『海より来たりて雷を撃つ』 異国の地の魔力とは、水と同じで肌に合わないと不便なものだ。海の向こうに遠見の水鏡越しに見た地に実際に足を踏み入れて思う。故郷での下剋上の合間にふらりと異境の神の誘いに乗って訪れた砂の国で覗いた糾弾の景色に未来の全知全能は顎を撫でた。
随分とぬるい。敵ならば力づくで奪い、組み伏せ、二度と逆らう気が起きないように叩き折る。そうして混沌と秩序を繰り返し美しい世界を創り上げてきたというのに。裁判だの勝負だのまるで強者のやり方ではない。
協定を組んだ麗しの女神には申し訳ないが我々の戦力を早々に投入して――などという考えが変わったのは、玉座から引き下ろされた赤き科人の素顔を見た時だった。
支配と破壊は表裏一体である。
それは何も大規模で劇的なものとは限らない。ゆっくりと、小さな種から発芽した苗が岩に根を張り、やがて飲み込んで大木へと育つように時間を賭けて成される事もあるのだ。
「これは悪手ですねぇ坊っちゃん」
王の座に据えられた青き冠を戴く青年に手首を握られて笑う。いやはや相手が人でも無いというのになんと無防備なことをするのか、この若い神は。私なぞ恐ろしくて父にすら触れたくないというのに。
「貴様、何を笑っ――⁉」
ガクンッと大柄な赤銅色の体が大きく痙攣し膝をつく。軽い砂塵が舞い上がり風に流されて行く中で彼は己の身に起きた事が理解できて居ないようだった。
「あっ……がッ…」
「手は離すな。膝を付け若造。もっとも離したくとも離せないだろうがな」
それでも顔を上げようとする気力は見事なものだ。
しかしこれだけ気骨のある大男だと奴隷として連れて行くにも使い道に骨を折りそうである。いや、帰国の土産としては首だけあれば本来事足りるのだ。敗国の王など。
「ふふ。何を笑っているかですか。あなた方の腑抜けっぷりにですよ、新王殿」
鍛えられ山を駆け回る山羊の足のように筋の分厚い肩へ手を置こう。彼らの流儀に合わせて血を流し続ける必要もあるまい。ほんの少しの電気刺激、それは雷の権能の使い道の一つ。
抵抗のある空気中に放つには魔力の消費も多く、この国の神々の操る魔力は操りづらいことこの上ない。しかし自分の身体に蓄えた魔力で呼び起こす権能ならば髭を剃るより簡単な話。例えばそう、こんな風に直に触れたのならば。
「はがっ…い゙ 貴…様……!」
「あなたの母上は我々を随分と甘く見ているようですがねぇ…我々、真っ只中なんですよ実は。血で血を洗うなんとやらの」
肩から流した電流で完全に砂の上に伏した若い王の背に手を当てる。背中越しに彼の鼓動を捕まえた。
「平和ボケしたお前たちよりもあの半身になった前王のほうが、私の脅威をしっかりと認識していたのでは? まあこれは私の憶測ですがね」
魅力的な人に危険な、それだけの実力が有ると思われるのは心地良いものである。無論心を開いてもらうのが最善では有るが。ただこの木偶の坊にはまだそれだけの価値も魅力も無い。
「さてどうしたものかな。まだ意識はありますね坊ちゃま。ああ少しでも怪しい動きをしたら貴方の心臓を止めますよ」
「ふっ………ぐ…う……」
今楔を打ち込んでおけば、そこから何れ芽が出るかもしれない。花が咲くか蔦が這うか、ただ地下に根を張るかは解らないが。
「そうだ、新しい王とそれを祝う下々との交流の場を作りましょう。ねえ、エジプト王殿」
「馬鹿な…事を――ッ」
チッ……顔が見えないのは残念だな。しかし素直な声を出す。
貴方の大事な人が受けた痛みを味わえるなら本望でしょう、賢王の息子殿。