いくら魔法使いは魔法で体感温度の調節ができるといったって、夏の日射しはきついものがある。普段よりも喉の渇きが早い気がして、キッチンからもらってきた飲み物もすでに底をついていた。
魔法を使ってコップを満たすことも考えたけれど、この時間にはまだネロがキッチンに居るだろうと、ファウストは部屋を出た。
しっかりと昼食も摂ったというのに、ネロの顔を思い出してしまうとどうにも小腹が空いたように感じるのは、しっかりと餌付けされてしまっている証拠のようで、少しばかり気恥ずかしい。
けれど、あの男はなによりもそれを嬉しそうにするのだから、悪くはないな、とも思う。
ファウストが、何かを作って、とねだった時のネロの顔は、こどものように無邪気なようでいて、こちらを甘やかそうとする年上の余裕も含んでいる。
その、ファウストだけの微かな表情の違いがわかるようになってから、もうたまらない気持ちになるのだ。
面倒見のいいネロの、年下の魔法使いたちみんなに見せる顔に、ひと粒だけのシュガーを混ぜたような、ちいさな特別。
それを見るのがファウストは好きだった。
キッチンの入口に足を踏み入れようとして、むわりと熱気が襲いかかってきた。料理には魔法は使わないとはいえ、材料のことも考えて空調には気を遣っているネロにしては珍しい。
普段の白シャツではなくて、その中に着ている青いシャツだけになっているのも、その袖が肩まで捲り上げられて紋章が露になっているのも、普段はおろされている襟足の髪までしっかりとまとめ上げられているのも、珍しかった。
数本まとめ上げられなかった髪の束が、汗で首筋に貼り付いているのをみて、どきりとする。
こちらから手元は見えないが、少し前屈みになっているので何かの作業中なのだろう。
ファウストは踏み出そうとした足を戻して、そっとネロの集中が切れるのを待った。
ふぅ、と張りつめた空気をゆるませるようにネロの息が吐き出され、ぐっと背伸びをする。その力が抜けたところで、ファウストはネロに声を掛けた。
「うおっ、先生か。びっくりした」
「びっくりしたのはこちらだよ。どうしたの、そんなに汗びっしょりになって」
あぁ、これ?とシャツの首もとを引っ張るネロの顔から首筋にかけても汗が伝っている。
それを拭ってやろうと手を伸ばせば、せんせいの手、つめたくてきもちいい、と溶けた声で頬が擦り寄せられた。
そんな声、こんなところで出さないで欲しい。
「それで、何をやっていたの?」
「ん?あぁ、これ」
時折語られる賢者の世界の話。その中にはこちらの世界では考えられないものも多い。
「ナツマツリ?ってやつで飴を動物の形に細工したもん売ってたんだって。試しにやってみたら結構難しくて」
つい、熱中しすぎちまった。
そう笑うネロの背後を覗きこめば確かに少しばかり歪んだ猫やうさぎがいる。平行魔法の得意なネロでも、やっぱり好きなことに集中しすぎれば暑さなんてそっちのけになるのだろう。
「それ、綺麗な形になるまで試すんだろう?きみの部屋ではだめなの」
「へ?まぁ火あるしそっちでもできっけど」
なんで?とこてん、と傾げて露になる首筋はいつもより無防備だ。
つ、とわざとらしく普段は隠されている襟足から首筋、鎖骨まで指を這わせた。
「……あまり、見せないで」
きょとんと目を丸くしたかと思えば、じわじわと暑さのせいではない熱がネロの耳にのぼる。
「……っ、先生のそういうとこ、ずるいと思う」
ふふ、と思わず笑ってしまうと拗ねたように唇が尖る。ふい、と視線を逸らして材料の準備をするネロの、首もともうっすらと赤い気がしてますますファウストの口元が緩んだことをネロは知らない。
「……先生も、来る?」
「もちろん。どうやるのか見てみたい」
調理道具を抱えたネロの腕から、落ちそうになっていた白シャツを抜き取ってファウストは自分の腕に掛けて、並んで階段への廊下を歩いた。