「せーんーせー」
「なぁ、って」
聞いてる?なんて見ればわかることを改めて聞いてみたところで答えはない。ネロの声には耳を貸さず、けれど上機嫌な気配はしている。
つまり、ファウストはめちゃくちゃ酔っている。
なんでこうなった。
晩酌の誘いを受けた。それはいい。
ネロは自分の部屋でつまみを作って準備していた。
そこに酒瓶を抱いたファウストがやってくる。
うん、それもいつもどおり。
最近はすっかりベッドを椅子に飲むことが増えた。テーブルの代わりに小さなトレイを間に挟んで、以前よりも緩んだ距離が落ち着くようになっていた。
まぁ、なんだ、ベッドだと酔っぱらってそういう気分になったときにももつれ込みやすいっていうのもいい。
だから珍しく酔いが回るのが早くて上機嫌だったファウストが、肩に手を回してきたから今日はそういう日かなと思えば――ファウストに膝枕された状態でグルーミングよろしく頭を撫でられ続けている。
なんで。
ネロのグラスはファウストの指先でふよふよと宙を漂ってテーブルの上に追いやられて、すっかり汗をかいたグラスに、酒がしっかり薄まっているだろうなと思う。
まだそんなに飲んでなかったのに。
まぁ、ネロだってファウストに撫でられるのは気持ちいいからいいのだけれど、こうも熱心にされるとなんというかいたたまれないのだが。
「ふふ、なんだかきみの髪さわり心地がよくなった気がする」
さらさらで気持ちいい。
「……それ、仕立て屋くんにもいわれたんだけど」
クロエは服を作っていることもあってか、身体のサイズや見目の変化には敏感だ。キラキラとした目でそう言われたときは面食らって、じわじわと気恥ずかしさが込み上げてきたものだった。
だって、その理由は。
「ほら、やっぱり」
ファウストとの関係が変わって、その手がネロに触れるようになってから、自分でやる以上にファウストがネロに手をかけるようになった。
といってもそんな大袈裟なものではなくて。
ネロ自身、どこか自分自身のメンテナンスは後回しにしてしまいがちな自覚はある。
例えば手だって水仕事の宿命だ、なんて荒れるのもしょうがないなんて思っていたけれど、それを気にしたヒースがクリームをくれたり、ファウストにマッサージがてらとそれを塗り込まれたりした。
きみはきみを疎かにしがちだ、なんてことばとともにファウストの綺麗な指先が、ネロの手のひらやら手の甲やらをくるくると動くのをみるのはどこか気恥ずかしくてくすぐったかった。
なんだかとても「大切にされている」ようで。
髪もきっと同じ。
撫でる指から、ファウストの使う香油がネロの髪にも馴染んでいく。
「きみに手をかけてる、っていうのが他のひとの目にみえるのはなんだか気分がいいよ」
伝う指はやわらかくネロに触れていく。色気のあるようなものではなく、それこそ可愛がるための触れ方。
――俺は、中庭の猫たちじゃねぇんだけどな。
けれどさっきのことばは、どこか独占欲のようなものも滲んでいて、本当にうちの先生は性質が悪い、なんて思ってしまう。
そんなふうに、易々と餌を与えないで欲しい。
くすぐる指が顎下に伸びる。
素直に気持ちいいと、ゴロゴロと喉を鳴らしてしまおうか。
それともおとなしいばかりではないんだと噛みついてしまおうか。
迷っている間に、そのまま顎は掬われて、予想外なキスが降ってきた。
瞬くネロに、にんまりとファウストの唇が弧を描く。
……続くことばは、簡単に予想がついた。