『先輩/後輩』 王さま、と呼ばれることに慣れたのはいつ頃だっただろう。司は、なんとなくそんなことを考えながらテレビ局を後にする。腕時計で時刻を確認すると、もうそろそろ二十四時を回ろうとしていた。今日の仕事は先程の番組で最後である。この後は恋人の待つ自宅に戻るだけ、という事実を思えば、若干疲れを訴えていた足元も軽くなるというものだ。二十歳を超えてしばらく経ったとはいえ、司もアイドルの皮を脱いでしまえばただの男。恋人との逢瀬はいつだって嬉しいのだ。
「……最近はあんまり会えてなかったですし」
ぽつり、と呟く声は思った以上に子供じみていて、そのことに気づいて自分で笑ってしまう。あぁ、寂しいな。ここ最近はずっと仕事の時間が合わず、そんな時に限ってユニットの仕事もほぼなかったのだ。帰宅しても、寝ているか作業場にこもって作曲に専念しているかのどちらかで。疲れて寝ているところを起こすことは忍びないし、作業場にこもっている時は邪魔しないのが自分たちのルール。必然的にすれ違う生活に寂しさを覚えてしまうのも仕方ないことだろう。
だからこそ、今日も同じだと思ったのだ。最近は修羅場だったようだし、修羅場明けは驚く程に睡眠を必要とするのを知っている。数時間前に帰宅できていれば少しくらいゆっくりと過ごせたかもしれないけれど、日付は先程超えてしまった。また会えない記録更新ですね、なんて考えながらため息を吐いていたのだ。
「おかえり」
鍵を回し、ドアを開いたと同時に聞こえてくる声に、司は思わず目を丸くさせてしまう。
「レ、レオさん? 起きていたのですか?」
そこには、ラフな格好で司を迎えるレオの姿があった。
「昨日修羅場終わって、一日ゆっくり寝てたから」
若干眠たそうにしているのは寝過ぎたからなのだろうか。それとも、もっと眠っていたいのを堪えて自分を迎えてくれた? 都合の良い考えが頭を過っては、それ以上に顔を合わせられたことへの嬉しさが溢れて霧散していく。
後ろでにドアを閉め、司は両手をこちらへと広げるレオの身体をそっと抱き上げる。ちょっとだけ、以前よりも簡単に持ち上がる痩躯。明日以降はたくさん栄養を摂らせなくては、と若干意識が逸れたことをレオは敏感に感じ取ったのだろう。ほんの少しだけ不機嫌そうにすると、子供が嫌がるような仕草で腕を伸ばし、頬を膨らませる。
「スオ〜。ただいま、は?」
「すみません。レオさん、ただいま帰りました」
「ん! おかえり〜」
ようやくレオは満足そうに司の首に手を回して甘えてくる。
元より子犬のような行動をとることが多かったレオではあるが、こんな風に年下である自分に甘える姿は外では見せないようにしている。両手を伸ばして抱き上げることを要求する姿はとても愛らしく、放っておけるわけがない。司は愛おしげな表情を浮かべて、レオを抱き上げる腕に力を込める。
とても、感慨深いというものだ。最初からこんな風にレオが甘えてくれたわけではない。誰よりも強くあろうとしていた先代の王は、例え同い年のメンバーにだって弱みを見せることを嫌っていた。年下である自分には尚更。先輩ぶって、大人ぶって……そうして、自分では発散しきれなくなってしまった姿を見かけた時は心から後悔したのだ。レオを尊重するあまり、レオの本当の願いを汲み取ることができなかった。年下とはいえ、恋人である司に本当は甘えたかっただろうに。だから、司はある程度の尊重をやめることにしたのだ。レオが本当にしてほしいことを想像して、行動する。そうして、少しずつレオが甘えられる環境を整えた。
「レオさんは甘えたですねぇ」
今では、自ら抱っこをせがんだり、頬を擦り付けて甘えてきたりできるようになった。恋人冥利に尽きるというものだ。
レオは司の言葉に一瞬動きを止めたが、すぐに司の頬を抗議するようにしてつまんでくる。思ったより、痛みがあって涙が滲んでくる。
「痛」
「生意気」
楽しそうに口元を歪ませながら、レオは若干赤くなっているであろう司の頬に唇を落とす。
「おまえがおれのことそうしたくせに」
「っ、」
ぐ、っとキた。
司が言葉を発するよりも先に、レオはするりと司の腕から逃げてしまう。楽しそうに笑う姿は本当に可愛らしくて、でもそれと同時に苛立ちの感情すら湧いてくる。顔を上げ、レオにじとりと視線を送るが、当の本人はどこ吹く風だ。
「レオさん」
「なぁに」
くすくす、と笑うレオは司の感情なんてお見通しなのだろう。どれだけ歳を重ねたって、同じように重ねていくレオに追いつくことはない。ずっとずっと、後輩であり続けることが司には少しだけ悔しかった。レオを支えられる存在になりたいのに、隣に立っていたいのに。追いつけない差が歯痒い。
「スオ〜がおれに勝とうなんて百年早いぞ〜?」
頭を撫で、レオはそんなことを言ってくる。「……分かってますよ」なんて拗ねていることが全面に出ている声で返事をすると、レオの声音がより一層甘くなる。
「よちよち、可愛いな」
「子供扱いはやめてください」
「子供扱いはしてないけど? 恋人扱いで〜す」
絶対嘘だ。
「はぁ……いつまで経ってもレオさんに勝てません。どうしたらあなたに勝てる日が来るんですかね」
「ふは、それをおれに聞いちゃうの? まぁいいけどっ」
レオは司の頭を撫でながら、目元を細める。
「何歳になっても、スオ〜はおれの後輩だもん。負けないよ」
たった二歳。されど、その二歳の差が自分たちには大きかった。追いつけない、追い越せない二年の年月。その差が埋まらない限りは、この恋人に勝てることはないのかもしれない。本当に悔しい。knightsの王としてならば、自分の方がもう二年も多いというのに。
「ん?」
そこで、司は思いつく。
「レオさん、確かにあなたは私の先輩です。その事実は変わらないし、覆せない」
「お? どうした、急に」
レオは首を傾げながら、こちらを見てくる。
「でも、knightsの王としてなら、私の方が先輩ですよ」
「はい?」
「だって、私はもう四年間も王として活動しているのですから」
自信満々にそんなことを言う司の様子に、ようやく言いたいことを理解したのだろう。レオは盛大に吹き出してから、司に向かって指を指してくる。
「お、おまえ〜! それ言ったら先に王さましてたんだからおれの方が先輩だろ!」
「指を指さないでくださいまし。いいえ、先にLeaderだったとしても優先されるのは年数であるべきです」
四年間、王として活動してきたのだ。それも夢ノ咲だけでなく、多くの人の目に触れるESでも。それならば、knightsの王としては司の方が先輩になるはず。先に、とかは関係ないのだ。先代として尊敬はしているが、それとこれとでは話が違う。
司の様子に、レオは反論も出ないようだ。何かを言いたげに口元は動いているようだが、意味のある言葉にはなっていない。
「文句があるならどうぞ?」
「あ〜もう! ないよ!」
髪をぐしゃりと掴み、悔しそうにレオは声を荒げる。上手い反論は見つからなかったようだ。まぁ、どんなことを言ってこようが今回は何一つ認めるつもりはない。ようやく見つけたのだ。絶対に、認めてたまるものか。
「ほんと、無茶苦茶な奴」
「なんとでも仰ってください」
こういう場面において、司が意見を曲げないことはレオが一番よく知っている。諦めたようにしてレオはこちらにもたれかかってくる。司は素直にその身体を受け止め、ゆっくりと抱きしめた。
「あなたに頼られたいのですよ」
「……もう頼ってるじゃん」
レオの言う通りだ。付き合い始めた当初に比べて、よく甘えてくれるようになったとは思う。レオなりに恋人である司の望みを尊重してくれているのだろう。でも。
「もっと、甘えてほしいので」
司はわがままなのですよ。
耳元で、声を吹き込むようにして望みを告げる。レオはびくり、と肩を揺らすと顔を真っ赤にさせて耳を抑えた。耳が良いと、こういう時に大変そうだ。……こちらは、好都合なのだけれども。
「『新入り』〜!」
昔の呼び名で抗議してくるレオを司は涼しい顔であしらう。
「レオさん、あなたよりも私の方が『王さま』としては先輩になるんですよ。これからは、ずっとね」
「……ほんとに生意気」
拗ねてそっぽを向いてしまったレオを宥めるようにして、司はそっと頬にキスを落とす。焦れたレオが自ら唇を重ねてくるまで、司はそのまま待ち続けるのであった。
続