同人バレしたと同時に自らの恋心を自覚した斎藤一の話 ――さてここは古き良き大正浪漫、花の東京がこのお話の舞台です。
主人公、藤野丸りつかは帝都女子師範学校に通う女学生です。朝焼けの光を集めた様な緋色の髪に当時流行の大きな黄色いリボンを飾り、溌剌とした笑顔はまさに太陽のように明るく周囲の人を照らしました。
しかしいつも明るく学校中の人気者である彼女にも悩みがあったのです。
その悩みとは彼女の名誉を考えると大変に申し上げ難いことなのですが、縁談が来ないと言うことでした。
大正時代の女学校というものは主に良家の御息女が主に通う学校です。当然自由結婚と言うものはほとんどなく、親同士が決めた縁談がまとまればそのまま寿退社ならぬ寿退学が当たり前とされた時代でした。
月日が経つにつれて一人また一人と学友がいなくなります。少しずつ空っぽになっていく教室内を見回して天真爛漫なりつか嬢も流石にこのままでよいのだろうかと焦り始めてしまいました。
条件が合わず縁談がまとまらないというのであればともかく、卒業が近くなっても縁談の「え」の字も全く来ないのです。一つ位あるのが自然なのですが、その一つさえりつか嬢に届かないと言うのは確かに奇妙な話でした。
(何故私には縁談が来ないのだろう、私に至らぬ点があるのかしら)
陽だまりの縁側でくつろぐ子猫のような愛くるしい容姿をしている癖にりつか嬢は自分の容姿にはさほど自信を持っていませんでした。精々が普通くらいの容姿、と思っているようです。
成績も良い科目もあれば悪い科目もあり、平均して大体中の上と言ったところでしょうか。運動神経は良く、運動場を軽やかに走る姿は学校の人気者らしく皆の注目の的ですが、りつか嬢は人の目をあまり気にしてはいないようでした。
家柄も特別良い訳ではありませんが特別悪い訳でもありません。
なのにどうして自分には縁談が来ないのだろうか、とりつか嬢は悩みに悩みました。
早く結婚がしたいという訳ではないのですが、それでも周りが次々と巣立っていく姿を見送り続けてしまうと不安に駆られるのは無理もありません。
何日も一人思い悩んだりつか嬢は思い切って御母堂に訊ねてみました。
「ねえ、どうして私には縁談が来ないのかしら」
しかし御母堂は困ったように微笑んでこうお答えになりました。
「りつかさんに相応しい時期になったら相応しいお相手が必ず現れますよ。それまでお勉強と花嫁修行に励みなさい」
(そんな悠長な)
りつか嬢はその答えに全く納得が行きませんでしたが、彼女は素直な良い子なので御母堂にはそれ以上は訊ねることができませんでした。
そんな徐々に強くなる焦りの中、更にりつか嬢を打ちのめす決定的な事件が起きました。
りつか嬢とエスの契りを交わしていたマシュ嬢が退学することになったのです。
エスと言うのは「sister」の頭文字を取った隠語で、主に女学生同士の特別に親密な関係の事を指します。多くはいわゆる「憧れのお姉様」と「可愛い妹」の関係でして、りつか嬢とマシュ嬢もそんな親密な関係でした。
決して皆様が想像するようないやらしい関係などではありません。毎日一緒に登下校したり、お互いの秘密を書きあった手紙を渡し合ったり、休みの日には二人でお揃いの帽子を被って買い物に行ったりするような、とても清らかで美しく愛らしい関係です。それでも二人にとってお互いが唯一無二の宝石のような大切な関係なのでした。
そんなマシュ嬢が寿退学となったのです。彼女の好きな本も好きな花の名前も知らない男がどうして自分から可愛い妹のマシュを奪っていくのか、とりつか嬢は目の前が真っ暗になりました。
学友がいなくなっていく空っぽの教室、マシュ嬢のいない通学路なんて、りつか嬢にとって何一つ楽しみなんてありませんでした。まして縁談もなく未来に何の希望も持てないのです。まるで世界が灰色のようでした。
(いっそ死んでしまおうかしら)
布団に包まり子供のようにわんわんと泣きながらりつか嬢はそこまで思い詰めてしまったのです。
彼女の前に不思議な出来事が起きたのはそんな矢先の事でした。
ある日りつか嬢の机の中に一通の手紙が入っていたのです。そこには女性らしくない無骨な、もっと言えば大人の男の字で書かれた手紙でした。女学校の教室の机に男からの手紙です。怪しい以外の何物でもありません。
恐る恐る読んでみた肝心の内容はと言えば、それはまた空恐ろしいものでした。
手紙の内容はりつか嬢を気遣っている風を装いながらも、縁談の話が来ないこともマシュ嬢が寿退学したことも全て知っているのです。それどころか部屋の間取りもカーテンの模様まで、です。現代で言えばストーカーと言って差し支えないでしょう。
その恐ろしい手紙には更にこう書かれていました。
「貴女に縁談が来ないのも、マシュ嬢を貴女から無理矢理引き離したのも全て私が元凶です。理由が知りたいのであれば日曜日の12時に『カフェ・エミヤ』まで来るように」
なんとその手紙によればこれまでのりつか嬢の不運は手紙の主によって仕組まれたものだと告白しているのです。
何かの罠とは知りつつも勇敢なりつか嬢は手紙の主に指定されるまま『カフェ・エミヤ』に向かいました。
店内は二人が憧れるフランス様式の調度品で揃えられたまさに大人のお店でした。いつか大人になったらマシュ嬢と二人で珈琲と紅茶を飲もうと憧れていた喫茶店です。
こんな風に姿の見えない何者かの悪質な悪戯によって来たくはありませんでした。
「先輩!」
しかしりつか嬢の目に飛び込んできたのはなんと店内の奥まったボックス席に座るマシュ嬢の姿でした。
「マシュ?」
驚くりつか嬢を手招きしたマシュ嬢は、彼女を自分の隣席に座らせます。
たった一月も離れていないはずなのにりつか嬢の目には可愛い妹分のマシュ嬢の姿は妙に懐かしく見えました。
「実は先輩が今日ここに来ると手紙で知らされたのです」
「マシュも手紙を受け取ったの?」
「ええ、先輩を……いじめてらっしゃる方がいるのですね」
マシュ嬢は頬を膨らませました。憧れのお姉様の縁談を片っ端から潰している男がいると言うのであれば絶対に許せないと言いたげです。
「待たせたなあ!」
緊張した面持ちの二人の前に現れたのは長い黒髪の少年でした。
フランス様式の素敵な店内に似つかわしくない、洋装を着崩しただらしない格好の少年はこれまた大人ばかりの店に相応しくない大声で一人ゲラゲラと笑います。
少年の様子に恐る恐ると言った風にマシュ嬢が口を開きました。
「貴方は失礼ですがもしかして織田吉法師、さんですか?」
「知ってるのマシュ?」
「ええ、華族である織田家の方とお伺いしております」
「おおう物知りだのう! しかし他の名の方が有名なのではないか? 織田家の大うつけとな」
わはははは、と何が面白いのか吉法師は二人の向かい席にどっかりと座ってもゲラゲラと笑い続けます。
そんな奇妙な光景に呆気に取られてりつか嬢とマシュ嬢は顔を見合わせました。
これは一体何が始まるのだろう。
「わははははは! 何を隠そう俺が手紙の主だ!」
吉法師は自分を親指で指し示しながら唐突にそう告げます。吉法師の突然の告白に呆気にとられたようでしたが、しかし静かにりつか嬢は答えます。
「いいえ、貴方は手紙の主ではありません」
少女に届いた一通の手紙から始まる奇妙な謎解き。
編み上げブーツを鳴らし式部袴を翻し花の東京を藤野丸りつか嬢が西へ東へ大冒険!
少女歌劇に浅草オペラ、クッキーキャラメルドロップス、リボンに徽章、命短し遊べよ若人、絢爛豪華な大正浪漫ミステリーのはじまりはじまり。
と言う薄くない薄いブック(同人誌)を斎藤一が匿名で書いたのが事の発端であった。
※※※
「トンパチ先生の新刊読ませていただきましたあ。今回もまたキュンキュンハラハラしちゃいましたぁ」
立香の口元はニコニコしているのに目は爛々と怪しげな輝きを放っている。正直言ってめちゃくちゃ恐い。
斎藤一は部屋の隅っこにその決して小さくはないスーツ姿の体を押し込まれていた。部屋は我々の言葉で言うマイルーム、つまりマスターたる藤丸立香の部屋だ。その隅、角に何故か追い詰められているのである。
追い詰めているのは部屋主であり、斎藤のマスターである立香その人だ。
大の男が少女にハムスターの様に追い詰められている。それもセイバークラスのサーヴァントがだ。マスターにサーヴァントが追い詰められているのだからこれはれっきとしたセクシャル・ハラスメントではないだろうか。
立香が呼んだトンパチと言うのは斎藤のペンネームだ。斎藤が名乗った歴代の名前の漢数字を足したら十八になったので、それを適当にもじってトンパチである。
きっかけは本当に小さなものだった。
見回り中についでにお使いを頼まれて作家部屋に行ったのである。作家たちは丁度コーヒー休憩中だった為、斎藤も御相伴に預かった。そこで雑談の中でぽろっと斎藤が呟いたのである。
「僕だったらマスターちゃんを主人公にした話を書くなあ」
何気ない斎藤の呟きを何らかの例えば同族の匂いを感じ取ったのだろう、アンデルセンが目敏く拾った。
「ほう、マスターが主人公か。それは王道だな。舞台はどうする?」
突然そうボールを渡され、促されるまま斎藤は珈琲の湯気を追いかけるように宙を見上げた。
「ええっと……平和な場所がいいかな……切った張ったの世界じゃない例えば……明治後半から大正前半の……女学校とか」
アンデルセンと同じく同族(道連れ)が増える感触を得たのかシェイクスピアが助け舟(と言う名の地獄の片道切符)を差し出す。
「おおう、そのマスターはもしや女学生ですかな?」
「えっと……そう女学生で……いや学校だけじゃなくて色々行けるといいな。あの時代は宝塚も演り始めたし洋風のハイカラな建物もたくさん建ち始めた頃でね」
「ふむ、しかし年端も行かぬ女学生があちこち出歩くには何か理由が必要だろう。つまり動機だな」
「うーん……あんまり殺伐としてるのはちょっとごめんだなあ……」
血生臭い話や生死や世界の存続を賭けたような話は現実だけで沢山だ。
何を妄想しているんだと斎藤が我に返る前にシェイクスピアが更にトスを上げる。
「ならばカルデアの日常のようなものでいいのでは?」
文豪の助け舟なんて豪華客船そのものだ。船名に「タイタニック号」と書かれている可能性はさておき。斎藤がはっと顔を明るくした。
「それだ! 日常ミステリーというか、色んな謎をマスターちゃんがマシュちゃんや他の仲間と一緒に解決していくような平和な話がいいな!」
それならネタは山ほどある。伊達にカルデア内の見回りをしている訳ではない。生前警察官も女学校勤務の経験もある。実は女学校勤務時代は学生の忘れ物や没収された「少女世界」をこっそり愛読していたのだ。それらの記憶を組み合わせたらいくらでもエピソードは出てきそうだ。
思わず腹を抱えて笑うような事件や、なんだこれと呆気に取られるような話、微笑ましい話が生前の斎藤にもサーヴァントとしての斎藤にも山程ある。それをカルデアのマスターではない、ただの女学生の立香が経験したらどんな表情をするのだろう。どんな行動を取るのだろう。考えただけでワクワクしてしまう。
「「どうぞ」」
気づけば作家部屋に斎藤のデスクとノートパソコンが用意され、斎藤は言葉を失うしかなかった。
そして、あれよあれよと言う間に何となく小説っぽいものが完成した。そしてカルデア内で開かれたプチサバフェスに名前を明かさず委託して頒布してもらったのである。身内バレは絶対に避けたかった。
どうせ誰も読まないだろうと踏んでいたのに、その話「大正女学生藤野丸りつか」シリーズは意外にも好評であった。
カルデア内で実際にあった事件をモチーフにしているところ、ハードな展開がないから全年齢で読める部分、何よりりつか嬢を褒め称える形容詞の多さがとても良いとマスターガチ勢から人気であった。
モデル本人をそのまま書いているはずなのにとは思ったが褒められるのであればと斎藤は賛辞をありがたく素直に受け取った。
作者の正体も日本の大正時代が舞台であることから真っ先に斎藤が疑われた。しかし斎藤一が書いたにしては全体的な作風が少女趣味過ぎるのではないかと言う声が多数あり、これもまた意外なことにバレなかった。小説のお手本が少女世界、いわゆる少女雑誌なのだから少女趣味になるのは仕方ない。念の為時代考証として関係はしているとは公言している。
かくして覆面作家トンパチは順調に作家として歩んでいたのだ。今マスターである藤丸立香に原稿を読まれてバレるまでは。
「マスターちゃん近っ近い」
さっきから立香の豊かな胸や太ももが斎藤の体に当たっている。遊び人の斎藤としては嬉しいが、サーヴァントの斎藤としては目のやり場に非常に困ってしまう。
「でへへへへぇ……私トンパチ先生の大ファンでぇえ……」
しかしその肉感の柔らかさに鼻の下を伸ばすには彼女の笑顔が怖すぎた。狂信者の目つきである。
「あ、あんがと……」
「でゅふふふふ……今回手紙の主らしき人がラストに出て来たじゃないですかあ……?」
確かに最新刊では人気のない場所で一人気絶した立香を手紙の主らしき正体不明の男が助けると言うシーンを入れた。
すっと自身の懐から立香が何かを取り出す。それは一枚の色紙であった。
えっどうやって入れてたの?
「ファンアートです」
「えっ」
手紙の主(妄想)とデカデカと書かれた横にはイラストが書いてある。その人物は斎藤に酷似していた。
「僕?」
「手紙の主って斎藤さんがモデルじゃないんですか?」
立香の言う通り、この話はカルデアのエピソードを元ネタにしている部分がある為、登場人物もマシュや織田吉法師を始めぱっと見胡散臭い探偵夫婦や飲んだくれの自称用心棒、剣術小町などを出している。
しかし手紙の主のモデルは考えていなかった。
と言うか手紙の主は余命幾ばくもない大富豪の老人の設定である。りつか嬢を助けた正体不明の男は老人の孫でモブのつもりだった。
老人は『いのち短し遊べよ若人』とばかりにりつか嬢にたくさんの楽しい思い出を与えるのだ。いつか結婚して子どもを作り普通の女性として生きていく彼女だけれども、キラキラしたかけがえのない思い出だけはずっと胸に残して欲しかったのだ。
老人の最期の願いはりつか嬢の口からその冒険の数々を病床で聞くことである。そしてりつか嬢と共に若い自分が冒険する夢を見ながら永遠の眠りに就くのだ。
そういうラストを想像している。
しかし斎藤は最後の大問題に思い悩んでいた。
何故老人はりつか嬢を選んだのかという問題である。
偶々目についたから、何となくでは流石に弱いだろう。
そこが決まらない限りは話が進められない。
「手紙の主は……まだちゃんと考えてないんだ」
そう答えると立香は驚いたような声を上げた。
「そうなんだ、てっきり藤野丸と手紙の主は最後に結婚するのかと思ってた」
「結婚?」
手紙の主とりつか嬢が結婚するなんて全く思ってもみなかった。だって死ぬ寸前の爺だし。爺が若い女の子と結婚なんて犯罪じゃないか。
「二人が結婚したら良いなって思ってただけなんだけど、その小説の中でくらい、そういう、ね?」
何故か顔を赤らめながら立香は何かをゴニョゴニョと言い籠る。
「りつか嬢に結婚はまだ早いんじゃないの? ほらぁ、いのち短し遊べよ若人って言うじゃない」
「斎藤さん、それいつも言ってるけど『いのち短し恋せよ乙女』じゃないの?」
「え? そうなの?」
素で間違えて覚えていた。
「なーんか語呂が悪ぃなって思ってたんだけどさ」
ふふふっと笑い立香がやっと斎藤から離れる。
煩悩から解放されたのは助かるが、温もりが無くなったのは正直に寂しい。
「いーのちーみじぃかしーこいせよーおとめー、ってここしか知らないけど」
遥か昔に聞いたことのあるような懐かしい唄を口ずさむ。そんな立香の横顔を斎藤は思わず凝視してしまった。
マスターガチ勢からりつか嬢の描写を絶賛されていたが、とんでもない。
自分が思い描くより実物の立香はもっと綺麗だ。鼻梁は彫刻のようで肌は陶器のように滑らかで、瞳などまるで世界中の黄水晶を掻き集めてその中から一番綺麗な物を嵌め込んだように美しい。
そうだ。はっと斎藤が思いつく。
きっと老人もりつか嬢のこの美しい横顔に恋をしたのだ。若い彼女と自分が添い遂げることなど出来ない。何故なら生きていく時間があまりにも違い過ぎる。ならばせめて美しい思い出を与えたかった。いつか誰かのものになるのなら、この美しい横顔が他の男の物になってしまうのならせめて心の片隅に美しい思い出を一欠片でも与えたかったのだ。老いさらばえた自分の代わりにそんな美しく楽しい冒険の記憶を残しておいてほしかったのである。
そしてそれは、きっと自分も同じ気持ちだった。
いつか人理を修復して元の世界に戻ったとしても立香にとってこの旅が決して嫌な記憶だけではなく楽しい思い出として残っていてほしい。彼女の隣に自分がいなくてもせめて素晴らしい旅路であったと覚えていてほしいのだ。
「斎藤さん?」
「――好きだ」
同人バレしたと同時に自らの恋心を自覚した斎藤一の話。
おわり