蛍ちゃんとお料理 Day11 to 20Day11 完熟トマトのミートソース
蛍が厨房に立つと、包丁の音を聞きつけたパイモンがふよふよと現れてつまみ食いを狙う。口にめいっぱい詰め込んで、これは味見だぞ、とふごふご言い訳をするのはいつものこと。
だから今日もいつも通り、具を刻み始めたところに姿を見せる。
「今日は何を作ってるんだ?」
「ミートソースだよ。パスタにしよう」
「ぐうう、まだ食べるものはなさそうだな……」
できているのはまだニンジンのみじん切りだけ。しゃくしゃくしておいしいかもね。食べる? と聞いたけど遠慮されちゃった。
「というか、なんか鼻がキュッてしないか?」
「鼻?」
「うわわ、目が痛くなってきたぞ! なんだこれ!」
パイモンは目をしぱしぱさせながら涙をこぼす。蛍も少し鼻がツンとしてきた。それもそのはず、今手元にあるのは刻まれた玉ねぎ。これからもっと細かく刻むから、まだまだパイモンの涙は止まらないだろう。目元をごしごしこすっては痛いと騒ぐ姿が可愛くてげらげら笑えば、泣きながらぷりぷり怒るもんだからそれがますます可愛くて。笑いすぎて涙が出てきて、無意識に手で拭った。
「あ、痛い痛い! 手洗わないで目触っちゃった」
「オイラのことを笑うから、バチが当たったんだぞ!」
「もう、ごめんって! そういうパイモンだって笑ってるじゃない!」
ふたりで涙を流しながらいひひと笑う。笑いすぎて苦しいよ。ふうふうと呼吸を落ち着かせる頃には玉ねぎのぴりぴりもなくなっていた。
よし、とふたたび玉ねぎに手をつければ、パイモンは慌てて扉の向こうに隠れた。そろ、と顔だけこちらを覗いている。
「顔出てたらまた痛くならない?」
「でもお前が料理するところ好きだから見たいぞ」
「見てて面白い?」
「おう! 魔法みたいですっごいぞ!」
魔法ね。蛍にはないパイモンならではの感性だ。褒められて悪い気はしないなあ、と調子に乗っていたら玉ねぎがずいぶん細かくなっていた。こんなに小さくしなくてもよかったけど。
にんにくの香りが立ったら玉ねぎを炒める。透明になってきたらニンジンとひき肉を入れる。匂いにつられてパイモンが影から出てきたらざく切りにしたトマトを入れる目安。調味料を加えて、トマトを潰しながら煮込む。興味津々で覗き込んでいるけど、味見はまだ早いよ。こら、スプーン出さない。
ソースの水分を飛ばす間に麺をゆでる。たっぷり沸かしたお湯に麺を入れて、じいと待てばぶくぶくと細かい泡が上がってくる。吹きこぼれないようにお湯をかき混ぜるのはパイモンのお仕事。ただでさえ小さな手で菜箸を操るのは大変そうだけど、魔法の杖でお湯を鎮めるなんて、パイモンも立派な魔法使いだね。
「あ、お前、服が汚れてるぞ!」
見れば赤い点が散っている。煮込んでいる間にミートソースが飛んだのか。あちゃあ。
「あれ、パイモンもついてるね」
宙に浮いた足に点々と跡がある。もうパスタも茹で上がるのに、着替えないと。
いやでも、もう食べる気まんまんでお皿を出してきたパイモンはそんなつもりはなさそうだ。いいか別に、汚したままでも。染み抜きをする未来の私に怒られることにしよう。
Day12 ハスの実入り茶碗蒸し
蛍はいつも朝一番に、冒険者協会からの依頼をこなしている。だからしっかり食事をとってスタミナをつけたいところだけど、朝からがっつり食べる元気はない。最低限何か口には入れておこうということで、さっと食べられるものを前の晩のうちに仕込んでおくのだ。
今日は茶碗蒸しを作ろう。栄養のあるハスの実を入れるのがおすすめだと不卜廬のお兄さんに教えてもらった。
茶碗蒸しはつるりと、冷たいままでも食べられるのでありがたい。どんな具材もだいたい合うところも魅力のひとつだと思う。
今回は鳥肉と塩ゆでしたハスの実と、贅沢に松茸を入れよう。パイモンはもう寝てしまったから、ひとりでハスの実をつまみ食い。ほくほくだ。鳥肉には熱湯をかけて脂を落としておく。
蒸し器のお湯を沸かす間に、ボトルに作り置きしてある出汁と調味料を合わせて、よくほぐした卵と混ぜる。
器に具材を敷いたら、ゆっくり卵液を注いで。器がやたらと大きいのは、一度にいっぱい食べた方が満足感がある、というパイモンの希望によるもの。火が通りづらくなるからちょっとだけ困っている。
蒸し器もしっかり蒸気が出ている。あとは弱火で蒸すだけ。今日は綺麗にできるかな。
音を立てないようにそっと洗い物を済ませれば、すっかり暇になってしまった。しんと静まった真夜中にただ座って待っているんじゃきっと眠ってしまう。
ひとりで寂しく七聖召喚の練習でもしてみようか。いや、読み途中の本もあるな。返却期限はまだ先だから急がないけれど。
あれこれ考えていると、厨房の扉がそっと開かれる。
「ほたる? まだねないのか?」
「パイモン! ごめんね、起こしちゃった?」
「ひとりじゃさむくて、ねられないぞ」
厨房の眩しさにぎゅっと瞑った目を擦りながらいつもよりちょっと低いところを飛んできた。寝ぼけて喋り方もふわふわしている。
「まだかかるから、布団で待ってて」
「ふとんさむいぞ」
「もう、ここも冷えるから」
今にもばたりと落ちそうなパイモンを膝の上に抱える。
あったかい、なんて呟いたと思ったらすぐにすうすうと寝息を立て始めた。そこで寝ないで、風邪引くよ。というか動けないよ。
むにゃむにゃ寝言が聞こえる。自分の髪の毛を食べては幸せそうな顔をして、一体どんな夢を見ているんだろう。ほんのり漂ういい香りにつられて、おいしいものを食べる夢でも見ているのかも。そっと髪の毛を避けたら顔を顰められた。なんかごめん。
はむはむ、あぐあぐ、寝言のバリエーションが面白くてつい観察してしまう。全部何か食べてるっぽいな。
ところでパイモン、そろそろ茶碗蒸しも蒸し上がるんだけど、ちょっと起きてはもらえないかな。
Day13 バターチキン
カレーの香りは〜子供たちが帰るサイン〜
曲が頭から離れなくなったらしいパイモンが繰り返し歌うものだから、蛍はすっかりカレーの気分にさせられて、香辛料とヨーグルトにお肉を漬け込んでおいたのだ。この香辛料の調合は家庭によって特徴があって、教えてもらったレシピは定番の比率なんだとか。ぜひいろんなバターチキンを食べ比べてみたい。
肉を漬けだれごと鍋に入れればぱちぱちと油を飛ばす。しかし割烹着を手に入れた蛍は油はねなど怖くないのだ。やっと下ろした割烹着に気分もうきうきで、鼻歌まで歌ってしまう。子供たちが帰るサイン〜♪
表面に焼き色がついたらバターをたっぷり溶かして、トマトと一緒に煮崩す。カレーだけを完成させて肉はあとで合わせるレシピもあるが、蛍はじっくり煮込んでほろほろに解けたチキンが好きなのだ。
そろそろ香辛料の香りが邸宅いっぱいに広がっただろう。その印に、遠くからまた歌が聞こえてきた。声がどんどん近づいてくる。
「カレーの香りは〜子供たちが帰るサイン〜」
厨房に登場した歌手パイモンは、寝かせていたパン生地が膨らんでいるのを見て感嘆の声を漏らす。
「触ってみる? もちもちで気持ちいいよ」
「どひゃー! ふっかふかだな! オイラこの生地の上で寝たいぞ」
「二度と起きられなくなっちゃうかもね」
パイモンの興味が完成直前の鍋に移ったと思ったら、今度は味見という名のつまみ食いが始まる。ちょっとちょっと、食べ過ぎじゃない? 無くなっちゃう。てへ、じゃないよまったく。
無事においしい! との評価がもらえたところで、指の跡でぽこぽこになった生地を薄く伸ばす。
「ひとつはチーズ入りのナンにしないか?」
「ええ? 贅沢だねえ。じゃあそこのチーズ取ってくれる?」
生地にチーズを折り込んでフライパンへ。カレーの味を整えていたらちょっとだけ焦がしてしまった。ナンはあっと言う間に焼き上がる。
器にカレーを盛り付けて焼き立てのナンを添える。最高のディナーだ。次は2種類のカレーを作って、お店のプレートみたいにするのも楽しいかな。そうすると今度はあのオレンジ色のサラダドレッシングも欲しいところ。どうやって作るんだろう。
うん、明日からカレー屋さん巡りでもしようか。パイモンはもちろん付き合ってくれるよね。
Day14 マサラチーズボール
カレーは2日目がおいしい。
スメールの住人にそう聞いたときは半信半疑だったけれど、実際に試してからはわざわざ多く作って2日目を楽しむようになった。野菜がさらにとろとろになってマイルドな味わいになる。
それでもスパイスの香りが弱くなってしまうのが気になったけれど、そんなときにはマサラチーズボールを入れるのがいいのだとも教えてもらった。
じゃがいもを茹でている鍋を覗き込んだパイモンは、バターを乗せた小皿を用意している。じゃがバターを教えた日から茹でたじゃがいもを見つけるたびにこれだ。
いい加減つまみ食いを止めるべきなのかとも思うけれど、おいしいものを食べるパイモンの顔を知ったら誰もそんなことはできないだろう。
鍋を火からおろせばパイモンの目はますます輝く。ざぱあ、とざるにあけたときの湯気を浴びるのにもハマっているらしい。
スチームを浴びてぺかぺかになったパイモンに、ほくほくのじゃがいもを渡す。
「もう一個欲しいぞ!」
「三つもあるじゃない」
「そこをなんとか!」
「だめだよ、なくなっちゃう」
「わざわざ余分に茹でてるの知ってるぞ! もう一個!」
あれ、バレてた。でも残りは蛍がじゃがバターを楽しむためのものだ。すっ、とこれまたバターを乗せた小皿を取り出せば、どぅわ! なんて驚かれた。
「私が食べる分もあるからね」
「じゃあこれで我慢するかあ」
バターが溶け切る前に食べてはふはふと口から湯気を吐くパイモンの横で、冷める前にじゃがいもを潰す。蛍はバターがしっかり染み込んだじゃがバターが好みなのだ。
細かく細かく潰したところでじゃがバターをひと口。うん、じゃがいもの甘みとバターの塩気が最高だ。こういう寄り道も料理を作る人の特権だよね。まあ隣の相棒は料理していないはずなんだけど。
潰したじゃがいもに香辛料とチーズを混ぜて、お団子みたいに丸める。あとはこれを焼けばマサラチーズボールは完成だ。パイモンも丸めるのを手伝ってくれたけど、小さな手でめいっぱい大きく作ろうとするものだからいびつな形のボールができた。ちょっとだけ焼くのが大変だった。
できたチーズボールと温めたカレーとを合わせれば、とってもおいしい2日目のカレーの出来上がり!
綺麗にできた大きいやつはあげるから、この素敵な形のチーズボールは私が食べてもいい?
Day15 午後のパンケーキ
今日のおやつはパイモンのリクエストに応えてパンケーキだ。いつかふわふわのぶ厚いパンケーキを焼けるようになりたいな、と思いながらいろいろなレシピを試してきたけれど、ノエルに教えてもらったこのレシピが一番だ。ふわふわ加減はもちろん、クリームをたっぷりトッピングするのもパイモンのお気に召したらしい。
そんな大事なクリームは氷水と一緒にパイモンに預ける。小さい腕をめいっぱい使って泡立ててくれるそれは、なぜか蛍が作るものより綺麗なのだ。
その代わりに蛍はふわふわのパンケーキを焼いてみせよう。ボウルに卵を割り入れて、牛乳とよく混ぜる。
「パイモン、見て! 双子!」
「黄身が二個! 当たりだな!」
「目玉焼きにすればよかったかな」
双子の卵を見つけるとちょっと嬉しくなれる。きっと良いことがあるね。
崩すのは忍びないけれど、よーく混ぜて、粉類を入れる。ここからは混ぜすぎないのがコツです! と教えてもらった通り、ざっくりと混ぜて止めておく。
フライパンを火にかけて温める。気づけばパイモンはボウルのすき間から溢れた水でびっしょり濡れていた。クリームには水が入っていないのはさすがだけど、小さいサイズのエプロンも必要かな。
フライパンが均等に温まったら、濡れ布巾の上で少し冷ます。
「じゅううううう」
「ふふ。じゅー」
かわいい物真似だねえ。
生地を注ぎ入れるときは高いところから落とすのが大事で……うん、綺麗に丸くなったね。
ふつふつと小さな穴がでてきたらひっくり返す。どきどきの瞬間だ。手を止めて固唾をのむパイモンのためにも成功させなくちゃ。せーの。
「おお! さすが蛍!」
蛍より喜ぶ姿に少し照れくさくなる。よし、この調子で残りも焼いてしまおう。全部焼き終わる頃には冷めてきちゃうのが難しいな。フライパンをたくさん用意して一気に焼けばいいだろうか。だめだ、火が足りないな。
「じゅううううう」
フライパンを濡れ布巾で冷ますたびに唇をつんと尖らせながら再現してくれるけど、それはなんのブームなの。
6枚焼き終わったところで、パイモン担当のクリームも完成だ。クリームをちょっとだけ拝借して、室温に戻しておいたバターと合わせる。ちょっと豪華にホイップバターで。
重なったパンケーキを見るとわくわくする。あったかくてふかふかの、幸せの味。積んだパンケーキにホイップバターとクリームをトッピングして、最後にラズベリーを添えればできあがり!
蛍は2枚でパイモンは4枚。……あれ? 3枚ずつじゃないの?
「はっ待て蛍、まだ午前中だからパンケーキを食べちゃだめなんじゃないか!?」
"午後"のパンケーキってそういうことだっけ?
Day16 ピタ
明日から砂漠地域の探索を進めるにあたって、いろいろと準備が必要だ。サングラス、日除けの布、タオル、防寒着、大量の水、塩。あとは食料を用意するだけ。食べやすさと栄養を考えて、ピタをたくさん作ることにした。このポケットの中身はなんだっておいしい。さて、何を入れようか。
「炒めたお肉!」
「エビとゆでたまごとかどう?」
「オイラてりやきチキンが食べたい」
「カレーもいいかも」
「リンゴのシナモン煮も入れようぜ」
思いつくまま具材を用意していれば結構な量になってしまったけれど、生地の発酵には一時間近くかかるしちょうどいいかな。ぐにぐにこねた生地に濡れ布巾を被せて、さて。
鳥肉を焼いて、半分カレーに、半分てりやきに。エビは殻付きのまま背わたを引き抜いたら、沸いたお湯に入れてあとは余熱で火を通す。エビを入れたカレーも食べたいかも、カレーも半分分けておこう。
あれ、何をどこまで作ったっけ。
「あ! またつまみ食いして」
「見つかっちゃったぞ……やっぱりてりやきチキンはうまいな!」
ああそうだ、卵を茹でて冷やしておかないと。あとはリンゴの皮をむいて小さく切る。ついでに一切れ食べる。みずみずしくておいしい。バターや砂糖と一緒に加熱して、最後にシナモンをひとさじ。
それから獣肉をしっかり焼いて、スパイスで味をつける。
振り返ればたくさんの小鍋。生地もすっかり膨らんでいた。薄く伸ばして成形したら、温めたオーブンへ。
「パイモンはエビの殻むいてくれる?」
「おう、任せろ!」
両手にエビの足を大量にくっつけながらぱきぱきと剥いてくれた。エビにも何本かついたままなのはご愛嬌。
横で卵の殻をむいている蛍が楽しそうに見えたのか、いつの間にか卵をむき始めていた。エビ、まだ半分以上残ってるじゃない。はあ、とため息をつけば、焼き上がったピタパンのいい匂いがしてきた。
あとは粗熱がとれたら、この具材を詰めるだけ。
「クリーム入りとか作れないか?」
「持ち運ぶのも大変だし、暑いからすぐだめになっちゃうよ」
「うう……甘いものが足りない……」
「うーん……ジャムはだめ?」
「いいぞ! たっぷり入れような!」
また具材が増えた。何種類できるだろう。中身を詰めたらワックスペーパーで包んでアルミホイルで覆う。
「これはチキンカレーね」
「ちーきーんーかーれーえ!」
芸術的なパイモンの字で、ホイルの表面に中身を書いておく。みんなは読めないかもしれないけれど、蛍とパイモンなら大丈夫。
……やっぱり嘘、これなんて読むの?
Day17 タフチーン
朝早くからパイモンとふたりで邸宅中をぴかぴかに掃除した。食器ももう磨いてある。テーブルクロスだってばっちりだ。あとは料理の準備だけ。
パーティ料理の仕込みはわくわくでいっぱいだ。普段よりたくさんの食材を用意して、普段よりたくさんの手間をかけて、このあとの楽しい時間に思いを馳せながら作る。
サフランで色づいたお米を鍋に敷き詰めて、漬けておいたお肉を並べる。何層か重ねると断面が綺麗になるのだとレシピに書かれていた。底が深い鍋を選んだからか、想像よりたくさん入るな。でも大人数ならいっぱいあったほうが楽しいよね。
あとは火にかけて、おこげができるのを待つのみ。
「いい香りだな!」
「今日はつまみ食いする分はないからね」
外の畑からたくさんフルーツを持ち帰ったパイモンは今にもよだれを垂らしそう。このあとみんなで食べようね。
鍋でシロップを作りながら、パイモンが採ってきてくれたフルーツを食べやすい大きさに切る。ボウルに移して、冷めたシロップと合わせて冷やしておくだけの簡単デザート。
……なんだけど、蛍がフルーツを切る後ろで、しゃらら、しゃらら、とパイモンが飛んでいる気配がする。フルーツを掴むたびに、はわ、とか おお、とか漏れた声が聞こえてくる。
「パイモン、花瓶にスメールローズを挿してテーブルに置いといてくれる?」
「お、おう! やっておくなー」
しゃらら、しゃらら。
……絶対やってないでしょ。ばっと振り返ると、そっぽを向いて口笛を吹きながら、スメールローズの葉をなでている。やってないな。
正面に戻ってナイフを握れば、またすぐ後ろでしゃらら、しゃらら。やっぱりそうだ、切ったばかりのフルーツが狙われている。
「パイモン、今日はつまみ食いないよって言ったでしょ」
「ぅえ! ……なんでオイラがつまみ食いしようとしてるってわかったんだ?」
なんでわからないと思ったの、もう。みんなが帰ったあとにパイモンがひとり占めする分は寄せてあるから、今は我慢だよ。
がっくり肩を落としてテーブルのセッティングに向かったパイモンを見送って、そろそろタフチーンをひっくり返してみようか。少し冷めてから返す方が崩れにくいかな、とは思いつつ、待つ時間を惜しんでちょっとだけずぼらをしてしまおう。お皿を被せたら、鍋ごと一気にひっくり返す。よっと。
あ、少し崩れたかも。そっと鍋を持ち上げる。やった、綺麗なおこげ! でもやっぱり一箇所だけほろりと欠けてしまった。このまま出すわけにもいかないし、欠けたご飯は回収して。……あれ、もしかしてこの欠片、つまみ食いにぴったりなんじゃない?
Day18 漁師トースト
依頼をこなしていれば、少し遅い時間になってしまった。夕飯をご馳走になったけれど、そのあとあちこち走り回っていたからかもうすぐ日付が変わる時間だ。
こんな真夜中だけど、よく動いたぶん小腹が空いている。いつもはもっと早く限界が来てしまうパイモンもまだ眠くないようだし、ちょっとだけ付き合ってもらおう。
「パイモン、歯磨きはちょっと待って」
「んあ? なんでだ?」
袋の口が開けられたままの、まだ温かい食パン。巷では高級食パンなるものが流行っているらしく、依頼人から差し入れとして貰ったのだ。今日の一番最後の焼き上がりの食パンはそれはそれはふっかふかで、気をつけないと何かの拍子にぐわんと折ってしまいそうだ。
「食べない?」
「いいのか!?」
「どれくらい切ろうか。これくらい?」
「もっと!」
一本まるごとの食パンは、自分で好きな厚さにカットできる。せっかくの焼き立てなら、ぶ厚く切ってみようか。でもこんなに厚くて、パイモンの口に入る?
切ったパンにケチャップを広げて、薄くスライスした玉ねぎを乗せる。具を落とさないようにゆっくりトースターに移して焼く。蛍の分は色がつくくらい、パイモンの分はカリッとするまで。
焼き上がりを待つ間に、まだまだある食パンから薄く切り取る。トーストせずに食べてもおいしいんだって。
「どう?」
「ふわふわだ! 耳までやわらかくて、これもいいな!」
カリカリがお好みのパイモンも気に入ったらしい。確かに、ふわふわで甘くて、とってもおいしい。
小麦が焼けるいい香りがしてきたところで、蛍のトーストはできあがり。パイモンはトースターの窓を覗き込んで、最高の焼き加減を待ちわびている。
待っていればお腹がきゅるると鳴ってしまった。まだか。焼き立ての漁師トーストが乗った皿を持ってうずうずしてしまう。
トースターを見張るパイモンも、足をじたばたさせては心待ちにしているらしい。
おっと、おいしさを追求するパイモンプロはトースターのタイマーを延長しました! まだ焼き上がらないのか!
「先食べててもいい?」
「ずるいぞ!」
「お腹すいたよ」
「あとちょっとだから待ってくれ!」
いつもなら早く食べたいと蛍が急かされるのに、今日は反対だ。パイモンをこんなに我慢強くさせるとは。焼き加減への並々ならぬこだわり、恐るべし。
トースターに夢中でこちらを見もしない。小さくいただきます、と呟いたのも聞こえていないみたいだ。あ、と齧り付こうとしたところで、ものすごい勢いで小さな頭が振り返った。
「まだだぞ!」
なんでバレたんだろう。
Day19 鳥卵の玉子焼き
今日はいたるところで「恵方巻き」なる文字を見る。円筒形のイラストが添えられていて何かの食べ物らしいというのはわかるのだが。
「節分の食べ物ですね」
「せつぶん」
季節を分ける日の前日を節分と呼び、特に立春の前の日を指すことが多いのだとか。その節分に縁起のいい方向を向いて食べる巻き寿司が恵方巻き。
解説を求めて立ち寄った社奉行所でそう教えてくれた綾華のご一緒にいかがですか? というお誘いに甘えて、今晩はご馳走になることにした。
恵方巻きの準備をしているというトーマの元へ向かえば、厨房はお酢の匂いでいっぱいだった。
「何か手伝えることある?」
「そうだな、玉子焼きくらいか?」
「へえ、玉子焼きも一緒に巻くんだね」
「オイラも手伝うぞ!」
今日はお邪魔してるんだから、つまみ食いはなしだよ。オイラだってそれくらいわかってるぞ。トーマはそんな会話を聞いて、仲が良いねえ、なんておじいちゃんみたいなことを言う。パイモンは寿司酢を混ぜてご飯をぱたぱた扇ぐお手伝いを、蛍は甘めの玉子焼きを焼くお手伝いを。
砂糖を入れた卵液は焦げやすいから気をつけて。火加減とか巻き方とか、難しいことが多くて最初はとても苦労したけれど、今じゃすっかり得意料理だ。
「こんなにたくさん焼くの? 余らない?」
「それならそのまま食べたらいいさ。君の玉子焼きならきっと大人気だ」
「ずいぶんハードル上げるね」
期待値の高さに動揺して、一箇所破けてしまった。きゅきゅっと寄せてうまく誤魔化したと思ったのに、トーマにはバッチリ見られていた。仕上がりが綺麗だったらいいよね?
蛍にとっては10日分くらいの玉子焼きを作ったけれど、今日だけで全部使ってしまう予定らしい。トーマ、これをひとりで作るつもりだったの?
粗熱がとれた玉子焼きを細長く切ったら、具材の用意は終わり。あとはこれを巻いていくだけ。だけと言っても、それが一番大変らしいけど。
「君たちもやってみるかい? 好きなものを入れたらいいよ」
「オイラはウナギいっぱいにする!」
海苔の上にご飯を広げて具材を乗せたら、手前から巻きすを持ち上げる。具を軽く押さえながら、向こうのご飯の端まで合わせて手前にぎゅっと握る。
あれ、トーマのお手本みたいに具が真ん中に来ない。パイモンは巻きが緩くなっちゃったみたい。見た目以上に難しいんだね。
「大丈夫、まだまだ練習できるよ。あと20本分はある」
「オイラはもう遠慮しておくぞ……」
Day20 モンド風焼き魚
家の中でも魚を飼いたい。そう思って深く考えずに作ったものだから、かなり大きいサイズの水槽になってしまった。お魚一匹では寂しいね、と傷のない綺麗なお魚を捕まえに来たのはいいものの、今のところ良い出会いはなく。
ぽかぽかと穏やかな陽気の中、モンドの街をぼうっと眺めながら釣り竿を揺らす。たまに抜ける風も心地よくて、そうだなあ、サンドイッチでも持ってくればよかったかも。こんなピクニック日和はなかなかないよ。
「オイラ……飽きてきたぞ……」
「うーん、のんびりしすぎて眠くなってきちゃったね」
久しぶりにかかった魚はまだ小さくて、観賞魚には向かない。ふん、今日はだめかな。
バケツに移したところで、中でふよふよと泳がせていた魚の動きが鈍くなっていることに気付いた。そんなに長くここにいたか、とのんびりとした頭で考える。
「新鮮なうちに、おいしく食べちゃおうか」
「ご飯か!?」
途端に元気になったパイモンは、鞄の中からいそいそと携帯鍋を取り出す。仕事が早い。
魚を三枚におろして串に刺す。野菜がないな、玉ねぎと交互に刺したらおいしいかな。かまどに焼き網を乗せて、こんがりと焼けるのを待つ。
背骨は塩コショウをして水気を取ったら油で揚げて骨せんべいに。余すところなく頂こう。
風に飛ばされたコショウでくしゃみをしながら、じゅわじゅわと油が滲む魚を見守る。皮の香ばしい匂いと、玉ねぎの甘い匂い。早く食べたいねえ。
パイモンとふたりでうずうずしていれば、こっちを忘れるなと言わんばかりに釣り竿が動く。あわ、結構大きいのがかかったかも!
パイモンの応援を背に、苦戦しながらどうにか釣り上げれば活きのいい立派な魚が現れる。やった、早く持って帰って水槽に入れなくちゃ。うーん、でももう一匹くらい観賞用が欲しいな……。
「なあ、そろそろ食べ頃じゃないか? 早く早く!」
「あれ、もう焼けた?」
「いっただきまーす!」
「熱いから気をつけて」
はぐ、とひと口齧ってはおいひい、とにっこり。蛍はコショウをたっぷりかけてから。はふはふ、あち。うん、塩加減もいい感じ。これはぺろりと一本食べ終わってしまうな。パイモンはもう2本目に手をつけようとしているし、少し多めに作っておいてよかったね。
「蛍! 釣り竿が動いてるぞ!」
ちょっと、今食べるのに忙しいんだけど。魚もお食事タイムってこと?