好きの循環:司レオ 嫌われた、と酷く後悔した。
廊下を抜ける冷たい風は、胸の隙間に吹き荒び、ひゅうと乾いた音を立てる。
寒さの中で立ち尽くして、自業自得であることを理解しつつも、意中の彼を恨めしく思った。
♪
最初は心配したのだ。
だって、毎日のように親愛の念を告白してくる同じユニットの後輩が、今朝はぱたりと現れなかったから。
風邪でもひいたのだろうか。もやもやとそればかりが気になってしまい、一年生の教室までどうにか辿り着いて。そうして、クラスメイトと談笑している彼を見つけた。
その瞬間に悟ったのだ。ああ、彼は自分を追いかけるのをやめてしまったのだ、と。
そもそも。そもそもの発端の話だけをすれば、彼――朱桜司は、おれ――月永レオのことを嫌いなはずだった。いつもぷりぷりと怒っていて、「Leader!」と大きな声で近寄ってきては、「奇行は控えてください!」と声を荒げる。
変わったのは、きっと、そう。愚かしくもおれが仕掛け、全ての終わりを願ったジャッジメントの日。舞台上で向かい合ったあの瞬間――真っ直ぐに伸びた視線が交じり合ったあの時に、何かがかちり、と音を立てて変わったのだ。
そんな大一番のその後に、弓道場で、やっと思い出した名前を呼んだ時の、彼の嬉しそうな顔と言ったらなかった。
子猫と戯れながら、「これからは迎えに行きますから」とそんなことを言う。
「あなたのことが知りたいです」
♪
スオ〜は律儀なやつで、本当にレッスンがある時は毎日迎えにきた。
その頃にはあんまり「Leader!」って怒鳴ることはなくなっていて、「やれやれ」なんて顔をしながら、時々おれの世話を焼くようになっていた。
『にゃいつ』の皆が弓道場から去って行く日。引き取り先まで同行するらしいケイトと彼らを見送って、寂しくなるな、なんて二人でしんみりと話していた。
その時、発端になった猫たちを想いながら、ふと口にしたのだ。「別にもう迎えに来なくても大丈夫だぞ」と。
スオ~と『にゃいつ』の皆と過ごす時間は、間違いなく楽しい時間ではあったけれど、彼も暇ではないことはちゃんと分かっている。そして、おれが正式に復帰してKnightsの一員となったことも、彼が口を酸っぱくして言い含めていたこともあって、きちんと理解しつつあった。
「だからさ、おれがレッスンに出る意思があるのに、毎回時間を割いて迎えに来るってのは合理的じゃないだろ?」
必要な気遣いであり、ケジメのようなものでもあったと思う。ただ、それをスオ〜は良しとしなかったのだ。
「……合理的、では、ないでしょうね」
ええそうでしょう、と考え込むように言葉を続ける彼の、謎かけのような返答には興味を掻き立てられる。
ただ単におれが「レッスンに出る」ことへの信用がないのかと思えば――実際、無遅刻・無欠席での出席が可能かと問われれば自分でも「絶対」と言い切る自信はない――そう言うわけでもないらしい。
そこで率直に「何で?」と問いかけない所が、おれのおれらしさだという自負がある。いくつかの妄想を口に出そうとしたその時に、唐突に、彼の視線がこちらを射抜くように向けられたことが分かった。
「好きだからですよ、あなたのことが」
ピン、と。
何かが弾けたような沈黙。
何に似ているんだろうか。そんな場違いなことを考えて、ここは射場だから、弓を射る時のあの感覚に似ているのだと思い当たった。
瞬間。ぶわりと盛り上がるような、音の波を、『霊感』を、受けて。
ありがとう、おれも好きだよ! なんて。
普段ならそんな風に返すのかもしれない言葉すら出てこなかった。
「――『霊感』が!」
叫んで傍らのペンを掴むと、少し予想していたとでも言うように、スオ〜はため息を吐き楽譜を渡してくれる。
そうして出来た傑作をふんふんと反芻しながら、やっと思ったのだ。
「……いや、なんで⁇」
♪
そんな告白から数週間。
出来上がった楽譜で顔を覆いながら、「ちょっと待って⁈ 考えさせてっ⁈」と捲し立ててから、数週間が経過している。
「まだ答えは出ませんか? Leader?」
「待ちますよ、けれど、待った分期待してしまいます」
「好きですよ。いえ、あなたのことだから、忘れてしまっているのかと思って」
探し出されて、世話を焼かれて、そうして、ふとした隙に口説かれる日々だった。
おれにとって、感情の表出は、言語よりもまず音楽として為される節がある。向き不向きとして、言葉というツールの扱いが、どうにも得意にはなれないのだ。だからこそ、言葉を自在に操って好意を伝えてくるスオ~は、とても興味深くて、面白い存在だった。
惹かれないはずがない。独特な語彙を駆使して、良くも悪くも刺すように真っ直ぐな言動に。何もかもをひっくり返し、そうして、おれの手をしかと握ってみせたその手に。決して怯むことも曲げることもなく、強い色を宿したその瞳に。彼を構成する、そのひとつひとつに、確かに自分は惹きつけられていた。
それでも、気持ちに応えるのかと言われれば考え込んでしまう。つまるところそれは、スオ~の気持ちに釣り合うような気持ちを返すことができるのか、という覚悟の話だ。そうした逡巡のうちに、まだ形にできない、彼への感情は胸の内に降り積もっていく。
そんな中途半端な状態にあってなお、スオ~から与えられる言葉を、これまで通りに欲してしまうのだから勝手な話だった。自身の気持ちを形にしようとしないまま、発せられる次の「好き」ばかりを求めてしまっていた。
そんな風に、答えをはぐらかして愛だけを求め続け、そうして愛想を尽かされる。ああ、本当に、ただの愚か者ではないか。
思考は脳内を駆け巡り、その間にも視線を外すことはなかった蘇芳色。
次の瞬間、ぱちりと音がしたような錯覚とともに、彼の紫の瞳と目が合った。
♪
肩が小さく跳ねて、反射的にそのまま逃げようとすると、スオ~が音を立てて立ち上がり、追ってくる気配を感じる。
「待ってください! ……こらっ、Leader!」
「こら」とは何だ、おれは先生に注意される子供かっ?
そんな文句の言葉だって紡ぐ暇もない。どかどかと階段を駆け下りていき、ここがすでに一階であったことに気が付いたのは、階段下の物置――つまるところ袋小路に追い込まれてからのことだった。
というか、逃げ込んだ先が行き止まりだったのは完全におれの不注意だったんだけど。くそう、これだから未だに学院内で迷子になるんだ。
「……Leader」
後方からの呼吸を整えながらの呼びかけに、観念してゆっくりと振り返る。そうして目が合ったものの、スオ〜は神妙に黙りこくったままだ。横たわる沈黙に居た堪れなさが増していくが、これ以上逃げることも不可能。となれば。
おずおずと近づいていくと、そこで彼はやっとホッと息を吐くように笑うから、わけが分からなくて混乱した。
「おまえ、今日は、その、大人しいじゃん……?」
「普段が騒がしいとでも言いたげですね……私はいつでも紳士的な騎士ですが?」
それは嘘だ、なんて反論は話がややこしくなりそうなので飲み込む。いや、そもそも「こら」とか叫びながらおれを追いかけて来る時点で大人しくはないが、言いたいことは、そうではなくて。
「いや、違くて、朝、来ないし、その」
「Leaderはご存知ないかもしれませんが、今日から一学年はtest期間なのですよ?」
「えっ、あっ、そ、そうなの……」
途端に、ひどく空回った勘違いをしていた気分になって、居心地悪く身体をもぞもぞと動かしてしまう。
「……いえ、申し訳ありません、半分嘘です」
「……ん?」
でも、このくらいの意地悪は許されるんじゃないかと思うんですよ私は、とぶつぶつと小さな声でスオ~は続ける。
「……『押して駄目なら引いてみろ』と言う、たびたび小説などで見る作戦を試してみたかったのです。test期間というのは本当ですが、こじつけて少しだけ距離を置いてみようとしていました」
まあでも、本日は一応レッスンの予定がありますし、放課後は伺おうとは思っていたんですよ? なんて言葉が続く辺り、作戦としては結構ぐだぐだなのだろうが、しかし。
「古典的だとは思ったのですが、この手は有効だったみたいですね? Leader?」
そうだ、このぐだぐだな作戦が覿面に効いてしまったのだった。これには流石に、勢いよく頬に熱が集まっていく。
「私とて、あなたが満更ではないことを理解はしていましたが、それでもやはり、あなたからの言葉を欲してしまうのです」
欲張りでしょうか? なんて首を傾げてみせる彼の瞳は、あのジャッジメントの真っ直ぐな視線の延長線上に、確かに存在していた。
「それで、きっと私は、今日こそ返答をいただけるんですよね……?」
瞳の力強さはそのままに、艶やかに微笑まれて。
「う、うぐ……」
――それでもやはり口籠った。
「……ほんとうに変なところで恥ずかしがる人ですね……」
呆れたような声に対して、返す言葉はまだ出てこない。朝の喧騒はすでに遥か遠く、羞恥の感情から低く響く唸り声に、形を与えてくれる言葉を待った。
「では、Leader、Repeat after me……」
そうしておれは、言葉というツールに愛をのせる喜びを、改めて知ったのだった。
【終】
書いてるときテーマを見失いそうになりつつ止まるんじゃねぇぞの精神で何とか書きあげたものです……。