ。
「お誕生日、おめでとう」
もう拗ねてない顔が綺麗に笑っていた。
ピコン、と動画の録画が始まる音がした。
「お前、好きやなそれ」
度々撮られる動画や写真に、お前それ撮った後どうするんだ、何に使うんだ、見返すことはあるのか、誰といつ。などといろいろ考えては面倒になって考えるのを放棄する。やめろと言ったところでなんだかんだと言いくるめられてやめてもらえないのは分かってきた。
「ふふ」
ほら、笑うだけでまともな返答もない。
「……歌えよお前。プレゼントなんやろ」
照れて嫌がるかと思いきやスマホの向こうで簡単に「いいよ」と返事があって、ハッピーバースデーを歌い始めた。
大人になってきて、いまだに自分の誕生日にケーキで祝ってもらえるのは手放しにありがたいことだ。しかも歌までついて。
その上ほら、喜ぶ自分の顔を見て、随分嬉しそうに笑っている。暗い部屋で、ロウソクの狭い灯りで照らされているのは俺の顔だけだと思っている、目の前の奴が。スマホの灯りで自分の顔だって照らされてこちらからよく見えると気づいていない目の前の男が。
俺のことを大好きで仕方ないという顔で笑って見ている。
ロウソクの灯りがオレンジ色でよかったと思う。顔が熱いのはきっと火に近いせいだ。
「火、吹き消す前にお願いごとしてね」
「なんやそれ聞いたことない」
「そういうもの」
「あ、そ」
少し考えたものの、結局ひとつしか思い浮かばなかったのでそれを考えながら吹いた。火が消えて部屋が今度こそ真っ暗になって。消えた時と同じようにパチンと音を立てて部屋が明るくなった。眩しくて何度か目を強めに閉じて開く。
「お願いごとした?」
「した」
「何?」
「言わん」
「だろうね」
勝手知ったる我が家から羽鶴が迷いなく皿と包丁を取り出してくる。デザートフォークなんてもちろんないからフォークはでかいやつ。
「ふたりで食うなら切らんでええやろ」
羽鶴が構えた包丁がケーキに当たる前にフォークを突き刺す。
「あ」
綺麗なケーキを一片剥ぎ取って、苦笑いの顔に差し出した。
「ん」
「鵺路君のケーキだから、お先にどうぞ」
「ん」
断られても差し出せば、苦笑いの顔も優しく崩れて口を開いた。
「はい」
お綺麗な顔で大口を開けた羽鶴の中に、そこそこ大きめの一欠けらを放り込んで収めて。口の端に付く程のサイズ感だったのに、俺が押し込んだそれは何回かの咀嚼で口の中からすぐ消えた。
「ん。うまいよ」
「そうか」
「はい、今度は鵺路君どうぞ」
ここぞとばかりに決め顔の羽鶴が、自分のフォークでケーキを差し出した。
「……自分で食える」
そういうつもりじゃない。食べさせ合いなどと恥ずかしいことをするつもりだったわけじゃない。
ただ、自分の誕生日をこんなにも嬉しそうに迎える奴がいるんだなと、そう思ったら、何か少し、返してやれたらなと思っただけで。貰って嬉しいと思ったそれの最初の一口を、差し出したかっただけで。
だけどそうか、そりゃそうか、やったことが返ってきても文句は言えない。因果応報とはこのことか。
引くつもりのない羽鶴が「はい」と改めてケーキを近づけてきた。
その顔があまりにも幸せそうなものだから。
自分の恥ずかしさよりも大事なものがあるだろうと、腹を括って、眼を閉じて、口を開いた。
放り込まれたケーキは甘すぎず、口の中ですぐにいなくなった。
開いた目の前で羽鶴が満足そうに笑っている。
その顔に手を伸ばしかけて止めて、フォークを握った。
「鵺路君」
ケーキより甘い声が自分の名前を呼ぶ。
「なんや」
「好きだよ」
「知ってる」
「お誕生日おめでとう」
握りしめたフォークで新しくケーキを崩した。また口の中で溶けたクリームとスポンジが喉の奥に流れていく。
「……プレゼントも、もらうからな」
絞り出した声は、羽鶴の目を丸くさせた。意味は伝わったらしい。首の後ろが焼けているのかと思うほど熱い。ロウソクの火はもう吹き消したのに。
「ケーキの残り、後にする?」
普段自分を好き勝手転がす羽鶴が、珍しく余裕なくこちらをうかがうので、満たされすぎて落ち着かなかった胸が少しすいた。
そうだ、今日くらいは自分が優勢に立ってもいいだろう。なんてったって残りまだ数時間、今日の主役は自分なのだから。
「先食う。全部食う」
せっかくのいいケーキだ。
ゆっくり味わって食べよう。
「羽鶴君、俺コーヒー」
ご機嫌なこちらの様子に、諦めた羽鶴が小さくため息をついて立ち上がった。
いつもなら自分で入れるが、今日は羽鶴の入れたコーヒーが飲みたい。インスタントなのに何故か絶妙に不味い羽鶴のコーヒーが。
「……やっぱり不味い」
眉間に皺を寄せてコーヒーを飲む羽鶴を横目に、「いや、これこれ」と希望と予想通りのコーヒーを飲む。
残りのケーキもそろそろひと山。
「最後食べていい?」
「もちろん、鵺路君のだからね」
「どーも」
軽く礼を言って最後のひと山にフォークを指した。羽鶴は相変わらず渋い顔で自分の入れたコーヒーをちびちび飲んでいる。それがなんだか微笑ましい。
(目の前の渋い顔した奴が幸せになりますように)
火を消した時と同じ願いを思い浮かべながら最後のひとを頬張った。
そんで全部平らげたら。
そしたらやっと。